2006年11月

2006年11月28日

京都紅葉紀行

11月28日(火)
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明け方まで降っていた雨がからりと上がり、予報を覆す晴天!
青い空、暑いくらいの陽射し、格好の紅葉狩り日和。
東寺→大徳院高桐寺→大徳院芳春寺と、今が盛りの紅葉を堪能!鮮やかな色彩が、瞼に焼き付きました。

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2006年11月27日

京都きもの紀行

f1d27dd1.jpg11月27日(月)

(ライトアップされた永観堂の紅葉)
着物の鈴乃屋の招待旅行。M子と二人、絶対買わないと誓い合って出かけたのだが、みやこめっせの展示会場で、白い桜の花びらを控えめに散らした藍染めの着物を纏ったとき、私は鏡に釘付けになった。
読んだばかりの『氷点』の「よそおい」のシーンが蘇る。
そこには、結核の療養を終えて、8年ぶりに辻口病院に帰って来る眼科医村井を、院長である夫とともに駅に出迎える夏枝のよそおいについて描かれている。
「夏枝は下着から着物まで真新しいものをつけていた。村井がふたたび辻口病院にもどると知ってから、ひそかに調えておいたものである。羽織のひもも、下駄も真新しい。それが村井に対する夏枝の心であった。・・・・・・深い、あい色の対の着物と羽織に白いレースのショールが、夏枝の美しさをきわ立たせていた。」
そう、それを読んでから、私の潜在意識の中にあい色の着物がインプットされていたのだ。
それから1週間も経たぬ間に藍染めと出会うとは!
比較検討をと、会場を回ってはいるものの、もう他のものは目に入らない。
そこへ、珍しくパフォーマンス学の佐藤綾子さんから電話。今、京都にいて、気に入った着物に出会って困っていると言う私に「好きなものがあったら買っちゃいなさいよ。一生懸命働いてるんだもの。あと何年生きられると思ってるの!」ああ、なんでこんな時にこんな電話が!?
ダブル綾子に後押しされて遂にお買い上げ!ああ、綾子が悪い!夏枝が悪い!村井が悪い〜い!・・・サインを終えて、M子の携帯に電話してみると「私、やっちゃった!」あ〜あ、二人の誓い、二人で破れば怖くない!?

夕食あとのツアーは、永観堂のライトアップ。雨上がりの池に靄がたちこめ、もみじの葉陰に浮かぶ月・・・まさに夢幻の世界!

そのあと二人でこっそり出かけた祇園。通りすがりの芸子はんに、女ふたりでも安心なお店は?と尋ねたら、案内してくっれはって、静かなカウンターで3人でカクテル飲んで、芸子裏話を聞いてたら、目を見張るような美人の芸子はんが一人で飲みに来はって、そのひととも楽しゅう話して、着物姿と京ことばのはんなりした美しさにうっとり。ほんまにええ思いさせてもらいましたわあ。
ちなみに、芸子はんの着物は、すべて自前とか。「今日、展示会で3枚も買うてしもて、どないしょ〜。」と君鶴はん。心の底に、少しばかりの痛みとうれしさを秘めた東女に京女・・・祇園の夜は更けていきますう・・・。

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2006年11月23日

恩師を囲んで

11月23日(木)

同級生経営のうどん屋で、嶋崎先生を囲み、同級生4人でランチ。
そこで、放送部の同期の自殺の話を聞いた。お金が原因。
もう止めて!そう叫びたい。
同期の自殺は、もう10人近い。
「お金のことくらいでどうして死ぬの?みんなに言ってくれたらなんとでもな      
るのに。」銀行支店長代理の友人が言った。

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2006年11月20日

ようこそ先輩(テレビに出ない版)

b31bc9d3.jpg11月20日(水)

待ちに待った嶋崎先生は、白い車を運転し、颯爽と校門を入っていらした。
とても78才とは思えない。
青春の全てだった雄山高校放送部の先生との卒業後初の再会の舞台が、母校だなんて、神様は、最高のセッティングをなさる方だ!
13:45、体育館に集まった全校生徒の前での講演がはじまった。
タイトルは「言葉からはじまる世界」
熱烈に願うこと。周り中に発信すること。そこには必ず道が備えられる。
いつもクリーンな心でものを見る。悪い言葉に惑わされるということは、そのクリーンな水を濁すこと。
まっすぐ前を向いて、良い言葉を発し続けて。
周囲のごくわずかな人の反応に気を取られない。人生を長いスパンと広さで考える。など、母校の後輩達に語りたいことはいっぱい。

自殺多発地帯なのだ。後輩には、とにかく、希望と愛を持って生きて行って欲しい。

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2006年11月09日

水面に思う

11月9日(木)11/9_111/9_2

大好きな水上レストランで、友達を待った。大好きなボサノバが流れていた。
待ち合わせの相手は、高橋満里子さん。私が最初に所属したTTBで、一緒に電通のディレクターからCMのノウハウを教わった同期生だ。
この世界で一番長いおつきあいと言っていいだろう。その彼女、私の講演や舞台には、必ずかけつけてくれる。「平家夢幻」など、13年前の初舞台、今年の春、秋と、3回も!それぞれチケットを買って・・・。ありがたいな〜、ずっと見守り続けてくれる人。
私は、誰かのそ、んな存在になれるのかしら?

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2006年11月08日

デートコース

1709bc2c.jpg11月8日(水)

母の車椅子を押して、病院の庭に出ました。
11月とは思えないジリジリと焼け付くような陽射しが、赤く染まった葉を更に輝かせます。
「こんないいところがあるのに、なんでお父さんとのデートのとき、思いつかなかったのかしら?」と、母は真顔でいいました。

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2006年11月05日

十五夜に逝く

eb6d5fa5.jpg11月5日(日)

「シティーホール富山」青いイルミネーションが夜空に浮かび、その上に、少し赤みを帯びた
十五夜の月が浮かんでいた。
14年間の闘病の果てに79才で逝った叔父の通夜を見守っているかのような満月だった。

「14年の闘病は、不幸と言えば不幸かもしれません。でも、彼は私に愛する力を与えてくれました。楽しい日々でした。」叔母(父の妹)の謝辞が涙を誘った。

勉強も運動も1番でなければ気が済まなかったという勝ち気な叔母は、当時の県内の女学校からお茶の水へ進学(当時の富山では異例だったろう)、高校教師になった。見合い結婚した相手もまた、県内トップの進学校の教師。勝ち気同士、お互いぶつかることも多かったようだ。
ところが、叔父が65才の若さでアルツハイマーを罹った後、二人の関係は、暖かいものに変わって行った。叔母の心に無償の愛が育まれていったのだ。「愛する力」とは、そのことだろう。「楽しい日々でした」・・・そこまで添い遂げてこそ夫婦なのだろう・・・独り身の私が、想像の中で考えつつホールを出たとき、昔ながらの路面電車が、静かに通り過ぎて行った。


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2006年11月03日

祝福の結婚式

c5a7dcd2.jpg11月3日(金)

代官山にある東京バプテストチャーチの美しい会堂に、ゴスペル界の大御所
ラニー・ラッカーの素晴らしい賛美が響きました。
続いて私が聖書朗読「ふたりはひとりよりもまさっている。
ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、
ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
もし、ひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。」伝道者の書4章9節〜12節です。
牧師の永遠に愛し合う大切さについてのメッセージのあと、新郎新婦は互いに向かい合い、
それぞれ自分の言葉で誓いを交わし合いました。
ひとこと、ひとこと、ゆっくりかみ締めるように・・・。
それは、お互いを、神からのギフトと信じる感謝と喜びに溢れていました。
新郎は、OKEIKOに通う、だんな雄作。新婦は、同じ教会の絵本作家、田代知香さん。
出席した同級生たちも、初めて見た本物のチャーチウエディングに
「良かったです〜!」と絶賛!中心に神という絶対的存在を持つ二人の、
祝福に満ちた素晴らしい挙式でした。

それにしても、全ての演出を自分でして、ギリギリまでTシャツ姿で汗だくで
飛び回っていた新郎雄作さん、ほんとうによくやりました!誓いの言葉の声の響きもグーでした!

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2006年11月01日

身近な製品の危険

11月1日(水)

数日前、弟から「1日のクローズアップ現代に出る。」とのメールが届きました。
彼からのメールは、いつも1行。「どんなテーマなの?」と問い返しても、返信はなし。
今日、新聞の番組欄で初めて「事故多発!身近な製品の危険」というタイトルを知りました。

弟たち志を一つする弁護士団が、製造物による事故の被害者の泣き寝入りを防止するため、日本にも製造物責任法をと、アメリカへ視察に出かけ、国会に提案し、PL法制定にこぎつけたのは、1995年のことでした。
しかし、情報開示が義務づけられた今も、事故件数減少には至っていないといいます。
情報開示が先延ばしになっている間に、相次ぐ同種の事故・・・。「速やかに生の情報を!」と訴える弟の声が企業に届くことを願わずにはいられませんでした。

放映後、私に届いたメールのほとんどは、「響きのある声、滑舌がいい」「はきはき家族!」
など、声に関するもの。中に一通だけ「情報開示は、重たい課題。企業防衛の前で如何に対処するか・・・」という意見が。送り主は、会社役員でした。

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