夕顔絵夢二郎の江戸ハブ日記

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カテゴリ: 著者 た行

臨死体験 上 (文春文庫)
立花 隆
文藝春秋
2000-03-10


臨死体験 下 (文春文庫)
立花 隆
文藝春秋
2000-03-10

 

 上巻、下巻の大作。
 この本を書くためにどれだけの資料を集めどれだけ読んでまとめたか伺い知れるページ数である。
 しかしながらなんの結論が示されていないのが残念でならない。
 現実にこの本は図書館では他の霊感者と同じ本棚に陳列してあった。
 すなわち臨死体験とは霊的なものか否か。
 そのナイーブな命題にこの本は答えていないのだ。
 ただただ臨死体験の羅列。
 そこから読み手が勝手に判断せよ、俺はここまで読み込んだのだから俺のレベルまで来てみな的な、そんな感もするのである。
 そしてこれらの羅列の中にはどうも臨死体験ではないと思われるもの、明らかに夢にしか過ぎないものもあった。
 臨死体験が脳の作用によるものと決めつけるのは簡単である。
 現在の脳科学ではどうもそのように決めつけつつあるのではないか。
 反面たとえば恐山に行って懐かしい人の霊を呼び出してもらい話を聞いて安心している人たちも沢山いる。
 臨死体験や霊現象が科学的に明らかになったらこの人たちの大きなバックボーンになるはずだ。
 その意味でこの本はそのような立ち位置に立つはずだった。
 結論がないのが返す返すも残念でならない。

坐禅ガール
田口ランディ
祥伝社
2014-03-11


 田口ランディは個性的な作家だ。
 東根市立図書館でふと目についたので読んでみた。
 まず書き手が不思議な女を見つける。
 その女は東京都仙台の遠距離恋愛中だ。 

 仙台と東京を行き来する回数は最初は月に2回,そのうち月1回になり,とうとう2ヶ月に1回になった。 
 理由は金銭的な問題もあるけれど,それ以上にお互いの予定をすり合わせることができなくなったから。


 とまあ遠距離恋愛というのはそんなもんでしょうなあ。
 そんなことで彼女は年下の男と二股をかける。
 ところがその仙台の彼がどうやらあの巨大地震に巻き込まれたみたいで…。 

 「彼女とは別れる」と彼は言いました。
 「うん」
 「約束するから」
 年下の彼はそう言ってわたしを抱きしめた。
 なぜだろう。
 その日は一日心が壊死したみたいでした。

 心が壊死,って一体どんな感じなんだろうな。
 でもすごい表現だなと思って書き抜いた。
 書き手は女に坐禅を進める。
 書き手はどうやら日蓮宗の信者らしいのだが,外人の坐禅インストラクターに女を預ける,なんて話がダラダラと続く。
 1回読んだくらいではこの小説の真意はわからんねえ。
 だからといってまた読みたいとも思わない。
 不可思議な小説…。

キュア cure
田口 ランディ
朝日新聞社
2008-01-11



 がんについては私はどうしても今もって不治の病という認識しかない。
 これを宣告されたらもうだめだと言う意識しかない。
 祖父,父,叔父2人,妻の父,妻の弟,ががんで帰らぬ人となった。
 こうしてみればいかに私ががんを恐れているかがわかるだろう。
 そういうこってす。
 ところが現代の医学はがんは2名に1名の割合で発症するなどと言い,その上,治癒率もいい。
 つまり私たちの世代では考えられないような長足の進歩を現代医学はしているということなのである。
 さて本作であるが医師そのものががんに襲われてしまう。
 しかしその医師は更にその上のカリスマ的霊的医学をもっているもので最終的には何か怪しい宗教のようなものになって患者が引きも切らないような状況になるのだ。
 実はこの本は香川リカ先生の書評を読んで読んだもので,リカ先生は最後ヒーローがスピリチャルに生き残る話でなくてよかったなどと結んでいるのだ。
 それだけでネタバレなのだが,その書評が素晴らしすぎて香川先生の本を読んだあとにすぐ読んだのだった。
 そういうところが図書館のいいところ。
 うーむ,この本は読む価値があるなと思った瞬間,田口ランディと言う作家の書棚の前に立っていたな。
 そうかこういう本の読み方も図書館ではできるということ。
 これは本日の大きな発見であった。
 で,本作の主人公は類稀な腕を持つ医師なのだが,自分も不治の病に陥ってしまう。
 しかしながら死ぬまで自分の能力をもって患者の治療に当たると言う話なのだ。
 セックスシーンもあるのだが,なぜか艶っぽくないのである。
 がんに関する作家の取材力の凄さには驚いた。
 この話本当みたいだみたいな小説であった。
 またすごい作家を見つけてしまったな。
 
 


 
 
 
 
 

禁断のパンダ
拓未 司
宝島社
2008-01-11



 第6回(2007年)「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。
 草食のパンダになぜ犬歯があるかという問が大ヒントですなあ。
 つまりパンダはかつて肉食だったというのだが,いまでは竹を主食にしている。
 なのになぜ犬歯があるのか。
 それはね,お前を食べるためさ。
 このヒントは懸命なる読み手であるあなたにはすぐに導き出せることだろう。
 そのことにいつ気づくかどうかでこの小説の面白さに差がつく。
 でも生理的嫌悪はないからご安心を。
 世の中には様々な視点から小説を書く人がいるのだなあと今更ながら感心した。
 まさに,人を喰った作品,である。

トギオ
太朗想史郎
宝島社
2010-01-08



 第8回(2009年)「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。
 なんかすごい読みづらい作品でこのシリーズでは最低じゃないかな。
 どこがミステリーなんだろうかってこと。 
 オリガミ,ってものを自分で想像して定義化しなければならないなどという面倒な作業も必要であった。
 なにより気味が悪い。
 気味の悪さというのは,恐怖,ホラー,であればいいのだろうが,生理的なものなのだ。
 私は本作品は人にお勧めできないな。
 ことほどさように文学賞というのは主観的なんだよな。
 まるでラーメンに好き嫌いがあるように。
 でも,本作のような生理的に嫌な感じの作品というのはきっと多くの人が嫌うに違いない。
 
 

13階段 (講談社文庫)
高野 和明
講談社
2004-08-10



 第47回(2001年)江戸川乱歩賞受賞作。
 今で言う3Dプリンターの技術が完璧にできているという想定だ。
 それがないと謎が解けないのだが,いずれにしろ佳作だ。
 刑務官の心理もよく書けている。
 この賞は新人賞的なポジションだが,本作は十分に成熟している。
 終盤バタバタしすぎだし,災害で崩れた寺院とか仏像の空洞とか無理もあるのだけれど,それはそれでミステリーだから許せるというもの。
 いやむしろこういう創意工夫がなければ,ミステリーは成長しないだろう。
 謎解きもなくいたずらに探偵役を犯人に仕立て上げる現代のミステリーのなんと多いことよとお嘆きの読み手には本作は珍しい本格ミステリーだということを記しておきたい。
 

永遠の仔〈上〉
天童 荒太
幻冬舎
1999-02


永遠の仔〈下〉
天童 荒太
幻冬舎
1999-02







 第53回(2000年)日本推理作家協会賞受賞作品。
 今問題の児童虐待が太い幹だ。
 時代の先取りとでもいうのか,いや20世紀末から,いやその前から,児童虐待は問題になっていたのだが,そのテーマがねっとりとこの物語をラップし,進行していく。
 主人公3人は,ジラフ(キリン,親から体中に根性焼きを受ける),モウル(もぐら,暗所恐怖症,性的不能者),ルフィン(ドルフィン,性的被虐待者)と呼ばれ,ジラフとモウルは男性,ルフィンは女性。
 そして,ジラフは神奈川県警の刑事に,モウルは弁護士に,ルフィンは看護師になる。
 たとえばジラフは


 梁平は落ちていたナイフの柄を手袋をした左手で掴み賀谷に迫った。
 賀谷は慌ててうつ伏せた。
 脇腹を警告なしに蹴り上げた。
 賀谷は悲鳴を発して背中を丸めた。
 無防備になった彼の頭を蹴ったからだ。
 頭を押さえると背中を尻を蹴った。


のような不良刑事だ。
 この三人はさる施設で生活しているのだが,その行事で登山したりする。
 そして

 少女とほぼ同じ背格好だが,輪郭に沿って淡黄色の光が放たれ頭部周辺は虹色の光彩に包まれている。
 少女は驚き両手を口元に挙げた。
 眼下に立っている,光る人,も顔と思われる辺りに両手を挙げた。
 「見て…」
 少女は光る人を指差した。
 光る人も少女を指差した。
 その手の先で一旦虹が散り,再び多彩な色が手の形になって結ぶ。
 少年たちもすでに光る人の存在に気づいている様子だった。


などという経験を積む。
 一体これはどういうことだったんだろうと思うのだが,これはこの小説の一つの香辛料ですなあ
 その施設は

 彼は淡々とした口調で「いつだって俺たちに良くしてくれた。訪ねて行くとニコニコ笑ってよく来てくれたねって美味しそうなケーキと香りの良い紅茶を出してくれた」
 優希は少しだけ顔を上げた。
 志穂が梁兵達にそんなことをしたことはないありえないことだった。
 (略)
 かつての第8病棟のやり方だった。
 彼らが知っている現実の志穂は双海病院を訪れた時の彼女だけだった。
 その志穂のことを話せば辛い過去へとつながってしまう。
 だから彼らなりの方法で想像上の家族を語り現実の悲劇から一時的に避難するように導いてくれている。


というような方法を取っている。

 「なんだよ,あれ」
 ジラフが指差し
 「竜…?」
 モウルは目を瞬いた。
 いきなりかなたの空で稲妻の走り,再び雷鳴が轟いた。
 海を渡っていた生き物が首をもたげて振り向いた。
 山の頂上にいる二人をじろりと睨み上げたように見えた 。


などという不可思議現象が現れたりもする。 
 しかしながらその不可思議現象はこの仔たちの夢なのだと思う。
 そうでないと読者が浮かばれない。
 




 第58回(2005年)日本推理作家協会賞受賞作。
 本作は精緻な時代考証,さらには海外(アメリカ合衆国)の事情をよく取材した後に書かれたものである。
 舞台はアメリカ合衆国ニューヨークシティー,時代は19世紀,日本のアメリカ使節団がニューヨークに到着する前後の事件関係について書かれているものである。

 「これを読んだ限りではさほどの難事件とも大事件とも思えないのだがね。与太者が深夜の倉庫で殺されて目撃者は浮浪者同然の酔っ払いだ。日刊紙なら駆け出しが受け持つようなネタだが,事のついでに聞いておこう。我々がこの事件を調べるとなるとその報酬はいかほどになるのかな」

 というようなアメリカ合衆国では些細な事件がきっかけとなり日本人にはあまり馴染みのない聖書の,ヨブ記,が一つのポイントになるのであるが,

 「(略)私のヨブ記の読み方はもっと単純と言うか表面的なもので日常のレベルでヨブ記にあって日本人にもあるものは何かということに尽きる。で,答えは早く言ってしまえば皮膚病ということになる」
 「皮膚病?肌の病気ですか」
 フレーリは目が見えない人のような表情をして右の手のひらで左の頬を撫で回した。
 「そういえば聖書には,ヨブは体中に腫れ物があったと書いてありますね。とすると日本人の皮膚病というのは何のことです」
 「疱瘡だよ。まあ他にも疥癬だの水虫だのを患っている者もいるらしいが」


 聖書の読み方ひとつにしても当時の日本人が疱瘡面であったなどということにつなげるあたりはなかなか面白い発想ではなかろうか。
 本作は二段組であり読了するには非常に時間がかかったが,最後まで飽きることなく読み通すことができた。
 非常に面白い作品であった。

秘密
東野 圭吾
文藝春秋
1998-09-01



 第31回(1985年)日本推理作家協会賞受賞作。
 それにしても同賞には様々な作品が現れる。
 今回は

 「藻奈美じゃないのよ。分からない?」今度は顔の筋肉が引きつり出した。
 それでもまだ平介は笑顔を保とうとした。
 「何をバカなことを言ってるんだ。ははは。早速お父さんがからかってるのかははは。はははは」


 というような助かったのは娘,亡くなったのは母親なのだがその娘の体に母親の魂が宿ったというシチュエーションで

 直子は指先を自分のこめかみに触れさせた。
 首を少し傾げる。
 「お父さん,私どうしちゃったんだろ」
 「えっ?」
 「私バスに乗ってたんだよ。お母さんと長野に行くはずだったのにどうしてここにいるのかな?」


 今度は娘の体に娘の魂が戻るというような幻想的な世界がキラキラと現れてくるのだ。
 この作品の読み方はそれぞれでいいと思う。
 心霊現象と考えるべきなのか二重人格の一つと考えるべきなのか。
 ただ作者が私たちを誘おうとするベクトルは間違いなく娘の肉体に母親の魂が宿ったということだったように思い,それだとすると男的には非常に悲しい話なのだがしかしながら 非常に複雑ではあるけれども 魂は母親であるにしても肉体が娘であるとするならば それはそれで娘の人生を突き進むということも必要だったのかもしれない。
 相変わらず本賞は常に日本推理作家協会賞と言いながらミステリーよりも不可思議な作品が多い。
 でも本作は一読に値すると私は思う。
 そして同賞の受賞作にもふさわしい佳作だと…。

ジェノサイド
高野 和明
角川書店(角川グループパブリッシング)
2011-03-30



 第65回(2012年)日本推理作家協会賞受賞作。 
 ジェノサイドとは大量虐殺のこと。
 ああ,それにしても本当に作家の頭の中の豊富なことよ。
 しかもやはり最高峰の賞だよなあ,読みながら唸り,読後も唸る。
 ただしですなあ,毎度のことながら,残念ながらミステリーではないのです。
 本格ミステリーを読みたいあなたには肩透かしかも。
 それはともかく

 「あれは脳に突然変異をきたした子供だ。だが障害児というわけではない。 遺伝子の変異が起こって我々よりも優秀な頭脳を獲得したんだ」

というしかけがこの話の基本になる。
 現代は科学が発達し,

 「20万年にも及ぶ人類の中で医学が未発達であった100年ほど前までは現世人類と著しく風貌が異なった新生児はどの文化圏でも 間引かれてきたはずだ。人為淘汰である。その中には進化した個体も含まれていたのでないか」

などという推論が導かれる。
 この推論通り本作は進む。

 「主治医となっていたユリ・サカイは孤児となった赤子を助けたいという一心で自分の娘として虚偽の届出をしたに違いない。その子供が頭部に先天的な異常をもっていたことも彼女の同情心を掻き立てたはずだ。ところが障害児と思われたピグミーの子供が成長とともに驚異的な知性を 発揮する」

 少々のサスペンスはあるもののその発想の面白さに脱帽である。
 自分の頭の中を自由に駆け巡る良質な小説は映画を凌駕するものではなかろうか。
 小説に立ち返った本読みの私は今そんなことを考えている。

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