書評問屋

大学生も社会人になってしまいました。経済学に携わりながら、仕事をしています。主に書評を書いています(このブログは個人的な考えのみを書いています)。関心分野は経済学(Econometrics, Bayesian, Macroeconomics, IO, Machine-Learning)、哲学(ポストモダン)、社会・文化、歴史、物理学、小説・随筆などなどです。




前回に引き続き、一橋大学経済研究叢書シリーズです。経済学に馴染みのない人からすれば、家計消費、と聞いてもピンとこないかもしれませんが、マクロ経済学の中では歴史も古く、伝統的な分野です。古くは、Fisher(1930)の利子率の概念、M. Friedman(1957)の恒常所得仮説まで遡ります。消費理論と一口に言っても、多岐にわたり、Marketingなどの分野では、Lancaster(1975)などが本格的な分析の始まりになったりしますが、マクロ経済的な関心で言えば、「家計(Household)の消費傾向を探り、経済全体のダイナミクスにそれがどの程度影響を与えているのか」という点を明らかにしていくということであると思います。そこで、先に出てきた恒常所得仮説というのは、家計は恒常所得だけに影響を受けて、毎期の消費を決めているという仮説です。この仮説を満たしているか、満たしていないか、という点だけで、何十年も争っています。
経済学にあまり関心のない人は、そういう話を聞いて、何が面白いのか、と疑問に思うかもしれませんが、まあそんな早計に考えないでください。よくよく考えてみれば、経済学というのは人間を扱っているために、自然科学ほどメカニックに考えることができません。かと言って、数学で記述してみると、案外それが説明できたりするのです。結論を先取りすれば、実は恒常所得仮説はマクロデータでみると、ある程度成立していることが示されています。それに、その数学的記述の進展は、そのテクニカルな部分だけでも十分面白いものですし、時代が経つにつれ、傾向が変わってきたりするものです。また、家計消費の分析は、データ整備と歩みをともに進めてきたところもあり、阿部先生が書いているように、「煉瓦を積む」ような膨大な研究の成果が積み重なって、今のフロンティアがあります。もちろん、データ整備も経済学者と行政の協力のもとに進む仕事ですから、先人たちの見えない努力が注がれているわけです。経済学という歴史の浅い学問の中では、歴史を感じられ、なおかつ、未だにメインストリームとしての研究が進んでいる珍しい分野とも言えるでしょう(マクロ経済学は私の認識では、目下数値計算的な手法があまねく広まり、1970, 80年代とは大きく異なる分野になっています)。




本書では、後書きにあるように、合理的個人の仮定に基づいた研究のみを扱っています。その意図は、非合理性を扱う行動経済学の発展を楽しみにしつつも、「非合理性という概念がなければ説明できない経済現象がどの程度あるのか」未知数であるから、としています。私も全く同感です。行動経済学は非合理性を扱い、あたかも経済学が今までの合理的個人の仮定の失敗を認めたかのような認識をされる方が多いですが(2017年にリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞してから、更にそういう意見が増えたと思います)、その非合理性の概念の設定は非常に難しいと私は考えています。
例えば、初めての海外旅行に行くときというのは、誰しも不安なものだと思います。そういうときは、海外保険を高めのものに設定するでしょうし、テンションが上がって高いレストランで食事をしたり、ぼったくりに会うかもしれません。その結果、帰国後は予算制約上、節約をする、なんてことは経験ある人も多いのではないでしょうか。このうち海外旅行での大幅な出費は、本来の効用を考えれば、非合理であるかもしれませんし、高額な海外保険はリスクを考えても不必要だったかもしれません。でも、1年単位の家計消費でみると、帰国後は節約をしているわけですから、結果的に合理的な消費計画になっていることが多いと思います。こういう粗いデータでは、一時の非合理性はかき消されてしまうのです。
他にも、奢りの文化というのが日本では根強くあります。一見、非合理ですね、この文化も。しかし、これを世代間移転として捉えると、最も若い人と最も老いた人を除けば、「奢る金額」と「奢られる金額」の差額分しか、消費計画上、変化はありません。つまり、人は過去の奢られた経験から今期も一定程度奢ってもらえると期待して、年下に奢る、という半分合理半分非合理的な判断をしていると捉えられなくもないのです。そして、それは世代別のマクロデータでみると、「奢る金額」と「奢られる金額」がほぼ等しければ、消費計画としてはほとんど影響を与えないということになります。
何を言いたいかというと、その時々の判断が非合理なものであったとしても、知らず知らず、人はどこかでその非合理性を調整している可能性もありますし(罪滅ぼし的なのもそういうものでしょう)、データとの兼ね合いで非合理性が打ち消されてしまうことも考えられるのです。目的にもよりますが、国の大きな指針を打ち出すような場合には、マクロデータで十分ということもあると思います。一方で、企業のマーケティングレベルや地方自治体の施策、国の施策でも必要に応じて、ミクロレベルのデータが必要になります。こうした時に、非合理性の検討の必要性は顔を出したり出さなかったりします。昨今は、マクロデータでは捉えきれていなかった、分散の大きさを考慮するために、ミクロレベルのデータを積み上げて、マクロデータとの違いをみるという研究も出てきてしますし、データの重要性が増しています。ミクロレベルのデータでみると、非合理性や異質性は見えやすくなりますが、そうなると複雑度が増しすぎて、理論ではモデリングでカバーしきれないなんてこともあるかと思います。そこら辺は、結局兼ね合いなのだと思います。
それに、最近の便利性の向上で、人間は徐々に合理的になっていってしまうのではないか、とも考えられます。例えば、コンビニなどで「募金」などもお釣りが余ったから、財布にお釣りがたまるのが面倒くさくて、募金するという人もいると思います。しかし、決済が全て電子マネーに置き換われば、逆にお釣りをわざわざ募金するのに手間がかかるので、コンビニなどでの募金をする人は大きく減少するのでは?とも考えられます。そうすると、「募金」という非合理な行動も過去の遺物になってしまうかもしれません。
ですので、「非合理性がある」というのは最もだと思いますが、「で?だから何?」という話も多々あるので、その扱いには気をつけなければいけないのだとも思います。最も、そういった現状の非合理性の曖昧な扱いを打破する大理論が出て来れば(若しくは、私が知らないだけで、もうあれば?)、話は別なのでしょうが...。
あと、最後に行動経済学でよく言われている「ナッジ」などは、その合理性と非合理性の境界線の問いを回避しています。人間は非合理的であると仮にするならば、行動を変えるわずかな一押しを加えれば、人間の行動に変化が生まれるのではないか?という議論展開です。実際に実験を行い、これを証明するという流れかと思います。これだと、そもそも人間は合理的か非合理的かという問いを避け、この点では人間は非合理だったという立証ができます。ですから、もともと抽象度を高くしているマクロ経済理論では、合理性の仮定をどれだけ緩めなければいけないのかは非常に微妙になってきます。そして、ナッジの例としては、例えば、臓器提供のドナーなどがあり、欧米やアジアなどの他国では「臓器提供の意志がない」ことにわざわざチェックをしなければいけません。一方、日本では「臓器提供の意志がある」ことにわざわざチェックをしなければいけません。この「わざわざ」をする人、しない人、にバラツキが大きく出るため、人間は非合理性を持つという話になるのです。ただ、人間とここまで代表的個人を想定していますが、人間は多種多様でその「わざわざ」を忠実に実行する人もいるわけです。人間の異質性というのはまた別の話になってきて、必ずしも同種の人間が合理的非合理的に行動を変えるのか、という問いがまた残ります。




さて、前置きが長すぎて、本題が割を食っていますが、家計消費についても少しお話ししたいと思います。本書のいいところは、少し古臭くても、理解に役に立つ概念や理論もしっかりカバーしてあるところ、そして式の導出が非常に丁寧な部分だと思います。
例えば、第1章は、効用関数の定義(CRRAやCESなどのホモセティックなものからストーン・ギアリー型なども含めて)や動的最適化のための技法として、Dynamic ProgammingとBackward Inductionをしっかり扱っています。例えば、ノースウェスタン大学の松山公紀先生とP. Ushchevの研究では、Beyond CESということで、マクロの標準的なホモセティック関数の前提条件を緩めて、柔軟な関数を使ってみるのはどうか、という議論もあります。



家計消費の最近の分野で、最も多産な分野のひとつに、個人の異質性を考慮した Heterogenous Aganet Macro Model あげられると思いますが、そうしたHetero Macroの何が優れているのかといえば、不完備市場(incomplete market)の考慮が大きな功績かと思います。いわゆる、DSGEやRBC Modelは、モデルのセットアップ上、代表的個人の仮定+完備保険市場を前提にしなければなりませんが、Hetero Macroはその仮定を取り払い、予備的貯蓄(Precautionary saving)の考慮を可能にしました。完備保険市場の前提というのは、経済全体に対するショックを除いたあらゆるリスク(失業や病気など)へ完全に保険をかけることができるという仮定をおくことです。こうした保険をArrow-Debreu債権と呼び、Arrow-Debreu均衡が完備保険市場では成立していることが証明されています。予備的貯蓄を考えると、ライフサイクルのプロファイルの乖離が説明できたり、従来考えづらかった激しい所得格差を説明できたりするなど、モデルの柔軟性を高めることに成功しています。この結果、消費・所得のライフサイクルプロファイルの研究や、所得格差・貧困、社会保障などの研究が、Hetero Macroでは盛んです。例えば、北尾早霧先生の一連の社会保障と財政分野での研究結果では、日本は今の年金・医療保険制度の規模を維持するには、消費税は40%ほどの税率が必要であるとシミュレーションされています(年金改革と個人年金勘定)。ちなみに、所得税や法人税でこの税源を賄おうとすると、オーバーシュートしてしまうそうです。


また、個人的に興味深かった話が、国民経済計算などの季節調整済みのデータ(X-ARIMA12に基づくものなど)や時間集計データは、前後数年間の数値で調整されているので、実証分析上、不都合が生じるという点です。多くの実証分析では、SNAなどの国民経済計算がベースになっていることが多いのですが、そのとき季節調整済みデータでは一時点の消費データが自己相関してしまっているため、条件付き期待値をとると消費のマルチンゲール性が満たされず、計量分析結果はバイアスを持ってしまう、というのです(Sims[1993])。実際には、多くの実証分析は季節調整済みデータを使うことの危険性を議論せず、黙秘して分析していますが、このバイアスの程度などはまだまだ明らかになっていないようです。私たちは、SNAやGDPなどの加工データを安易にVARやVECMなどにかけることには慎重になるべきでしょう。



以上、個人的に関心を持っている家計消費分析の点について、述べてみました。専門書ですが、経済学の奥深さを味わえる良書だと思いますよ。ただ、個人的には、あわよくば、MSM(Method of Simulated Moments)とかの詳しい解説は欲しかったですね...。最後の章のScanner Dataなど、ミクロデータの話は、阿部先生の最近の研究を参照すると、より面白いかと思います。


【オススメの三冊】
21世紀の不平等
アンソニー・B・アトキンソン
東洋経済新報社
2015-12-11

(ちょっと違うかもしれないですが、不平等関連なら...。)


(時系列解析がピンとこない人は、本書を読みましょう。)


(パネルデータ分析の理論なら。)
 
           
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