2006年12月

2006年12月29日

母天国へ

8c9b14ab.jpg12月29日(金)

「お花が見たい」と言っていた母の遺骨は、今、沢山の花に囲まれています。
2年8ヶ月の寝たきりの生活から解放され、今、天国の花畑を蝶のように飛び回っていることでしょう。

22日23時30分、母は天に帰って行きました。

その前日21日、レントゲン撮影の結果、母の肺炎はほぼ回復しており、声にも随分元気が戻っていました。
そこで、Drの合意の上、私は10日に父が脳梗塞で入院したことを報告しました。父が来なくなったことを寂しがっていた母に「お父さんもこの病院に転院するといい?」と尋ねると、「来なくていいよ。私が先に退院したら、お父さん、寂しいでしょ。」と答えました。
そこで、聖書の詩編107を朗読、父が心砕かれ、聖書の言葉に耳を傾け、口から出るのは感謝ばかりの人になったことを伝えると、「神様だねえ〜。明日お父さんの見舞いに行くわ。」と安堵の表情で言いました。
それが、私が聞いた母の最後の言葉でした。

翌日、なんの苦しみもなく、自然に血圧が低下し、天へ旅立って行ったのです。
きっと自由の身となって、父のところへ立ち寄ったのでしょう。

26日、私の所属する日野キリスト教会で、愛と慰めのうちに告別式が行われました。
全て教会員の心からの奉仕により行われる葬儀は、本当に暖かく、感謝でいっぱいでした。

母の受洗は、頑なな父の反対によって、延び延びになっていました。
ですから、いつか来る告別式を教会で行うには、あまりにも障害がありそうでした。
ところが、ここ2週間の目まぐるしい変化により、こんなにもスムースに、父の了解のもと教会から送り出すことが出来たのです。「明日のことは思い煩うな。」ですね。

父の病にもやはり意味があったのだということが、今解りました。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・・・・・・・・・・・
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(聖書 伝道者の書3:1〜2,11)

私が両親の病院を行き来することに対し、気遣って下さった多くのみなさま、ありがとうございました。
父は、とても順調で、母のことも冷静に受け止め、リハビリに励んでいます。
私は、葬儀の翌日から、近々転院するリハビリ病院の見学や打ち合わせに奔走。悲しみを感じる暇がありません。全て、備えられていたことなのですね。感謝のひとことです。

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2006年12月20日

幸せです!!

12月20日(水)

ゴルフ用品のラジオCM。
昔の「歌うヘッドライト風に・・・たばこを吹かしているアンニュイなキャリアウーマン風に・・・ディレクターの演出は、想定外。
しかし、思いっきりその気になって演じきる楽しさ!発散した!
仕事がストレス解消になるなんて、私は、なんて幸せものなのだろう。

そして、ブログを見たという人たちから続々届く手紙やメール。
「最善を尽したいと思うとき、病院の壁は大きい。強いね、啓子さん。頑張れ!」
「 本当にお父様が最悪の状態で倒れられたのではなくてよかったですね。
病気になったときは、これで済んでよかったんだ。と思うことが大事だと私が入院していたときの先生がおっしゃっていました。」etc・・・
そして、みなさん、私の身体を気遣って下さっている。
本当にありがとうございます!

会いに行けば、そこに父、母がいるということ。
楽しめる仕事があるということ。
そして、何より応援して下さるみなさんに恵まれているということ。
私は幸せです!!

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2006年12月18日

Red Pepper Shose

c53b5026.jpg12月18日(月)

藤野(母の病院)→日野(実家)→八王子(父の病院)今日もよく動いた。
これからはフットワーク!病院の近所でこんなボアつきスニーカーをみつけた私は、飛びついた。とうがらし効果でぽかぽか暖かい・・・そうだ。

父が脳梗塞を起こした直後、母は肺炎(「お父さんが来てくれてうれしかった〜」朦朧とした中、夢見心地に言っていた)てんやわんやの一週間だった。

父が転院したK脳神経外科病院の主治医からMRI画像を見せられたとき、私は愕然とした。脳の真ん中、脳管にサッと走る真っ白い線!父の脳梗塞は、命綱を直撃していたのだ。
「もう少し大きかったら即死でした。意識障害が出なくて良かったですね。」
倒れたのが病院で良かった。ウイークデイ、もし、自宅で一人で倒れていたら・・・と思うとゾッとする。
「もしH病院で拘束していたら、未然防止出来たのでしょうか。」と尋ねると、Drは「そんなことはありません。大きくなるときはなりますからね。」「初めからこちらへうかがえば良かったのではと、責められるものですから。」「責める人がいたら連れて来てください。僕が説明します!」「いえ、自分が責められているということです。」
Drのきっぱりした言葉に気持ちが少し軽くなった

しかし・・・「病院にいて悪くするなんて、何?慶応病院ならすぐ直してくれるよ。」「府中病院という手は気づかなかったの?」人の言葉は様々。

「〜なら良かったのに。」この言葉は禁句だということを、今、学ぶことが出来た。

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2006年12月12日

父までも!

c16bb7b2.jpg12月12日(火)

朝8時半、黄色く熟れたル・レクチエを剥こうと、ナイフを持った途端、電話が鳴った。
日曜日に父が入院したばかりのH病院のドクターからだった。「お父様が、今朝6時に看護士が巡回に行ったら、ベッドの横にうずくまっていらして・・・脳梗塞の発症です。右手足が麻痺しました。K脳神経病院に電話しましたが、治療法は同じということですので、こちらで点滴治療を続け、落ち着いたらリハビリをさせていただきます。」
愕然とした。
日曜日、歩き方がおかしいのに気づき、拒否する父を強引に近所の病院へ連れて行った。
(脳梗塞では?一刻も早い方がいい。母の脳出血の経験から、私は敏感になっていた)
CTには何も表れなかったが、脳梗塞の症状とのことで、即入院(「なぜ、今夜入院なんだ!」とまたしても抵抗する父だったが)点滴治療に入った。あとで映像に出て来ることがあるとのことで、翌日もCTを撮ったが、異常なし。「一過性脳虚血発作」でしたね。良かった!」というDrと共に喜び合ったばかりだったのに・・・。
妹と弟に電話したものの、うまく話せない。自分がいかに動揺しているかが分かった。

病院にかけつけると、右側は完全に感覚を失い、発音も不自由になった変わり果てた父がベッドに横たわっていた。
毎日規則正しく睡眠を取り、歩き、健康そのものだった父の、初めてにしては重すぎる病気だ。「おかあさんには・・・」と、左手でバツを描く。
その足で母の病院へ。士長さんのやさしい励ましに目がウルウル。洗面所でしばらく涙を拭い気持ちを調え、母の病室に入った。
母は、微かに微笑んだものの元気がない。何かを察知しているのだろうか。[お父さん、風邪引いたから、しばらく来ないように言ってあるの。」この嘘がいつまで続くのか。
先週まで毎日見舞っていた父と、今度はいつになったら会えるのか・・・切ない。

父の病院へ戻ると、父は「おかあさん、左で、おれは右」と、たどたどしく言いながら笑った。
一緒に笑いながら、気丈な人だと思う。かつて父が落胆する姿など見たことがない。
最善が成りますように!神に祈りつつK病院に転院希望の電話をした。やはり、同じ治療なのでそちらでとのことだったが、K病院の一流のリハビリを受けたいと強く頼むと、Drの態度が一変。「そんなにおっしゃるのなら、今日でも明日でもいらしてください。」ああ、感謝!
明朝、救急車で転院ということになった。

神のご計画には、全て意味がある。
そして、試練とともに、脱出の道を備えて下さっている。
この信仰がなかったら耐えられないと思う。
「転院は、僕が車で送りましょうか。」牧師さんの言葉がうれしかった。

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2006年12月04日

母校高校生からの手紙

12月4日(月)

先月講演した、母校の富山県立雄山高校から封書が届きました。
感想文だ!講演後、最もうれしい瞬間です。
その一部をちょっとご紹介します。

「自分の仕事に誇りを持っていて、大好きで仕方ないと思うのは大事だと思います。
私も自分の好きで仕方ないことを将来の仕事にしたいです。今日の講演を聴いて本当に良かったと思いました。」2年女子

「言葉一つで誰かの夢に希望を与えたり勇気を与える素晴らしい物だと思った。当たり前に話しているけど、これからは大切にしたいです。」2年女子

「中村さんのお話の中で、自分の外見にコンプレックスがあって、いつも内向的だったとおっしゃっていて、私と一緒だとびっくりしました。私も同じようなコンプレックスで、何かにつけてそこで卑屈になって自分を出せないところがあるので、共感しました。話を聞いて、折角の高校生活をもっと明るいものにしなければと思いました。今日の話を聞いて、自分の悩みも後になれば大した事がないものになるのかなあと思いました。」2年女子

「思い続ければ願いは叶うんだなあと思いました。あたしも、自分の夢は諦めずに思い続けようと思いました。声のきれいな人は、心も美しいのかなと思いました。話をされている時の中村さんは、とても輝いて見えました。この人は、自分の夢を叶えれて、本当にこの仕事が好きなのかなあと思いました。あたしも、自分のことについて輝きながら話せるような人になりたいです。『どうせ』と思うのはもうやめようと思いました。友達はずっと大切にして行こうと思いました。一生懸命生きて行こうと思いました。常にクリーンでいようと思いました!!
いろんな事に感謝して行こうと思いました。人は変わる事が出来る。いい話が沢山聞けた。
明るくまっすぐに自分を好きになる。こんな人になりたい。」3年女子

当日は、無表情な生徒たちに、伝わっているのかしらの?思ったけれど、ちゃんと私の言いたかったことを聞き取ってくれていたようです。行ってよかった!

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2006年12月03日

極める

12月3日(日)

NHK国際フィギアスケート「エキシビジョン」に釘付けになった夜でした。
表現するということ、それを極めるということの素晴らしさ!

「極める」と言えば、今、真っ先に思い出されるのは、富山県警山岳警備隊の椙田正隊長。
NHKのプロジェクトXをはじめ、数々のテレビ番組、新聞などで、もうおなじみの顔です。
登山家の間では「落ちるなら富山側に落ちろ!」という合い言葉があるというほど、国内トップレベルの山岳警備隊。そのトップに立つ彼と私は、母校雄山高校の同級生です。
11月22日夜、講演とラジオ出演を終えた解放感の中、彼と、もう一人、職場を休んで一日中私の足となってくれた親友きっこちゃんでお寿司を食べに行きました。(富山のお寿司は最高!)
大の山好きで高校時代、山岳部の訓練に熱中した椙田さんは、素晴らしい大自然の中で仕事したいという、その思いだけで山岳警備隊に入ったのです。
でも、いくら好きとはいえ、命がけの危険な仕事。プロジェクトXのスタジオで「遊びに行って遭難した人を命がけで助けるということをどう感じますか?」という質問に対し、彼は即座に答えました。「命の大切さに変わりはありません。」
お寿司を頬張りながら「滑落するときって、その一瞬の間に、今までの人生のことがサーッと目に浮かぶんだよ。」なんて笑顔で話しているけれど、今までどれだけ死ぬほどの思いをしてきたことか。それでも彼は言うのです。「俺は本当に幸せだよ。人生に悔いはないね。いつ死んでも満足だよ。」いつか立山で会ったときも同じことを言っていた彼は、命をかけて人を救い出すことに心からの喜びを感じているのでしょう。決して出世したいなどとは思わなかったはず。ただ、夢中で命を救っているうち、その道を極めたのです。高校時代とは別人のような風格ある笑顔。彼が電話のため席を外したとき、3人の板前さんが一列になり、うっとりした表情で言いました。「かっこいいですね〜。」
人を魅了するオーラ・・・それは、何かを極めたことの証なのかもしれません。

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