2016年11月07日

英 iFi社 retro50 番外編 ナチュラルディストーション 最終回

再生装置とナチュラル・ディストーション 3

独奏曲を演奏する際のナチュラル・ディストーションについても書きました。 演奏家や、使用された楽器、録音会場、録音状態、レコードの品質などを念入りに吟味することで、良好なナチュラル・ディストーションが発生することを音楽愛好家は経験上、あるいは本能が求めるところにより嗅ぎ分けているようです。 前にも言った通り、クラシックLP愛好家が初期盤市場において、この二十数年のうちに米盤に見切りをつけ、英盤・仏盤・東欧盤・独盤などに興味を移していったのは、単に希少だという理由だけではなく、演奏家や再生音そして盤材などからその優位性を薄々感じ取っていたからでしょう。 しかしオーディオとなるとそのあたりを嗅ぎ分けるひとは残念ながら少ないようです。 ヨーロッパプレスのLPをかけるのに、自他ともに認めるクラシック好きと言われる方でもアメリカ製のアンプを平気で使用しているのですから。 大きなお世話かもしれませんが、ヨーロッパのトラディショナルな料理をハンバーガーのように喰らうのはよしてもらいたいものです。 これは行儀の問題ではなく、方法の問題です。 
生の音と同じ音をスピーカから出すことこそオーディオの本道と言い切り、巨大なコンクリートホーンを築き上げて原音再生を目論んだり、またオーケストラの音量をリスニングルームで再生することは不可能だと老獪な文体を屈指してオーディオ初心者は迷わされたりしてきました。 いまでも物故した文豪といわれるかたの言葉を大事にして「オーディオ道」をひたむきに歩んでいる方も大勢いらっしゃるようです。 
出すべき音をはき違えています。 本当にスピーカが出したい音は原音でもなく、オーケストラの大音量でも、英盤を米国製アンプで鳴らす音でもありません。 音を音楽として成り立たせているナチュラル・ディストーションです。 ナチュラル・ディストーションがあなたの再生装置から創出されたとき、音は生命感あふれる音楽として生まれ変わるのを実感できるはずです。 
その昔、米RCAに在籍したオルソンが催したオーケストラと再生装置のすり替え実験のことをご存知でしょう。 たとえオルソンが組み上げた舞台上の装置の音が実際のオーケストラと同じ音量だったとしても、それだけで聴衆が生の演奏と区別ができなかったとは誰も信じないでしょう。 音量が同じではだめなのです。 そこにナチュラル・ディストーションが創出されていなければ実際の演奏に近づくことはできないし、すぐに聴衆に気づかれてしまうはずです。 すり替え実験とは聴衆が生のオーケストラと錯覚させるだけのナチュラル・ディストーションが本当に再生装置から出ているのかどうかの確認実験だったのです。 その成果は50年代のハイフィデリティ(高忠実度再生)に活かされました。 ここでオーディオ機器のあるべき姿が浮かんできます。 それは音と音楽の間にオーディオ機器が存在する、ということ。  そしてナチュラル・ディストーションは自然倍音楽器で演奏したクラシック音楽の再生に無くてはならないのであり、それが成就しなければ音楽は生命を持たない音だけのサウンドに化してしまいます。 ナチュラル・ディストーションは音を音楽を結ぶ橋です。 それを渡ることができれば、そこには再生音楽の庭園が待っています。 この項おわり
以上T氏



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