2011年03月
2011年03月31日
2011年03月27日
身近なひとから
先ほど知り合いの仙台に住む友達に電話した。震災が起きたときは弘前に出張だったらしく、家に帰ったのは14日だったそうだ。多賀城の近くだったが、家自体は無事。しかしライフラインが寸断されたなか、電池式ラジオが唯一の情報源だったそうだ。そして、そのまた数日後にテレビがついでようやく被害の甚大さを目の当たりにしたという。とても気丈な彼女のことだから、「私、げんきなのよね〜」などといっていたが、電話をもらえるのが凄く嬉しいといっていた。たぶん、自分ではわからないショックも大きいだろう。物資の面では足りているが、今だに電気以外は復旧していないらしい。
具体的に何かできなくても、もし知り合いに被災者がいたら電話で励ましたり、話を聞いてあげるだけでもいいのかも、しれない。
彼女自身、楽しいことをしたり、考えたりするだけで、いけないんじゃないか、不謹慎じゃないかと思うらしいが、それはそうではなく、きっと生かされた我々が明るく夢を持って経済活動しながら生きていくのが復興にもつながるのだ。
と、いって見た。自分も、たしかに罪悪感感じることもあるが、明るく、声を出して、笑顔で仕事をしていきたい。
具体的に何かできなくても、もし知り合いに被災者がいたら電話で励ましたり、話を聞いてあげるだけでもいいのかも、しれない。
彼女自身、楽しいことをしたり、考えたりするだけで、いけないんじゃないか、不謹慎じゃないかと思うらしいが、それはそうではなく、きっと生かされた我々が明るく夢を持って経済活動しながら生きていくのが復興にもつながるのだ。
と、いって見た。自分も、たしかに罪悪感感じることもあるが、明るく、声を出して、笑顔で仕事をしていきたい。
やれることをやるしかない。
震災から二週間以上が経った。死者行方不明者を合わせると三万人にも登る被害状況である。
色々書きたいことがあるが、一つ言えるのは復旧には十年、二十年それ以上かかるということである。
なにかしていきたいけど、なにもできない苛立ちと、知り合いが現地にむかっていたり、そんな状況が送られてくるとますます、あせる。
でも、なにもできないのはダメなことなのだろうか。特別なことをしなくても、少額でも募金をしたり、買い占めしなかったり、節電したり、まずしっかり働いていくことが大事だ。
あんな状況を見ていると、なにもしていないのがまるで、大悪人にでもなったような気になるが、きっとそんなことない。
色々書きたいことがあるが、一つ言えるのは復旧には十年、二十年それ以上かかるということである。
なにかしていきたいけど、なにもできない苛立ちと、知り合いが現地にむかっていたり、そんな状況が送られてくるとますます、あせる。
でも、なにもできないのはダメなことなのだろうか。特別なことをしなくても、少額でも募金をしたり、買い占めしなかったり、節電したり、まずしっかり働いていくことが大事だ。
あんな状況を見ていると、なにもしていないのがまるで、大悪人にでもなったような気になるが、きっとそんなことない。
2011年03月25日
教育実習があ
まずい。今気づいたが、この五月に受ける実習がやばいことになっていた。
明星大学の基準でいくと、実習開始の一ヶ月前に書類を提出すればいいのだが、長野市の教育委員会の規定では前年度の12月までに、大学から依頼書を出さないと行けなかったようである。て、もう三ヶ月もオーバーしているじゃないか。
明星大学の方式に従うのか、長野市の方式にしたがうのか、だが。大学の冊子をよくみてみると、特別な受け入れをしている自治体はそれに従うとある。
て、ことは。本当に受けられない可能性がある。というか、完全に大失敗である。しかも三ヶ月も過ぎ、大学にたちあっても相手にしてもらえないかも。
色々取り計らってくれた小学校の先生にも、職場の人にも迷惑をかけてしまうことになるかもしれない。
あ〜〜、本当にやっちゃったよ。
赤字が明星大学。青字が長野市の体制。提出書類や期日、システムがちがう。と、イラストを書いていて重大な過ちに気づいてしまった。
明星大学の基準でいくと、実習開始の一ヶ月前に書類を提出すればいいのだが、長野市の教育委員会の規定では前年度の12月までに、大学から依頼書を出さないと行けなかったようである。て、もう三ヶ月もオーバーしているじゃないか。
明星大学の方式に従うのか、長野市の方式にしたがうのか、だが。大学の冊子をよくみてみると、特別な受け入れをしている自治体はそれに従うとある。
て、ことは。本当に受けられない可能性がある。というか、完全に大失敗である。しかも三ヶ月も過ぎ、大学にたちあっても相手にしてもらえないかも。
色々取り計らってくれた小学校の先生にも、職場の人にも迷惑をかけてしまうことになるかもしれない。
あ〜〜、本当にやっちゃったよ。
赤字が明星大学。青字が長野市の体制。提出書類や期日、システムがちがう。と、イラストを書いていて重大な過ちに気づいてしまった。
2011年03月13日
東北太平洋地震
本当に大変なことになった。金曜日の午後に日本を襲った地震は、一万人もの死者を出す可能性がある。
いまだ捜査、救助活動が進められているが、残骸だらけの町に重機が入れず人力での作業を余儀なくされている。とにかく1人でも多くの人を救助してもらいたい。
夜を徹しての捜査活動、大変でしょうがなんとか頑張って、まだまだ助けを待っている人が沢山いるのだ。
原発の状況も予断を許さない。実際に放射能も漏れて被爆している人がでているのだ。すでに汚染された空気は100キロ以上離れた所までとんでいる。農業、水産業、畜産業、全てが影響を受ける。全て、全ての産業が影響を受けるだろう。
なんというか、やるせ無くなるが、目の前で家族や家、町を失った人の言いようのない悲しみ、絶望感は計り知れない。自分はこうして暖かい部屋で食料も水もガスもあって、コンビニにもビデオ屋にも、外食もできる。仕事も家族もある。
それを思ったら、本当に心が痛む。いったい、被災者はいつ立ち直れるんだろう。
このあと、復興が進み町が再建され、いつもの平安をとりもどし、
しかし、国がどんなに支援しても、行政がどんなにサービスしても、町が再建されても、失ったものはもどらないのだ。特に掛け替えのない人命は。
そう考えると、被災された方はずっとこの悲しみを背おって生きていかなくてはならないのだろう。どんなに支援をしても、生きていくのはその方々なのだ。
自分は何ができる?
特別はことはできないかもしれない、まずは仕事をしていくこと。そうして社会の役にたっていくことしかない。
2011年03月07日
Face Book で再会♪
98年の夏に北海道へヒッチハイクの旅に行った時に、登別で乗せてくれたk田さん(旧姓Uさん)からフェイスブックにお返事があったよ。o(^▽^)o
チリに行くまえに、広島まで会いに行っていらいだ。嬉しいな。何か、夜に胸騒ぎがしてパソコンに向ったら俺からのメールが届いていたそうだ。なんか凄いね。
フェイスブックは昔からの友達に再会できるので良いね( ´ ▽ ` )ノ
98年8月5日の記事参照↓
http://blog.livedoor.jp/tiritirisuru720/archives/1998-08.html?p=3#19980803
チリに行くまえに、広島まで会いに行っていらいだ。嬉しいな。何か、夜に胸騒ぎがしてパソコンに向ったら俺からのメールが届いていたそうだ。なんか凄いね。
フェイスブックは昔からの友達に再会できるので良いね( ´ ▽ ` )ノ
98年8月5日の記事参照↓
http://blog.livedoor.jp/tiritirisuru720/archives/1998-08.html?p=3#19980803