こんばんは。
気付けばもう9月。しかも1週間経ってしまいました。
夏休みは、一応9月いっぱいまでなので、もう半分を切ったことになります。
夏休みが始まってから今まで、結局特別なことというのを何もしていません。というわけで、あまり日記になっていないのですが、普段の生活から文学ネタに繋げてみたいと思います。

最近、バイト以外でしていることといえば、パソコンかベースか読書です。バンドサークルの練習でベースを弾いているんですが、そこでやる曲の中にビートルズがあります。

ビートルズと関連する最近のネタといえば、ノルウェイの森ですね。ビートルズの曲名からタイトルを取った、村上春樹原作の小説が映画化されるようです。

申し訳ありませんが、ここから長いです。暇な人だけ読んで頂ければよろしいかと思います……

ノルウェイの森は何度か読んだことがあります。何度読んでも、はっきり言ってプロットはつまらないと思います。わかりにくいとか登場人物が云々とか以前に、面白くないのです。

このような作品は、普通は大衆からは評価されません。メディアでノーベル賞候補だのと報道された影響もあってか、今では日本一売れた小説となっているらしいですが、実際、この小説を「面白かった」という感想を聞いたことがありません。逆に「意味がわからなかった」というものが多いのです。私もわかりません。恐らくわからないままだと思います。

何が言いたいのかというと、この作品の文学的価値は別のところにあるということです。つまり、言葉の選び方、場面の描写などです。具体的にここで書いてしまうとまだ読んでいない方に悪いのでそれは控えますが、私がこの作品をはっきり言ってつまらないと思いながらもたまに再読する理由はここにあります。プロットとは全く別のベクトルで、読む物を引き込ませる何かがあるのです。

ある意味で、彼はノーベル賞向きの作家なのかもしれません。ノーベル賞に限りませんが、純文学というのは全体のストーリーよりも心理描写や言葉選びに矢鱈と拘る特徴があるように思われます。そういう流れで彼が今までも候補となったと噂されたことは理解できます。しかし、美しい表現というのはもちろん大事ですが、あまりにもそこに偏重しすぎるのもどうかな、というのが私の正直な思いです。少なくとも、ノルウェイの森の評価でノーベル賞が決められてしまうのは……

この小説の本質に話を戻しますと、つまりは圧倒的に表現技法の面にウェイトが置かれているわけです。ここで映画化の問題が出てきます。売れるかどうかという問題は、正直映画の出来よりメディアがどれだけ反応するかにかかっていると言ってよいと思うのでなんともわかりませんが、先のことはわからないとはいえ、評価が高いものになるとは到底思えません。ストーリーがつまらない上に意味不明だからです。映画では原作の表現を再現するのは不可能と言ってよいでしょう。大きな改変を加えない限り、プロットで魅せることが無理とわかった以上、この映画が高い評価を得るには、映像で勝負するぐらいしかない(思うに、映画における映像、音が小説における描写に相当するのではないか)のではないかと思いますが、ストーリー無視で純粋に映像だけで評価された映画って、映画史上でもアバターぐらいじゃない?

まぁ、普通は映画にはしないような小説です。文学はいつまでも残るわけですから、ファッションみたいにムーブメントを追いかける必要なんて皆無です。だからこそ良いものは良い、と評価することもできるわけです。自分がもともと流行に乗らない性格だというのもあるのですが、今の人には、時代関係なく、良い書物と触れてほしい、文学は学者や文学部の学生のためではなく、人々のためにあるのだから、という願いを最後に今日の日記を締めたいと思います。現代思想も勉強していないダメ人間が一丁前に主張してみました。