スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年
著者: 阿部 珠樹
歴史上のスタジアムの情話。
スタジアムには、人のような存在感がある。
スタジアムは楽しい。
あるいは、楽しませてもらった。
それが、経営状態で消えたり新しくなったり、さまざまな歴史を私たちに見せてくれる。
確かに存在したのになぜなくなった。
そう思いたいのが、東京スタジアムだ。
この球場は、今でも語り草になっている。
あの「こち亀」にも出たほどだ。
ところで、東京スタジアムは、たった10年の命だったらしい。
私にとっては、少年時代の思い出だ。一回は本物を味わいたかった。
今でこそ、千葉マリンは超一流のチームになっているが、当時は、東京オリオンズといって、東京スタジアムを本拠地にしていた。
東京下町ということもあったのだろうが、土地の問題で、右中間左中間がまっすぐで、ホームランがとても出やすい球場だった。
そこで、東京オリオンズは、木樽、成田、小山という投の三本柱とアルトマン、ロペス、江藤という破壊力のあるクリーンアップを擁し、濃人渉監督の下、昭和45年、優勝を遂げたのである。
あのときの東京オリオンズは、既にロッテオリオンズと名前を変えていたが、本当に強かった。
あのチームが東京スタジアムでずっと続いていたら、本当に楽しかったろうな。
あのチームこそ究極のチームではなかったか。懐かしい。
去年の夏、東京スタジアムがあったらしい所を歩いた。観客席のない普通のグランドになっていた。
川崎球場も昔の面影がなくなった。だが、存在はしているらしい。
ここは、横浜ベイスターズが大洋ホエールズの時代の本拠地で、阪神タイガースが来ると良く見に行った。
川崎駅から歩いていくのが楽しかった。
ここも本当に下町という感じだった。庶民性が強い。
これらスタジアムの盛衰を経済とシンクロさせたのは卓見だ。
これほど大きな物体も、経済によっては、存在が危ぶまれるということ。
経済は、儲からないものを捨てるのである。
あの大阪ドームでさえ危なかったのだが、ネーミングライツなどでなんとか助かる運命らしい。
これからも多くのスタジアムを訪問したいものだ。