みなさん、こんにちは。
羽生一月(@habuhitotsuki)です。
おばあちゃんが先ほど天国に旅立ちました。
齢97歳の大往生でした。
僕は昔からおばあちゃん子で、おばあちゃんが大好きでした。
そんなおばあちゃんへの想いをブログに残しておきます。
強い女性だった
僕は産まれた時、とても大きな赤ちゃんで、
その反動で母が腰を痛めて動けなくなりました。
そんな腰を悪くした母のかわりに、
半年の間、父方のおばあちゃんが僕を育ててくれました。
赤ん坊の僕を嬉しそうに抱くおばあちゃんの写真が残っていますし、
僕が少しおおきくなってからは、
背中に小さな僕をのせてはいはいをする写真も残っています。
でも母からすると、
おばあちゃんと一緒に暮らしていた期間は大変だったといいます。
おばあちゃんは大正生まれでは珍しく、
女学館を卒業したしっかり者で、
色々なものにこだわりを持ち、妥協を許さないタイプの人でした。
だからこそ、
義理の娘である母にも、
親とはこうあるべきだという礼節を教え込み、
かなり厳しかったようです。
おばあちゃんは生粋の江戸っ子の女性であり、
陰湿なことは好まず、ちゃきちゃきと世話を焼くと同時に、
言いたいことははっきりいう、という性格の女性でした。
父親は男だけの3人兄弟で、
男ばかりの家庭を取り仕切り、
戦争でいい人が残っていなかったから、
今のおじいちゃんと結婚した、とよく言っていて、
歳をとってからもおじいちゃんとは口喧嘩ばかりしていました。
おじいちゃんとの口喧嘩でも全く言い負けない、
強い女性でした。
でも本当に優しかったおばあちゃん
でもただ厳しいだけはなく、
常に優しさをたたえた人でした。
母の父に対する愚痴を、
いつもうんうん、
とうなずきながら、聞いてあげて、
アドバイスをあげたり、
父の給料が少なかったために、
おじいちゃんに内緒で父を援助してあげたり、
父もおばあちゃんが大好きだったし、
実の両親を早くに亡くした母も、
本当の母親のように慕っていました。
僕も小さい頃から可愛がってもらいましたが、
僕が結婚報告のために、
奥さんを連れて行った時のこと。
もう足が悪くなっていたおばあちゃんでしたが、
必死に奥さんの前まで歩いてきて、
「本当に嫁いできてくれてありがとう。
この子(僕)が本当にいい子なのは私が保証するし
みんなであなたのことを幸せにするからね」
とにっこり笑って、手を握ったのです。
なかなかこんなこと言える人いないと思う。
それで僕の奥さんもおばあちゃんが大好きになりました。
初めてみたおばあちゃんの弱さ
そんなおばあちゃんの弱い部分を初めてみたのは、
おじいちゃんのお葬式でした。
本当に夫婦とは不思議なものですね。
いつも喧嘩ばっかりしていて、
戦争でいい人がいなかったから結婚した、
とあんなに言っていたおばあちゃんが、
おじいちゃんにすがって泣きじゃくっていました。
「私を一人にしないでよ。おじいちゃんなんで死んじゃったの?」
と、本当に寂しそうな顔で話しかけていました。
でもそんな時でも、
お葬式の参列者の方達には、
「わざわざお忙しいところ、おいでくださりまして、
本当に本当にありがとうございます」
と97歳のおばあちゃんが精一杯の大きな声で、
悲しみに震えながら御礼を言っている姿に、
おばあちゃんらしい強さを感じました。
おじいちゃんが亡くなってから半年で、
こうしておばあちゃんも亡くなってしまい、
やっぱりおじいちゃんがいたから、
おばあちゃんは長生きできたんだな、と今では思います。
本当に長い間ありがとう。
僕たちはみんなおばあちゃんが大好きでした。
色々な大切なことを教えてくれてありがとう。
本当にもう会えないのが寂しくてしょうがないけど、
思い出の中にずっと生き続けると信じて、
僕たちはこれからも生きていきます。
僕たちが本当に大切にしなきゃいけないこと
人間の命とはなんと儚いものなのでしょうか。
誰かが亡くなるとはこんなにも悲しいことなのに、
僕たちは常に誰かとの絆を頼りに生きています。
仕事に忙殺されたりしないで、
自分の身の回りにいる、
自分のことを大切にしてくれる人を大切にしましょう。
それが人生で一番大切なことです。
その人たちを幸せにするために、
時間ばかり取られる仕事はやめて、
たくさん稼いで、自由な時間を確保しましょう。
後悔しない人生を送るために、
それが必ず必要なことだと思います。
僕はそのためにも、
自分が持っている知識を、
少しでも皆さんに伝えていきたいです。
悲しい出来事でしたが、これからも頑張りたいと思います。
応援していただけると嬉しいです。
羽生一月
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