June 09, 2013

『八重の桜』第23回

会津を救え
八重の桜





わかってはいたことだけど、
会津戦争が始まってしまいました・・・


慶応4年(1868年)。
4月11日。江戸城明け渡しの火、上野寛永寺の慶喜は、
江戸が戦火に塗れず、徳川宗家の存続となった今、
勝を相手に、会津の行く末を案じていた。
将軍であったが、
会津のように君臣一体となった関係が築けなかったことを悔やんでいる。
奥羽鎮撫使が仙台藩へ会津討伐の命を下すが、
仙台藩は会津と庄内の救済を目的に奥羽諸藩同盟を結び、
諸藩へ加盟を呼びかける。
閏4月。
本格的に戦闘態勢に入った会津は、
西郷頼母と新選組を白河に、佐川、山川も前線へと配備する。

奥羽25藩が同盟を結び、会津救済の嘆願を総督府に提出するが、
世良はそれを一蹴、諸藩を回り、会津への侵攻を督促していた。
一方、山本家には米沢藩から新式銃を学ぶ藩士らが到着、
八重が指導にあたる。
4月19日、福島に滞在していた鎮撫使参謀世良修蔵の総督府への密書に、
「奥羽皆敵」の文字を見つけた仙台藩市らは、世良を暗殺。
鎮撫使を斬殺したことで、総督府が奥羽を攻める口実ができ、
奥羽諸藩は全面戦争へと突入する。

5月。白河城が攻撃を受ける。
会津は数に勝るが、戦力は新政府軍に及ばず、
白河城は落とされ、新政府軍の手に渡る。
長岡藩の河井継之助は、越後5藩と共に奥羽諸藩同盟に加盟、
奥羽越列藩同盟が成立する。
会津の山本家の角場では、
白河の戦いで故障した銃を尚之助が手入れしており、
古い銃が使われている現実を知り、
八重は日新館で負傷兵の手当に当たる・・・



新政府軍と奥羽越列藩同盟の全面戦争突入が描かれた回。
当初は会津救済のための同盟が軍事同盟に発展。
侵攻してくる新政府軍を迎え撃つことになる。
これが、前回西郷吉之助が言っていた、
「振り上げた拳のおろし方」なのだろう。
奥羽諸藩による会津救済の嘆願が退けられ、
奥羽皆敵とされた奥羽諸藩が、新政府軍相手に戦闘態勢に入るのは、
もう致し方のない流れであったのだろう。
これまでも、あんまりな仕打ちを受けてきた会津だが、
ますます過酷な状況へと追い込まれる。
江戸城明け渡しの日、
慶喜は会津藩の信頼関係を羨むようなことを言い、
会津の行く末を心にかけていたけれども、
今そう思うなら、それまでに何かもう少し、
会津の立場で物を考えてくれればよかったのに、と思ってしまう。
でも、それも含めて、
抗えない力が、この国を支配していたのかもしれない。

それにしても。
あの、鎮撫使世良のいかついこと、ったら。
どの役でもそうだけれど、適任者が演じていると思うけれど、
この役のこの人の怖さ、って・・・
見た目も声も態度も、震え上がってしまう面構えと横暴さ。
ちょっとたとえが違うけれど、
結構な横暴さを見せていた、『新選組!』の芹沢鴨@佐藤浩市を
思い浮かべてしまいました。
でも、あの鴨にしても人間臭いところがあり、
演じているのが佐藤浩市で、何かかっこよかったりもしたけれど、
この人、精鋭が並み居るはずの会津を蹴散らすくらいの怖さでした。
で、使者であるはずの男を斬殺するということは、
宣戦布告同然なわけで、
従って、ついに戦争へと突入することになるわけで・・・(;ω;)

米沢藩士らに新式銃の扱い方を伝授する八重。
白河城で故障した旧式銃を修理している尚之助さま。
唯一、のんびりした空気が漂っていた山本家が、
直接戦いと関わる存在になってきて、
ああ、鶴ヶ城籠城まで、そんなに時間がないのだ、と実感する。
もっと早く、会津藩内で尚之助さまの提案が採用されていたら・・・
とも思うけれど、
戦争がない時代が長く、伝統的な考え方に支配されている藩が
いつあるかわからない戦争に備えることなどできなかっただろうし、
それが奥羽全体に浸透してゆくはずもなかったのだものね・・・

このドラマが始まってから、半年かかって到達したような感じがあるけど、
それでも、すっ飛ばして来たことが、どれだけあるんだろう。
本当はもっと丁寧に描きたい、と思っても、
時間の制約があると、それが叶わないことのほうが多かっただろう。
ドラマにのめり込んで観ていても、
終わった後であれこれと調べてみることが多い。
そこで補足しながら、お話についてゆくことになる。
もし、これくらいの熱心さで、勉強に取り組んでいたら、
わたしの中学、高校時代の成績はもっとよかったはずだ・・・と思うほど
一生懸命、この時代や出来事をもっと理解しようとしている。
それは、ドラマの中で断片的に描かれている人物たちが、
どのように生きていたかに近づきたいからなんだろう。
本当に、こんなに必死な思いで観ている大河ドラマ、
『新選組!』以降は初めてだ。
新選組、と言えば、この段階で近藤勇は処刑されていて、
それこそ、『組!』では1年かけて描いたわけだけれど、
あの処刑のシーンは今も鮮明な記憶として残っている。
また、あの時の斎藤一@オダギリジョー。良かったなぁ・・・
今回の斎藤は、山口二郎と名を変えて、
将来の妻となる高木時尾さんと出会った回でありました。


ドラマ終了後の『紀行』では、ドラマの補足をしてくれるけれど、
今回は、BSプレミアムでの放送後、
地上波総合に切り替えたところ、関西のローカルニュースが放送されていた。
そのうちの1つに、
京都、今戒光明寺で行われた、会津藩士たちの慰霊祭の様子があった。
それは明治時代から続いているもので、
新島八重も参列したことがあるらしかった。
鳥羽伏見の戦いで戦死した藩士の名が刻まれた碑の、
「山本三郎」の名前がクローズアップで捉えられていたのは、
何とタイミングのいいことだったことか。


思いつくまま、あれこれと書いているけれども、
今回もまた、書き残したものが多いだろうなと思う。
でも、もちろん、わたしのことだから、
容保公の髪型がこれまでとははっきり違っていたことや、
尚之助さまが秋月さんや梶原さんと共に、
同盟締結のための使者となっていたこと、つまり
それくらい重要な存在となっていることや、
また、八重の指導に照れてしまう米沢藩士の、
「こんなに綺麗な人に・・・」発言に、
ちょっと誇らしそうな笑顔を見せる尚之助さまに、
目が止まっていないわけではないのですけどね。

前回終了後、1週間も待っていたのに、
あっという間に終わってしまった45分でありました。


☆;+;。・゚これまでのお話☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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この記事へのコメント

1. Posted by RYO   June 10, 2013 02:50
悠雅さんのことだから、きっと新撰組を思い浮かべていると思っていました。
小沢仁志さん、めちゃくちゃ悪者役が似合ってて、子供のころ見た時代劇の悪代官を思い出しました

さて、容保公の髪型ですね、変わってましたね
なんかすごい唐突でしたけど、史実でしょうから仕方ない(嫌なのか?笑)
2. Posted by ◆RYOさま   June 11, 2013 11:05
『新選組!』が好きでご覧になっていた方なら、
このドラマには登場していないけれども、様々な新選組の出来事を
重ね合わせて観ている時期だったと思いますが、
斎藤一が会津に居るということは、近藤勇はもう既に・・・と思うと
やはり会津とは別の哀しさがありました。

奥羽鎮撫使世良@小沢さん。
悪代官というか、素性の知れない用心棒という印象で、
一度睨まれたら何をどうしても太刀打ちできない怖さがありました。

で、容保公の髪型ですが・・・
あはは。きっと同じ感想なんだわ(笑)
3. Posted by 麿呂   June 11, 2013 12:10
3 ここ数回、会津藩の面々に「其れは違うだろう?」と突っ込みを入れている自分がいます(苦笑)

会津藩と仙台藩の会合の席で「鳥羽伏見の首謀者3人の首を出して恭順すれば或いは…」という台詞は禁門の変直後に長州藩がやった事と同じ。敵と同じ事をやれば説得力があるからこの辺でどう?という恭順案だった訳だけど一丸となって居る会津藩面々にとっては火に油を注ぐ効果しか…其れをやっていればねぇ(泣)

長州って其の当時、物凄い決断をして居たのだな〜と改めて思います。暗に会津の【決断力不足】を言っているんですよね…脚本家さん。

【史実】
会津藩は3月から北関東や北越地域に工作活動を行っているが、悉く新政府に露見している。
これらが岩倉具視の諜報網に引っかかり、恭順に疑いを持つ様になってしまう。会津藩としては「嘆願書を無視された」と迄述べているが、長州藩は三家老など重幹部を処刑してやっと【無条件降伏宣言】を受諾する準備を進めたが、会津藩は其の動きは一切見られず、後に【奥羽越列藩同盟】結盟の際に『相馬中村藩』から【会津藩の謝罪嘆願の態度】に苦言を呈されている。
会津藩はこの時期【無条件降伏宣言】を受諾する意思があったかといえば「少しでも交渉を有利に進めたい」という下心があったとしか思えない【恭順態度】であった。これが徒となって後に証明(会津戦争)されてしまうが(涙)…。


4. Posted by gurico   June 11, 2013 21:05

つらいつらい(≧ω≦)
じっと座って見てられへんかったよ…
しかし…小沢くん、なんでそんなに会津が憎いん?
画面に入ってきいてみたかった
床を共にした(無理矢理?)遊女が、さっと刀を抱いて逃げたのは、
斬り込んだ男たちと同じ思いだったから?
「容保の首!」と叫ぶ奴をそのままにしておいたら、どうなってた?
歴史にIFはないけれど…

しかし、角塲がにぎやかで笑顔のでる八重ちゃん
ごしんぞさんの指導にドギマギする藩士たちに
ちょっとだけドヤ顔の尚之助さまがラブリー
八重ちゃんは、すっかり若奥様が板について
あの場面だけ、ほっとできました
5. Posted by ◆guricoさま   June 11, 2013 22:15
本当の世良という人がどんな人だか全く知らないけれど、
あの人本当に怖かったですよ。
あの人に担がれて行った遊女、怖かっただろうなぁ、、、
あの場面でなくても、会津はじめ奥羽諸藩の誰かがいずれ討ち取ったと思うけど、
もし放置していたら・・・どうなったんでしょうね。

戦闘状態突入必至というタイミングにしろ、
綺麗なご新造さんが教えてくれるって、ちょっと華やぎますよね。
あの尚之助さま、チラと動かす表情に見蕩れてたわたしなのでありました(#^.^#)
6. Posted by 麿呂   June 13, 2013 22:06
3 別に庇う訳ではないが世良さんの史実的フォローします(苦笑)
あくまでもあれはドラマですからね。

一般には世良修蔵が強硬な態度を取ったとされているが、実は【仙台藩】と【奥羽鎮撫総督】と【温度差】があった。
世良の批判をしている【仙台戊辰史】はどちらかというと『仙台藩タカ派』の弁租が強い部分もあるが、大槻盤渓と袂を分かった『仙台藩尊攘派』である岡鹿門の記録である【在臆話記】には世良と仙台藩士との間に【温度差】があった事が示唆されている。
いわゆる【ボタンの掛け違い】から鎮撫に失敗したものと言える。

現在の【極悪人説】の実情は【仙台戊辰史】から尾ひれが付いて早乙女貢や中村彰彦や星亮一ら【会津贔屓作家】によって更に拡大誇張されて、今の極悪人物像に仕立てられて行ったらしい…。

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