2016年12月05日
英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 5
ナチュラルからエレクトリック・ディストーションに変質する原因と害
ナチュラル・ディストーションがエレクトリック・ディストーションに変質したからと言って、すべて悪い影響があるとは限りません。 音楽そのもののかたちや録音そのものがエレクトリック・ディストーションを意図していると、再生そのものが電気臭くなってもかえってそれが良い効果を生むこともあります。 この手の音楽は芸術性を目指しているのではなく、気晴らしや楽しみのため、あるいはダンスだったりするので、刺激が多いほうが聞く人が喜ぶのです。 一方クラシック音楽とりわけヨーロッパプレスの初期盤ともなると、話は別です。 優美で絹の肌触りでカッティングされているヴァイオリン小品がエレキギタに似た電気臭い音でスピーカから出てきたら、戸惑い違和感がこみ上げてきましょう。 この電気臭さが聞き手の感性の許容範囲に、つまり耐えられる強靭な神経の持ち主にとっては問題はありません。 こうした人たちは主にウエスタン信奉者に多くみられます。 何も感じなければそれまでのことです。 くっきりと見えるような再生音を目指すオーディオのスタイルは常に聞き手に緊張を強いると同じに生理的ストレスをもたらします。 神経質で細かいことに気を配るユーザも加減を間違えると心理的生理的ストレスで体調を崩すことさえあります。 音を聴くというより音楽を聴くというスタンスの機器がホームユースオーディオの原点です。
ヨーロッパのホームユース機器、ヴィンテージ時代のアンプとスピーカの関係は前回書いたようにおおよそのワット数の範囲の中で製造されていました。 ということは無茶な組み合わせはしない了解のもとでの販売システムであり、ミスマッチングのケースは少なかった。 アメリカのホームユース機器となると話は違います。 まず、数量が桁外れであり、機種もメーカも半端な数ではありませんでした。 アンプは膨大な種類のスピーカに対応しなければ、商業的に成功はおぼつきません。 ほとんどの単体アンプは3種類のインピーダンスに対応し、出力トランスも頑丈な線で巻かれています。 あらゆる種類スピーカに対応するためです。 頑丈な線材でコイルを巻いていては繊細な音は望むべくもありません。 ヨーロッパと違いアンプとスピーカの整合性のないアメリカでは、スピーカのインピーダンスのあばれをパワーで抑え込むことで対処しました。 アメリカのパワーアンプのトランスがヨーロッパよりも大きいのはこうした理由によるのですが、この対処法には欠点があります。 トランスを大きくするとアンプのパワーがトランスに食われてしまう現象です。 そこでアンプの出力をさらに上げて、減少した分をカバーしなければなりません。 アンプのパワー増大が進むとスピーカとの兼ね合いに圧縮というエレクトリック・ディストーションがまた出てくることになります。 これはポピュラー音楽にとっては好都合な結果ではあるのです。 ヨーロッパプレスの初期盤を愛好し、クラシック音楽を鳴らそうとするなら、アメリカのオーディオ機器を使用していては違う方向に導かれてしまうことを意味します。 モーツァルトよりもエルヴィス・プレスリです。 アメリカ製アンプを使用しているクラシック愛好家は、自分が今聴いている音楽はヨーロッパではなく、アメリカ人の目と耳が理解した音楽であることを認識しておかないと、これからのレコード蒐集やオーディオシステムの構築につまずきが生じてくることになると私は思います。 つづく
以上T氏
わが国に初期ステレオ盤ブームの火付け役となった、Robert Moon ” Full Frequency Stereophonic Sound " (1990) を思い出した。
キャルフォルニア在住の著者は同じDECCAステレオ盤でもSXL番号ではなくCS番号を試聴してDECCA優秀録音を選んだ。 試聴に使用した再生機器はアメリカ製だったに違いない。 何故なら、著者はCS番号がDECCAサウンドだと認めており、いかにもアメリカ的なダイナミクスの大小が判断の第1基準であり、音の伸びとか綾なすハーモニクスの変化や音色などについての記述が極端に少ない。 わが国の初期盤愛好家はこの冊子を読んで、競ってランクの高い盤を入手したものだった。 二十数年経った今日、CS盤の価値は凋落している。
ナチュラル・ディストーションがエレクトリック・ディストーションに変質したからと言って、すべて悪い影響があるとは限りません。 音楽そのもののかたちや録音そのものがエレクトリック・ディストーションを意図していると、再生そのものが電気臭くなってもかえってそれが良い効果を生むこともあります。 この手の音楽は芸術性を目指しているのではなく、気晴らしや楽しみのため、あるいはダンスだったりするので、刺激が多いほうが聞く人が喜ぶのです。 一方クラシック音楽とりわけヨーロッパプレスの初期盤ともなると、話は別です。 優美で絹の肌触りでカッティングされているヴァイオリン小品がエレキギタに似た電気臭い音でスピーカから出てきたら、戸惑い違和感がこみ上げてきましょう。 この電気臭さが聞き手の感性の許容範囲に、つまり耐えられる強靭な神経の持ち主にとっては問題はありません。 こうした人たちは主にウエスタン信奉者に多くみられます。 何も感じなければそれまでのことです。 くっきりと見えるような再生音を目指すオーディオのスタイルは常に聞き手に緊張を強いると同じに生理的ストレスをもたらします。 神経質で細かいことに気を配るユーザも加減を間違えると心理的生理的ストレスで体調を崩すことさえあります。 音を聴くというより音楽を聴くというスタンスの機器がホームユースオーディオの原点です。
ヨーロッパのホームユース機器、ヴィンテージ時代のアンプとスピーカの関係は前回書いたようにおおよそのワット数の範囲の中で製造されていました。 ということは無茶な組み合わせはしない了解のもとでの販売システムであり、ミスマッチングのケースは少なかった。 アメリカのホームユース機器となると話は違います。 まず、数量が桁外れであり、機種もメーカも半端な数ではありませんでした。 アンプは膨大な種類のスピーカに対応しなければ、商業的に成功はおぼつきません。 ほとんどの単体アンプは3種類のインピーダンスに対応し、出力トランスも頑丈な線で巻かれています。 あらゆる種類スピーカに対応するためです。 頑丈な線材でコイルを巻いていては繊細な音は望むべくもありません。 ヨーロッパと違いアンプとスピーカの整合性のないアメリカでは、スピーカのインピーダンスのあばれをパワーで抑え込むことで対処しました。 アメリカのパワーアンプのトランスがヨーロッパよりも大きいのはこうした理由によるのですが、この対処法には欠点があります。 トランスを大きくするとアンプのパワーがトランスに食われてしまう現象です。 そこでアンプの出力をさらに上げて、減少した分をカバーしなければなりません。 アンプのパワー増大が進むとスピーカとの兼ね合いに圧縮というエレクトリック・ディストーションがまた出てくることになります。 これはポピュラー音楽にとっては好都合な結果ではあるのです。 ヨーロッパプレスの初期盤を愛好し、クラシック音楽を鳴らそうとするなら、アメリカのオーディオ機器を使用していては違う方向に導かれてしまうことを意味します。 モーツァルトよりもエルヴィス・プレスリです。 アメリカ製アンプを使用しているクラシック愛好家は、自分が今聴いている音楽はヨーロッパではなく、アメリカ人の目と耳が理解した音楽であることを認識しておかないと、これからのレコード蒐集やオーディオシステムの構築につまずきが生じてくることになると私は思います。 つづく
以上T氏
わが国に初期ステレオ盤ブームの火付け役となった、Robert Moon ” Full Frequency Stereophonic Sound " (1990) を思い出した。
