2008年12月24日に元タレントの飯島愛が自宅で死んでいるのが発見された。
警視庁の発表によると、死亡原因は「肺炎」。

エアコンと床暖房をつけっぱなしで意識を失ったため、遺体の損傷がひどく、
腐敗も進んでいた。

3月に体調不良を原因に突如芸能界を引退した飯島愛。
 
遺体からの検査では、覚せい剤反応があったとか。

噂では「HIVであった」や「何者かに殺された」という情報が出回っているが、真相は不明。

あの有名な「女子高生コンクリート殺人事件」にも関与していたという噂まで出回った。

果たして実際のところは・・・・?




飯島愛という人物
本名:大久保松恵(おおくぼまつえ)
松恵は、厳格で笑わない父と、いつもその横で目を吊り上げ口数も少ない母の元でそだった。
母からすれば、父が子供達を怒るのは、遠まわしに
「お前の教育がなってないからだ」といわれているようなものであった。
そのため、母はいつも松恵に
「あなたのためだから。あなたのためだから」と言うのが口癖であった。

そんな両親の元で育った松恵。
出身校は江東区第三亀戸中学校。
亀戸地区の中では進学率が高い事で知られているが、松恵の実家から通うには、少々距離が離れている。
どうしてこんな離れた中学校に通う事になったのか?

それにはワケがある。

松恵の両親は元々、松恵の進学先には「東洋英和女学院中等部」を望んでいた。
東洋英和女学院と言えば、お嬢様学校として名門。
しかし、学力が足りず受験できなかったのか、受験したが不合格になってしまったのかは定かではないが
松恵は東洋英和女学院には進学しなかった。

 
落胆した両親は、せめて高校からでも東洋英和女学院に進学して欲しいと願い、
自治体相手の面倒で困難な手続きをいとわず、当時では珍しい越境入学を実現させたのだ。

松恵の中学受験失敗と越境入学は、同じ小学校の同級生やその親の間で話題となった。
ある同級生の親は
「大久保さんが教育熱心なのは有名でしたから、みんな松恵ちゃんの受験には興味がありました。
でも、大久保さんに受験の結果を聞くわけにもいかないので、どうなったんだろうね?って噂になってたんです。
そんな時に、大久保さんの奥さんがPTAの席で何だか、とても恥ずかしそうにしていたので、
受験失敗したのかな・・・?って思いました。松恵ちゃんが、三亀中に越境入学すると聞いた時、
亀中の親とは関わりたくないんだなと母親達は噂しました。」
と話している。

小学校の友達と離れ離れになってしまった松恵は、たった一人で亀中に通う。
当時12歳だった彼女にとって、その環境の変化は不安でしかなかったであろう。
三亀中の同級生の話によると、
「入学してきた時の松恵は、とても大人しい印象だった」
と話している。

 飯島愛になり発表した著書「プラトニック・セックス」でも、中学に入った当初の様子が綴られている。
「中間テストや期末テストで、松恵は学年で10位以内という好成績を修めていたが、
同じクラスにどうしても抜く事のできない女子生徒がいたため、母親からなじられた」と。
数学で90点を取っても褒めてはもらえず、「4問も間違っているじゃない!どうして!?」と
母親には全く認めてもらえなかった。
努力しても努力しても認められず、12歳の少女は、心中で悲痛な叫び を上げていたに違いない。

「私はただ、褒めてもらいたかった。父に、母に、一言頑張ったねって言ってもらいたかった。」

追いつめられた松恵に更に悲劇が襲いかかる。
中学1年生の秋に祖父が他界したのだ。
両親の厳格なしつけでしょんぼりしている松恵を暖かく受け止め励ましてくれて祖父母の家は、松恵にとって
安息の地であった。
そんな祖父が亡くなった。
このショックから、松恵は勉強を怠るようになり、成績は急速に落ちていく。
 

祖父の他界後、松恵の環境は大きく変化する。
付き合う友達も変わっていった。
仲間と一緒にそれまで出入りしたこともなかったゲームセンターで遊びまわり、その中で知り合った高校生と
交際を始めた。

礼儀正しいと評判だった松恵の態度は、荒々しく変化していった。
よくつるんでいた中学校の同級生はこう語る。
クラスメートの男子の前で、突然スカートをまくりあげた彼女。浮かび上がった紐付きのパンティー。
「当時は、制服のスカートが長ければ長い程、ワルだとみなされ、 大久保もそのスタイルでした。
今思い出しても、何であんなことをしたのか分からないんですが、スカートを突然まくり上げた時の彼女が
少し自慢げに微笑んでいたんです。」
屋上でたばこを吸っているのを、教師達に見つかりそうになった時、松恵はたばこを全て口に詰め込み、
飲み込んでしまったという。
この証拠隠滅で救われた不良仲間は、「大久保はスゲー奴」と一目置くようになった。


しかし、派手な振る舞いは諸刃の剣でもあった。
上級生や他校の不良からすれば、生意気ということに繋がる。

松恵は待ち伏せされ脅されたり、ボコボコにされた事もあるという。
そして決定的な事件が起きた。

中学2年になったある時、松恵はいつも遊んでいた三亀中学の女子生徒に呼ばれた。
待ち合わせの場所の五之橋の下に行くと、いつもと仲間の様子が違う事にすぐ気がついた。
「テメー!イキがってんじぇねーよ!」
と、集まっていた女子生徒ひとりひとりから、激しいビンタを喰らわされた。
松恵の顔はパンパンに腫れ、鼻や口から血が溢れ出ていた中、
大勢の女子生徒の前で土下座させられ謝罪を強いられたのである。

その事件から、松恵は中学校で無視されるようになり、居場所がなくなる。
そして段々、学校にも行かなくなった。


 
友達がいなくなった松恵は、日曜日になると歩行者天国に行くようになる。
ホコ天に通っているうちに松恵は、自分と同じような中学生達と仲良くなった。
ホコ天が終わると、一緒に新宿に出かけ、歌舞伎町のディスコに入り浸る。

当時の歌舞伎町のディスコは500円で中高生でも自由に出入りができた。
これを機に松恵の人生はさらに堕ちてゆく。
この当時を知る同級生の話では
「大久保が久しぶりに学校に来た時、音楽の授業で縦笛のテストがあったんです。
練習をしていない大久保にも順番は回ってきて、彼女は一応、立ってみんなの前に出ました。
けれど全く縦笛を吹こうとはしなかった。
そんな時、部屋中にシンナーの匂いが充満し出したんです。
あれ?どうしたんだろうと思い、ふと彼女の手に目をやると、ビニール袋の中に笛を入れて、
シンナーを吸っていたんです。
すぐに音楽の先生に職員室に連れて行かれました。」



松恵は定期的に少年センターに通所することとなり、そのたびに古川のカウンセリングを受けた。
そして除々に古川に心を開いていったのである。

しかし、心を開いたからと言って、非行が直るわけではなく、家出や窃盗を繰り返しては補導されるという
日々を過ごした。
松恵はカウンセリングを受けながら、どうにか中学を卒業することができた。

三亀中学の卒業文集を見ると、同級生は嫌でも松恵のことを思い出すという。
それは大久保松恵のページが白紙になっているからだ。
都内の私立高校に進学した松恵は、わずか1ヵ月で退学。
そして両親や古川の元から姿をくらまし、ディスコで知り合った男と埼玉県で同棲生活を開始した。


松恵は16歳の秋、文京区にあるカラオケスナックで水商売のアルバイトを始めた。
みんなに愛されるようにと、勤め先のママがつけた源氏名が「愛」だった。
その後、銀座へ移り、銀座のホステスとなる。


その後の活動
銀座ホステス時代に、暴力団関係の男と交際があったという噂もあるが、
1992年にAV女優となる。
芸名は水商売時代に所属していた店のママがつけてくれた「愛」。
名字は、飯島直子をAV女優として売り出したかった社長の願いが叶わなかった事から、「飯島」とつけた。

飯島愛がAV女優になった理由は、「当時付き合っていた男の借金を返済するため」や「アメリカ留学のため」
といわれていますが本当のところは不明です。

AV女優からタレントへと転身し成功を収めた彼女。
だか、華やかに見えた生活も、実生活はどのようなものだったのか・・・。




綾瀬女子高生コンクリート殺人事件との関与
1989年に起きた、悲惨な殺人事件。
当時、少年(16歳~18歳)だった主犯4人によって、監禁・強姦・暴行された女子高生。
(犯人の名前:宮野裕史、小倉譲(改名後は神作譲)、湊伸治、渡辺恭史
2ヵ月にも及ぶ集団リンチを受けた女子高生は死亡。
その後、犯人達によってコンクリート詰めにされ遺棄される。

少女が監禁されていた事を知る人間は、男女合わせて100人近くいたと言われている。
地元のヤンキーの間では、「少女が監禁されている」というのは有名な話になっていた。 
少年達が「家に面白い物がある」と言い、友人や先輩・後輩を連れ、見せ物にしていたからだ。
しかし残念な事に誰一人として警察に通報する者はおらず、親に相談する者もいなかった。
そのため、女子高生は見殺しにされたのだ。

噂では、この100人の中に飯島愛が居たと言われている。
飯島は、主犯格であった少年の先輩と関係があったとか・・・。
そのため、犯行が行われている場所に出入りも可能で、被害者の女子高生の額に落書きをした。と・・・。

綾瀬女子高生コンクリート殺人事件の詳細は⇒コチラ(執筆中)


どうしてそんな噂が流れたのか?
もともと、この事件に飯島が関与しているのではないかという噂はあった。
被害者の女子高生の額に書かれたイニシャルが、飯島の名前と一致するという点や、
ある番組で「コンクリート殺人事件」について聞かれた飯島がしどろもどろであったとか
根拠は乏しいものの、噂としては広く出まわっていた。

しかし、その話がまた蒸し返される事となった。
それは、飯島(当時16歳)が銀座でホステスをしていた頃の友人、「倉知明美」(仮名・当時19歳)の暴露によるものだ。

飯島の著書「プラトニック・セックス」の中で、飯島は倉地の事を
ナンバーワンといわれている、とてもかわいい女の子がいた。彼女の名前は、
 倉地明美。十九歳の彼女は、本当に羨ましいほどスタイルがよかった。私よ
 り、一、二センチしか身長が高くないのに、脚の長さはどうみても、もっと差が
 あるように見える。

 栗毛から覗く小さな顔は、お人形さんのように整っていて、女の私から見ても
 惚れ惚れするほどかわいい。親しみやすい笑顔と、肝っ玉母さんとでもいうべ
 き気さくな性格から、明美は誰からも愛されていた。しかも彼女は全身シャネル。
 見たこともないような高値な貴金属や毛皮をたくさん身につけ、とにかく見た
 目は上から下まで「ザ・クラブ」。水商売の究極を行くようないでたちだった。
と褒めたたえている。

その倉地は2007年10月に「銀座《女の闘い》」を出版。
夜の銀座の実態を暴露しているのはもちろんなのだが、親友であった飯島愛のことについても綴られている。

「飯島愛が恋人にフラれ、レギュラー番組をすっぽかした時、心配した倉地が飯島の家を訪ねた。
部屋から出て来た飯島は幽霊のようで、部屋の中はシンナー臭かった。
芸能界に入ってからも、シンナーをやめられなかったんでしょうね。平常心でいられなかったんだと思う。
その時もシンナーを取り上げた。」

「愛はモテなかったから、男に貢いでばかりいた。私が貸したお金で男にプレゼントしたり。
だから、自分で稼いで貢ぐのは構わないけど、借金してまで貢ぐなよ。って言った事があります。」

「AV女優の過去を消したがっていた。だからAVをやる時に「失うものはすごく大きいよ。
それを踏まえてやるならやれば。」って言ったの。でもさすがに裏ビデオが大量に出回った時は
「死にたい」って言って泣いてた。」

そしてここからが問題の暴露。
「愛本人が言うには、当時の友人の親から「過去の事をバラされたくなかったら金を出せ」と言われている。かなり巨額のお金を渡していたみたいで、愛に理由を聞いても
「生活が苦しいみたい。世話になったし」と話すばかり。
自分の親戚からも「稼いでる金よこせ」なんて言われて、「親に2000万円預けて使われた」と話ていた」


そして、コンクリート殺人事件に関与していると、倉地明美が証言したのだ。



未成年でAV女優としてデビューした飯島は、あっと言う間にアイドルに成りあがった。
しかし、「何かを忘れたい」と取り憑かれるように、1日平均2本以上のAV出演をしていたのだが、
「コンクリート事件への関与」が疑われていることを考えると、
被害者の女子高生を拉致・監禁したのが1988年11月8日。
被害者を死亡させたのが1989年1月7日。
コンクリート詰めの遺体が発見されたのが1989年3月19日。

この当時の飯島は、逮捕された主犯格の宮野裕史の兄貴分、暴力団の加藤という男と同棲していたと
思われる。
綾瀬警察署が、事件関係者を片っ端から事情聴取する家庭で、飯島愛が警察に呼ばれたのか
同棲相手から脅かされて口止めされていたのかは判らないが、
コンクリート殺人事件の判決が出た1991年7月あたりに、飯島はAV界にデビューしている。



2006年10月、飯島は自分のブログに
「足立区監禁事件との関係。私が殺人事件に関係している。とだいぶ前から噂されていたらしい。
私は殺人事件に関わった事実はありません。」
と記した。


おそらく、2007年に出版される予定であった倉地明美の著書 「銀座《女の闘い》」 の執筆の過程で
コンクリート殺人事件と飯島愛の話が蒸し返されたのだろう。





2006年11月11日のブログ記事に、「金を横領された」と書いている。
記事によると、横領していたのは事務所のマネージャー(男)で、その金は外国人の女が使っていたと記している。
「処罰なんかどうでもいい、刑務所に入れても仕方がない」
「信頼とお金は二度と取り戻せない」とも書かれており
刑事告訴はしなかった。

最後に「一億円は大げさです」と書かれていた事から、一億円には届かなくとも、数千万円を横領された
可能性があるということになる。

それだけの大金を横領されて告訴しないのか?
また、記事を書いた12日に収録予定だった「サンデージャポン」の出演をキャンセルしている。
横領されたことがショックだったからなのか?
しかし、横領自体は2年前の話だという。
2年前の横領のショックで、記事を更新した次の日の仕事をキャンセルするのは、どうも不自然ではないか?


ここでもまた、「過去を知る人物にゆすられ、刑事告訴もできないのではないか?」という話が
ぶり返される。



また、飯島はタレント時代にAV女優であった事を隠したかったようで、「AV女優だった事は話さないで欲しい」
と言った事から、ダウンタウンやとんねるずの番組には出演できなくなった。
なのに、著書「プラトニック・セックス」ではAV女優だったことや、シンナー常習者であった事を激白。

一部報道では「プラトニック・セックス」の印税は1億6000万円だったと言われている。
が、飯島本人はほとんど印税を貰っていないというのだ。
実は書いた人は飯島ではないのではないか?とういう噂も広がった。

では、そのお金はどこに消えたのか?





2007年3月に飯島愛は体調不良を理由に引退。
彼女の事務所の発表では「 腎盂炎」(じんうえん)のため、引退とされた。
だが、飯島がレギュラー出演していた「サンデージャポン」で、引退についての彼女のコメントが歯切れが悪く、
 また、「中居正広の金曜日のスマたちへ」での引退発表の時も「私はずるい事を・・・本当にゴメンなさい」
と意味深な発言をしていたために、「引退は他の理由があるのではないか?」と憶測が飛んだ。


引退した後の飯島は、新しい仕事への意欲をブログに綴っていた。

2007年9月16日
「やりたいことが明確にあります。
恐ろしく、くだらない事をホンキで夢みています」


そう綴った彼女の夢は、ネットを通じて「コンドーム」や「バイブレーター」などの性にまつわるグッズを
特に女性向けに通信販売する事であった。
性欲を煽る性風俗産業ではなく、エイズや性病感染の予防促進という願いが込められていたようだ。

飯島はとにかく顔が広く、引退した飯島にはさっそく「大物」と呼ばれる人達が群がってきていた。
秋元康や、奥菜恵の元夫・サイバーエージェントの藤田晋社長、ライブドアの堀江貴文前社長などと
一緒にビジネスをするのではないかと報じられていた。


そのため、飯島が通信販売をしようとしても、手助けしてくれる人物は山ほどいたのだ。

そして2008年、藤田晋の協力のもと、ネット販売を始められる寸前までこぎつけた飯島。
オリジナル商品として、コンドームや女子が持ちやすいように地味にデザインされた小型バイブレーター、
体臭に悩む女性向けの石鹸等が作られ、
パッケージも、女性が当たり前のように手に取れるように、高級化粧品のようなシンプルで上品なデザインに決まっていた。

2008年秋、提携工場で量産された商品が納品され、飯島の画像を入れたネット通販ホームページも
完成直前というところで、藤田社長と話がまとまらず、開店不可能になってしまった。

この頃に、円形脱毛症になったと、本人のブログで写真入りの記事がアップされている。


そして2008年12月24日飯島愛遺体発見。
発見されるまでに死後一週間は経過した。

黒い闇が広がる中、自殺か他殺か自然死なのか・・・噂は広がるばかり。

日刊ゲンダイでは、親交が深かった中山秀征が飯島の死の真相を知っているのではないかと記している。






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