高畑勲

『アルプスの少女ハイジ』や『火垂るの墓』など数々の名作を手掛けたアニメーション映画監督の高畑勲さんが5日、東京都内の病院で死去しました。82歳でした。

関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後ずっと入退院を繰り返していたそうです。昨年11月に高畑監督に会った別の関係者は、「以前よりも痩せていて、歩く時は体を支えられていた」とその時の様子を語っているそうです。

高畑監督は東大卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎駿監督と出会い、70年代にはテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』などを制作しました。

そして85年に宮崎監督らとスタジオジブリを設立。『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』などヒット作を次々と生み出し、2015年にはフランス芸術文化勲章のオフィシエを受章しています。

また、2013年には『かぐや姫の物語』が公開され、ロサンゼルス映画批評家協会賞(アニメーション映画部門)などを受賞。米アカデミー賞長編アニメーション映画部門賞にもノミネートされました。

そんな海外でも有名な監督の死が報じられたことで、世界中から追悼の声が相次いでいるらしく、タイム誌など複数の米メディアは「アニメの巨匠」「マンガアニメ開拓者」と見出しを付け、高畑さんを偲んでいるそうです。

NBCニュースは「アニメーション界の伝説が亡くなった」と切り出し、「彼は墨絵を熟知しており、それがハリウッドのコンピューターグラフィックに画期的なチャレンジを与えた」など、その功績を称えました。

英紙ガーディアンは高畑監督の記事をトップニュースで扱い、輝かしい功績を長文で紹介し、フランスの「ル・モンド」紙は高畑さんの全作品を振り返る特集ページを作成。

さらに、ベトナム、チェコ、スウェーデン、イタリア、スペイン、ポーランドなど世界中のメディアが高畑監督の訃報を報じ、追悼しているそうです。その他、関係者のコメントは以下のような感じ↓


●スタジオジブリの鈴木敏夫さん
やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました。

●作家の池澤夏樹さん
宮崎駿監督は天才だが、高畑勲監督は、地道に着実に作っていくタイプであった。それでいて、多摩丘陵の開発で追い詰められたタヌキの抵抗運動を描いた『平成狸合戦ぽんぽこ』など、笑わせながら深い意味を伝えられるような、優れた作品を残した人だった。

●シンエイ動画名誉会長の楠部三吉郎さん
『ドラえもん』をアニメ化する際、藤本先生に直接お会いして、どうか『ドラえもん』を僕にあずけてください、とお願いしたんです。でも、藤本先生はこっちの気が遠くなるくらい黙ってから、「どうやって『ドラえもん』を見せるのか教えてもらえませんか?原稿用紙3、4枚でいいから、あなたの気持ちを書いてきてください」と言うのです。僕は企画書を考えたんですが、なかなか形に出来ない。そのとき頼ったのが、高畑さんでした。高畑さんに『ドラえもん』全巻を渡し、読んでもらったんです。高畑さんは「こんなすごい作品が日本にあったの?子供の願望をこんな形で叶えるキャラクターを出現させるなんて、これは画期的だよ!」と驚き、企画書の作成を引き受けてくれたのです。その企画書を藤本先生に見せると、一読して「あなたにあずけます」と言ってくれました。こうしてドラえもんはアニメ化され、大人気となったのです。高畑勲という人間がいなかったら、いまのアニメ『ドラえもん』は生まれていなかったかもしれません。高畑さんは、ドラえもんの恩人の一人です。

●アニメ・特撮研究家の氷川竜介さん
高畑勲監督は、例えば『アルプスの少女ハイジ』で、生活の中にこそ、驚きや喜びがあることを示し、冒険やファンタジーに向いていたとされたアニメーションの世界を広げ、後進に大きな影響を与えた。高畑監督と宮崎駿監督という正反対の個性を持った2人はぶつかったり、協力したりしながらジブリを築き上げ、日本のアニメーションを大人が見ても深みを感じる映画作品にして、国際的な評価を得た。また、平安時代の絵巻物にアニメーションの原点を見いだし、『かぐや姫の物語』ではそこへ回帰した。晩年までアニメーションの本質を突き詰めた。

●映画監督の山田洋次さん
ぼくの友人としてはもちろん、日本の映像文化の世界で最も大切な人の一人、いなくてはならない人を失った、という悲しい思いです。残念でたまりません。

●映画監督の大林宣彦さん
最後に連絡を取ったのは、昨年12月の僕の映画『花筐/HANAGATAMI』の初日のころ。うちの恭子さん(妻)に連絡があり「大林さんは元気でいいね」と花を贈ってくれた。その花束を持って僕は舞台あいさつに上がったんですよ。思い起こされるのは2〜3年前、一緒に映画賞を受賞した。そのときに高畑さんは「大林さん、うかつだったね。僕たちがうかつだったから、日本がこんな戦争をする国に戻ってしまった」と言うんだよ。今の日本を大変心配していた。僕たちは敗戦後の国造りを任された世代。あの戦争を経験した大人たちはしゃべれなかった。僕たち子供だった世代が語り継ぐべきだったのに「ノンポリ」として過ごしてしまった。それを高畑さんは悔やんでいた。高畑さんの作品は決して見て楽しいだけのアニメーションではなかった。つらいけど、つらさを乗り越えていくことを教えてくれた。映画で平和をつくる意思が明快だった。同じ世代の大変大切なパートナーを失ったと思うと無力感が募る。

●映画監督の岩井俊二さん
高畑勲さん、遠縁の親戚でもあり大学時代に高畑イズムを直に聞く機会を得て、それが自分の出発点にもなりました。アニメに挑んだ時も貴重なお話をして頂きました。花巻で宮澤賢治を語り合ったのが最後に...。アニメ界の巨匠は僕個人の中でも遥か大きな存在でした。ご冥福をお祈りします。

●女優の朝倉あきさん
いろいろなお話を、またあの穏やかなお声で、たくさん聞きたいと思っていたのに…。悔しいです。今はすごく寂しい気持ちでいっぱいです。『かぐや姫の物語』での、モニターをじっと見る静かなまなざしが忘れられません。試写のときの柔らかな笑顔を思い出すと涙が出ます。どうかゆっくり休んでください。心より、ご冥福をお祈りいたします。

●漫才師の西川のりおさん
『じゃりン子チエ』のアニメは昭和40年前後のこの街そっくりで、ガチャガチャした感じを表現できたのは高畑さんだからこそだと思います。悪い人でも心根の優しさがある、と見せてくれた。仕事には厳しい人でしたが、ニコッと笑った笑顔が優しくて、私のライフワークを作ってくれた方でした。いまだに周りからじゃりン子チエのテツと言われます。お悔やみ申し上げます。

●作曲家の久石譲さん
誠に残念です。『かぐや姫の物語』が遺作になるとは思っていませんでした。もっと作っていただきたかった。僕のコンサートにもいつも来ていただいて、クラシックや現代の音楽にも深い見識のある方でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

●アニメーション監督の片渕須直さん
高畑さんはとにかく厳しい人で、仕事場でも大学で学生に教えるときもレベルの高いものを要求していました。高畑さん自身も「なぜこの作品を作るのか」をとにかく考え抜き、「人間はどういう風にふるまうのか、心はどうあるのか」ということをいつも作品の中に描いていた。日常の様子を描くことでふだん気がつかないような新しい瞬間がそこに生まれると考えていた。僕も高畑さんの影響を受けて、例えばごはんを食べるシーンとか、日常の場面を描くことにどんどん傾倒していきました。ハイジとかけっこするクララの姿をどうしても見たくなって、いっそ自分で描いてやれと思って、それが『マイマイ新子』につながっていったり…。中でも『火垂るの墓』は、『この世界の片隅に』を作る際の道しるべになりました。戦争を経験していない我々がどうすれば『火垂るの墓』に追いつけるのかと必死になって考えました。高畑さんにはほとんど怒られてばかりだったけれど、『この世界の片隅に』は高畑さん自身、映画館に2回ほど足を運び、僕に対して「エールを送ります」と言っていたと人づてに聞きました。それが何よりも嬉しかったです。

●スタジオポノックの西村義明さん
高畑さんは、人生の中で最も豊かな経験をくださった方でした。出会い、過ごし、話し、笑ったり、怒ったり。共に映画を作れた歓びを、映画と平和にかけた情熱を、決して忘れません。本当にありがとうございました。高畑さんは、世界一のアニメーション映画監督であり、永遠にぼくの師です。

通夜、および葬儀は近親者のみで行なう。スタジオジブリでは、故人との「お別れの会」を5月15日に行なう予定で、「決まり次第、改めて連絡する」とのこと。

というわけで、高畑勲監督の訃報を聞いて驚いたんですが、個人的には高畑監督の「アニメ制作における妥協のない姿勢」が非常に好きだったので、新作を観られないのはとても残念ですねえ…。ご冥福をお祈りいたします。


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