2016年12月16日

英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 7

あんかけうどん

肌寒雨降りのお昼過ぎ。 うどんをすすっている。 去年の青もみぢのころに入った蕎麦屋。 あの時は、湯葉、生麩にしいたけ、人参、かまぼこ、飴色の汁の中に沈んでいたのがおいしく、忘れられない。 同じあんかけうどんを頼んだつもりだったけれど、運ばれてきたのには具が入っていない。 あれっ、とつぶやいたら、「あんかけうどん、、ちがいますのん?」 とお姉さん。 いや、これでよいです。 飴色のトロリとした汁の中に生姜がぽつんと花開いて沈んでいる。 「うまい、これはうまい」 具がない分、出汁と丸くてつるっとしたうどんのからみ具合がたまらない。 RIMG0143しばらくして、生姜で、あったまってきた。 食べ物屋さんは、最初入ったときは美味しくても、二度目三度目になると、なあーんだ、になりがちだけれども。 どうしてどうして前にもまして、この蕎麦屋がうれしく近い。 刺激がだんだん強くならないと、同じおいしさを感じないのが人間というものなのに、初めての時にも味わえなかった生姜のあたたかみが具の多さよりも印象に強いなんて。 店の入り口もふつうで、「いかにも感」 がない蕎麦屋。 テーブルも椅子も日常感があって、いい。 だから、素のあんかけうどん。 

と前置きしておいて、T氏の本題に入る  

カートリッヂまわりのエレクトリック・ディストーション 2

カートリッヂまわりの歪に関して前回書いたけれど、一番問題なのは針圧過多や適正インピーダンス調整の是非ではありません。 こういう音を聴いていながら平気な人の頭のなかです。 せっかくレコードというアナログの良いところを認識していながら、例えば初期盤の上質な録音が、こんなではなんの意味も持たなくなってしまう。 これをエレクトリック・ディストーションというからめ手から見ると、理解できないこともありません。 つまりこういう人たちの少年・青年時代に聞いた音楽はそのほとんどが録音・再生どちらの面でもエレクトリック・ディストーションにより成立するものだったからです。 例えばビートルズ。 当時のティーンエイジャーに向けて音楽という媒体でメッセイジを発していました。 実験的であり、ポータブルプレイヤやトランジスタラジオでもっとも効果があがるエレクトリック・ディストーション満載のサウンドで。 それを現在はハイファイ機器で再生しようとしたり、凝ったマスタリングなどと銘打って商売にしようとする矛盾。 彼らの解散後、さらに強いディストーションを持ったバンドが出現します。 レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、クィーン、ローリングストーンズ・・・。 そういう音楽に囲まれて育った世代はエレクトリック・ディストーションが脳にしみこんでしまい、ナチュラル・ディストーションによって成り立つクラシック音楽さえもエレクトリック・ディストーションに彩られていないと満足できないようになってしまう。 蕎麦屋の話ではないけれど、どんどん刺激が強くなっていかないと、同じ印象を持つことができなくなるのは人間の性なのでしょう。 それでクラシック音楽さえも、アメリカ製再生機器で聞かないとおさまらない愛好家もたくさんいらっしゃいます。 こうした音でクラシックだけでなく、ジャズを聴いているとしても、体に良いことはありません。 耳の鼓膜が常に刺激を求めるようになり、聴覚的麻痺を起こす。 もっとよく聞こうと音量を上げていく。 そうすると今度は聴覚神経がやられます。 結果として音楽的難聴、オーディオ的難聴に陥る。 強度に圧縮した再生音を平気で聞いている人たち、それは難聴に近づいていると認識したほうが良いと私は思います。 つづく
以上T氏



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