2017年01月06日

英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 12

スペクターサウンド その3

そして近現在、スペクターサウンドは音楽の内に潜伏して時折出現してきます。 シャデーやエンヤの音がそれです。 『オリノコ・フロウ』などは1960年代スペクターサウンドそのもの。 JPOPにもたくさんあります。 少し前の宇多田ヒカルはスペクターサウンド全開の曲を歌っていますし、セカイノオワリの『ドラゴンナイト』はインターナショナルなスペクターサウンドそのものです。 プロのミュージシャンだけでなく、私たちも気軽にスペクターサウンドに浸れるものがあります。 カラオケです。 カラオケは簡素化されたスペクターサウンド。 でも、私たちはそれをほとんど意識することはありません。 あまりに日常的すぎるからです。 これはスペクターサウンドがどれほど日常生活に浸透しているかの証明でもあるのです。 スペクターサウンドが出現した時、その音は非現実的であり得ないサウンドでした。 半世紀を経て、なんの抵抗もなく人々は、エレクトリック・ディストーションの塊を受け入れているのです。 
このように、現在スペクターサウンドは私たちの日常に蔓延しています。 そしてオーディオ機器の内にも制作した技術者の頭の中にも存在するのです。 というか、スペクターサウンドに洗脳されてしまった技術者たちのモノサシ、周波数帯域・SN比・ダイナミクス等、が徐々に狂い始めているように思われて仕方がありません。 自然界にはあり得ない低音がどんどんエスカレートしていく、コンクリートのような低音、ゴム臭い低音、音というよりほとんど振動だけの低音などを聞いていると、音楽がどんどん遠く離れていくので最近の機器を聴いてみるとつらいのです。 初期盤オリジナル盤でクラシック音楽を楽しもうとする人は注意をしなければいけません。 計測上見せかけのSN比や周波数帯域にごまかされて、それが音楽をどれだけ損ねているかを。 ナチュラル・ディストーションがいつも間にかエレクトリック・ディストーションに変質しているとも限らないのです。
スペクターサウンドが50年以上も生きている原因は二つ考えられます。 一つはシンセサイザの進化です。 一曲仕上げるのに半年かかった作業がシンセサイザーの使用で電気的かつ重層的ハーモニクスが簡単に作り出せるようになったのです。 これにコンピュータが加わると、今度はエレクトリック・ディストーションがパッケイジ化されるようになります。 これは実は理にかなっています。 そもそもポップスに使用されるコード進行そのものがパッケイジ化されているのですから。 この世界、エレクトリック・ディストーションが別売りされても不自然ではないのです。  
エレクトリック・ディストーションがパーツ化したことで、音楽が面白くなくなってしまったのは確かなことです。 簡単に出来るというのは音楽の世界ではそれなりの弊害を生んだのです。 その反省からか、原点に立ち帰ってみようとするムーヴメントがポップス界に芽生え始めたのは当然の成り行きでしょう。 アメリカの音楽番組、"MTV Unplugged" はそういう流れで出現したのでしょう。 
原因の二つ目はスペクターサウンドそのものが聴く人に麻薬的な快感をもたらすからでしょう。 精神的であるより、むしろ生理的な快感なのです。 勝手な想像ですが、それは胎児が母親の胎内で聞いている音に近いのではないでしょうか。 母親の肉体そのものがフィルターとなっているのです。 スペクターサウンドに包まれたとき何か懐かしさを感じるといった心理は理解できます。 懐かしさは美しさにも通じるからです。 初めて聞く音だけれど、どこかで聞いたことがある音。 カラオケで完全に自己陶酔に陥っている顔は、母親の乳を吸っている赤ん坊のようであり、その喜悦に輝いている表情もわからないことはないのです。 つづく
以上T氏



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