夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記

映画・読書・走る・仏教=江戸ハブ、でしたが、走る、は、泳ぐ、に変わっております。そのほか、ギター弾き語り、絵手紙、料理、が主な趣味です。最近は、神道の勉強もしております。

FUNNY BUNNY
中川大志 岡山天音 関めぐみ ゆうたろう 菅原大吉
2022-01-14



 本当に最近つまらない映画ばかりだと嘆いていたら今回は若い俳優が原作を深く読み込んで名演技をしてくれたものだから、久しぶりにいい映画を見たという感激を得た。
 いじめの影にあった7キロの鉄アレーが絶対に借りられない本として図書館に紛れ込んでいる。
 それを明日まで発見しなければならない。
 その理由はなにか。
 デビュー直前のバンドを襲った突然のボーカルの死。
 残されたギタリストを救ったのはなぜか。
 理由はそれぞれだろう。
 それぞれがそれぞれのパートで嘆きうごめいている。
 いつ私がマイナスのポジションに見舞われるかわからない。
 すなわち、いじめられたり、不慮の事故に見舞われたり…。
 逆に救いのことばをかけ続けることもできるだろう。
 どのポジションに立たされるかなどわかりっこないことじゃないか。
 やりたいポジションがあってもそこには立てない…かもしれないし、そうでないかもしれない。
 ただ与えられたポジションで精一杯やる他ないのだ。
 菅原大吉の運転手も同じ。
 投げやりな彼も中川大志から救われた一人だ。
 しかし、中川は小説の卵。
 単なる口からのでまかせを言っているにすぎないのだ(と彼は劇中言っている)。
 若手でもこれだけの映画ができるってこと。 
 ひどい映画はいかに成員が勉強不足かってことだ。

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 千早振る神のおられる総宮の直江の杉のたくましきかな
 額が少ないとはいえまだ給料がもらえる身、今月は19日に振り込まれていたことで、昼外食をし銀行に行く。
 昼は幸楽苑のランチ。
 ほんの半年前くらいまでは幸楽苑のランチはライスラーメン500円だった。
 それがいつのまにか餃子とラーメンの組み合わせになって600円である。
 これも値上げの年の1つの流れなんだろうな。
 ラーメンも餃子もそれなり、この値段ならそれなり。
 だがどうしても幸楽苑はPayPayを導入してくれないんだな。
 それが悔しいけれど、長井に職場がある限り数少ない外食場所なので、これ以上店員と喧嘩もしていられないので、黙って支払いを済ます。
 銀行に行き必要な金をおろして今度はセブン銀行へ。
 PayPay銀行に入金。
 このあと長井の総鎮守總宮神社に参ろうとしたがタイムアップ。
 總宮神社には仕事終了後参拝した。
 鳥居が3つある。
 そもそも長井には、宮、と、小出しか地名がなかったのだから、この總宮神社がいかに長井市民の心の支えだったかがわかる。
 冬その第三の鳥居の脇を通るたび、そこはもう雪に埋もれていて、この雪がいつかは溶けてなくなるんだろうな、と思いつつ、總宮神社に詣でなければなるまいと思っていた。
 それがこの日になった。
 さて私事で恐縮であるが、私は神社の結界に入ると神様を感じるのである。
 神様がいらっしゃるかどうかくらいしかわからないけれど、この日は神様がいらっしゃいましたな。
 そういう場合どうなるのかというと、涙が止めどもなく流れ出て止まらなくなるのである。
 冒頭の歌は、本殿に詣で周りを見回したところ、とても立派な杉が数本あり、それが直江杉ということがわかったことから歌ってみたものである。

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 露霜の秋の気配す日の光黄色くなりて蜻蛉飛びけり
 この微妙な光加減、人の目には敏感に感じるもので、さらには野で秋の虫が鳴き始めた。
 飯豊町の大雨惨状はやはり42水害に匹敵するものだったに違いない。
 橋の崩落とともに車ごと流された方は今もって(8月23日現在)見つかっていない。
 盆には帰るものと期待していた3年出向3年目の息子一家は今年は帰らずなんともはや寂しい夏になったものだと妻と話す。
 そりゃそうだ、コロナ感染者増が止まらない。
 そんな中政府はさらなる緩和を考えているらしくて、医療現場からはブーイングの模様だ。
 その息子の家はあれから2週に一度訪れて掃除をしている。
 この日がその日だった。
 出向中駐車場の車が飛び込んできて小屋半壊の事態に陥ったりもした。
 そうだね、出発した年がコロナ元年だったものね。
 掃除したあと妻とタリーズに入りコーヒーを飲みながら読書をする。
 このタリーズはヤマザワ松見町店併設なので喫茶のあと買い物をする。
 あれば必ずこの店の名物どんどん焼きを買う。
 この日もありましたな、山形市民のB級グルメ、どんどん焼き。
 庄内の人はまたいでしまいますが、粉ものの本場大阪の人は美味しい美味しいと食べていましたよ。
 この日の酒肴は回鍋肉。
 キャベツ、ピーマンをオリーブオイルで先に炒めて取り出し、豚肉(秘伝のタレで味付けして片栗粉をまぶしておいたもの)を炒めて回鍋肉のソース(秘伝のタレ2倍希釈、オイスターソース、胡麻油、味噌)と野菜を混ぜてできあがり。
 中華がだんだん得意料理になってきましたな。
 野菜も余ることが少なくなってきた。




 しかし本当に断捨離というのは厄介な作業で、今私が書斎にしている和室の座卓でさえ片付かないのだ。
 それはともかく著者は、


 まずは、手元にあるスマホで部屋の写真を撮りましょう。
 なんだそんなことか、と思わないでください。
 ちゃんと理由があるんです。
 スマホで写真を撮るメリットは、大きく3つあります。
【メリット1】
 散らかっていた状態の汚部屋を、何度も手軽に見返すことができます。
 部屋を片づけてしまうと、散らかっていた状態を見ることができなくなります。
 beforeとafterの写真を見比べることで、「もうあんな汚部屋に戻りたくない」と思い、リバウンドの防止効果があります。
 ダイエットの写真と同じですね。
という面白い方法を提案する。
 とはいえ私がこれはいい、やってみようと動き出すかどうかは自分でさえわからない。
 とにかく和室の座卓は私のものに占領されている。
 だから誰も和室に座れない。
 そういう不具合があるのだが優しい妻はそのことに文句をつけることはない。
 だから私はなんとかしたいという強い気持ちに駆られるのだ。
 まず前の本で読んだとおり、必要なもの、いらないもの、どっちつかずに分けようかと思っているのだが、座卓上の書類でさえ行く先が決まらない。
 そして、これより先今からどれだけ昔だったかはよく覚えていないけれど、とにかく周辺がゴミだらけになるから、その前に一旦入れ置くプラスチックの箱を用意したのだった。
 これなんざあ、5個以上用意しましたぜ。
 なのに結局その何年もの間置きっぱなしになっている。
 つまりこのプラスチックの箱の中身を全部じゃーっと捨てても構わない状態になっているのだ。
 さて、


 「過去の栄光のモノ」に出会います。
 私の場合は、出産前は着られていた細身の洋服や、妊娠中に着ていた洋服、今では恥ずかしくて着られないかわいいビキニも出てきました。
 子どもが生まれるまで働いていた職場での表彰状など、数年前までは大切なモノだったのに、今見ると「何これ?」「何で持ってるの?」と思うモノがたくさんありました。
 もちろん、すべて手放すことに決めました。
 これは、全部出したから気が付けたことです。
 少し面倒な作業ですが、自分の持ち物を客観的に見ることができる瞬間でもあります。
ということ。
 これはプラスチック箱の中身をジャーすることの根拠になりますな。
 




 とにかく阿弥陀様は音声の仏様だというところまで突き詰めた。


 仏様は南無阿弥陀仏という言葉になられたのです。
 なぜ言葉になられたかと言うと人間は言葉の世界を生きているからです。
 ここのところの理解ですなこれが大事だ。
 そして、


 一番ひどい顔の自分を知らないんだから(笑)。
 それですべてを映す鏡というものが必要なんです。
 浄土とはこの世とか人間の知、人知が問題なのだと知らせるために彼岸・界外に建てられたのです。
 私はこれが非常に大事な所だと思っています。
 「仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起こし給ふ」という問を立て自問自答しながらそれは人間がこの世を分かっていないからだと解かれるのです。
と、つまり筆者によれば浄土は鏡だというわけだ。
 ある意味著者は真宗について違う角度からの射入を試みているな。
 たかだか阿弥陀様が言葉の仏様であることと浄土が鏡であることを語ったところで真宗の真意には近づいたことにはならないけれど、それが大きな真宗の特徴であることは間違いのないことだ。
 さらに弥陀、に、頼むのか、弥陀、を、頼むのかという問題も著者は本書で提起している。
 に、だとご利益を求めることになるだろうし、を、だと身を任せることになるということだということが書かれている。
 なかなか難解な書で、理解しきれるものではないけれど、真宗というのが他の仏教宗派と異にする考えがあるということが分かるだけでもよろしいんじゃないかな。
 道元禅師は修行の厳しさをたえず口に出されていたようだ。
 そういうところを読むと私なんざとてもじゃないが自力で悟れるものではないと思ってしまう。
 やはり他力にお任せするより他ない。
 南無阿弥陀仏である。

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 長井市の妻の実家の墓にお参りし、飯豊町の父の実家にお盆礼に行った。
 この8月の豪雨の爪痕が各地に残っていたな。
 この地は55年前、昭和42年に羽越水害にあった土地でもある。
 あの時は置賜と隣の新潟県関川村が大水害に見舞われた。
 関川村では10人以上の人が亡くなられ村内にその記念館が建てられている。
 小国町は一週間以上孤立し自衛隊のヘリから物資を降ろしてもらったということを聞いた。
 置賜側でも二人亡くなられた。
 飯豊町の実家にも水が上がった。
 池の鯉が下流に流れ、以後実家の池に鯉が戻ることはなかった。
 今回の豪雨の後叔父に電話で確認したら前回つまり昭和42年の時よりも大したことない、田んぼも大丈夫だという話だったけれど、お墓に通じる道は土砂崩れで通行止めの看板が出されていたし、実家も一部雨漏りがしたようだ。
 羽越水害後中津川の集落を潰して白川ダムを作ったことで今回の豪雨にある程度耐えることができたようだけれど、置賜白川の下流である小白川、椿、萩生地区の道路には水が溢れたのだろう、土砂が残って茶色になっていた。
 昼、長井のはせがわ屋にしようかと話をしたのだったが、山形のぐっと山形で盆礼の品を買った際、ぐっと山形で食べて行こうということになり、うぐいす亭に入って合盛り天ぷら1000円を食べた。
 蕎麦湯がポットに入っていて良心的だった。
 ただし蕎麦はお世辞にも美味しいとは言えなかった。
 残念である。

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 仙台に住む妻の亡き弟の奥さんからお中元に豚肉の味噌漬けが送られてきた。
 結構な量が入っていたので酒肴で楽しむことができる。
 フライパンにオリーブオイルをひいて中火で焼く。
 そこのストーブ前の人、決して目を離さないでね!
 さらに刻みキャベツを敷き肉が焼きあがったら出来上がり。
 美味しいですよ、この肉。
 酒肴に最高です。
 キャベツが余ったから次の日は回鍋肉だななどと考えながら食べる。
 ソースを作る手間が必要ないので実に楽だ。
 この日は、土曜の夜は寅さん、なんてBSテレ東を観ることになった。
 男はつらいよ第45作寅次郎の青春でしたな(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 190724)。
 この映画はマドンナが一度も柴又を訪れなかったことで有名な作品であると共に、いよいよあと4作で終了になるこのシリーズの寅がとにかく動けなくて、しかしそれにしても寅を骨折させるという暴挙に出てなんとか収めたもの満男と泉の時代に入ったともとれる作品だ。
 それでも新幹線は白と青の時代のもの、緑の公衆電話が当時の世相を映し出している。
 要するにテレビに観るべきものがなくて衛星放送をカチャカチャしていたら土曜は寅さんにぶち当たったという話。
 そういやあ、映画、このところあたりがなくてつまらない思いに駆られている。
 全て上手く回らないことの原因がコロナのせいなのだろうか。

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 妻が半日勤の時は午後1時には妻は帰宅するのだがこの日は午後2時頃になるという連絡が入った。
 妻の職場もコロナ禍の煽りを食らっている。
 車の修理が午後2時に入っていたものだから二人で出かけたのは午後3時になった。
 この日はTREnTAで食べる予定であった。
 TREnTAはもう準備中になっていた。
 さてどこへ行こうかということになりシベールにしようかと話しながら車を走らせた。
 途中サイゼリヤを見つけここにしようということで中に入った。
 サイゼリヤは本当に久しぶりですな。
 注文伝票に自ら記すことさえ忘れていた。
 普通の日のランチはそれなりだったけれどもランチの時間は過ぎていてそういうメニューもなく私はパスタではなくピザを頼んでみた。
 メニューに人気商品と書いてあったマルゲリータを注文した。
 野菜も必要と思いアスパラガス温玉サラダも頼んだ。
 さらにドリンクバー。  
 正直申し上げてまずい。
 残念だ。
 やはり営業時間中にTREnTAに入るべきだった。




 断捨離というのは実に難しい作業だ。 
 様々なそういうテーマの本を読んでそのとおり真似したことも多々あるが、なんと私の身の回りには百均で買った整理用のプラスチック桶が1つ、2つ、3つ、4つ、ああこれ以上数えるの嫌だ!そして手つかず…。


 1度モノを、3つのジャンルに分けてみることです。
 1つ目が「使うモノ」 2つ目が「使わないモノ」 3つ目が「使うかどうかわからないモノ」 この3つに分けます。 
 こんなことは今までも何回もやったことで、今更やったところでうまくは行くまい。 
 それでも、
 

「使うかどうかわからないモノ」は実際の生活で、できるだけ使わずに暮らしてみてください。
 数ヶ月ぐらい経ったら、またこの3つに分け、「使わないモノ」を捨て生活を再スタートさせます。
というところまで行けるか。 
 先述のプラスチック桶そのものをもう投げてもいいんじゃないかと、それほどの時間が経っているんだよ。
 まずは私が書斎代わりにしている和室の座卓の上をきれいにしてみよう。 
 その次は、プラスチック桶を捨ててやる!

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 さてこの日は午前中米沢、午後長井で仕事があり、昼、幸楽苑に入り、スタバで一休みしたのだった。
 それにしても私はマックにしたかったのだが、なんとマックがなぜか大行列だったのだ。
 だから幸楽苑にした。
 いわば幸楽苑はマックの代役ということになる。
 以上のように幸楽苑に入りタブレットのメニューを見る。
 しかしまたラーメンライスを頼んじまったぜ。
 というのは一番美味しそうだったからだ。
 そもそもこのメニューは最近までランチだった商品だ。
 とりわけ値段が500円だった。
 一方今は足して590円。
 ようするにこれまた値上げ商品なのだ。
 たしかに値上げ商品ではあるが、実は11時までのモーニングの時間帯に入るとこれが500円なのである。
 他方ではすき家のように値上げどころかクーポンを利用してさらに安くしているところもあるというのにね。
 次に行くのはすき家または吉野家ということになるのかな。

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 久しぶりに出勤したら同じ職場の人にもコロナ感染者が出たとか。
 まあなんということでしょう、か。
 今は日本が世界一の感染者数を輩出している。
 これまた、まあ、なんということでしょう、ですな。
 ただ、感染者が増えることは、外国人の入国を認めたり、制限なしの夏季休暇やらお盆ということで、十分予想できたことではあるけれど、まさかね、世界一とは…。
 そしてついに妻が勤める施設でも感染者が出始めた。
 身近なところに迫ってきているという感覚だ。
 何よりあのワクチン副反応以来自分の体調も良くなくて、もしかしたら感染しているんじゃあるまいなと、1日に何度も体温を測る始末。
 などと言いながら職場は平穏に過ぎている。
 さてこの日の酒肴は麻婆豆腐。
 麻婆の作り方を覚えましたぜ。
 だから豆腐でも茄子でもオッケーです。
 今回は秘伝のタレを2倍希釈にしてみました。
 オリーブオイルをフライパンにひいて、麻婆豆腐の場合はネギとひき肉を炒めますな。
 炒め終えたら麻婆を投入します。
 麻婆は、2倍希釈の秘伝のタレとおろしニンニクと豆板醤と胡麻油で作ります。
 豆腐を加え温めて出来上がり。
 冷蔵庫を開けて豆腐があったら麻婆豆腐、茄子があったらピーマンと一緒に麻婆茄子ですな。

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 この日と前日夏季休暇を取った。
 今年の夏季休暇は最低の夏季休暇だったとはこれまで書いてきた通りだ。
 そしてこの日も前日も休むのは私だけ、妻は仕事である。
 昼のカレーライスは前日妻が作ったもの。
 それにキュウリの酢漬けを添えてみた。
 あと、ゆで卵ですか。
 とにかくコロナ感染が止まらない。
 とてもじゃないがどこへ行く気にもなれない。
 それでも夕方ルネサンスに行く。
 8月2日、3日とワクチン副反応で寝込んでから、すっかり体力を喪失し 、この日やっと2.0キロ泳了できた。
 今月中に2.4キロまで戻せるか。
 まあ、無理はしないでゆっくりやろう。
 そうしないと水泳そのものが嫌になるものな。
 その副反応中に多くの真宗本を読み、毎日やっていた坐禅を8月7日から10日までの4日間休んだが、どうにも座りが悪くてやはり毎日坐禅をしないと駄目だという結論に至り、さらには、禅本もまた読み始めた。
 ところが禅宗は厳しいんですな。
 私なんざ、とてもじゃないがその修行にはついていけませんぜ。
 というジレンマに陥っている。

無(最高の状態)
鈴木祐
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
2021-07-16



 何が無であるかと言うと自己が無である(べきである)ということで私は仏書を読みついできたが、それよりも本書は難しくて、歯が立たなかった。
 まず自己を、


 前提として、ここでは自己を「自分が他者とは異なる存在であり、常に同じ人間であるという実感」と定義します。
 当たり前ですが、もし見た目が瓜二つな人がいても、その人とあなたは別人です。
 日本にいてもアメリカにいてもあなたは常に同じ人物ですし、幼少期と現在でどれだけ見た目が変わったとしても、やはりあなたは自分を同じ人物だと認識するでしょう。
 どんな場所にあっても、どんな時間軸にあっても、「私は一貫した存在である」との間隔を貴方にもたらすものが自己です。
と定義し、自己がなくなる場面について、


 事実、自己が消えるシーンはいくらでも存在します。
 代表的なのは極度の集中状態に入った時で、ゲームにのめり込んで時間が瞬く間に過ぎたり、小説の世界に没入してただ文字を追ったり、気の合う仲間との会話が盛り上がったりといった体験を思い返せばわかりやすいでしょう。
と説明するのだ。
 また禅問答は、


 「パラドックスの枠内で頭を悩ませ、文字通り頭を悩殺させることが禅問答の出口であり、解決策なのだと気付くまで悩み続けねばならない。
 (禅問答の役割とは)あらゆる恣意的な情報において解釈を拒み、自分自身を抹消することにある」
もの、つまり、強制自己消失とでも言うべきものでしょうなあ。
 要するに私がよく述べている、脳の捏造、をいかに防止するかが、自己を消失させることだということになろうか。
 というよりもそもそも自己というものがないのだけれど、人類は、


 北イリノイ大学の認知科学者ジョン・スコウロンスキは、人類に自己が備わったのは25万年前から5万年前頃だと推定します。
 人類の祖先であるホモ・エレクトスが、それまでの30〜50人単位の暮らしを止めて150〜200人の集団で暮らすようになったのはおよそ40万年前のことです。
なのだそうだ。
 この自己は脳が物語を打ち立てることができるようになった賜物だと著者は言う。
 儂は一体何者?といつも考えている儂はそもそもなきものだったのだ!
 だから儂は一体何者と考えるだけ無駄ですぞ 。
 なるほどそうなると薪は薪、灰は灰。
 難しいけれど有意義な本であった。

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 さてこの日は妻が日勤。
 さらに月曜日なのでルネサンスは休み。
 しかしそれにしても本当にこんなにひどい夏季休暇は初めてだな。
 最低だ。
 と、書いちまったが、そもそも最低とか最高とかいうのは対比するものがあって、それで評価するわけだ。
 したがって今回最低だ!なんて書いたところで実は来年さらに最低にならない保証はどこにもない。
 すなわち今回の夏季休暇はコロナ禍の中孫は帰省できず、私はワクチン副反応で2日寝込み、さらにピロリ菌除去で7日間の禁酒だったということ。
 しかしそれだけではなく、東北各地で水害に見舞われたのだ。
 これを最低と言わずなんと呼ぼう。
 それはともかくこの日の昼は、マヨツナもやし冷やし中華。
 麺はラ王であります。
 それで今回は麺ともやしを牛乳温めレンチンオート3の後600W2分で冷水に取り締めてさらに盛りそこでツナ缶を上げ付随のスープを掛け、マヨネーズを回し入れた一品である。
 とにかく袋麺がここまで進化しているのには驚きだ。


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 ☆
 さて妻が手塩にかけて育てている薔薇は、我家の庭に咲き誇っている。
 それにしても新築して12年の我家の庭は、妻のおかげで薔薇園になった。
 すなわち東沢薔薇園、双松薔薇園、佐藤梨園ローズガーデン、四季の里薔薇園をこまめに回っては苗木を買いそれを丁寧に妻は育ててきたのだ。
 したがってもう我家の庭が薔薇園になったのである。
 それはともかく、じゃあ私はその薔薇園で何をしているの、と聞かれれば、薔薇の絵を描いて、絵手紙にしています、と答える。
 そもそも絵描きは孫が好きで、それにつられて私も描いていた。
 それで絵手紙が増え、それが年賀状になっていった。
 しかし孫が3年の息子の出向で東京に行きさらにこのコロナ禍でついに今年の盆は帰れず、私は寂しい思いに駆られた。
 それでもなにか描かなくちゃという思いが強くなった。
 そこで今回は我が家の薔薇園の、ベルサイユの薔薇、を描いてみた。

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 今回の描き方:ベースになる色(この色は白の役割、あるいは光の役割になる)でデッサンし、薄い色から順に塗り重ねてみた。

 

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 しかし今年の夏休みは最低だったな。
 ワクチンの副反応に襲われ、ピロリ菌除去で禁酒7日間、その上孫は帰ってこないし…。
 ようするにコロナのせいなのである。
 だから仕方ない、といえばそれまでだが、去年だってコロナ禍で、しかもかなりの行動制限がなされていたはずなのに、孫はちゃんと帰ってきたし、旅行もしたし、そういう思い出がGoogleやMicrosoftを通じて写真が披露されるから、ああ、2年前は松島に行った、去年はダリヤ園に行った、なのに、今年はこのざまだ、とそんなこと思っていると涙が止まらない。
 しかもこの夏は天候不順こちら東北はとにかく雨雨雨。
 梅雨明けなんて嘘だね。
 梅雨はあけなかったんだよ。
 だって去年の夏至はきちんと写真が取れたんだよ、日の出が。
 まあいずれにしろその分夫婦水入らずで過ごすことができたけれど。
 今回の第7波、いつ収束するのか。
 そのタイミングで旅行をしたい。
 コロナといいながら2年前は妻とホテル観洋に泊まり、石巻を楽しんだ。
 そういう事ももうできないのだろうか。
 一体この先どうなるのか、本当に不安でならない。
 さて鰤照、この料理は得意中の得意になった。
 添えたのはきゅうりの酢漬け。
 これは合う。
 やはり酒の肴ですよこの鰤照は。

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 マルちゃんラ王の冷やし中華を買うべきところ正麺をかってきたものだから、正麺の冷やし中華になったのだけれど、これはいけます。
 ヤマザワサンコー食品の冷やし中華よりも麺が美味しいし、冷やし中華のスープも洗練されていた。
 袋麺がここまで美味しくなっているなんて考えられないことですな。
 きゅうり、トマトは貰い物、この時期本当に助かる。
 盆だというのにふたりぼっち、しかも妻はこれからケアマネの免許更新時期とあって半日勉強をしていたので、結局午後少しドライブに出て終わった。
 8月末にでも一泊しようかという話が出ていて、第一候補蔵王温泉を見てきた。
 それなりに入っていましたな。
 日帰り湯新左衛門の湯は駐車場がいっぱいだった。
 蔵王温泉のほか上山温泉、天童温泉、東根温泉、銀山温泉、赤湯、小野川温泉、白布高湯と近くに温泉がたくさんあるからそのうちのどれかにしようと考えているけれど、それにしもて今回のコロナ感染拡大はいつまで続くことやら。
 コロナといえば妻は今回の4回目のワクチン接種は、特に副反応なしで終わりましたな。
 私がひどい目に遭ったものだからそんな苦しみを妻に味わいさせたくないと思っていたのだったが、杞憂に終わり良かった。
 しかしそれにしても本当にいつになったらこのコロナ禍が収束するのだろうか。
 またすぐ5回目のワクチン話が出ているのだけれど、そのワクチンなどもう射つ必要がないということにならないだろうか。
 もう本当にワクチンは恐怖だ。

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  あーあ、なんということだ、今年のお盆は妻とふたりきり。 
 午前中菩提を訪れお中元をしたが、応対してくれたのは副住職で、会ったこともない人、話題もなく早々に寺を出てきたが、こんなことは初めてだなあ。 
 米沢市内で昼食場所を探したが、お盆でどこもいっぱい、それこそそれまで客が入っているのを見たこともないお蕎麦屋さんもですよ。
 でも米沢でせめて米沢ラーメンでも食べていかないとふたりきりのお盆がますます寂しくなる気がして満を持して道の駅を訪れたのでした。
 その記事は前日のとおり、美味しい中華、ごちそうさま。
 食べているときに南米音楽のライブがあるというアナウンスがあって、聴きに行きました。
 3人組、TAKIという名前でしたが、このコロナ禍で、本体であるSISAYがばらばらになってしまったんだとか。
 実は、3年前の4月も同じライブを聴いていて、(夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 190423 )このときのグループ名は、ライミス、だったようです。
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 この日の音楽は、魂を揺らしてくれました。
 涙が止まらないのです。
 いやあ、本当に素晴らしい音楽でした。
 2枚組のCDを購入しました。
 中にサインを書いてもらいました。




 ブルーマンデーには多くの人が悩まされているのではないか。


 ところが、一方で、週のはじめに気持ちをうまく切り替えられない人が増えてきているのも事実です。
 それが、「会社に行きたくない」「学校へ行きたくない」「あの人に会いたくない」などと月曜日の朝から鬱々とした重苦しさを感じる一因なのかもしれません。
 そうした症状は、世界的には、「ブルーマンデー症候群」といわれ、科学的にも実証されているといいます。 
 というように。
 そこで著者は、私に5分だけください、というわけだ。 
 5分間のうちに瞑想を済ませる。
 その方法は、


〆造
⊆蠎鵑鬚屬蕕屬蕕垢
手を合わせて目を閉じる
ぜ蠅鮃腓錣擦燭泙沺呼吸に意識を向ける
ジ撞曚帽腓錣擦董⊃瑤鬘院10まで数える準備から、数を数え終わるまで、約5分。
というものだ。
 だが、私に5分だけください、というのは実はその後があって、つまり、もう10分、20分と増えていくわけだ。
 著者は禅宗の僧侶である。
 つまり本書における月曜瞑想は最終的に坐禅にもっていくものだ。 
 どうなんですかね、こういう手法は。
 仏教徒として少し半端じゃないかなと私は思った。
 坐禅に関してこの前も薬剤師の方が書いた本を読んだけれど、坐禅でしあわせな気分になるとか、ブルーマンデー症候群がなくなるなどということはないということをはっきりさせるべきじゃないのか。 
 もしそうだとするとその坐禅にはあるいは瞑想法には魔が差しているということだと私は思う。
 坐禅は仏の姿であって、私が幸せな気分になるための手段方法ではない。
 誤った考えでのその場しのぎの坐禅や瞑想法は、演者を魔に誘うことになる。
 決して安易な方法によるべきではないと、ここ2冊の坐禅、瞑想法の本を読んで仏教徒である私は危惧したところだ。

監督:小林恒夫
出演者:南廣、 小宮光江、 奈良あけみ、 楠トシエ、 月岡千秋、 高峰三枝子、 山形勲、 堀雄二、 加藤嘉、 河野秋武、 三島雅夫、 志村喬
収録時間:85分
レンタル開始日:2003-11-14

Story
松本清張のベストセラー小説を映画化したミステリーサスペンス。博多で発見された男女、公務員の佐山と料亭の女中・お時の死体は合意の上での心中と断定された。だが、老練の鳥飼刑事は、佐山が1人で東京を発っていたことから他殺だと疑い始める。 (詳細はこちら

 本ブログの本年4月18日の記事夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記 220418は、15年前のビートたけし主演の点と線であった。
 あの作品があまりにも秀逸であったものだから、本作はいくら往年の日本の大役者が出るといっても、点と線の魅力を発揮できなかったというほかない。
 まあそれでも本作は、昭和33年の作品らしいから、64年前の話ということになる。
 今であれば海岸における無理心中などは必ず司法解剖するだろうから、簡単に無理心中などという結論には至るまい。
 それはともかく原作は時刻表トリックモノの代表作だ。
 刑事がどのようにそのトリックを解き明かすかがひとつのポイントである。
 そのへんの表現がね、どうも不十分だったな。
 南廣という役者には、本作の探偵役がちょっと重荷ではなかったのかな。
 彼はその後60歳でなくなるまで芸能界で会社を興したりして活躍したらしいが、本作後の大きな役がなかったものね。
 この、昭和30年代というのは戦後日本の復興期で、その時代に合わせて清張が良作をバンバン出しており、映画化は本作のほか、霧の旗とか砂の器があって、砂の器に関してはこれまで何度か書いてきて、野村芳太郎作品は原作を凌駕したというのが私の評価なのだが、山田洋次監督倍賞千恵子主演の霧の旗は観るに堪えない凡作、そして本作もそんな感じだなと、つまり、この時代のヒエラルキーは、役者上位だったんでしょうなあ、清張の名作を高名な役者方がきちんと読み込んでいなかったということ、それから、監督を始めとしたスタッフも同じ、そういうところが結局後の邦画の斜陽を迎える原因ではなかったのかなと、本作やら霧の旗を観て思ったのだった。

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