2017年01月27日
英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 18
ブルックナーのディストーション
アントン・ブルックナー、彼の音楽のディストーションには風変わりなところがあります。 曲の大部分でハーモニクスがずれているように聞こえます。 この傾向は中期第5交響曲から徐々に現れて、後期の8番9番では最も顕著です。 ナチュラル・ディストーションが本来のものになるのは各楽章のコーダ(結尾部)に置かれるクライマックスになってからで、それ以外は大体のハーモニクスはバラバラに感じられるのです。 これでは演奏者も録音エンジニアもストレスがたまるでしょう。 演奏しても効果が出にくいからです。 今はどうかわかりませんが、ちょっと前のアマチュア・オーケストラ団員が一番演奏したくないのがブルックナーというのも分かる気がします。 録音する側にとっても、ブルックナーはやりずらいはずです。 ピアニッシモが矢鱈多く、フォルテッシモでは音数が多くてダンゴになりやすいし、曲そのものが拡大されたソナタ形式なのに音が妙に現代音楽っぽい響きが出てくる箇所が結構あったりします。 例えば弦楽器群が主題の回転形を奏しているときに管楽器がかぶると金属的で電気臭い音が出現します。 おかしな曲、これをどうしたら聴き手に理解してもらえるか、エンジニアの考え方には二通りがあります。 一つは何もしないでずれっぱなしのままに録音する。 もう一つは音をそろえて響きを整える方法です。 前者はヨーロッパ流、後者がアメリカの流儀です。 ヨーロッパがほったらかしの方でいくのは、ブルックナーが自分たちの音楽であり、聴く人もブルックナーを知っているという前提で成り立っています。 アメリカ流はそうではなく、演奏者や録音エンジニアがブルックナーを翻訳して聴き手にわかるよう工夫するのです。 響きを整えると音楽がキビキビしすぎてブルックナーらしさがなくなってしまいます。 アメリカで録音されたレコードがちっとも面白くないのはそのためです。 ヨーロッパのレコードをちゃんとしたオーディオ装置で再生すれば気が付くことです。 アメリカのたとえばマランツのアンプを使いタンノイの大型スピーカで聴くならばアメリカ盤のブルックナーは何の不満もでてはきません。 電気臭いピカピカのブルックナーではあるけれど、とても分かりやすい仕上がり具合に調製されています。 エレクトリック・ディストーションが幅をきかせていて、ブルックナーが映画音楽のように聞こえてしまう、これまでしばしば経験してきたことです。 彼の音楽がブラームスのように「自然電気ひずみ」化することがないのには、ちょっと言っておかなければなりません。 ブルックナーは音楽を神のことばと信じて捜索に励んでいたフシがあります。 神が創り給う世界は濁りなきものであるはずと。 そういうことから音を彼に重ねてみると、彼の作品のレコード再生は音楽的分解力を有するオーディオ装置でないと本領を発揮しないのかもしれません。 そのためにはレコードプレイヤ、アンプ、そしてスピーカに音楽的に高度な精度がもとめられることになります。 アメリカのオーディオ機器にそれを求めるのは見当違いというものです。 つづく
以上T氏
アントン・ブルックナー、彼の音楽のディストーションには風変わりなところがあります。 曲の大部分でハーモニクスがずれているように聞こえます。 この傾向は中期第5交響曲から徐々に現れて、後期の8番9番では最も顕著です。 ナチュラル・ディストーションが本来のものになるのは各楽章のコーダ(結尾部)に置かれるクライマックスになってからで、それ以外は大体のハーモニクスはバラバラに感じられるのです。 これでは演奏者も録音エンジニアもストレスがたまるでしょう。 演奏しても効果が出にくいからです。 今はどうかわかりませんが、ちょっと前のアマチュア・オーケストラ団員が一番演奏したくないのがブルックナーというのも分かる気がします。 録音する側にとっても、ブルックナーはやりずらいはずです。 ピアニッシモが矢鱈多く、フォルテッシモでは音数が多くてダンゴになりやすいし、曲そのものが拡大されたソナタ形式なのに音が妙に現代音楽っぽい響きが出てくる箇所が結構あったりします。 例えば弦楽器群が主題の回転形を奏しているときに管楽器がかぶると金属的で電気臭い音が出現します。 おかしな曲、これをどうしたら聴き手に理解してもらえるか、エンジニアの考え方には二通りがあります。 一つは何もしないでずれっぱなしのままに録音する。 もう一つは音をそろえて響きを整える方法です。 前者はヨーロッパ流、後者がアメリカの流儀です。 ヨーロッパがほったらかしの方でいくのは、ブルックナーが自分たちの音楽であり、聴く人もブルックナーを知っているという前提で成り立っています。 アメリカ流はそうではなく、演奏者や録音エンジニアがブルックナーを翻訳して聴き手にわかるよう工夫するのです。 響きを整えると音楽がキビキビしすぎてブルックナーらしさがなくなってしまいます。 アメリカで録音されたレコードがちっとも面白くないのはそのためです。 ヨーロッパのレコードをちゃんとしたオーディオ装置で再生すれば気が付くことです。 アメリカのたとえばマランツのアンプを使いタンノイの大型スピーカで聴くならばアメリカ盤のブルックナーは何の不満もでてはきません。 電気臭いピカピカのブルックナーではあるけれど、とても分かりやすい仕上がり具合に調製されています。 エレクトリック・ディストーションが幅をきかせていて、ブルックナーが映画音楽のように聞こえてしまう、これまでしばしば経験してきたことです。 彼の音楽がブラームスのように「自然電気ひずみ」化することがないのには、ちょっと言っておかなければなりません。 ブルックナーは音楽を神のことばと信じて捜索に励んでいたフシがあります。 神が創り給う世界は濁りなきものであるはずと。 そういうことから音を彼に重ねてみると、彼の作品のレコード再生は音楽的分解力を有するオーディオ装置でないと本領を発揮しないのかもしれません。 そのためにはレコードプレイヤ、アンプ、そしてスピーカに音楽的に高度な精度がもとめられることになります。 アメリカのオーディオ機器にそれを求めるのは見当違いというものです。 つづく
以上T氏