わたしは、いないいないばあ専門の評論家である。
いないいないばあを評価しはじめたのは、生れたそのときから。もう十二か月である。同業者のなかではかなりの古株だと言えよう。
今回は、いないいないばあの魅力について語りたいと考えている。その動機としては、大人たちがあまりにもいないいないばあに対して無知であり、またその良し悪しをまったく理解できていないということが挙げられる。
さて、いないいないばあは、知っての通りわたしたちのような赤ん坊をあやすためだけの行為であるとされている。しかし、いないいないばあは一つの芸術であり、学問であるとわたしは提言する。
両手によってその顔が隠される瞬間、そこにあったはずの存在が闇に閉ざされる。わたしたちの不安は煽られる。不在の恐怖である。そうした心を見透かすように、再び両手は広げられ、安心の化身とも言うべき顔が現れる。そのときに感じる安心感、喜びは何物にも代えがたい。自然、笑みがこぼれる。
良いいないいないばあというのは、この不安と安心の調和がとれているもののことを指す。「いない」状態が長すぎると、わたしたちが感じる不安が大きすぎるし、それが短すぎると、大きな安心を得ることができない。このあんばいの調整がきわめて難しために、いないいないばあは複雑であり、魅力的であると言える。
したがって大人は、いないいないばあに真剣になるべきなのだ。安易な気持ちで行われるいないいないばあは、わたしたちを不安にするだけ。生半可なものではないのだ。
大人たちよ、いないいないばあに命をかけろ。