2010年02月

2010年02月12日

愛されて、信じられて

亡き母の親友から手紙が届きました。
ふるさとの北日本放送での私の朗読を聞き、ゆっくりと楽しい時間を過ごせたという内容です。
「『喜美ちゃん(母の名)、聞いてますか?啓子ちゃんの放送ですよ』と何回もラジオに呼びかけていました。『私の家は何やらわからんちゃ。風呂からも廊下からもアクセントの練習ですちゃ』と言っていた喜美ちゃんの言葉が忘れられません」
84才の母の友人が便箋2枚にびっしりしたためて下さった文面から、ありし日の母の声が聞こえて来るようです。
母は、ピュアという言葉を地で行くような人でした。人を疑う姿も、嫉妬する姿も見たことがありません。
私がアナウンサーになりたいと言えば、疑うことなく一緒に夢見、弟が弁護士になりたいと言えばまた一緒に夢見る人でした。
そんな頭で?そんな器量で?とは思わなかったのかと不思議です。
「娘がアナウンサーになりたがってて」を発信し続ける母の前に紹介者が表れ、私は短大卒業と同時にナレーター事務所に所属しました。ナレーターという仕事があることも知らずして。
弟も大学卒業の年にすんなり司法試験にパスしました。なんだかあっけないくらいの出来事でした。
先日、叔母が言いました。「あなたは、両親のたっぷりの愛情と立山の自然に育まれたのね」
母の子育ては「愛すること」と「信じること」ただそれだけだったように思います。
ふるさとからの便りを手に、シンプルに愛されてよかったなと、母への感謝が胸に溢れたことでした。

timesignal_117 at 23:39|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2010年02月04日

「ハーベスト・タイム」最終収録

3年2ヶ月アシスタントを務めたキリスト教テレビ番組「ハーベスト・タイム」が、3月を持って放映を終えることになり、今日が、その最後の収録でした。
(番組自体は、24年続きました。すごい事です!)
収録終了後、サプライズの為にスタッフが超特急で編集したスゴ技の舞台裏DVDを観賞。これには、もう全員涙涙でした。
(私の演技過剰リアクションは、大笑いされましたが)
その後、スタッフ全員での打ち上げを終え、感謝と心地よい疲れのうちに帰宅したところです。


ここからは、深夜の書斎での回想です。
2006年暮れから、私は静岡県裾野市にあるハーベスト・タイムの自社スタジオへ月に一度通い、1日で1ヶ月分の番組(30分番組4本)を収録してきましたが、はじめの頃は、大変でした。
ずっとナレーション畑だけで仕事してきた私にとって、テレビカメラの前での緊張感は並大抵のものではありません。
足を斜めに流してきれいに座るという慣れない姿勢を一日続けると、もう形状記憶体に!身体の筋が斜めに突っ張り、辛いのなんの。アフターケアのマッサージ代が嵩んだものです。それを知ってか知らずか、視聴者からは「肩に力が入ってる」「固い」などと忠告を受ける始末でした。
それなのに、これが3年も続くとは・・・。(顔出しをNGにしてきた私ですから、誰か新しいアシスタントがみつかるまでの繋ぎとして、密かに引き受けた仕事だったのです)

回を重ね、次第に筋のつっぱりからも解放されてきた2008年暮れ、私は日本オーディオ協会から「音の匠」の顕彰を受け、顔を出さざるを得ない状況に置かれました。おまけに10分間のスピーチまですることに。
テレビカメラに慣れておいて良かった!このとき、どれだけ神に感謝したことかわかりません。

2009年には、朗読CD「塩狩峠」「道ありき」をハーベスト・タイムから発売していただき、視聴者の皆様からも大きな支持を得る事が出来ました。
そして、この「道ありき」取材旅行の模様を番組化することになり、初めてプロデューサーと、ディレクター不在のリポーター役を体験しました。
これらの出来事は、繋ぎ(?)アシスタントを引き受けたときには、考えてもみなかったことでした。
スタジオでは、毎回、ゲストの人生に介入された神の存在に感銘を受け、また、主宰で司会役の中川健一牧師のメッセージやトークからは、聖書理解はもとより、「人に伝える話し方」という観点からも、またとない良い学びをさせていただきました。

振り返ると、全ては備えられた道だったように思えます。
これから私は三浦綾子作「氷点」の朗読CD制作のために始動します。
神は次に何をしてくださるか・・・それを楽しみにひた走るのみです。
どうぞこれからも応援のほど、よろしくお願い致します。

☆過去の番組は、右側「NEWS」欄 下段「ハーベスト・タイム・ミニストリーズホームページ」からご覧いただけます。

timesignal_117 at 23:23|PermalinkComments(8)TrackBack(0)