あれから7年も経ったなんて。
7年前の今日のこと。朝の4時前、岡山の叔母から電話が入った。こんな時間の電話でおおよその察しはつく。「明日までもたないかも。早く来て」。覚悟はしていた。脳の収縮により全身の筋肉が少しずつ動かなくなる病のために、母の身体の機能は段階を踏みながら失われていた。まず、歩けなくなり、声が出せなくなり、起き上がれなくなり、寝たきりになった。8月に入ると、食べ物を呑み込む力を失い胃瘻に頼らざるを得なくなった。そして、ついに栄養を消化することもできなくなる。未明の電話はその最終段階に入ったことを意味していた。
朝イチの新幹線に乗るため、急いで支度をしていると、また電話が鳴った。危篤状態になったという。胸が締め上げられる。なるべく何も考えないように目の前の身支度だけに集中した。家を出る10分前に再び電話。たった今、息を引き取った、と。
この数日前、編集部のみんなが盛大な送別会を開いてくれた。抱えきれないほどの花束をもらい、リビングにはまだその大量の花の甘い香りが残っていた。うっとりするほどの花の香りと母の死。嗅覚と伝えられた事実が脳内で上手く処理できないでいた。
だから、命日にはたくさんの花の香りでいっぱいにしてあげよう。お別れに立ち会えなかったせめてものお詫びと供養に。
7年前の今日のこと。朝の4時前、岡山の叔母から電話が入った。こんな時間の電話でおおよその察しはつく。「明日までもたないかも。早く来て」。覚悟はしていた。脳の収縮により全身の筋肉が少しずつ動かなくなる病のために、母の身体の機能は段階を踏みながら失われていた。まず、歩けなくなり、声が出せなくなり、起き上がれなくなり、寝たきりになった。8月に入ると、食べ物を呑み込む力を失い胃瘻に頼らざるを得なくなった。そして、ついに栄養を消化することもできなくなる。未明の電話はその最終段階に入ったことを意味していた。
朝イチの新幹線に乗るため、急いで支度をしていると、また電話が鳴った。危篤状態になったという。胸が締め上げられる。なるべく何も考えないように目の前の身支度だけに集中した。家を出る10分前に再び電話。たった今、息を引き取った、と。
この数日前、編集部のみんなが盛大な送別会を開いてくれた。抱えきれないほどの花束をもらい、リビングにはまだその大量の花の甘い香りが残っていた。うっとりするほどの花の香りと母の死。嗅覚と伝えられた事実が脳内で上手く処理できないでいた。
だから、命日にはたくさんの花の香りでいっぱいにしてあげよう。お別れに立ち会えなかったせめてものお詫びと供養に。