2007年09月

2007年09月30日

雨の黒部湖

867ab130.jpg9月30日(日)

目覚めれば雨・・・それでも広大な山の緑を眺めながらの朝風呂は格別!
チェックアウト後、室堂立山センターで働く絹ちゃんのところへ。彼女は、別名立山の母と呼ばれる有名人で、マスコミにも何度も登場している。
その飾り気のなさ、口の悪さの奥にある人への本当の意味で思いやりの深さにはいつも脱帽している私。
お茶をごちそうになりながら、職場でのハプニングの話題に大笑いしたあと、私以外は全員富山側へ下りて行ってしまった。
黒部湖側へ下りて信濃大町から帰るのは、私ひとり。
雨の黒部ダムをひとりで歩くのは寂しいな〜と思ったが、いざ到着すると、この景色に感動!
以前、嵐の中を吹き飛ばされそうになりながらここを歩いて室堂を目指した思い出が蘇る。あのときは、絹ちゃんがゴム長とカッパを持って室堂駅へ迎えに出てくれたな〜。
あのときに比べれば、風もない今日の雨など苦にならない。
それにしても、私には雨の中を一人歩くシーンが多すぎるような・・・。

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2007年09月29日

雲の上の人に

a8fd7a5a.jpg9月29日(土)

海に浮かぶ島・・・に見えますか?この写真、実は、上も下も雲!
午後4時半、立山連峰天狗岳から見る雲海が茜色を帯びはじめました。
私はこのとき、雲の上の人に!
紅葉が一番きれいな時期に弥陀ヶ原ホテルで会おう!もう随分前からの約束でした。
でも、自然は予測不可能。暑かった今年、標高3,000メートル近くまで登っても、まだ木々の葉は色づいていません。
それでも、湖面に鏡のように山を映すみくりが池、硫黄の噴煙たなびく地獄谷、そしてナナカマドの真っ赤な実が美しいなだらかな道が蛇行する天狗平など、久々にふるさとの山を歩けば、
身体中の細胞が喜んでいるような気がします。ハイキングの途中で立ち寄る山小屋では、オーナーになった同級生がおいしいコーヒーをごちそうしてくれたり・・・。
高校時代はお互いシャイで話したこともなかったクラスメイトたちも、ここまで(?)来ればさばけたもの。
学生時代よりずっといい顔になっている人たちを見ると、顔には、その人の人生が表れるものなのだということを実感します。
下界に瞬く市内の夜景を見ながら、時にはこうして俯瞰で日常を見る時間も必要だとつくづく感じたひとときでした。


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2007年09月25日

おもてなしの心

4d07fe32.jpg9月25日(火)

気が合った3人が、年3回、それぞれの誕生日を祝うランチをすることになって、もう随分になる。
こうして元気でまた新しい年輪を刻むことが出来ることに感謝!
今回の幹事は私。かねてから行ってみたかった東京ミッドタウンのガーデンテラスにあるフレンチのお店JJを予約した。

初めて入った店内は、真っ白なテーブルとイスが庭園の緑との美しいコントラストを見せていて、思わずワーッ!と声をあげてしまった。
サービスをするウエイター達がまた感じいい。
会話が弾み、美味しいブイヤベースに舌鼓をうちながらも、予約の時お誕生日スペシャルはないか聞くのを忘れたことが悔やまれる。
トホホ、なんか抜けてしまう私・・・。
さて、いよいよデザートタイム。と、なんと、主役のケーキには蝋燭が立てられ、お皿にはフランス語のお誕生日おめでとうのチョコレート文字が!
私たちの会話を聞いてのとっさのおもてなしだったのだ。
どんと晴れ!!

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2007年09月22日

負うた子に教えられ

9月22日(金)

代々木駅で総武線を降り、階段に向かって御歩いていたときのこと。
ホームで立ち尽くしてあたりを見回しているおばあさんのもとへ、階段を降りかかった女性が戻って来ました。
「どちらへいらっしゃるんですか?」30代でしょうか、その美しい笑顔とおばあさんのホッとした顔・・・
心温まる思いで階段を降りようとしたとき、下から、重そうなバギーをやっとの思いで持ち上げて上って来る女性。
その前を2才くらいの男の子がヨチヨチ登っています。
手伝おうかしら?そう思ったときでした。黒いパンツ姿で颯爽と上って来た女性が、手すり越しにグイッと手を差し伸べました。
日本人・・・まだまだ捨てたものじゃないな。スタジオへ向かう足取りが軽くなりました。

今日の仕事は、医学ものCD-ROM。
アメリカトップのがんセンターによる学会発表の日本語訳62ページです。
男声K君、女声私というキャスティングは、もう10年近く変わっていません。
K君は、彼が俳協へ入って来た時私が指導を担当した元生徒です。
スタジオへ入るやいなや、「昨日Kくん、何時間かかりましたか?」と聞く私に、
「4時間半でした」とディレクター。
「ええ〜!が、頑張らなくちゃ」と言ってはみたものの5時間かかってしまいました。(予定は8時間半でしたが)
「負けたー!」と言う私にディレクターは「Kさんは、前の日6時間練習して口がガクガクになったと言ってましたよ。」
と笑う。
ひたむきな練習か・・・脱帽でした。
原稿もこんなに膨大な量になると、喉が疲れるのでつい、目だけでの下読みとなります。
しかし、目では読めても声に出すと以外にも難しい言葉があるもの。
今回で言えば「単純子宮全摘出術」摘出手術なら言い慣れているのだが、手がないだけで読みにくい。
しかし、そのあとに出て来る「頸部円錐切除術」や「公汎子宮全摘出術」は問題なく読めるのですから、単純から子宮への唇の動きが難解なのかもしれません。
なんて、分析している場合ではなく・・・こういう時には、とにかく、口が慣れるまで読んでみること。
K 君はそれを6時間もかけて行っているのです。
こういうひたむきな努力が、仕事を次に繋げているんですね。
負うた子に教えられ・・・気を引き締めさせられた一日でした。

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2007年09月20日

夏の秋

3ae292b7.jpg9月20日(木)

いつまでもいつまでも暑さが続きますね。
通りすがりの垣根に朝顔がまだ生き生きと咲いていました。
蝉もジイジイ鳴いて・・・
夜には流石に鈴虫の音が聞こえますが、窓を全開にしていても汗ばみます。
異常気象・・・地球はどうなって行くのでしょう。
そして、日本は?
最近、周囲を見渡すと、一番身近な家族愛がどこかへ置き去りにされているように感じます。
人々が異常気性にならないようにと祈るばかりです。

☆愛はどこから始まるのでしょう。
 家庭からです。
 家族がいっしょに暮らしている家庭から、愛は始まるのです。
 子どもたちが
 家庭を愛するこころを持てるようにつとめましょう。
 たくさんの時間を家族と過ごすように。
 もし、人々が本当に家庭を愛するならば、
 多くの過ちが避けられるでしょう。☆
                マザー・テレサの言葉です



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2007年09月15日

私のために!?

9月15日(土)

今日のナレーション教室OKEIKOに撮影隊が入りました。
また首から下?って?いえいえテレビ番組の取材ではありません。
11月の私の誕生日パーティーのために、生徒有志が、ビデオ制作を始めたのです。
最初は、ハンディーカムで撮影していたのですが、指導を仰いだプロの監督が、いつのまにか
中心になって下さり、今日も素晴らしいカメラとマイク持参で本格撮影!
忙しい中、人のためにこんなに一生懸命になれるなんて、素晴らし!
私には出来るかしら?と、いろいろ考えさせられました。
とにもかくにも、人の為にこんなに尽せるなんで素晴らしい!

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2007年09月14日

こだわりの人その2

9月14日(金)

今日のビデオの仕事は、こだわりの女性監督からのもの。
私がお世話になっている監督のうちこだわり派ベスト2が、奇しくも2日続いたことになる。
ナレーションの仕事も長くなると、ほとんど読み方はお任せくださる監督が多いが、この人の場合は、そうは行かない。
オープニングからいきなりダメが出た。「もっとゆったりやさしく。」調子がOKになったら今度は発音「人材の発音がおかしい」
何度プレイバックしても私の耳には、正しく聞こえる。こういう場合には「問題点はどこでしょうか?」と尋ねることにしている。
「ザが違って聞こえるの」「ザ」?今までザの発音が問題になったことはないし、苦手意識もない。
でも、そう感じるのならと、「ザ」をはっきり発音すると「意識しすぎ」
テイク4に突入した。
こんな時、相手と対峙してはならない。
彼女は、私を責めているわけではない。良い作品を作りたい一心なのだ。だって、私を選んだのは彼女なんだもの。
あくまでも相手に寄り添うこと。同じ方向を見つめること。
冷静に対応するうち、問題は、「ザ」ではなく次の「イ」ではないかと気づく。的中!「イ」を普段よりはっきり発音したとき、OKが出た。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し・・・」聖書の言葉が浮かぶ。
試練にあったとき、私たちは神と対峙してはならない。神はひたすらより良くしようとなさっているというこを信じ、同じ方向を見つめることを忘れないようにしたい。
寄り添って生きる!これに勝る平安はない。

それにしても、昨日と言い今日と言い、私ののんびりした性格は、役立ってるなあ。
昔はものすごくコンプレッックスに感じていたんだけど。

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2007年09月13日

こだわりの人その1

9月13日(木)

今日は、つくばへ遠征。
ビデオ「茨城県指定無形民族文化財・上山川諏訪神社太々神楽」のナレーション録りだった。
文化財を撮るなら岩崎さんだと聞いて・・・と、クライアント結城市教育委員会の方々に言わしめる、茨城ビデオパック、岩崎社長は、こだわりの人。
もう10年近くお世話になっているが、その妥協を赦さない姿勢には敬服する。撮影された映像のワンカットワンカットに執念さえ感じられるのだ。
今日のビデオに関しても、ほとんど資料がないところから、ひとつひとつ検証して、まるでその道の研究家にような原稿を書き上げるに至った。
それだけに、録音に際しても、終わり時間未定と覚悟を決めなければならない。
今日は、茨城でみつけた小さな秋を写し、ポエティックなブログをと出かけたが、スタジオから出たときには、あたりはすっかり夜の帳に包まれていた。

それにしても、ここ3週間の私の移動距離は、どのくらいになるのだろう???

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2007年09月06日

激流を渡る

9月6日(木)

台風接近の中、裾野のハーベスト・タイムでの番組収録は無事終わり、ゲストのピアニスト小堀英郎さんとともにスタッフの車に送られ三島駅へ到着。
と、そこに立ち尽くす人の波!新幹線がストップしたのです。
ハーベストに電話すると、流石に素早い対応!近くのビジネスホテルは満杯とのことで、御殿場のホテルをゲットして下さいました。
ラッキー!プロデューサー、ディレクターとともに美味しい夕食をごちそうになりながら話が弾みます「一寸先は闇なんていいますけど、一寸先は光ですね!」と。
10人は泊まれる大きなお部屋に落ち着いた私は、友達に「これから温泉です!」とルンルン気分でメールしたものです。
その先に何が待っているかも知らず・・・。
小一時間、ゆっくり入浴を楽しみ、階下へ降りてびっくり!なんとそこは土砂で埋まっているではありませんか!
従業員からお部屋の方へはもう行けないので、フロントから帰って下さいと言われ、「ゴム長貸して下さい!」と頼んでどうにか(温泉の)フロントへ。
ここからどうやって帰ればいいんですか?と聞いた私に「そこからから出て左へ行ってください」と指差されたのは土砂降りの表。
「外へ出るんですか?」と驚いたものの「じゃ、もう一度ゴム長貸してください」というと、「それを持って行かれると困るんです」と、貸してくれたのは、ゴムサンダルとビニール傘。
当然、そう遠くないのだろうと覚悟を決めて歩き出したその敷地の広いこと!
川のような道をジャブジャブ歩き、ようやくホテル前の橋に差しかかったとき、そこは何と激流と化していました。
ここで転んでは大変と、右手で浴衣の裾をつまみ上げ、左手で欄干につかまりながら必死でその流れを渡った私・・・。
辿り着いたホテルのフロントには誰もおらず、持っていたバスタオルで足を拭き、裸足でペタペタ部屋へ帰って浴衣を脱いでみると、背中まで泥んこ。
シャワーを浴びながら、何のための温泉だったのかと・・・。でも、心は驚くほど平安。
そこに暖かい寝床が待っていることがわかっていたからでしょう。天国が約束されている平安とはこういうことなのかもと思わされました。
それにしても、あんなに距離があるのがわかっていたら、車を出してと要求したのに・・・。温泉の従業員も、初めてのことに動転していたのでしょうか。
翌朝、小堀さんに見てみてと案内され、階段に行ってみると、2階の踊り場まで土砂が!自然の威力の凄まじさを目の当たりにしました。
ちなみに、前夜私より1時間早く温泉へいらした小堀さんは、何事もなくお部屋へ帰られ、朝風呂に行こうとして仰天なさったのだそうです。
自然を侮らず、早め早めの対応を!教訓になりました。
この話、誰にしても「笑っちゃ悪いけど」と爆笑するんですよね。 

それにしても被害甚大のホテルがお気の毒。復旧を祈るばかりです。

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2007年09月03日

学問のすすめ

9月3日(月)

ハーベスト・タイム中川健一牧師が、毎週メールマガジンを発行なさっています。今日は、8月31日号の一部をご紹介しましょう。
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■ 最近考えたこと「学問のすすめ」

 今年の夏、普段余りできない読書を楽しみました。
 『学問のすすめ』は、かの有名な福沢諭吉の著書です。より詳しく言うと、これは明治5年2月から同9年11月までに出版された17編の小冊子からなる著述です。
福沢はこれらの著述を39歳から43歳の間に書いています。
 この書は当時の日本人に熱狂的に迎え入れられました。初版だけで20万部売れたと言われています。
当時の日本人口が3,500万人程度であったことを考えると、これは大ベストセラーです。
この書が歓迎されたのは、「学問が大事だ」という当時の社会背景があったからです。
明治維新直後の日本は、いかにして欧米の列強諸国の植民地とならずに独立国家としての国造りをするか、という課題を背負っていました。
手っ取り早いのは軍備増強ですが、それにはお金がかかります。
福沢が主張した方法は、「学問」を通して国民全体が知識を深め、列強諸国に侮られないような民力を身に付けるというものでした。
それは、個人の立身出世のための学問ではなく、日本という国の将来を切り開くための学問の提唱でもありました。

 精神科医の和田秀樹が『新・学問のすすめ』(07年7月、中経出版)という本を出しました。もちろんこれは、福沢諭吉の『学問のすすめ』を意識した書名となっています。
和田秀樹は、平成の『学問のすすめ』を執筆し、日本の愚民化を阻止する必要性に迫られたのでしょう。
 この本の論旨は、明確です。
 国民の学力とその国の国力との間には相関関係がある。日本も、今のような学力ならば、やがて中国や韓国よりも優れた製品を作れなくなる可能性がある。

 99年以降の国際的な学力調査、特に数学では、日本は中国、韓国、シンガポール、香港に勝ったことがないそうです。
また、現在の日本では、中学2年生の40%が、学校外で1秒も勉強していないそうです(学校内でも勉強しているかどうか疑わしいというのが実情でしょう)。
 さらに和田は、リーダーを選ぶ基準が崩壊していることも指摘しています。
 かつて首相を務めた人たちは、秀才の中の秀才であった。しかし最近では、世間一般よりも多少頭がいい程度の人が首相になっている。
これでは、日本が外交における勝利を収めることは難しい。
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午後、テレビ朝日「責任者はおまえだ!」というクイズ番組の出題の仕事に向かいました。9月21日(金)20時〜22時の特番です。
私が、出題の最後に必ず「超簡単!」というナレーションをつけるほど簡単な問題。答えるのは、今人気のタレントたちです。
収録は深夜に及び、中央道を走る帰りのタクシー中「学問のすすめ」の文字ばかりが頭に浮かびました。

ハーベスト・メールマガジンのお申し込みは、harvest@par.odn.ne.jp へ。どなたでもOK,受信無料です。

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2007年09月02日

小林恭治さんを偲ぶ会で掴んだもの

9月2日(日)

朗読の師、小林恭治さんが脳動脈瘤破裂で逝ってしまわれて半年・・・。
俳協 朗読研究会「とるばとおる」主催で偲ぶ会を執り行いました。
生きていらしたら、明日3日が76才のお誕生日です。

私が俳協に入ってまもなくのこと、NHK「ウルトラアイ」など、第一線で大活躍中の恭治さんに
「ナレーションの勉強をしたいのですが」と相談したところ
「ちょうど若手を育てるためのナレーション研究会を作ろうという話が出てるんだよ。一緒に勉強しよう。」と、お誘い下さいました。
大先輩が、20代の後輩に対して「一緒に勉強しよう」とおっやるこの言葉の選び方に、私はまずすごい人だ!と感動したものです。
それほどに繊細でやさしい方でした。
さて、最初はナレーションの授業でスタートした研究会でしたが、間もなく「舞台に立たなければ本当の読みは体得出来ない。詩の朗読会をしよう」
との恭治さんの一声から朗読集団「とるばとおる」が発足したのです。
さあ大変!アナウンスブースの中だけで生きて来た私は、まるで金魚鉢からいきなり大海に放り出された金魚のよう。
人前に立つのが怖くて、恥ずかしくて、右往左往。そんな心の状態で、観客に詩の心が通じるわけがなく、それをまた肌で感じ・・・。
ステージが終わる度に泣きました。思い起こすに、歴代のメンバーの中に、あんなに泣いた人を他に見かけたことがありません。
あるときは、出番を終えてステージから降りると、楽屋に恭治さんの声が響き渡りました。
「啓子くんはどこだ!?」「なんだあの表現は!『小さな手』だと!?」苦々しそうに私の口まねをなさるのです。
着ていたシャツを叩き付けるように脱ぎ捨てながら・・・。頭から湯気とはこのことだと思いました。
そんな私が、第1回から最終の第22回講演まで最も長く、多く舞台に立ち続けたにですから、驚きです。
今、私は、詩の朗読をこよなく愛しています。とるばとおる解散後も、学校、少年院、病院で、人へ直に伝えることの喜びを感じています。
そんな中、詩の朗読CDとエッセイのCDブックスも出版されることになり、その準備が始まりました。
一人の人との出会いが、人生を変えるものなのですね。
以前朗読した本間日臣先生の「若き医学徒へのメッセージ」の中に「生きるとは、人に影響を与えること」という言葉がありました。
恭治さんは、まさに今も私の中に生きていらっしゃるのです。

後輩からの要望で、私は偲ぶ会のステージで宮沢賢治「詠決の朝」を朗読しました。
不思議な感覚でした。会場の人達の暖かい思いに包まれ、まるでみなさんと一緒に読んでいるかのような極上の気分を味わったのです。
そして、これが、朗読なのだと実感しました。声は一人でも、心では一緒に読む。朗らかに読むと書いて朗読ですものね。
恭治さん、偲ぶ会で私はようやく掴みました。この感覚を!ありがとうございました。

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