叔母から電話があったのは2007年7月の初めの朝のことでした。母が入院したけど心配ないから、と、まずは安心するようにというのが第一声です。え? え? 状況が呑み込めないうちに安心しろと言われても……。
 要はこういうことでした。
 週末、一人暮らしをしている母のもとを訪ねたら、寝室の畳の上で母が倒れていた。それで、すぐに救急車を呼んで病院へ運んだ。診断は脱水症状による失神。すでに元気になっているが様子見のため、しばらく入院する。わざわざ岡山に帰ってくる必要はない、と。

 叔母は、母の妹にあたり、母とはやや年齢が離れています。むしろ僕との年齢の方が近いので、昔から、叔母を姉のように慕ってきました。母が一人暮らしを始めてからは、彼女はほぼ毎週、母の家というか自分の実家に足を運んでくれて、なにくれとなく面倒を観てくれていて、今回も、彼女の訪問があったので事なきを得たのです。本当に感謝してもしきれない、そんな思いでした。
 さて、来なくていいとは言われたものの、普通、駆けつける状況にあるわけで、電話をもらってから1時間後には新幹線に乗り込んでいました。安心、なわけないですもん。
 病室に入ると、母はベッドの上に身体を起こして、やや照れ笑いを浮かべていました。拍子抜け(笑)。「もう大騒ぎじゃ」と他人事のようなこと言って、周囲を笑わせてくれました。まったく、ウチのお母ちゃんときたら……。
 と、ひとまず安心したのですが……、あれ? と思うことが気になり始めます。
 まず、トイレにやたら行くのです。1時間に1回は行きます。排尿が上手くいかないのかな? そっちのほうも診てもらったほうがいいかなあ。もうひとつ気になったのは、お金のことでした。


 まとまったお金を肌身離さず持っていたがるのです。


 母は愛用のバッグを病室に持ち込んでいて(叔母が持ってきてくれたようです)、その中に20万円ほどの現金が入っていました。そこは市民病院の病室です。母のほかにも大勢の人が入院しています。いかに平和な田舎町の病院といえども、そんな大金を鍵のかからない部屋に置いておくのは慎むべきでしょう。
 その旨を話し、お金をこちらに渡すように言ったのですが、母はかたくなに拒否します。しかも、論理性は皆無で、イヤだの一点張りです。え? どういうこと? なんかヘンだし。かつての母はそんなことをするような人ではなかったし、理屈に合わないダダをこねる人でもなかったのです。
 ようやく胸の奥に、小さな不安の明かりが灯ります。もしかして、と思って実家の母の部屋を調べてみると、50万円ほどの現金が見つかりました。翌日、再び病院に行き、母にそのことを問い質しました。すると、電気代の集金とか、郵便局が来たりするから、とワケのわからないことを言います。そもそも電気代は口座引き落としのはずだし。

 認知症? いやいや、そんなはずない、そんなはずない、そんなはずは……。

 母の手元にあった20万円のうちの10万円をやっとのことで説得して預かり、先ほどの50万円と一緒に銀行に入金しました。母の通帳を手にした最初の出来事でした。今、その通帳は、この2年間、ずっと僕の手元にあります。


 母は倒れたとき失禁していました。衣服は叔母が洗濯してくれて、また倒れた場所も軽く拭き掃除をしてくれていました。でも、その現場、母の寝室は、むせ返りそうなくらいその臭いが立ちこめていました。温度も湿度も過剰なまでのその日、僕はその部屋の畳を、濡らした雑巾で何度も何度も何度も、本当に何度も拭きました。きっとそれは、臭いを消したかったんじゃなくて、今回のことが夢であって欲しい、無かったことにしたい……そんな思いだったような気がします。……2007年7月のことでした。