或る大学生の読書ブログとウィーン留学記録|The Record of Wien and My Favorite Books

ふらふらした大学生のぶろぐです。趣味は、旅・読書・野球観戦です。 /// The Blog is written by an plain student. My hobby is TRAVELING/READING BOOKS/WATCHING BASEBALL.

昨年、日本で流行った言葉に「忖度」という言葉がありました。「忖度弁当」なんてものまで発売されているらしいですね笑。広辞苑には「忖度」とは『他人の気持ちを推し量ること』と書いてあります。この字面だけを見ても、普通の言葉に思えます。むしろポジティブな意味合いに聞こえます。他人の気持ちを推し量って、人間関係を築くことの、どこに悪しき慣習が潜んでいるのでしょうか。「忖度」にネガティブなイメージがついているのは、おそらく『他人(=位の高い人)の気持ちを(勝手に)推し量(って、社会や組織にとって正しいと思うことをしない/できない結果にな)ること』だという解釈が入り込んでいるからなのではないでしょうか。
まあ、でもここでは忖度が良いか悪いかを語りたいのではありません。正義を論ずる観点ならば、「忖度」をさせる社会及び組織が悪いとか色々とあるとは思いますが、私は何かを変えようという野望はあいにく持ち合わせていません。そういう意味では、多くの人にとっては、忖度の言葉の良し悪しはどうでもいいことで、目の前の他者こそ問題でしょう(こういう考えはポスモダ的ですかね...笑)。私がここで主題にしたいのは、まず本書でも取り上げられている「コード」(本書では、コードは「環境の「こうするもんだ」という、行為の「目的的・共同的な方向付け」」と緩やかに定義されています)なのです。例えば、「忖度」はこう解釈するものだ、という「コード」を付与した見方ですし、宗教的な儀礼やもっと卑近的な「就活で成功することは良いことである」というものの見方です。もう一つ例を出せば、イスラム教やヒンズー教では「左手は不浄」とされていますが(実際にはそこまで強い縛りではなく、「右手で食べること」を推奨されている程度らしいですが)、日本の「左」「右」の漢字の成り立ちを考えると、「左」の「工」は神具のことを差しており、「左」の意味するところは神具を持って神へお尋ねするということであり、日本あるいは仏教的な見方では左手も右手も神聖なものとされています。また、科学的に見れば、左手だけ細菌がうようよしているなんてことはないでしょう。このように文化や環境が違えば、言葉や現象の持つ意味が変わってきます。逆も然りでしょうけれども。


さて、前置きが長くなりましたが、私が今回紹介する本は、こうした環境の制約から解き放ってくれる手助けをしてくれるかもしれないものです(「脱コード化」と本書では呼ばれています)。他者とのコミュニケーション・摩擦、ひいてはそれが勉強するということの意味を導き出します。




まずポストモダン哲学の面白さを本書で紹介されている話からピックアップして書きたいと思います。本書はまず言語論から入ってきます。環境に合わせていることをここでは「ノリ」あるいは「ノっている」と称しています。空気を読むとも言い換えられるかもしれませんし、なんなら「忖度」しているとも言えると思います。相手がしたい話に合わせることです。これができないと周りから「浮く」ことになります。みんながみんな「浮く」経験をしたことがあるかどうかはわかりませんが、私は浮くことは多々あります。実は問題となるのは「浮き方」だと思われるのですが、まあそこら辺は追々。

そしてある「ノリ」からある「ノリ」へ移動する際の違和感(高校から大学へ入学したり、就職したりすれば、その空気感は変わってきますよね)を、本書は勉強するときの「慣れしたんだ概念」から「新たな概念」を身につけていくときの違和感に準えます。というのも前者の違和感では、言葉の使用法や言葉の帯びる意味が変わってきます。先の左手の例もそうですし、「笑いを取る」という行為も、芸能の世界では弱肉強食で大袈裟に言えば命をかけて笑いを取りに行くわけですが、普通のサラリーマンにとってみれば、それをプロフェッショナルにする必要はないわけで、その言葉や行為の持つ重みは変わってきます。そういった言葉あるいは言霊的なものを剥ぎ取った後に残るもの、あるいはもっと簡単に用法の違いを取り払ったものは純粋に言葉の意味するものが残ります。そこにはなんのイメージも付着していないものです。それを「器官なき言語」と呼びます。
経済学で言えば、経済学の「限界(marginal)」概念とは「何かを一単位増やしたときの変化」と定義できる(はず)ですが、一般的な限界(limit)とは明らかに用法が違います。こうした意味を剥ぎ取った後に残るのは、原始的なものだけが残るのです。

ここで言語使用の概念を追加します。言語は、
  1. 「道具的な」目的性を持った言語使用
  2. 「玩具的な」自己目的的な言語使用
の2種類に分けられます。前者は、「書類コピーしといて」などの道具の先にある行為を伴うような「合目的な」言語使用です。一方、後者はダジャレ・軽口などそれ自体意味を持たない言語使用です。この二つの概念の分類は私は非常にしっくりきていて、私は意図的にこの二つを使い分けることを身につけていますし、実際ある程度使い分けています。私は勝手にですが、言語学習には2つの方法を取る必要があると考えています。例えば他言語の会話の学習にも二段階あるはずで、「最低限の会話」つまり相手に意思を伝えることができる状態と「ネイティブレベルの会話」、相手の文化を知りその文化のツボを抑えて冗談も言えるような状態。私が英語を学習する際には、意識的に2つの側面から学習します。意思を伝える・意見を伝えるため(理解するも含めて)の訓練としては、自分の専門分野の学習を英語で読み書きし(最新の研究などはもう必然的にそうしなければいけないのですが)やプレゼンの仕方など。一方で、後者の会話はより高度で、日常会話をより洗練させるために海外ドラマや映画で言い回しを覚えたり、ジョークの元となっている事柄を調べたりすることになるでしょう。これらは日本語でも当てはまると思います。「玩具的な」言語使用としては、言葉の意味・由来に遡ってわざわざ調べたり、より面白い・相手を驚かせるような言葉の使用方法を探すために、芸能人の言葉の見方を学んだりして(今は芸能界から引退しましたが島田紳助の言葉のチョイスはすごいなといつも感嘆していました)、使えるように磨いていくことで洗練されるかもしれません。

で、本題に戻ると、勉強して境界を乗り越えることは、他ならぬ「玩具的な」言語使用、もう少しはっきり言えば、「器官なき言語」への意味の付与の作業を行っていくことなのです。先ほど「浮き方」こそが問題だと言ったのは、その意味の付与の仕方なのです。例えば、真面目に経済学の話をすることも「玩具的な」言語使用です。しかし、多くの人からは白い目で見られるでしょう。まあそれはそれでいいと思いますが笑。一方で、(真の?)ボケは他の人が考えつかなかった意味を言語に吹き込むことだと言えるでしょう。それと私たちのコードの乖離がちょうどよければ笑いにつながり、乖離しすぎたり、乖離が浅すぎると、スベることになると言えるんじゃないでしょうか。コミュニケーションを円滑に行うには、つまり、コミュニケーション能力とは後者の玩具的な言語使用をある程度自在に操れることと言えるでしょう。まあでも本書の本題は前者の玩具的な言語仕様で、もっと積極的に浮いていきましょう!ということなんですが笑。続きは本書を読んでください。




どうでしょう、哲学といっても正義や他者とは何かというような形而上的な話題をがっぷり扱うものもあれば、もっとファッション的に扱える範囲まであります。もちろんいくらファッション的に扱っても、そこには元となる哲学的背景を有していなければただの駄文になってしまうかもしれませんが。私は結構趣味的に哲学書を読むのが好きなので、現実のもやもやした部分を哲学は結構説明できると思うので、とても面白いと思うのですが...。ただ、もっと社会制度のことまで考え出すと、ヘーゲルの構築主義的な哲学やアンナ・ハーレントの法哲学が必要になってくると思います。本書の裏にあるのはジル・ドゥルーズやガタリの脱構築主義的な哲学で、個人的な考えでは個人の選好(Preference)や違い(Heterogeneity)の間にある違和感を説明する能力には長けていますが、制度や社会の構築には向いていない哲学だとも思います。脱構築は「玉ねぎ」のようなもので(どこかの本でこの例を見かけました千葉雅也さんだったか東浩紀さんだったかはたまた全然違う人だったか...)、どこまでも剥くことができて、しまいには中身がなくなってしまうような方法論をとります、脱構築という名の通り。結局、脱構築はどこかに拠り所を必要として、言葉の意味にしろ何でも「仮止め」を必要とします。そうしないと脱構築的なポジションを取ればすべての概念を破壊することができてしまうからです。そして、本書は勉強を自己破壊と捉え、渡り鳥のように仮の意味を付与し、そこから学びの森を広げて、その限界を感じたらまた別の場所に渡れば良い、それをもっと早く頻繁に行えば、勉強の効率も上がっていくという捉え方をしています。


(哲学系の新書といえばこれ。書評はこちら。)


(千葉雅也の代表作。もっと前に出ていたと思っていたのですが...、2017年にリメイクしたんですかね。)

構造と力―記号論を超えて
浅田 彰
勁草書房
1983-09-10

(幾度も私のブログに登場している日本におけるポストモダンの原点的な本。)

 
           
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