2006年05月19日

復活....。

叔母の病棟は南側の9階。
病院そのものが西円山の中腹に位置するので、その見晴らしたるや「絶景かな」で
ある。窓越しに見る新緑に、命あるものの不思議を思う...。

カレンダーの日付には×印。その×が増え続け、転院からもう50個を越した。
さま変わりした風景の季節は春。かって、介護に関する認定調査を受けた折
担当者に「今の季節は...」と問われ「春」と答えていたっけ。
2月の真冬...おばは春に憧れていたのだろうか...。

その、"もしや"への"春への憧れ"が、現実となりそう...。

それは...努力の結果がもたらした病院からの解放が近い事。

<本日、私は先生の指示に従い"特別養護施設への入所手続き"を済ませたのだ>

この数カ月、叔母にとっては胸をえぐられるような辛くて悲しい体験だったに
違いない。だが、叔母はそれを自力で乗り越え、病院からの解放を勝ち取った。

忍耐強さと、にこやかスマイルを入院生活の中でさりげなくみせた叔母。
人生の最終章、"生き抜く事のなんたるか"を、目撃してきた私...。

私の内面が大きく変わろうとしている...そんな予感がする....

ベット脇の小机、見舞いの水仙に午後の陽射し...

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2006年04月29日

悲しいよね...

横田早紀江さんが、米国公聴会で述べた"拉致問題・陳述書"の全文を...。

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◇あの国がいかに凶暴であり、人の命を何とも思っていないようなところであるということはもう世界中が知っています。
貴国のブッシュ大統領が、「悪の枢軸」と言われる通りです。たくさんの日本の、韓国の、また多くの国の何の罪もない若者たちが数十年間も抑留され、向こうの思ったように動かなければ強制収容所や、銃殺刑にされるかもしれない中で、一刻一刻助けを待っているのです。まだおぼれたままでいるのです。おぼれた人がいれば、私たちはすぐにでも手を差し伸べるのではないでしょうか。ほかのいろんな用事をまずおいて、飛び込んで助けるのが人の心ではないのでしょうか。

◇私たちは、本当にもう心身疲れ果てておりますけれども、子供たちが助けを求めている間はどんなことがあっても倒れることができません。日本の国民、全世界の自由を愛する国民の総意で、「怒っている」と北朝鮮に態度を示していただきたいと私は願っています。「拉致は許せない。全被害者をすぐに返しなさい。それがないなら経済制裁を発動します」とはっきりと言っていただきたいのです。

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拉致問題が、政治の舞台で大きく転換しようとしているのだろうね。

難しい事は分からないけれど、子供をもつ母親としてこの事件は悲しいよね.....

でも...でも...朝はくるね。必ずくるね。だから...頑張れ、早紀江さん!

苦しくても、悲しくても、人は諦めたら駄目なんだ...そう確信するよ。

私も叔母も "ブルー" じゃいられない! 日々にベストを尽くすよ。

目の前の"今"にベストを尽くすよ。 そう、泣いてなどいられない...。





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2006年04月26日

幸せになりたい...

叔母が転院してから早や1カ月が過ぎた...帰るべき場所をもたない叔母に覚悟が
できたのだろう「帰りたい」と、言わなくなった。

それでもリハビリーに精をだし、今ではかなりの距離を車椅子で移動する事が
出来るようになった。「おしっこタイム」も、人の手を借りる事が少なくなった。
腕に力がついたらしく、廊下の手すりに向き合い、黙々と立つ練習をしている。

"幸せになりたい..."そう言って、黙々と練習する。
叔母の幸せ...「自立した暮らしを自分の手に取り戻す」そのために生涯かけて
努力する...幸福に不可欠な希望を、89歳の叔母は手にいれている...
年齢に甘える事なく、真摯に生きている...

その事に気づかされた私...どこかで、胸がチクチクする...。

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子供が子供を殺傷する、子供が親を殺める、子供が大人に憎しみの目を向ける...
この1カ月も、そうした事件が後を絶たない。活力に満ちるべき子供達が、希望を
失いかけている...感謝の心をなくしている...愛を取り違え、愛が冷えてる...
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老後を誰に頼るか...幸せな老後とは何か...叔母が示す老後のありようを、私はこの目でしっかりと見据えたい。89歳の叔母が知らしめる「幸せの定義」それを見据えたい。願うなら...希望によって歓ぶべき人生のある事を、他者の幸福を優先させる愛もある事を子供達に分かって欲しい。そう、私も"幸せな老後"を望んでいる...。

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2006年04月07日

総括

4月4日:予定通り叔母の部屋から荷物が運び出された。終了したのは午前11時30分。
シルバーハウスの居住者全員が食堂へ集合する時間。それに合わせて、
施設長さんより、「タキさんが退所されます」とのご挨拶。

昭和の終わりに入居した叔母は、都合18年をこのホームで暮らした事になる。
軽費老人ホーム...当時の叔母の決断に驚いたものの、知らせを受け引っ越しの
手伝いをしてから、それだけの時間が経っていたのだ...
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手かせ・足かせ・心のかせ...それらの全てを取り除き、身軽になった叔母が
入居者の皆様と交わした最後の言葉は "ありがとう・さよなら、元気でいてね..." 
抱えきれない思い出を、その短い言葉に託して シルバーハウスに別れを告げた。
あんなに帰る事を願っていたのに、思いかなわず 別れを告げた...
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5カ月の入院生活で得たものと、失ったもの...秤にかけたところで、どうにも
ならない。だが、いづれ同じ道をたどるかも知れない私達シニア予備群に見せた
"老いの有り様"は、今後の"生きた指針"となるだろう...それらを踏まえた上で、今
私達は何をすべきか...何をしておくべきか...何をどのように変えていくべきか...

折りしも、本日 メール問題で揺れた民主党の代表選が行われ、「小沢一郎」党首が誕生した。知ってのとおり、自民党を飛び出し、新進党・自由党と破壊と再生を繰り返し、民主党へ向かった小沢一郎さん。その新党首となった彼ががいみじくも語った今日の言葉に「僕も変わらなきゃ...」というセンテンスがあった...。

そっ、10年先の社会は4人に一人が高齢者。今と同じようには生きられない私達。
叔母の闘病の”総括”はその未来を如実に差し示す...そう思えてならない...。
折にふれ時にふれ、年齢を道連れに人は「変わらねば」ならぬのだ、きっと...。

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2006年04月01日

痛みからの解放

この1週間ほど、気になっているニュースがある。

富山県の射水市民病院(麻野井英次院長)で人工呼吸器を外された患者7人が
死亡した....という、ニュースである。

で、外科部長(50)が病院の調査に対して「患者にこれ以上の苦痛を与えていいのか、解放してやるべきか、悩んだ末やってしまった」と呼吸器を外した心境を詳細に語っていた...とあった。(28日)

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マスコミの過剰な反応(私には、そう思えた)は、医師の行為が『殺人罪』に
あたるや否や...というところにあるように思えてならない。

根本は、違うところにありき..."終末医療"なり...と、私は勝手に思っている。

命ある事の喜びと、命ある事の悲しみ...ともに"命"であるから...迷う...のだ。
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今回、叔母の転院先で医師との面談があった。

医師:例えば...急な容態の変化があった時、この病院で対処しきれないような
場合は、緊急に他の病院へ搬送し手術に向かう事を望まれますか。
もしくは、こちらの病院で行いうる、あらゆる応急処置をもって対処しますか...。

端的に言うなら、死への選別であろう....。

叔母の年齢と、癌の転移を危惧してのお話と理解する。だが、そのどちらを選んだとしても虚しいに決まっている...と、いうより答える術をもたないのだ...そして、通常はその時と場合の、医師の考えに家族が"任せる"という選択をするのではないか...

医師が患者に深く関わり、患者を愛おしいと感じるなら...多分、心身の苦痛から
患者を解放してやりたい...そう、思うのではないだろうか...

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厚生労働省・末期医療に関する世論調査(-03年)によると、延命治療中止を望む声は、国民の70%超。医療関係者においては80%であるそうな...。 

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2006年03月30日

転院....。

22日:退所届けを提出のため、シルバーハウスへ。途中で携帯電話に着信あり。
連絡は病院より...「転院が24日に決まりました。ついては...」 なんと、昨日は
受け入れ先には10人の待機者あり、”しばし待て”では、なかったか...
さりとて、退院を促されている身では病院からの申し出を断る理由などない...。

だが、退所とはいえ「シルバーハウスへもう一度遊びに行こう」と約束していたのだ。このまま病院から病院では、私の中に後悔が残る...

夫の協力なしには、叔母の外泊を受け入れる事はできない、ましてやご長男の理解もなければ...急な事ではあったが、双方の理解を得、叔母にその旨伝える。

23日:迎えに行ったのは午後3時。なんと、荷物の整理はできていた...。
たたまれた寝巻き、バスタオル、タオルケット、替えの下着。
看護師さんの手になるものと思いきや、全て自分で整えていたと言う。
車椅子を駆使し、それはもう意気揚々と愉しげに、帰る準備を整えていたそう...。

退院手続きを済ませ、病院を後にしたのは午後4時30分。少し早かったけれど
夫と叔母、それに私と3人で、軽い退院祝いをし、帰宅したのは午後6時。

茶の間にお布団を敷き、お風呂に"ゆっくり"入ってもらう。夜は叔母に寄り添った。

夜中の"おしっこタイム"は、相変わらず1時間おき...お知らせブザーを鳴らしても
すぐには駆けつけてもらえない苦痛の時間...そのために一人で何とかしようと、動き回る叔母。ただそれだけの為に看護師さんから疎まれた叔母...だが、しかし...私の付き添いなど、たかだか1日のみ...ソレを非難などできようか...

24日:お赤飯とお味噌汁。昨晩作りおいた蕗の煮しめ。それに好物のミニラッキョ。
病院と同じ時間に朝食を終え、転院先へ向かう準備をする。洗顔の後の化粧水、乳液は、すでに忘れていた感覚であったそうな...
口元に薄く紅をひく。少し伸びた髪も、黒いカチューシャでまとめると少しお洒落な雰囲気に...鏡の中の自分を評して「違う"タキ"がいるみたい...」と笑顔の叔母...。
多分、これが姪として孝養を尽くせる最後...そう感じる自分...。

9時30分、雅代ちゃんが我が家に到着。転院先の病院より迎えのリフト車が到着したのは、それから間もなく。雅代ちゃん、夫、それに私の3人が付き添う形となった...。

27日:オレンジ色のチューリップ、星型の金平糖を見舞いに持参。ともに可愛い!と
飽かずに眺めている...しかし、状況はここでも同じ。夜中の徘徊と受取られ、病室をすぐに変えられた...「此処をでたい...」叔母の心は修羅の巷を彷徨う...

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ある日、突然倒れた叔母。意識障害も回復をみせ、術後の経過も良好。だが、ベットに伏せた5カ月の時間は戻らない。残った現実は、自力歩行が困難、要介助...

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帰り際、背中の辺りを寒気がよぎる。またも風邪をぶり返したよう。
案の定、翌日は熱がでた。眠れぬままに見上げる天井に、人の生涯を思う...
心、穏やかに暮らすとは、どのような事か...

2月4日、外泊の折の写真。叔母に寄り添う寮母さん・保健婦さんの笑みと慈しみに満ちた目に、帰りたがっていた叔母の心情を理解する...詮無き事ではあるが...

siruber



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2006年03月22日

退所届け....。

WBC戦、日本:キューバ。試合は終わっていたのに、
病院の待合室は人・人・人で溢れていたよ。
しばし、病いを忘れて...といったところであったかな。
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先週の土曜日に、叔母の部屋を片付けた。
地方に住んでいる叔母の長男のお嫁さん「雅代ちゃん」にも来てもらい、
二人で一生懸命片付けたよ。電化製品やタンス、お布団など、もはや
もってはいけないものに、黄色の紙テープを貼って仕分けをしていった...

アルバムに写る若い頃の叔母...束ねてあった手紙...
洋服タンスの衣類...和紙に包まれた着物...
多くの山を歩いたであろう運動靴...
靴箱に立てかけられた ステッキ...
枯れてしまった鉢植えの花々...

叔母の"個人情報"に触れる事に畏敬の念を抱きながら、雅代ちゃんと
二人で、淡々と作業を続けたよ...でもね...

古い下着を仕舞ってあったダンボールを確認したときは...泣けたねぇ〜...
どの下着もキチンと、「つぎあて」が施されていてね...

"つぎ"をほどこすまでもなく...釦をちぎったり、パンツにいたっては、
太腿チラリ・布地切り裂きの時代...下着に「つぎ」を当てるなど、もってのほか。

そんなの「捨てちゃえぇ〜」
多分、多くの人はそう言うね...それも...そうだね...私もそうだよ...

でもね...そこに息づく「女の手仕事」..."心の誇り"を捨ててはいけないと
感じたね。そして、思ったよ。戦中・戦後を生き抜いた人々の
「耐えがたきを耐え...」という言葉の重みをね...

母を思い出したよ...お姑さんを思い出したよ...

叔母やそうした時代を生きた人々の心の誇りは、捨てちゃいけないんだよね...

生き方を受け継ぎ、「物」を整理する...受け止め方はそれぞれだろうけどね...

叔母の部屋をでたのは午後6時頃であったかなぁ〜。

雅代ちゃんを札幌駅まで送る車の中で話したよ。
心を1つにして助けあおう...安静な時間をプレゼントしよう...とね。

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部屋を片付けた事、荷物を整理した事...そのことを、お彼岸の21日
病室の叔母に報告するため、待ち合わせをしたよ。

長男の「龍彦さん」は、待合室のテレビの前で観戦中。
「龍彦さん」声をかけると「オー」と返してくれた。

報告が終わり、22日「退所届け」をホームに提出する事にした。転居日は4月4日。

旅たちの準備を整えるとは...荷をそぎ落とす...身軽になって行く事と知る。

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2006年03月19日

火に油....

またも...メラメラと燃える瞳で私に訴える...

「刃物はないか...」 ひぇ〜、恐ろしや.....

ここは病室、いや・いや、病室に寄らず刃傷沙汰は"ご法度"でござる叔母上殿...

過激な発言は、体力・知力がみなぎっての証か...。

どうやら「逃れる」手段を考えているらしい...

逃れる...そう、車椅子と自分をつなぎとめている"ロープ"から...

刃物されあれば、このロープを切り裂く事ができる...とか...

背中から、お腹。お腹をぐるりと回って2本に分かれるロープは
右と左の太股をくぐり背中へ抜ける。車椅子の真後ろで作られる結び目。
自分の力では、解きようがない...

考えたのだろう。ここを切り裂く事ができれば...と、太股に回ったロープを指さす。

叔母の願いを理解はすれど、そのお話に乗る事は "断固" 出来ないと首をふる私。

返事をせぬ叔母...

帰り際の院内散歩。廊下ですれ違う人に「こんにちは〜」。登山者が、
すれ違う登山者と交わすように、リズミカルに明るい響きでこんにちは〜。

さよなら、by-by。"今日も良い日であったね"と挨拶する際から

「この次、刃物をもってきて...」

ちょ・ちょっと、待って! プレイバック・プレイバック...

駄目だよ!という、禁止言葉は「火に油...であったのか」

うっ〜〜〜〜〜〜ん.... むっむっむっっっっっっ....

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2006年03月17日

"おはぎ"をどうぞ....

オッハ!

手をふり病室へ....

ビックリした顔で私を見る叔母...「どしたの、その顔...」

洗面台の前。落とした歯磨き粉を拾って顔を上げた途端、目から火が出た。
そっ、思いっきり"おでこ"を洗面台の角にぶつけたのだ。瞬時に「こぶ」ができた。
痛っ...広がったおでこも愛らしい...そう思えば痛さも半減...とはならず...とほほ

おまけに、風邪が長引き、時折咳もでる。マスクをせねば...

と、いうわけで...

赤いおでこに白マスク..目元は風邪にて、どんよりでござる..驚くのも無理からぬ...

しばし、見舞いを休もう...

そして、16日。

久しぶりの見舞いに「おはぎ」を持参。

痩せてしまった歯茎に叔母の「入れ歯」は、無用の長物...
もはや噛み合う事もなく、コップの中で出番のない時間を過ごす...

そのためであろう、食事は相変わらず「おかゆ」と刻み込まれたお惣菜。

そこに登場した「おはぎ」...叔母の好物である。

なんと・なんと...喜びで、叔母は"くしゃ・おばさん"となった。
歯のない顔で現す笑顔の、なんとエネルギッシュな事...ワンダフル!この上なし。

「おはぎをどうぞ...」お隣さんにおすそ分け...

久しぶりの見舞い..."by-by" 幸せ気分で病室を後にすることができた私。

そういえば、ホームの"お引っ越し"も迫られている。あと、2週間...しかない...

全ては体力勝負! 

そうよ・そうよ、餅米・ドンマイ!下腹に力を蓄えねば駄目よぉ〜。

そこで、私も「おはぎ」を、パクリ...うふっ、美味い!

1個では足りず、2個・3個...夫にすすめて、また1個...

風邪すでに去り、"おでこ"も常に戻った。我・体力に自信あり...で、ござる。

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2006年03月04日

お引っ越し....

風邪を引いたらしい...コン・コンと時折咳き込む...
手は冷たいのに、頬の辺りが"ポッ"...熱を計ってみたら38度あった。
看護師さんにお願いして、水枕を用意してもらう...

"風邪の治療は寝るのが一番"...叔母をベットに残して、私は待合室へ。
休憩台の上の"週刊誌"をちょっとパラパラパラ...
"ライブドア・メールを検証する"もどきの見出しに、
"これを読まずして何とする、今や話題沸騰ではないか"...の筈だった...。

「呼んでますよ、さっきから呼んでますよ...」肩を叩くは、隣のベットの見舞い客。
「へっ...」 なんと、週刊誌を見開いたまま膝にのせ、私は眠っていたぁ〜〜〜。
"よだれ"はないか、慌てて顎に手をやる私...大丈夫のようだった...ホッ!

「あらぁぁぁぁ、居眠りしちゃった。ありがとうございまぁ〜す」と、慌てて
病室へGo。今じゃ、おしっこタイムの良きパートナー。力の抜き加減も覚え
ワン・ツー・ジャンプで、トイレに直行!

「あっ〜、おしっこがパンツに出なくてよかった」と、のたまう叔母。
そして、風邪をうつしたら困るから、"早く帰れ"と私にいう。ついでに
手を洗えと指図する。さらに言う「私のいう事をききなさい」

オッー、気分はすっかり30代のヤング・ママじゃん!

子供に言い含めるように、ゆっくり・ゆっくり、私に言い聞かす...
「外から帰ったら、うがいと手洗いをせぇー、さすれば風邪はひかぬ」と...

時折ずっこけるけれど、こんなに元気になったのに....
物事の判断も多少はできるようになったのに.....
自立歩行が出来ないばかりに、ホームに帰れない。
もう戻る事さえ、かなわない...

お引っ越しの決心をしなければ....

風邪が治ったら、言わねばなるまいなぁ〜.....

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