ゆっこに贈りたい小説

かつて80年代アイドルに夢中だった方なら、どなたでもお越し下さい。 ここでは岡田有希子を主人公にした小説、及びエッセイを作っております。 他のアイドルが好きな方もどうぞ! ご感想や意見を賜れば有り難く存じます。順次続きを作成してゆきますので、よろしくお願いします。 主な出演者 岡野真希:岡田有希子 溝田義男:ユッコフレンズの貴方 ゼミのメンバー:80年代アイドルの同期生達 作成者:たけし(YouTubeユーザーナンバー OCS31901M16)

The 50thBirthday Yukiko

8月22日の今日は、ユッコ(岡田有希子)の誕生日ですね。

生きていたら50歳。

まさに光陰矢の如しと言いますが、世の移り変わりに振り回されているうち気付けば瞬く間に年月が

過ぎ、この日を迎えた感がします。

おそらく今回がフレンズにとって事実上最後の大きな節目となるため、四ッ谷の旧サンミュージック

本社が入居していた大木戸ビル前はともかく、成満寺にはかつてない多くのフレンズが集まるものと

思います。

もちろん大多数はリアルタイムで知っている方々でしょうけれど、ユッコがいなくなってから新たに

フレンズ・ファンとなった若い方々も訪れるでしょう。

遠路はるばる訪れる方々のみならず遠くで想う方々も、50歳の岡田有希子なり佐藤佳代嬢はどんな

女性になっていただろうかと想いを馳せるのではないかな。

芸能界で同時期を過ごし、番組やイベントで共演したアイドルたちを見ていると、彼ら彼女ら同様に

お酒を飲んだり愛車でドライブなどといった、大人の女性を演じていたと思うのです。

やがていくつもの恋をしてゆくうちに磨きあげられ、芸能界の住人か一般人かは別として、平凡でも

当たり前の幸せを手にしていたとも思えてなりません。

求めていた相手の理想象を描いてみるなら、人一倍頑固で負けず嫌いの頑張り屋さんだったけれど、

同じくらい脆くて寂しがり屋さんでもあったから、すべてを包み込んでくれる優しさ、困った時には

すぐ手を差し伸べてくれる細やかな気遣いや心配りにあふれた人だったでしょう。

加えて命をかけて守ってくれる勇気と強さを備えた人であることも。

そういうのって結婚を夢見ている女性ならば、古今東西を問わず理想の男性像としてほぼ全員が必ず

挙げるであろうことですよね。

ユッコもご多分にもれず挙げたかもしれませんが、なにぶん他の娘に比べ強い部分と弱い部分の差が

大きかったことから、理想の相手とめぐり逢うまでは紆余曲折したかもしれません。

けれどデビュー当時のインタビューや雑誌の記事によると、結婚願望は早い段階からかなり強かった

ものの、見かけのカッコ良さや雰囲気で即決するのではなく相手のこころの奥までしっかり見極め、

充分すぎるほど時間と手間をかけて慎重にコトを進めるタイプだったとも考えられます。

さしずめ慌てず焦らず諦めず、そして熟考を重ねるしっかり者といったところかな。

よって願望こそ強かったとはいえ、慎重さから30歳をいくつか過ぎての結婚だったかもしれません。

もしかしたら結婚するしないと無関係に、プロ化して弾き語りをしていたかもしれませんし、持前の

想像力を活かし、作詞作曲を通じて後輩アイドルに楽曲を提供していた可能性もあります。

さらにはエッセイストやコラムニスト、コメンテイターとして多くの発信や討論、執筆などに活動の

幅を広げていったかもしれません。

ゆくゆくは個人で事務所を立ち上げ、女優やバラエティー、ミュージカル、映画、芝居、執筆、絵画

などなど・・・各方面において多才(多彩)な展開をしていたでしょうか。

他に考えられるとすれば、新規一転とばかり芸能界を引き払って大学進学を達成した後、学術研究の

道に進んでいたかもしれず、そんな感じであれば今なお独身のまま頑張っていたのではないかな。

果たしてどんなことがユッコにとって有意義で幸せな選択だったのか知る由もありませんが、解釈や

想いはフレンズそれぞれに異なるでしょうから、「これがユッコにとって一番幸せだ」とか「ユッコは

この道を選んだらよかったのに」などと、多様な意見が出されるかと思うのです。

とはいうものの、ユッコにしてみればハタ迷惑かつ余計なお世話、ひいてはお節介かもしれませんが、

フレンズならどうしても何かしら未来や夢を求め、期待したかったのは確かですものね。

本当にどういう生き方がポストアイドルとなったユッコではない、個人としての佐藤佳代嬢にとって

一番ふさわしかったのか・・・これだけは永遠のナゾとしか言い様がありません。

私の勝手な想像・お願いかもしれませんが、ユッコ(歌手岡田有希子)ではない佐藤佳代嬢の資質や

趣向、性格などからして結婚後は引退し、いずこの空の下で家族円満に暮らしていたと思うのです。

そしてメディアや催し物には一切出ないという山口百恵さんみたいな姿勢というか生き方、ひいては

人生観になっていたのでは。

たとえば2005(平成17)年に愛知県瀬戸市で開催され大いに話題となった『愛・地球博』に、

同郷の石川(薬丸)秀美と一緒にゲストとしてお声がかかっても遠慮したでしょう。

「私はもう現役じゃないし、皆さんの前に出るつもりはありませんから・・・」と言って。

かつて並々ならぬ人気と話題を振り撒いたとはいえ、身を引いてから長い時間が経ち、今さら自分が

出て行っても意味などないという思いでいたのではないかな。

そんなユッコのことだから、人気が低下し燃え尽きる前にいい加減な頃合いを見て芸能界ときっぱり

縁を切って家庭に入り、子供の2~3人もいるごく普通のお母さんを択んでいたのかもしれません。

とはいえ全盛期を知る多くのフレンズは、どれほど状況が変わろうと決して歌手岡田有希子を忘れず

見放さなかったでしょう・・・それこそ自分たちが生き続ける限りずっと。

けれど何より残念なのは、今年50歳となり一緒に歳を重ねているはずだったユッコがいないこと。

それと少しばかり意地悪とはいえ、「久しぶりに見たけど、ユッコも老けたなぁ・・・」という言葉の

ひとつも言えず、自分たちの経てきた時間や想いをユッコと共有できないこと。

代わりにフレンズ同士で逢いたい気持を共有し、想い出を語り合うのがせめてもの慰めでしょうか。

80年代アイドルにおける岡田有希子の立ち位置

今年も誕生日が近づいてきましたが、これまでにない特別な日となりそうです。

なぜなら今年は生誕50周年であり、ほぼすべてのフレンズにとってはおそらく最後の大きな節目に

なるでしょうから。

まさか次の記念日となる100周年の時点で生きているフレンズは皆無と思いますし、仮に若干なり

とも生きていたにせよ、そんな歳になってまでもお祝いとはゆかないのではないかな(笑)。

もちろん100周年などといったはるか遠いものを待たずとも、各シングルやアルバムの発売日など

節目は絶え間なくやって来ます。

それでもフレンズなら誰もが記念日として祝えるのは、何といってもデビュー日と並んで誕生日。

だからでしょうか、没後30年の昨年辺りからラジオ番組で取り上げられたりファンミーティング、

及びユッコ祭りと称する“前夜祭”が多々企画され行われている様です。

また有志によるオフ会など、小規模な催しも数多く行われてきました。

いずれも概ね好評らしいですが、いささか行き過ぎ・過熱気味ではと受け取られる側面もまた無きに

しもあらず。

これらをユッコは喜んでいるのか困惑しているのかどうかわかりませんが、せめて遺族や友人知人、

ひいては成満寺の心象に障らぬ様、充分な配慮と節度ある大人の振る舞いを心がけたいものですね。

それはそうと、多種多様な面々が居た80年代アイドルの中で、ユッコがどんな立ち位置だったのか

考えることがあります。

あの頃は松田聖子と中森明菜が代表的な存在であり、俗に二大巨頭と呼ばれていました。

もちろん他の面々が地味で目立たなかったという訳ではありませんが、楽曲の内容や歌い方、雰囲気、

ファンとの距離感、将来目指していた方向等を比較すれば主に聖子型と明菜型に分けられ、ファンの

受け止め方や趣向、さらに求めるものも対照的だったと記憶しています。

まず聖子型ですが、こちらは来る者を拒むことなく大手を広げて迎え入れ、惜しみなく笑顔で接する

タイプではなかったかな。

そして目一杯のサービスを振り撒いては、「私の世界にどうぞいらっしゃい!」とばかり招き入れる

寛容さを持っていたのではないでしょうか。

もう一方の明菜型ですが、こちらも来る者を拒みこそせぬものの、少しばかりお堅く取っ付きにくい

タイプではなかったかと。

いささかプライドが高い孤高の人とはいえ、一旦好きになり気に入ってもらえば気を許し、とことん

面倒見も良く、絶大な包容力を発揮していたのでは。

いうならば、「ついて来たい人はついていらっしゃい、そうでない人は黙ってて!」とばかりピシッと

言い切る感じで物事の白黒、並びにYES・NOをはっきりさせたがったとはいえ、大切な相手には

目一杯のサービス精神で接していたのではないでしょうか。

もちろん両人とも芸能界の住人であり、世間やファンに夢を売る立場や仕事上の必要性・必然性から、

営業では否応なしに笑顔と包容力で接していたのは事実ですけれど。

よって本音や地はまた別なところにあり、カメラのスイッチがOFFになった向こう側やステージを

降りた後は案外一人の時間と空間を優先し、他人や世間との接触を拒んでいたかもしれません。

その辺の詳細等はいざ知らずとして、対照的ともいえる二人だったからこそ、芸能界という昔も今も

人の入れ替わりの激しい世界で35年以上もの間ずっと共存共栄ならぬ共存競栄できたのでしょう。

仮に似た者同志だったなら、初めのうちはある程度は支持され売れていたかもしれませんが、やがて

遅かれ早かれ飽きられて共倒れ・消滅していたのではないかと思うのです。

前置きが長くなりましたが、そんな個性的な二人が主流だった世界に現れたユッコ(岡田有希子)は

どうだったのか。

端的にいえば聖子型だったのではないかと。

サンミュージックの先輩後輩だったゆえ、会社側としては同様のイメージ・路線で売り込み、効果を

期待したのでしょう。

プロモートした際のキャッチフレーズも、当初「不思議の国から来たプリンセス」としていましたし、

後に「いつまでも一緒にいてね」となりましたから。

そうやって誰からも受け入れてもらえる親しみのあるアイドルを目指し、なおかつポスト聖子という

称号の元に強力な売り込みを展開したのは周知のとおりです。

ユッコ自身も聖子みたいに誰からも愛され親しみを持ってもらえるアイドルを目標にし、また憧れて

いたと思います。

もっとも本人は既に亡くなっていますから本音はどうだったかわかりませんが、それでも他の娘より

ファンや世間に溶け込もうとする意欲が強かったのは間違いないでしょう。

ファンにしたってそういうタイプの方が気持を許しやすかったでしょうし、抵抗感もなく自然だった

ものと思います。

だからこそ他の娘にはない、フレンズという一層近い存在として認められていたのでしょう。

もしユッコが明菜型を狙っていた、あるいは売り込んでいたなら、世間やフレンズの期待から外れて

空回りした末、消滅していたかもしれません。

おそらくユッコのイメージに合わず、フレンズの大半がシラケてしまったでしょうから。

やはり会社側の戦略どおり、純情派アイドルとして送り出すのが一番お似合いだったと思いますし、

受け入れる世間やファンにとっても無難だったかも。

結局のところあれこれ難しいですが、ユッコの立ち位置というか存在は、聖子型+αだったのではない

でしょうか。

いうならば他の娘には絶対マネできない独自、かつ強力な世界感(ユッコワールド)から紡ぎ出して

いたであろう要素こそ+αの正体であり、立ち位置や目指していた方向性だったと。

とはいえ、そんな+α(あるいはもっと別次元、または別種な+β)を、いつ如何なる形で開花・展開
させたかったかは本人のみぞ知る秘密だったといえば、気持の辻褄が合うのかもしれません。

Teenage Love一途なり(6―6:最終回)

一学期の終了式後、恵美子先生がお別れのあいさつをした。

あっという間の2ヶ月であったが、想い出はおれたちのこころに深く刻まれている。

「みなさん、わずか2ヶ月間でしたが色々とお世話になり、また勉強になりました。私はこれから

大学に戻って再び勉学に励み、将来は生徒の誰からも愛され信頼される教師を目指します・・・

みなさんのことやここで学んだことは、一生忘れません・・・本当にありがとうございました」

そう言って恵美子先生は少し涙を拭った。

女子生徒の中にも、少なからずもらい泣きする者もいた。

その日の帰り道、下宿の前を通りかかると、おおかたの荷物は運び出された後だった。

「いよいよ明日の晩だ・・・」

おれは決意を新たにして翌日の夜を待った。

その夜、親には友達の家に勉強に行くと嘘を言い、手紙を隠して家を抜け出した。

途中の酒屋の前にある赤電話から先生の下宿の番号を回したが、この番号は現在使用されていない

というエンドレステープが空しく回るばかり。

こうなったら仕方ない、直接下宿に向かう。

幸いまだ先生は居てくれたが、夜更けに突然現れたおれにびっくりした様子だった。

「あら昇平クン、どうしたの・・・こんな夜更けに」

先生は少し怪訝そうにしていたが、おれは手紙だけは何としても渡さなければと思っていた。

「先生、これ何も言わずに受け取ってください・・・」

それだけ言うのが精一杯で、後は言葉にならなかった。

先生は黙って受け取ってくれた。

「昇平クン、ちょっと近くを散歩しましょうか」

先生は気おくれしているおれを誘う様に外に出た。

すっかり暗くなった夜の小道を、恋人岬の方へ肩を並べて歩いた。

所々に漁火が見え隠れし、遠く波の歌が聞こえる。

やがて小一時間も歩いただろうか、先生とおれは恋人岬の頂上にたどり着いた。

「先生、おれ・・・先生のことお姉さんみたいに思ってたんだ・・・だから・・・」

「大丈夫、離れても絶対に忘れないから」

先生の話を聞いているうち、またいつか生まれ変わっても、きっとめぐり逢える気がした。

「またいつの日か、この島に来ることがあったらよろしくね」

そう言って先生はおれの手を握った。

色白で暖かく、とても柔らかだったのが忘れられない。

満月の青白い光で先生の頬を流れる涙が光ったけれど、おれは気付かぬふりをした。

実はおれも必死で堪えていたんだけど。

20年にも満たない人生で、こんなにも人を想い慕ったことなどなかったから。

翌日の午後遅く下宿を訪ねたが、もう先生は居なかった。

もしや先生を乗せた船は出航したのではないかと、取るものも取りあえず波止場へ駆けた。

案の定、もう船は沖合遠く離れている。

おれは恋人岬に駆け上り、海が見渡せる場所に立って大きく手を振った。

あの手紙、先生は読んでくれるだろうか・・・それより先生はおれに気付いてくれるだろうか。

いきなり送った手紙だったけど、返事はどうでもかまわない。

この想いさえ伝わればそれでいい、それだけで幸せだから。

命あればいつか再びめぐり逢える・・・その時が旅の終わり。

ぼんやり霞んでゆく視界から、先生を乗せた船がゆっくりゆっくり遠ざかっていった。

<完>

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