2012年05月

2012年05月28日

緑輝く母校で

母校!卒業の翌年文化祭に招かれて以来なので、何十年ぶり!?(はっきり書くのがこわい)
金沢八景駅からタクシーに乗り、大学正門前に降り立ったとき、その美しく近代的に変貌した建物に目を見張りました。(時が流れてる〜)
折しも休み時間・・・校庭を移動する若者たちの頭上に新緑がキラキラと輝いています。
ああ、私にもここで過ごした青春があったのだ!あたりまえのことに新鮮な感動を覚えたことでした。
この思い出のキャンパスで、私は来週朗読を行うことになりました。

6月7日(木)14:40〜16:10,ここ関東学院大学SCC館ベンネットホールで、星野富弘さんの詩とエッセイの朗読をするのです。
工学部と経済学部の学生さんの授業の一環ですが、広く一般の方にも開放されます。
キャパ750の素晴らしいホールで、一般の方のお席は500席ほどもあります。
どうぞお誘い合わせの上、お越しください。
入場無料、お申し込み不要です。
詳しくは、こちらをご覧ください。
関東学院大学 金沢八景キャンパスは、京浜急行金沢八景駅下車徒歩15分。タクシ-ワンメーターです。
お問い合わせは、関東学院大学宗教センター(045)786-7218 へ。
お越しをお待ちしています。

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2012年05月19日

OKEIKO.My family !

4月に新学期を迎えたナレーションスクールOKEIKO。新しい4つのクラス、それぞれにカラーが出て来て面白くなってきました。

とは言うものの、今日のレッスンは厳しかったな〜、悔しかっただろうな〜と思います。
OKEIKOをはじめて18年。涙ぐんでいた生徒の顔が目に浮かび、家に帰ってからフォローの電話をしようかと思ったこともしばしば。
でも、結局それはしたことがありません。私自身、泣くほど落ち込んだあと、初めて本気になれたから。
次のレッスンで、きっと上達した読みを聞かせてくれるはずと、信じて待つ。すると、彼らは必ずそれに応えてくれるのです。
「もうFAXでは原稿を送りません。PCを覚えて」『遅刻したらレッスンはしません」と言い渡したことも。PCを使えなければ、遅刻癖を直さなければ、プロとしてやって行けないとの思いからでしたが、言う方も辛いものです。生徒の恨めしそうな顔を見て、授業料を払いながらこんなことを言われては、この子は辞めるかもと思いました。ところが、彼女はパソコン教室に通いはじめ「インターネットで調べものが出来るって、便利ですね」とにっこり。遅刻もしなくなりました。

「愛とは相手を自立させること」三浦綾子さんの言葉を度々思い起こします。

「OKEIKO中毒です!」と10年も続けている役者さんをはじめ、辞めるどころか、みんなが家族のようになって行く・・・。毎週土曜日一日がかりの授業は、肉体的には相当疲れます。でも私にとって、このFamilyは,かけがえのない宝物なのです。

そうそう、昨日CM録りのスタジオで、ディレクターから言われました。「この間S君にお願いしたんだけどさ、彼、上手いね〜。いや、前から上手かったけど、ますます上手くなったね」
早朝のアルバイトで風邪ばかり引いていた彼に「思い切って背水の陣をしいて、ナレーション1本にかけてみたら?」と言った日のことを思い出し、思わず目頭が熱くなった私。いやあ〜、涙もろい年頃なのでしょうか(笑)


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2012年05月15日

最悪で最善の被災地朗読会

先週10日、11日と、石巻、仙台朗読ツアーを行って来ました。
これは、被災地に三浦綾子さんの本を配ろうという、三浦綾子記念文学館と三浦綾子読書会の活動の一環です。

仙台から高速バスで1時間余り、イオン石巻バス停に降り立った私は、まるでエアコンが効き過ぎた部屋に入ったような冷気を感じました。
5月でこの寒さ・・・3/11はどんなだったことかと胸が痛みます。
それに加え、気管支炎による不調が続いている自分自身の体調も不安です。
初日は、14時〜石巻向陽仮設団地集会所、19時〜いしのみなと教会で、星野富弘さんの詩と自伝の朗読。果たして50分にわたる朗読を昼夜滞りなく行うことが出来るのかと。

今まで映像でだけ見て来た仮設住宅・・・その一角に設けられた畳敷きの集会所で、私は、三浦綾子さんの小説に光を見いだした星野富弘さんの詩を読み始めました。真剣な眼差しで聴き入ってくださる被災者のみなさん・・・が、マイクのない環境でいつもより声を張って読んでいた私の喉は、遂に悲鳴をあげました。咳き込む私を気遣って、聴衆が動きはじめました。
「エアコンの風が正面から当たってる。切るべ」「足寒いんでないの?」椅子にかけている私の足の下に座ぶとんが入れられ、テーブルには、大きめのカップに湯気の立った白湯が置かれました。
のどを潤し、朗読を再開した箇所は「母」についてのエッセイでした。そこから最後まで、みなさんは集中力を取り戻し、涙を拭いながらお聴きくださいました。
なんとか全てを読み終えたとき、私の目からも涙があふれました。
「私は、少しでも皆様を励ますことが出来たらと思ってやってきました。でも、今日、私の方がみなさんの温かさに励まされました。先ほど読んだ『小菊』という詩に『幸せが集まったよりも ふしあわせが集まった方が 愛に近いような気がする』とありましたが、まさにその愛をいただいた思いです。ありがとうございました」

終演後、コーヒーを飲みながら、震災の体験をうかがっていたとき、後ろからトントンと私の肩をたたく女性がいました。「飴っこ買って来たよ。夜もあるんでしょ!?あんた帰ってしまうかと思って、信号無視して店まで行って来たんだよ」差し出された袋の中には、「かりんのど飴」「梅のど飴」など、「のど」と名がつくあらゆる飴がどっさり!咄嗟に彼女の手を握り、声もなく涙ぐんだ私でした。

「でも その傷のところから」星野さんの「れんぎょう」という詩からいただいたこのタイトルの朗読会・・・プロの舞台としては最悪でした。
でも、被災者の皆様と心を通わせることが出来たという点では、最善の経験でした。
「わたしは傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさがしみてくる」れんぎょうの詩が今までにも増して心にしみてきました。

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2012年05月04日

前に向かって

「後ろを忘れ、前に向かってひたむきに」これは、この連休に私が属する日野キリスト教会で持たれた聖会の主題です。同じ教会で育った新進気鋭の5人のメッセンジャーは、この季節さながらに私たちの心に薫風を送ってくれました。

さて、今日私は教会からあわただしくMさんのお芝居を観にかけつけました。
Mさんと出会ったのは昨年9月のことでした。
「ラジオ深夜便で中村さんの放送を聞きまして」と、三浦綾子読書会朗読部門に入会なさったのです。
8月に放送された「ラジオ深夜便−明日への言葉」の中で、私はガンの体験から人生観が変わったという話をしました。それが、7月に手術をなさったばかりのMさんの耳に飛び込んだのだそうです。
一言発しては涙ぐむ彼女に、私は悪夢を見たあとように茫然自失し、頭の中は「ガン」の二文字でいっぱいだった退院直後の自分を重ね合わせました。
お芝居をしていたという彼女の朗読は、声も表現力もずば抜けていました。メンバーからも絶賛され、涙も次第に少なくなったクリスマス・・・娘さんとともに洗礼を受けられました。

今日はそのMさんの復帰公演だったのです。
スラットした長身の彼女がスッと胸を張ってステージに立つ姿は、自信と喜びに輝いていました。
微笑むとチャームポイントの深いえくぼが、遠くからもよく見えます。
よかった!Mさん「前に向かってひたむきに」ね!

帰りの中央線の車窓から、目にも鮮やかな大きな大きな虹の架け橋を見ることが出来ました。



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2012年05月03日

真美ちゃんの終わらない一生

GW中休みは雨・・・築地のタリーズでソイラテを飲みながら窓の外に目をやると、黄色いレインコートに黄色い長靴の男の子が、ひとりで歩いて行きました。幼稚園児・・・どこへ行くのかしら?ママは?それにしてもなんて可愛いんでしょう!レインコートを着ているだけで、ゴム長を履いているだけでたまらなく可愛い!こんな時期があるんですよね。
親たる人は、子供がいくら大きくなっても、この幼い頃の可愛さが忘れられないことでしょう。
そんな子供が自分より先にこの世を去ってしまったら・・・親にとってこれ以上の悲しみはないはずです。
そんな決してしたくない経験をなさったNさんからいただいた留守電に「今日は真美の誕生日なんですよ」という言葉が添えられていました。4月22日のことです。

真美ちゃんと私は12年ほど前、愛用しているサプリメントの説明会で2〜3度会いました。当時彼女は20代後半だったと思います。それから彼女からちょくちょくメールを貰うようになりました。
ほんの1〜2行「今日こんなことがありました」程度の短い内容です。どうして特に用もないのに?と思いつつ、私も必ず返信をしていたのですが、彼女は私のブログをとても楽しみにしていたらしく、大切な友達にも薦めていたようです。私の初めての朗読CD「風が見た愛のおはなし」が発売になった時もいち早くそれをキャッチし、購入してくれました。そして、それからしばらくしてこんなメールが届きました。「姉が、啓子さんのCDを聞くと、とても落ち着くんです」彼女のお姉さんは、幼い頃の事故による障害を抱えていて、真美ちゃんは、ご両親を支え、お姉さんのお世話をしていたのです。それを聞いた私は「よかったらお姉さんの傍で直接読ませてもらえない?」と、平塚市のお宅を訪ねました。生憎、その日は施設にいるお姉さんの体調がよくないとのことで、お会いすることが出来ませんでしたが、そのときお母様とお会いしことに、意味があったのです。

それから数年経った4月のある日、お母様から突然電話をいただきました。「真美が亡くなりました」と。
あまりに突然のことでした。つい半月ほど前にも、電話で話した真美ちゃんの、あのふわ〜っとした、やさしい声を二度と聞く事が出来ないなんて・・・まだ42才の若さで・・・衝撃と寂しさが私の胸を覆いました。

やがて、悲しみの淵にあったお母様は、私のブログを楽しみにお読みくださるようになり、また、真美ちゃんから薦められてブログファンになってくださった北海道に住む男性は、私が北海道で朗読公演をする度に駆けつけてくださるようになりました。

去年、恵比寿で東日本大震災復興支援のチャリティー公演を開くことになったときのこと。
チラシ制作のことを考えながらふと書斎のカレンダーに目をやった私は「ナカタマーク」の文字に、そうだ!と電流が走るのを覚えました。真美ちゃんのご実家は印刷屋さんだったのです。
しばらくして、ナカタマークさんから、それは見事に美しく印刷されたチラシ3000枚が届きました。
手に取ってみると、お願いしていたものより上質な用紙です。それに、納品書だけで、請求金額が書かれていません。なんと、0円にしてくださったのです!真美ちゃん〜!真美ちゃんの姿はもう見えないけれど、真美ちゃんは、このチャリティーに参加してくれたと感じました。
お母様は、その公演はもちろん、その後茅ヶ崎で朗読を行ったときにも、同年輩のお連れを誘っていらしてくださいました。その連れの方も、実は真美ちゃんが繋がりを深めていた方とか。真美ちゃんは、世代も男女も超越して、人との絆を深める天才だったのです。
それからほどなくして、お母様から電話がありました。「長女が、啓子さんのCDを聞くと安心したように眠るんです。他のCDではだめなんです。それでもうすり切れてしまって。もう一枚いただけませんか?」ほんとうなんだ!実は私は、真美ちゃんから聞いたときは、多少お世辞も入っているのでは?と思っていたのです。でも、今度こそ、素直に感謝して、新しいCDを送らせていただきました。お姉様の穏やかな寝顔を想像しながら。

人は誰でも平等に一度だけ死ぬ・・・私がガンで入院していたときに思ったことです。
でも、もし、真美ちゃんのように死して尚多くの人に影響を与え続けるとしたら、その一生は、まだ終わったとは言えないのではないかと思うのです。











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