Yukkoへの贈りもの(小説・エッセイ・芸能界に関する話題・その他)

岡田有希子さんを主人公にした小説、及びエッセイを不定期ながら掲載しております。 他のアイドルが好きな方もぜひどうぞ! ご感想や意見を賜れば有り難く存じます。  *主な出演者 【碧き硝子の獅子たち(長編:全37話)】・・・・・ 岡野真希:岡田有希子・ 溝田義男:ユッコフレンズの貴方・ ゼミのメンバー:80年代アイドルの同期生  *【Teenagelove一途なり(短編:全6話)】・・・・・ 吉沢恵美子(教育実習生):岡田有希子  *他にもデビュー30周年関連、及び芸能界全般の話題も企画しております。 *親しくさせて頂いている明菜ファンであるLEGEND of DIVAさんのYouTubeチャンネルアドレス、及びイチオシの「DESIRE」の視聴アドレスはこちらからどうぞ!  http://blog.livedoor.jp/ti6423-akinanoheya/  *作成者:たけし(YouTubeユーザー名  OCRR31901 M16)  *チャンネルアドレス  https://www.youtube.com/channel/UCd8aiQtildSHV469Sz0QpEg

創り手のこだわり・歌い手のこだわり(2)4

創り手の人生観や世界観の込められた楽曲を受け取り、わずか数分の限られた時間に歌という手法で
表現する代弁者というべき歌い手などについて、あともう少し考えてみましょうか。

創り手にこだわりがあるなら受け取る歌い手にもこだわりや想い入れ、ひいてはこころの打ち込みが

あってまた然り。

送り手(主に作詞家・作曲家)が歌手に向けて曲詩を創り提供する際、事前に必ず相手がどういった

資質なり人格、人間性を持った人物か念頭に置くといいます。

他にも性格や趣味趣向、思想信条など多角的な側面も研究し、歌う時の彼・彼女の年齢や心境なども

考慮し、一番ふさわしく効果的な内容に仕上げていたのはいうまでもありません。

いわば作詞家が特定の歌手に曲詩を提供することは、歌う人物が最高に似合うオーダーメイドの服を

着せる様なものと思うのです。

この曲はこの彼・彼女だからこそ、最高最大に活きて世に送り出す効果がある・・・・他の歌手では

合わず及ばぬどころか、歌の詩の命が色褪せ後世に残らず残せない・・・・という切迫感や危機感が

あったのでしょう。

 

そういえば昔(おおむね90年代初頭まで)の楽曲といえば、最初にオリジナルを歌った歌手以外、

代わりになる歌手やグループなど全くといって良いほど思い浮かびませんでした。

つまりどんな時代や事態になろうとも、この楽曲はこの歌手でないと絶対にダメ!という感じがして

ならなかったのです。

おそらく世間やファンにとっても、これだけは・この一線だけは絶対に譲れぬというものがあったに

違いありません。

歌い手もさることながら、創り手も他の歌手やグループが簡単に取って代わるなどあり得ずあっては

ならない、してほしくなどないという切望の基に創ったのでしょう。

よって最初にオリジナルを歌った者以外は余程の止むを得ぬ事情でもない限り滅多に歌えず(曲詩の

使用許可・同意がなされず)、メディアでも流せなかったといいます。

まして焼き直し(カバー)といった音楽商品を販売流通させ、プロダクション会社やレコード会社が

安易に利益を上げることなど論外!とされていたのにも頷けます。

幸か不幸か良し悪しはともかく、そんな業界の慣習というか暗黙の了解こそ、著作権や倫理以前に、

佳い作品を護り歌い継ぐのに一役も二役も買っていたのは間違いないと思うのです。

過去に他人が歌った事例もありましたが、昨今に比べるとごく稀であり、オリジナルを歌った歌手と

同等かそれ以上の実力を持った者に限られていました。

それゆえオリジナルを歌う者にせよカバーする者にせよ、歌うからには創る側に対する礼儀というか

責任を背負っていたのはいうまでもなく、歌の詩の命を常時こころの奥で大切にしていました。

また歌い方(声の出し方や節回しなど)も曲詩の持ち味を損ねない範囲で研究と鍛錬を重ね、自分に

一番合ったものや世に出すのに一番ふさわしいものを創り上げていたといいます。

創る側に対する歌う側のこだわりであり意地であり、ひいてはプライドとでもいいましょうか。

こういった心得は昔ながらの歌手(アイドルも含め)なら誰でも、自然であり必然として持っていた

一種の職人的要素であったと思うのです。

そういった一途で頑固な所が聴く側の琴線を震わせ、語り継がれ歌い継がれる原動力になっていった

のかもしれませんし、安易なカバー商品など出てほしくないとの想いになったのでしょう。

 

ここで形は違うものの、作詞作曲からプロデュースまで全行程を仕切るシンガーソングライタ―は、

さらに別格で高度な感覚や意識を持っているのかもしれません。

何せ作詞家も作曲家も歌手も全て自身でこなさなくてはならぬ責任と義務がある分、作品の独自性や

独立性にこだわる意識も強いでしょうから。

だからか特定の歌手の持ち歌より昔も今も極端にカバー数が少なく、世間やファンの期待も薄い様に

思えてならないのです。

同時にライター自身は「この曲は俺のもの、他人には絶対に歌ってほしくない・歌わせたくない!」

といった自負なりプライドの高い人物が多いのでしょう。

頑固で融通の利かない感じもしますが、仕事や生業(なりわい)以前に独自の思想信条や主義主張を

含むものゆえ、どうしても自分しか活かせる者はいないという想いが出てくるのかもしれません。

他人が歌うことによって歌の詩の命が色褪せてしまうばかりか、ヘタすれば自身のレベル(業界内や

社会での評価)が下がってしまうこと、それよりも何より正体が晒け出されてしまうのを警戒や嫌悪

すらしているのではないかと思うのです。

「歌は己のこころの分身であり、簡単に他の者なんかに譲ってたまるものか!」といった意識や感覚。

 

それでも後世に歌い継いでほしい願望からか、レベルが下がるなど弊害を覚悟のうえ、あえて昨今の

若手歌手やグループと組む事例も少なからずあるそうです。

当然ながら若手歌手やグループ(とりわけ平成世代)は、オリジナルが流行っていた時代をほとんど

知らず意識もありません。

だからこそ、余計な先入観や予備知識にとらわれることなく新鮮なものとして受け止め、若者目線で

温故知新の一種として歌ってくれることを期待する向きもあるとか。

まさしく歴史と伝統を守る勢力と日々進む時代との闘いのみならず、両者の間でせめぎ合う創り手の

葛藤を感じさせられます。

いつの日か自分がいなくなった後、次第に忘れ去られてしまう方を択ぶのか、あるいは多少雰囲気を

変えたりレベルを下げてでも歌い継ぎ語り継がれる方を択ぶのか。

いずれも難しい課題であり、これという的確な答えはなく、芸能界はもとより歌がこの世にある限り

続く永遠の課題でしょう。

創り手のこだわり・歌い手のこだわり(1)4

この間は歌の詩についてあれこれ書きましたが、今度は歌の詩を創る側や歌う側のこだわりというか

こころの打ち込みについて。

歌の詩には時代や社会に向けた主張やメッセージが必ずといって良いほど伴うもので、歌は世につれ

人につれといわれる所以です。

同時に歌(歌の詩)は時代や社会の動きを反映し、作ってゆくともいいます。

いささか旧い話になりますが、ベトナム戦争があった1960年代後半の世界各国、並びに我が国の

若者を中心に盛り上がった反戦歌が事例として挙げられるでしょうか。

あの頃20歳前後で主に学生だった彼らが「ベトナムに平和を!」並び、「悲惨な戦争はやめよう!」

といった主張を歌に託し、あらゆる場でシャウトしていました。

俗にメッセージフォークやカレッジフォークなどと呼ばれ、作る側の反戦平和への強い想いや情熱が

込められた一種の若者文化と話題になったそうです。

そうやって多くの若者が歌で反戦平和を主張し、これこそ唯一無二の正義とばかりまかり通っていた

社会情勢だったためか賛同や同調、まして協調せぬ者ははみ出し者と白眼視されていたという。

反戦や平和を歌に託し主張すること自体は何の間違いも偽りも罪もあるはずはなく、世の大人たちに

精一杯の想いをぶつけていたのでしょう。

彼らのしてきたことは反戦平和の希求として評価すべきものだったかもしれませんが、どこか微妙に

ズレていて的外れな感も否めないのです。

そんな私の素朴な疑問に具体的で的確な答えを示し与えたのが、彼らと同世代で同時代に学生時代を

過ごしたシンガーソングライターが自著で語っていた話です。

反戦平和を叫んでいた彼らの反撃を百も承知で一石を投げかけ、それでいて自己の思う所を隠し偽る

ことなく曝け出した印象的な一節でした。

以下に挙げてみると。

「・・・海の向こうの戦争よりもあの娘の見せた冷たい素振りの方が気にならないのか。あの娘から

かかってくるはずの電話が夜になってもかかってこない。その方がずっと気にならないのか・・・」

という部分でした。

自己中心的で冷たい奴と見下されるかもしれませんが、見方を変えれば自分に正直で地に足を付けて

生きていたと思えるのです。

海の向こうで起きている戦争を止めるべく具体的で主体的な行動を採る訳でもなく、採れる何らかの

術を持つ訳でもなく、平和で侵略されることのない空間でただ反戦歌を歌うのはどうかと。

反戦平和を歌うことそれ自体は決して悪くない、けれども歌うだけでは何もならならず何もできない

のだという現実を目の当たりにした彼の、哀しくも厳しい本音。

それよりも今の自分自身の在り方・生き方に目を向ける方が肝心であり、自然であるという人として

ごく当たり前の生き方は、半世紀余り経った21世紀の現代でも通用するのではないでしょうか。

反戦歌に見られた主義主張は社会的要素の強い特殊なものですが、後の70~80年代のフォーク・

ニューミュージックの原点なり基盤になっていったのはいうまでもありません。

さらに80年代アイドルやグループの曲詩にも少なからぬ影響を与え、そこには出逢いや別れや愛や

夢や希望・・・といった人間の生き方や社会の根源を見つめた作品として反映されています。

だからでしょうか、単なる曲詩ではなく物語というべく聴く側に想像させる未知数とでもいう内容に

富んでいます。

例えるなら創る側からある程度の材料を投げかけ、それから先は聴く側の自由な想像と工夫に任せる

仕組とでもいいましょうか。

もちろん創り手の主義主張を根底とする前提ではあるものの、一度に全ての答えを与え切ってしまう

のではなく、半分かそれ以上は聴き手の自由意思であり責任ということ。

「ここまでの答えは与えるけれど、後は自分で答えを導き出しなさい・・・自分でこの曲詩に好きな

色を付けてごらんなさい・・・どんな色でもそれはあなたの自由です・・・」といわんばかり。

そんな感じでいざ投げ与えられた側は困惑こそすれ、如何にして創り手(歌い手も含めて)の主張や

言いたいこととは何なのかを、それこそ必死で考え追及させられます。

また曲詩を通じてどんなことを語りたいのか、伝え表現したいのかということも。

少々難しくいうなら、創り手のこころの内を解いてみよとでもいいましょうか。

同時に歌い手という個性派のフィルターを通し、創り送り出す側の人生観なり世界観とは何だろうと

想像する技術と力量を試されていたのかもしれません。

創り手が歌の詩にどこまでこころを打ち込んでいるのか、おそらく聴く側が全てを読み切ることなど

できないでしょう。

それでも聴く側が持ち得る想像力を総動員し、与えられた課題に取り組むことでより一層の楽しみと

聴く意味の深さを感じられる様になるでしょう。

そうして創り手ほどではありませんが、聴く側にも物語を読み終えた様な達成感というか聴き甲斐が

生まれますし、ある程度は送り手(作詞家や歌手)の想いを共有できると思うのです。

創る側や送る側にとって世に受け入れられる歌詞のみならず、やがていつか自分たちがいなくなった

後でも時代や世代を超え、末永く歌い継がれる遺産として残ることを誰もが切望しているでしょう。

腐らず時代に流されないこころの遺産といえば、当たらずといえず遠からずかもしれませんね。

昨今は歌が次々と使い捨てにされてしまう時代といわれていますが、歌(歌の詩)とは決して消耗品

であってはならず、してはならないと思うのです。

音楽文化である以前に、こころの寄り所であり遺産なのだから。

歌の詩の命は誰が創り誰が歌うのか4

言い古された表現に愛の約80%は夏の海辺で生まれ、秋の深まりと共に恋へと昇華してゆくという

ものがあります。

有希子さんの曲でいえば「summerbeach」で生まれた小さな愛が、「恋・はじめまして」の

季節に恋へと昇華してゆくといった感じでしょうか。

他のアイドルも同様でしょうけれど、有希子さんの楽曲には季節の移り変わりと並行して愛から恋に

変わりゆく連続性が見えるのです。

あたかも夏の陽光に育まれた葡萄が醸造され、晩秋を迎える頃に芳醇なワインとなる如く。

あの頃(主に80年代前半より前)の楽曲には季節感が見え、どの季節のどんな場面なり状況を歌に
しているのかを知ることができました。

いわば聴く側に歌の詩の向こうに広がる情景を想像させる力があったばかりか、今風の言い方をする

なら歌の詩の“見える化”も充分になされていたと思うのです。

歌詞以前に歌の詩そのものに文学性や物語性があり、作り手(作詞家)の人生感や世界感を、わずか

数分間のメロディーに乗せて表現していたといっても良いでしょう。

先ず文章や物語として見て読んだ場合の起承転結はもとより、何を聴かせ伝えたいのかという的確さ

にも優れていました。

一見すればどの時代にもありがちな単純で当たり前な作業とはいえ、かような精神的・創造的作業は

作詞家だけでは成り立たないのはいうまでもありません。

世に出し広めるため、歌の詩に命を吹き込む最高最大の表現者(歌い手)と組めるかという点の方が

重要になってくるのではないかと思うのです。

よって作詞家は自身にとって最高最大の作曲家を探し、さらに世に出すべく最高最大の表現者である

歌い手(代弁者)を探すことに徹底して神経を使うのでしょうね。

なぜなら歌の詩は作詞家の想いであり、ひいてはこころの叫びなのですから。

作詞家は自身が見込んだ歌い手こそ歌の詞の命を最大限に活かしてくれるものと信頼し、他の歌い手

だったなら力量不足どころか歌の詩の命が色褪せてしまうと嫌悪感すら持つかもしれません。

歌の詩を創って世に送り出すための自信と責任、そしてプライドに関わることなのですから当然だと

思います。

一方表現すべく歌い手にとっても与えられた仕事をただこなすのでなく、声質や自己表情力といった

技術と感性を駆使して歌の詩の命を世に伝える責任があります。

そういう面では作詞家と作曲家、歌い手は三位一体(あうんの呼吸の間柄)の関係にあるといっても

過言でなく、いずれが欠けたり他の者に置き換わるなどあり得ずあってはならないと思うのです。

ましてや一過性の音楽商品(ビジネスアイテム)ではないこころの文化や精神的財産として世に定着
させるのみならず、次世代に受け継ぎ遺してゆく責任と役割があるのはいうまでもありません。

だからでしょうか・・・80年代までは誰かの持ち歌を他の歌い手やグループが歌うことなど滅多に

なかったうえ、焼き直し(カバー)として商品化されることもごく稀でした。

その辺は創る側にせよ歌う側にせよ超えてはならぬ最低限度の一線であり、著作権以前に暗黙の了解

というか聖域として倫理的に護られていたのでしょうか。

受け止める世間やファンもまた当たり前というか常識としており、「この曲はこの人だけのもの」や

「この人だから歌える・歌ってほしい曲詩」といった感じでした。

しかし90年代後半頃から時代や社会情勢だけでなく芸能界の仕組みそのものが急激、かつ大規模に

変わり始めたのは周知のとおりです。

かつて何時如何なる時や場合もアイドルも含めた歌い手は、大御所相手でも必ずピン(単独)で立つ

ものという常識が消滅しました。

代わって何人何十人のグループとそのコピー商品的なものが主流となり、曲詩やメロディーも過去の

ヒット作を部分的に焼き直したり語句を変えたものが目立つ様になりました。

並行して20~30年遡った往年のヒット作を、平成世代の歌手やグループが焼き直してカバーする

ケースも頻々と現れたのです。

当然ながら特定の歌手やグループの楽曲を他の歌手やグループが歌ってもまったく違和感や抵抗感が

ないどころかタブー視すらされず、気付けばサラリと聴き流してしまえる様になりました。

つまり誰が何時どんな楽曲をどんな演奏やアレンジの元で歌えど、ごく当たり前に通用する・させて

然るべき時代になったのです。

最初にオリジナルを創った作詞家や歌った歌い手が望む望まない・世間や業界内での良し悪し、並び
往年のヒット作のカバーだったにせよ、歌う平成世代の歌手やグループに罪や責任などありません。

もっとも平成の若者たちからすれば親世代が馴染んできた楽曲こそかえって新鮮に聞こえるらしく、

今の時代にはない刺激であり温故知新の変形かもしれませんね。

我儘かもしれませんが、やはり歌の詩の命は特定の歌い手(それも最初にオリジナルを歌った歌い手)
にしか表現してほしくないと思ってしまうのです。

もちろんカバー商品などまっぴら御免の言語道断とでも言えば、時代遅れで頑固な奴と見下げられる

かもしれませんけれど。

どれほどまでに世の人々のこころに響き残る歌の詩やメロディーにせよ、しょせん資本主義社会では

プロダクション会社やレコード会社にとって利益と会社存続のための商品です。

よって時代や社会の要請から次世代歌手やグループによるカバーが出るのは仕方なく、多少なりとも

レベルを下げてビジネスアイテム化するのもこれまた仕方ないのかもしれません。

いずれも目の前の現実としてわかっているけれど、どこか何かおかしく物足りないと感じているのは

私だけではないでしょう。

とにかく変わった世の中になったものです。

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たけし

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