2016年11月02日

英 iFi社 retro50 番外編 ナチュラルディストーション 4

ナチュラル・ディストーション 4

音数の少ないピアノやヴァイオリン独奏曲ではナチュラル・ディストーションはどうでしょう。 まず、作曲家の目論見と演奏家の解釈の関係がありますが、これはオーケストラで述べたので省きます。 独奏ではオーケストラに比べて少ない色の音しか出せず、音量も圧倒的に小さいのです。 ですからただ音を出しただけでは単調に終わってしまいます。 そこで演奏家は音転がしや、艶がえし、といったテクニックを披露します。 これは聴き手にとっては魔法のようなもので、たとえひとつのおとであっても変化(へんげ)して聴こえているのです。 まるでモアレ縞を動かすように。 周期を微妙にずらして音の表面を絡ませたり、芯をグッと迫り出させたり、こぼれるような液体質に磨いたり、空間周波数のうなり現象が音にも当てはめられているのです。 音を縞と見立て、傾けば光の当たり具合が変化して複数になるような錯覚をもたらす奏法を優れた演奏家は心得ています。 これは芸術というよりも芸のカテゴリに入る技です。 バッハの無伴奏パルティータを奏するヴァイオリニストがノコギリで胴を切り刻むような弓遣いを見たことはあるでしょう。 あの行為はひとつの楽器で多声部をこなすためにする動きです。 演奏効果を出すためにはそれぞれの声部が明確さと微妙に溶け合う柔らかさがないと無理です。 そうして妙なる音は絡みながら、ほぐれながら、色をへんげさせて大気に飛翔していきます。 もみじの葉群れの陰りに、さっと陽が射したときのフワッと色めくときの、こころが浮き立つように。 同じ葉でも時間が異なれば色も見え方も感じ方も変わります。 そのようにして演奏家は単一の音を聴覚的に複数化することで魅了して、聴き手を飽きさせないように工夫する。 ここにもナチュラル・ディストーションがはたらいています。
複数化にあたり、重要なのは楽器そのものの性能です。 よく倍音が伸びて音が飛ぶものが効果を上げるのは言うまでもありませんが、演奏会場のアクースティック(ホールトーンと残響など)も見逃せません。 単独楽器をゆたかに響かせるためには楽器のまわりの空気の状態は大切です。 主音とそれに付帯する倍音や共鳴、そして空気の震えが絡み合いほぐれたりすることにより、音そのものが重層化して響きあい、そうしてナチュラル・ディストーションが発生しやすくなるのです。 ですから演奏家は音の連なり方、いわゆるスラーやレガートやリエゾンに特に注意を払います。 たとえばある音がナチュラル・ディストーションの成分を多量に含んでいるとすると、直前の音と直後の音を絡ませて表情をどういう風につけるか、そして時間をどういうふうに流すか、は演奏家にとってよだれが出るほど面白い局面です。 タイミング、いわゆる「間」が感性にピタリと添わないと、せっかくのナチュラル・ディストーションが野暮になるし、意図した音色も出ない。 そのために演奏家たちはあらゆる手練手管を駆使しているのですが、これは人間の聴覚における錯覚を誘い出す技法とも言えましょう。 演奏家により紡ぎだされたナチュラル・ディストーションをうまく再生できないと、聞き手はレコードを聴いていて退屈して興味を失います。 面白くない音楽の理由は曲や演奏家のせいではなく、再生装置がちゃんとはたらかない場合が思ったより多いのです。 つづく
以上T氏


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