2026年07月07日

Stazione Termini

映画『終着駅』(1953)の開始20分 
夜の駅に広がる喧騒といきなりの静寂
イタリア男の親切と好色、子供たちの元気な声
巷のタバコと排気ガスの匂い、
現在とは比べ物にならない不便さとストレス
恋人たちの業のふかさ
「この国では男が強いが・・・アメリカの女性は手に負えないよ」「いつもならこんなこと、ありえない ローマという土地のせいね 私はフィラデルフィアの主婦よ ちょっと冒険がしてみたかった」
観客はあの暗いテーマ音楽から悲しい結末を確信していながら、ディオールの服をまとった女優と英語教師のちょっとした表情、目の動き、そして暗示たっぷりの言い回しに惹き込まれていく。戦争体験、保守的、宗教、モラル、がんじがらめに生きていた映画館のあの頃の観客も、夜の駅の暗さを知っている。それが銀幕のなかの作り話だと知っていても。

Stazione Termini (14)

ステレオでも同じことだ。録音現場では右にピアノ、左にベースであっても、エンジニアは今朝の珈琲の味次第で左にピアノ、右にベースと勝手に位置決めする。スタジオと異なる楽器配置を義理深く、律儀に、左にピアノ・・右にベースを再生するのをなんで確認しなければならないの??? モノーラル時代、エンジニアはシングルチャネルのなかで音色、響きダイナミクス音の肌と伸びという質感に没入できた。それがステレオではどうだ。新たに発生する厄介な歪,、左右の位相差、45度斜交い音溝のダイナミクス不足、左右それぞれの不揃いな出力と能率など続出する難題と格闘しなければならず、音の質への配慮より音場感にかまけて誤魔化すことに専念する。哀れユーザ、本来の楽しみから外れ、くるしみと不安の世界に放り投げられる。
『終着駅』冒頭20分の駅の喧噪にある業、それを取り巻く人々には業がある、騙されていいのだ。
片面20分足らずのモノーラルLPにも、再生される「業」がある。

果たしてヨーロッパ言語に「業 (ごう)」にあたる語はあるのだろうか。

 

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