2016年12月21日
英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 8
録音時から発生するエレクトリック・ディストーションとリニアオーディオ
ハイエンドオーディオと呼ばれる機器の根源にあるリニア思想はヴィンテージ時代にあったハイフィデリティ(高忠実度再生)から音楽を抜くことにより音が明確化され、結果として音楽のかたちが姿をあらわすことを目指しています。 このリニア思想は矛盾に満ちたものです。 リニア思想を実現することによって示される音のリアルさ生々しさは一体だれが判断し、断定するのでしょう。 検知機でもなければ、周波数特性でもありません。 それは人間が聴いて判断することです。 人によってそれぞれ音から受ける印象は異なります。 音楽そのものの生々しさはまさしくエロスの化身であり、それを検知器で捉えようとすることこそ自体、陳腐なことです。 もちろん機器の基本的回路設計および点検調整は必須ですが、音楽にユーザがアプローチできる付加機能を備えるのがオーディオ機器に要求される伸びしろです。 この伸びしろがレコード再生には実に重要な位置を占めており、音楽を生理的に感受できる人が音楽味に至る道筋を照らす機能を備えているオーディオ機器こそが、レコードを趣味とする人々の感性にはたらきかけるのです。 アナログ再生ではオーディオ機器にある音の調整機能(トーンコントロール、EQ曲線選択等)がなければ、最適なレコード再生は不可能と言えます。 人はそれぞれに生理機能異なります、好みも違うはずです。 良い音はひとそれぞれに異なるのです。 最近のオーディオ機器は実に傲慢です。 トーンコントロールがなくてヴォリュームとバランスだけ。 これではまるで音楽の前に人間はすべて同じ感覚同じ耳、同じ心理状態を持っていると決めつけられているようではないですか。 日本人にとって四季折々、風の向きでも聴く音楽の選び方は異なります。 その時々で聴く人に相応しい音質は異なるはずです。 それを調整できないのは、レコード音楽の場合苦痛以外の何物でもないのです。 コンサート会場と違って、レコード再生にあるメリットは 『私』 です。 電子音まみれの外界から隔絶して、ユーザが自分の感覚で音を調整し、音を好きな姿勢で聴き込み、また聞き流すこともできる 『宮殿』 なのです。
話を戻します。 リニアオーディオにある基本思想は電気信号ラインを始まりから終わりまで一本の糸にたとえ、その線上にはなにものも介在しない、ストレイトに信号を進ませることにあります。 これにより音を出来るだけ鮮やかにディテールをくっきりと描き出そうとします。 音源に近づけば近づくほど音そのものの姿かたちが明確になると考えた、『かぶりつき』の魂胆です。 行くつく先はマイクロフォンのダイアフラム。 マイクロフォンの中では音が電気信号へと変換する時に、強いエレクトリック・ディストーションが発生します。 自分の声をマイクロフォンで出した人ならわかるでしょう。 自分が知っている声とは似ても似つかない声になって再生されるのです。 これを元の声に戻すにはさまざまな補正用の機器が必要になります。 録音スタジオで私たちにはさっぱり解らない機器があるのはそのためです。 リニアオーディオ信奉者はこうしたことには一切口をつぐんでいます。 マイクロフォンから伝達される音楽信号が何の汚れもないものであるかのように彼らは理解しているように見えます。 そうしてアンプからはトーンコントロールが消え、その存在を無用としたのです。 すべてのレコードはRIAAであり、すべてのスピーカから適切に再生されるはず、という大前提をいつのまにか勝手に決めてしまったのです。 無用なひずみから解放されるという大義名分のもとで。 リニアオーディオにおいては信号は一切可変調整を行ってはいけない、ということになっているようです。 つづく
以上T 氏
ハイエンドオーディオと呼ばれる機器の根源にあるリニア思想はヴィンテージ時代にあったハイフィデリティ(高忠実度再生)から音楽を抜くことにより音が明確化され、結果として音楽のかたちが姿をあらわすことを目指しています。 このリニア思想は矛盾に満ちたものです。 リニア思想を実現することによって示される音のリアルさ生々しさは一体だれが判断し、断定するのでしょう。 検知機でもなければ、周波数特性でもありません。 それは人間が聴いて判断することです。 人によってそれぞれ音から受ける印象は異なります。 音楽そのものの生々しさはまさしくエロスの化身であり、それを検知器で捉えようとすることこそ自体、陳腐なことです。 もちろん機器の基本的回路設計および点検調整は必須ですが、音楽にユーザがアプローチできる付加機能を備えるのがオーディオ機器に要求される伸びしろです。 この伸びしろがレコード再生には実に重要な位置を占めており、音楽を生理的に感受できる人が音楽味に至る道筋を照らす機能を備えているオーディオ機器こそが、レコードを趣味とする人々の感性にはたらきかけるのです。 アナログ再生ではオーディオ機器にある音の調整機能(トーンコントロール、EQ曲線選択等)がなければ、最適なレコード再生は不可能と言えます。 人はそれぞれに生理機能異なります、好みも違うはずです。 良い音はひとそれぞれに異なるのです。 最近のオーディオ機器は実に傲慢です。 トーンコントロールがなくてヴォリュームとバランスだけ。 これではまるで音楽の前に人間はすべて同じ感覚同じ耳、同じ心理状態を持っていると決めつけられているようではないですか。 日本人にとって四季折々、風の向きでも聴く音楽の選び方は異なります。 その時々で聴く人に相応しい音質は異なるはずです。 それを調整できないのは、レコード音楽の場合苦痛以外の何物でもないのです。 コンサート会場と違って、レコード再生にあるメリットは 『私』 です。 電子音まみれの外界から隔絶して、ユーザが自分の感覚で音を調整し、音を好きな姿勢で聴き込み、また聞き流すこともできる 『宮殿』 なのです。
話を戻します。 リニアオーディオにある基本思想は電気信号ラインを始まりから終わりまで一本の糸にたとえ、その線上にはなにものも介在しない、ストレイトに信号を進ませることにあります。 これにより音を出来るだけ鮮やかにディテールをくっきりと描き出そうとします。 音源に近づけば近づくほど音そのものの姿かたちが明確になると考えた、『かぶりつき』の魂胆です。 行くつく先はマイクロフォンのダイアフラム。 マイクロフォンの中では音が電気信号へと変換する時に、強いエレクトリック・ディストーションが発生します。 自分の声をマイクロフォンで出した人ならわかるでしょう。 自分が知っている声とは似ても似つかない声になって再生されるのです。 これを元の声に戻すにはさまざまな補正用の機器が必要になります。 録音スタジオで私たちにはさっぱり解らない機器があるのはそのためです。 リニアオーディオ信奉者はこうしたことには一切口をつぐんでいます。 マイクロフォンから伝達される音楽信号が何の汚れもないものであるかのように彼らは理解しているように見えます。 そうしてアンプからはトーンコントロールが消え、その存在を無用としたのです。 すべてのレコードはRIAAであり、すべてのスピーカから適切に再生されるはず、という大前提をいつのまにか勝手に決めてしまったのです。 無用なひずみから解放されるという大義名分のもとで。 リニアオーディオにおいては信号は一切可変調整を行ってはいけない、ということになっているようです。 つづく
以上T 氏