今朝、パタパタと慌ただしく長男が家を飛び出していった。驚くほどサマになっていないスーツ、寝癖のついた髪、そのくせ異常に真新しい鞄。どれをとっても新社会人のタグが貼られるに違いない。これで食パンを咥えて駅まで走れば、アニメの定番表現だなと思いながら、その様子をにまにまと眺めていた。が、自分が、どこか誇らしく、晴れがましい気持ちであることに気づく。彼が中学に合格したときも、大学に入学が決まったときにもこんなふうに感じたことはなかった。息子がやっとこちらの仲間になった、そんな思いからだろうか。

38年前、自身の社会人1年生のときのことを思い出す。就職して初めてのゴールデンウィーク、そう言えば親父は、帰省した僕にやたらと「仕事はどんなじゃ?」とやたらと笑顔で何度も聞いてきたっけ。あのときの父もきっと今の自分と同じ気持ちだったのだと思う。世代の受け渡し。人はこんな営みをずっとずっと続けてきたのだ。それは、晴れがましく、微笑ましく、細やかな希望と一抹の寂しさと、それらが適度に攪拌されたような感情だ。

父とシンクロする気持ち。その父のことを思い出す。

ちょうど12年前の今日、岡山市内の病院に、父を見舞いに行っていた。原因不明の貧血のため、精密検査のために入院していたのだ。病室からは中庭の貧弱な桜の木が見えた。満開の桜を見て、「来年も見えるじゃろうか?」とぼそっと父はつぶやいた。「何を言うとるん」と母も僕も盛大に笑った。でも、その30分前、担当医師からは父の余命は3か月から半年と言い渡されていた。不応性貧血という難病だった。医師の宣告通り、父はその半年後、還らぬ人となった。

臨終の3日前に父の見舞いに行った。そのときには、身体はツラそうだがまだ意識ははっきりしていて普通に会話ができた。危篤の報せを受けて東京からほとんどとんぼ返りで岡山に戻ったときには、会話などとてもできる状況ではなかったので、そのときが、10月の1日か2日だったと思うけど、父と最期に交わした会話になった。

もしかしたら父と会えるのはこれが最後かと思うと、なかなか病室を去りがたかった。そんな僕を見て、父はこう言った。
「もうええから東京に帰れ。おまえはここにいちゃあいけん」

「うん」としか返せなかった。

東京へ戻る新幹線の中、ジャケットでずっと顔を覆っていた。隣の席の人にはきっと気持ち悪かったと思う。


4月、桜が散り、そのあとに新緑が芽吹く。新しい季節、新しい世代。言葉にするとふっと消えていきそうなこの喜びを、来週、父の墓前に届けようと思う。みんな、頑張ってるよ。