May 27, 2009

我去了!岳陽楼part2

登岳陽楼(岳陽楼に登る)

中学校か高校の授業で習ったような記憶がございます。


P1110444P1110451 
←一生懸命
  説明する
  ガイドらしき
  人物



 昔聞洞庭湖   昔聞く 洞庭の水
 今上岳陽楼   今上る 岳陽楼 
 呉楚東南圻   呉楚 東南に圻け
 乾坤日夜浮   乾坤 日夜 浮かぶ 
 親朋無一字   親朋 一字無く 
 老病有孤舟   老病 孤舟有り
 戎馬関山北   戎馬 関山の北
 憑軒涕泗流   
軒に憑りて 涕泗流る

 むかしきく  どうていのみず
 いまのぼる  がくようろう
 ごそ     とうなんにさけ
 けんこん   にちや うかぶ
 しんぽう   いちじなく
 ろうびょう  こしゅうあり
 じゅうば   かんざんのきた
 けんによりて ていしながる

湖南省、湖北省という名前はそれぞれ洞庭湖の南、北にあることからつけられたのです。

その洞庭湖にたたずむ岳陽楼。ここを「詩聖」と称される杜甫が訪れたときに歌った有名な詩「岳陽楼に登る」です。以下は現代語訳です。

昔から話には聞いていた洞庭湖。
いま、その水を見渡せる岳陽楼に登った。
呉と楚は、湖によって東と南に引き裂かれ、
天も地も、日夜この湖に浮かんでいる
思えば親戚からも友人からも、一通の便りさえなく、
老いて病むこの身には、ただ一艘の小舟があるばかり。
砦のある山々の北のほうでは、
いまなお軍馬の 蹄の音がしきりにする。
楼台の欄干によりかかりながら、
故郷に帰れない悲しみに涙があふれて止まらない。

洞庭湖は湖南省と湖北省を隔てただけではなくて、その昔は呉と楚を引き裂いていたのですね。洞庭湖は琵琶湖の6倍程度の広さを誇っており、風光明媚な景色は光によって微妙に変化するそうです。この湖の畔にたたずむ岳陽楼に登れば、洞庭湖が一望できるのです。
この詩は杜甫が57歳の時に創作されもので、その二年後に杜甫は59歳の生涯を閉じています。死を2年後に控えていたからでしょうか、友人から一通の手紙も来なくなった杜甫の孤独感が良く表現されているように感じられます。

P1110455P1110456 
←みごとな
  色彩で
  ござった





P1110474P1110457←洞庭湖の
  眺めは
  …
  ちょっと
  視界が
  今イチ



P1110473P1110475







P1110483P1110482

←門の
  むこうは
  洞庭湖



  ↑ 湖に向かう門
    昔はここを通って
    岳陽門をくぐったそうな



94_1 
← 湖からのぞむ岳陽楼

   中国情緒たっぷりでした

 P1110484


thunderbird910123go at 20:50│Comments(0)TrackBack(0)

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