書評問屋

大学生も社会人になってしまいました。経済学に携わりながら、仕事をしています。主に書評を書いています(このブログは個人的な考えのみを書いています)。関心分野は経済学(Econometrics, Bayesian, Macroeconomics, IO, Machine-Learning)、哲学(ポストモダン)、社会・文化、歴史、物理学、小説・随筆などなどです。





いわゆる、FTPL(Fiscal Theory of the Price Level: 物価水準の財政理論)の日本語で(おそらく唯一の)教科書。一般的には物価を決定するのは、中央銀行による金融政策だと理解されていますが、政府と中央銀行を親会社と子会社の様に捉えられるのではないかという着眼点に基づいた理論です。その様に捉えれば、物価水準の決定メカニズムは金融政策ルールと財政政策ルールの双方に基づいて、決定されることになります。

一般的には、貨幣は自動的に政府に対する請求権にはならないし、政府への請求権(国債)が自動的に中央銀行への請求権にもなりません。仮に、政府と中央銀行の関係性が企業間関係と同じであれば、中央銀行も政府の債務履行を支援するはずですが、中央銀行の場合、政府による中央銀行への意思決定の介入は厳しく制限されていることが多いです。これは制度的には中央銀行の独立性と呼ばれている、日本銀行法で1997年制定された文面が根拠になっています。参考までに、各国が中央銀行の独立性を獲得した年度の表を下記に挙げておきます。これをみると、オーストラリアやアメリカなど古くから、独立性を法律の根拠に基づいて、明記していた国もあれば、イギリスやカナダ、日本の様に最近法律に明記した国々もあります。ここら辺は、慣習法と大陸法の文化の違いなどもあるのかもしれませんが、この法律明記は中身とはまた別の話になってきます。


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(M Arnone, B.J. Laurens, and J. F. Segalotte, "Measures of Central Bank Autonomy: Emipirical Evidence for OECD, Developing, and Emerging Market Economies" [2006])

というのも、中央銀行の政治的・経済的独立性を評価して、プロットした以下の図表を見ていただくと、わかる様に、実態は大きく違うことがわかります。早くから独立性を明記していたイタリアなんかは、1991年の時点では経済的独立性が著しく制限されていたことが一目瞭然です。また、1991年のプロットと2003年(updated)のプロットを比べると、多くの国の中央銀行は独立性を獲得したことに対して、日本はいつまでも政治的独立性が中央銀行に与えられていないことがわかります。とりわけ、日本銀行とNZ銀行(ニュージーランド銀)の政治的独立性はかなり低いです。この事実は、NZ銀が早くからインフレターゲットを導入していたこととも無関係ではない様な気がしますが、どうなんでしょうか。

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(M Arnone, B.J. Laurens, and J. F. Segalotte, "Measures of Central Bank Autonomy: Emipirical Evidence for OECD, Developing, and Emerging Market Economies" [2006])

このように現在のメジャーな理論では、金融政策の有効性は、財政政策とは切り離されて議論されていますが、実際には金融政策と財政政策のポリシーミックスである中で、両者を切り離して考えられるのかという疑問が出てきます。政治的な誘因としては、中央銀行をある程度コントロールしたいという動機があります。また、ECBがリーマンショック後のギリシャをはじめとするヨーロッパ通貨危機ののち、政治的コントロールを強めざるをえなくなったケースもありますし、上記のOECDの評価で政治的・経済的独立性が高かったとしても、それは完璧な分離を最高位に設定した分類というわけでもないでしょうから、このOECDの報告書を額面通りに受け取ることもできません。

論理的に考えても、政府の国債発行は中央銀行への請求権である貨幣で履行しなければならない。しかし、政府には債権者が債務者のオーナーの権利を接収するという意味での破産の制度がなく、またそれによる債権者の利益もないので、デフォルトはないのです。さらに、中央銀行の資産構成として大部分が国債で占められているので、政府あるいは中央銀行片方の信頼が揺らげば、もう片方も揺らぎ、デフォルトしないのならば、もう片方もデフォルトはしえないのです。




このFTPLの問題設定は非常に妥当なものです。そして、FTPL的な考え方というのは、
  1. 政府の財政政策のルールに関して何らかの法則性を見出せる
  2. 将来時点で政府がどのような財政行動をとるか、という点に対する認識/予想が形成されていると想定する
この2点がFTPL的な考え方の前提になります。この1番目の財政政策に関するルールというのが、有名な「リカードの等価定理」に準えて、「リカーディアン型財政政策ルール」と「非リカーディアン型財政政策ルール」の2種類になります。金融政策の有効性を全般的に認めている経済学の標準的な理論では、暗黙裡に財政政策を「リカーディアン型財政政策ルール」であると想定しています。上記の二つのルールをまとめると、以下のようになります。

「リカーディアン型財政政策ルール」「非リカーディアン型財政政策ルール」
政府像財政収支の穴を埋めるべく、増税や歳出削減に積極的具体的な定義なし
財政余剰不足への対応高い財政規律(現在または将来の増税)弱い財政規律(インフレ課税)
金融政策面中央銀行の高い独立性独立性は必ずしも高くない
(本書より)


より明確な定義や導出は、本書を見ていただきたいのですが、例えば多期間での標準的なリカーディアン型財政政策ルールでは、
  • (時点tにおける財政余剰の平均からの乖離)= rb * (実質国債残高の平均からの乖離)
とした時に、
  • | rb -1 | < 1; リカーディアン型財政政策ルール
  • | rb - 1 | ≧ 1; 非リカーディアン型財政政策ルール
と定義されます。


この財政政策ルールと金融政策ルールとしてTaylor Ruleを考えれば、財政政策ルールと金融政策ルールのマトリクスが考えられます。この結果、FTPL理論からは以下の二つの政策が導かれます。
  • 金融支配的な政策:リカーディアン型 × Active Monetary Policy Rule (Taylor Rule)
  • 財政支配的な政策:非リカーディアン型 × Passive Monetary Policy Rule (金利硬直的なルール)
そして、一般的には前者の金融支配的な政策が一般的であり、後者がFTPLや財政ファイナンスなどの従来は危険性が高いと判断され、避けられてきた政策です。また、これ以外のケース、つまり「リカーディアン型 × Passive Monetary Policy Rule」あるいは「非リカーディアン型 × Active Monetary Policy Rule (Taylor Rule)」の場合、経済は発散・不安定化することが理論上導かれます(正確には、解析的に一意な解がもとまらない)。



さて、では、日本の財政政策ルールは「リカーディアン型("Passive")」なのか「非リカーディアン型("Active")」なのでしょうか。もっとも、最近の文献では、Doi(2018)が Markov Switching Modelを用いて、検証しています。Doi(2018)では、Davig and Leeper(2007)にならい、

$\frac{T_{t}}{y_{t}} = \alpha_{0}(S_{t}^{F}) + \alpha_{1} (S_{t}^{F}) trend_{t} + \beta (S_{t}^{F}) \frac{b_{t-1}}{y_{t-1}} + \gamma_{y} (S_{t}^{F}) \frac{y_{t}}{y_{t}^{*}} + \gamma_{g} (S_{t}^{F}) \frac{g_{t}}{y_{t} + \sigma (S_{t}^{F})} u_{t}$,
(数式はパソコン画面でしか写りません...)

という財政政策ルールのモデルをMarkov Switiching Modelでシュミレートしています。また、

$r_{t} = \alpha_{M0}(S_{t}^{M}) + \alpha_{M1} (S_{t}^{M}) trend_{t} + \beta_{M} (S_{t}^{M}) \pi_{t} + \delta_{y} (S_{t}^{M}) \frac{y_{t}}{y_{t}^{*}} + \delta_{e} (S_{t}^{M}) ex_{t} + \sigma_{M} (S_{t}^{M}) v_{t}$,

という金融政策ルールのモデルをMarkov Switching Modelでシュミレートしています。この結果、アベノミクス期間の財政政策ルールは"active"ではないが、「非リカーディアン型」であるという結果が得られています。どういうことかといえば、統計的に「非リカーディアン型財政政策ルール」が"active"であると有意にはならなかったが(つまり、non-passive)、アベノミクスの間はこの「非リカーディアン型」に準ずるものであったということになり、財政収支均衡へのcommitmentは見られなかったということになります。一方、金融政策ルールはnon-active、つまりTaylor Ruleに従わなかったということになります。したがって、アベノミクスの間はFTPLの文脈では「財政支配的な政策」出会ったということになります。

ただし、FTPLでは、Backward Inductionで考えており、無限期間後の終局面の条件としてno-Ponzi Game Conditionを想定しているので(ネズミ講の回避)、上記の結論にはシニョレッジも含めた統合政府が政府債務を最終期には完済することを前提にしています。



最後に、FTPLの解釈による政策の問題点を少し挙げておきます。FTPLでは、財政政策が放漫的(非リカーディアン型)となりうることを想定しています。しかし、著者の渡辺努も指摘していますが、そもそもこの点が現実的に達成されうるのかは怪しいところです。その点も含めて、
  1. 放漫的な財政政策の実施の可否
  2. 放漫的な財政政策が仮に実行されても、国民の期待がそれに合わせて動くかは不明(国民の期待がリカーディアン型財政政策ルールへの回帰を予想していれば、効果はなくなる)
  3. 法律・制度的な問題(法律の変更による経済厚生の悪化)
などが挙げられます。

このように問題はいろいろありますが、FTPLの視座それ自体は興味深いものだと思います。少し注視してみるのもありかと思います。



【オススメの三冊】

入門 公共経済学
土居 丈朗
日本評論社
2002-11-01

(Ponzi-Game Condition などがわからない人は、ここら辺で攫っておくのが良いかもしれません。)


(渡辺努の著作。最近はミクロデータとマクロ経済の接続に興味があるみたいです。私の書評でもカバーしています。書評はこちら。)



(岩村充の著作。実は本書の第1章の金本位制あたりの議論は、仮想通貨の議論ともシンクロしているところがあります。)
 
           
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