Toshiko Ise's Blog from Shanghai

上海・日本・ドイツを行ったり来たり

あたふたとドイツ行き準備中

コロナ前は上海と日本の往復は
しょっ中だったし、その合間をぬって、
ドイツへもいってたし、
ドイツへいくと1ヶ月以上は滞在してたし、
自慢じゃないけれど、海外への準備は
いつもさっさ!とできた。

ところが今回はトランクを
クロゼットからひっぱり出してきて…
えーっと、その次は、えーっと…
と、なんかぎこちない。
モタモタしてる。

なんでだろう?3年ぶりだから?
いや、歳をとったから?

まあ、そんなことはいまさらどうでもいい。
と自分に言い聞かせながら、
早めに準備を始めた。

ネットで注文する持参品は、
普段はまったく気にしないお届け日を
今回はしっかり確認してから注文。

ロシアとウクライナの件で、
欧州へ行く航空機は遠回りするし、
コロナで減便されてるので、
さんざん調べた結果、
いつもとはまったく違うエミレーツ航空で
ドバイ経由でドイツまで行くことに。

手荷物まで7kgと決まってるので、
荷物の総重量のことも考えながら、
なんども航空便の予約サイトを確認し、
追加を事前に申請するかどうかも考えてる。

搭乗時間の数時間前までに申請し、
クレジット払いすると、
追加荷物の料金も半額になるらしい。

など、など、コロナ禍で、
三年寝太郎のように家でダラダラしてたけれど、
ここんところ一気に戦闘モードに入ってるわが家。

あっ、わが家にはもっと手のかかることが、
まだ、あるのでそっちの準備も
あたふた、あたふた…。

もっと手のかかることについては、
また、ブログにでも書こうかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。

DDCE1DEE-AB2C-4272-9444-FCA6891C1B23





いいね!岡本太郎の「TARO MAN」

岡本太郎が世に送った唯一無二の作品
「TARO MAN」の再放送をNHKEテレで見た。
1970年代の作品らしい。

5分くらいの作品が10本連続で放送された。
ほとんどのセリフは岡本太郎の言葉。

主題歌もまさにそうで、歌詞を聞いただけで、
そうだ、そうだと私なんて
100ぺんはうなずいた。

10の作品の中で特に気に入ったのは、
「一度、死んだ人間になれ」

「どれだけ予測をしても、その行動が意味不明なら
予測が無駄になる」

「一度、死んだ人間になれ、
わかりきった未来を求める古い自分を一度殺すんだ。
そして、見えない未来にいどむんだ」

「それで自由になってありのままを生きるんだ」

「人の評判なんて気にするんじゃないぞ」
(以上、台詞引用)

これを聞いたとたんに、自分自身のことが
思い出されて、あ〜あ、あの時は
私は一度、死んだんだ思うと
胸がいっぱいになった。

40才くらいから悶々と悩みだし、
40代後半で上海に留学するまで、
苦しみながら、一度、私は死んだ人間になったんだ。

そして、予測できる未来を一度、無いものにし、
自分で自分を仕切り直したんだね。

その時のことを思い出すと、
よく決心できたもんだと思う。

偉かったね〜と、アホみたいだけれど、
なんだか自分に感動しちゃう。

確かに、岡本太郎のいうように、
子育てが終わり、
時間を持て余し、
ぼーっとしていたとき、
私の未来の姿がはっきりの目の前に現れた。
それは、夫と2人でゆっくりお茶を飲んでる姿。

それを見たとたん、
そんなのはいやだ〜!と叫んだ。
まだ、私の人生を生きてないやん。

長生きするいまの時代に、
2人でぼーっとお茶飲んでる未来しか
予測できないなんて、
まっぴらごめんだわと思った。

そこからは、俄然やる気が湧いてきて、
ゆっくりだが、私が思い描けない未来、
何があるかわからない未来へと
向かって歩き始めた。

遅々と進まなかったけれど、
でも、確実にその方向へ進んでいったんだ。

皆さんも、ぜひ、見て!

0DA191A1-E4D3-4F4A-948E-063EC09D164A








女性が堂々と生きられる社会

NZ、ドイツ、上海で、
長年にわたって私が見てきた
女性たちの堂々とした態度や振る舞いに、
最初はえっ〜!と驚くばかりだった。

やはり人間は毎日何度も目にする
まわりの光景から、大きく左右されるもので、
それも知らぬ間に、計り知れない影響を受けているので、
数年後には私自身の考え方や態度も大きく変わっていった。

特に上海では、ええおばさんになってから留学し、
1年間だけだったけれど寮ということろに
生まれて初めて住んで、
他国の留学生と中国語を勉強した。

その後、無謀にも会社まで経営していたので、
中国人相手に、女性であっても
堂々と交渉事に立ち向かわないと負けるし、
自信有りげに振舞うことも大事だし、
信用も得られるし、
社員からも馬鹿にされないしと、
そのほうがすべてが上手く進む
ということを体得したので
一気に変われた。

日本にずっと住んでたら、
ずっと気が付かなかったかもしれない。

いや、時代の流れもあり、
少しずつ気がつくとは思うけれど、
それでは遅すぎで、人生が終わってしまうし、
ひといちばい周りの目が気になる私なので、
なかなか変われなかったと思う。

偉そうに言ってるけれど、
上海で起業するまではあんがい気弱だった。

人生は思ったほど長くない。
はやく変われたほうが、
その後の時間を存分に楽しめる。

住む場所、自分の身を置く場所を
ごろっと変えることで、すべてがスピードアップする。

私は居場所、それも今いる所から
なるべく距離的に遠い所に、
勇気を持って変えてみることを、
心からおススメする。

2013年 上海
472CD365-1697-458E-8A6B-6CB95F8A5459

桐島洋子さんの認知症への思い

桐島洋子さんが7年くらい前から
認知症だったという記事を読んで
かなりショックを受けてる、わたし。

あんなに聡明で元気で、私を含む多くの女性に
夢や希望や勇気を与えてくれた人だったから。



桐島洋子さんが子どもたち3人を連れて
アメリカで過した日々のことを書いた本を読んで
その逞しさにびっくり仰天し、
私もいっちょやるか!な〜んて、
威勢だけはよかったのを思い出す。

へなちょこな私は、当時、子どもだけを連れて
海外移住なんてまねは、到底できなかったけれど、
その本の影響を大きく受けて、
娘だけ中学生のときに2年間
NZに単身で留学させてしまったのである。

ということもあって、桐島洋子さんとは2度ほど
食事会や講演会などで会ってるので、
3兄妹のことはいつも気にかけていた。

今回、3兄妹で相談しながら介護されてる
様子を読んでると、
昨年亡くなった母の介護の時のことが
改めて思い出される。

記事の中にもあったように、
「女性はいろいろ先回りして考えすぎる」
「男性の鈍感さが救いになることもとても多い」

あ〜これだ、これ!と私も膝を打った。
そうなんだよ、そうなの。

私の場合も妹とと2人だけなので、
いつも母の気持などを先回りして、
2人で考え過ぎてしまい、気を使い過ぎて
疲れ果ててた時期があった。

ここに例えば妹の旦那さんとか、
私の夫とかと、常に情報を共有して
相談していたら、色々な判断が
もっと違っていたのではと、
いまならそういえる。

日頃は、夫のことを、ほんまに鈍感なんやから〜
などど揶揄してるけれど、
その鈍感さや楽観さが助けになることも
あるんだと、今回は強く思い知った。

これからは誰もが避けては通れない
認知症や介護のことで、
いろいろ気付かせてくれた
よい記事だった。

この本は何度も、何度も読んだよ〜。

63E7D0CD-777A-4B40-A01E-38C3D98506D3













18歳のときにいったドイツと日本の違いに唖然

遠い遠い昔のことだが、
私が18歳の夏休みに、
ドイツでホームスティした。

ハンブルグから車で1時間くらい北へ行った
田舎の大きな農家に泊めてもらった。

当時、見るもの、聞くもの、食べるものなど、
何もかもが人生で初めての体験で、
ドイツ語も話せず、大きな戸惑の連続だったが、
そのときのことは、今でも鮮明に覚えている。
最近はなんでもすぐに忘れるっちゅーのに。

日本は真夏だから、ドイツも暑いだろうと
勝手に思い込んで、夏服しか持参しなかったから、
あまりの寒さで耐えきれず、
セーターを一枚だけ買って、
ずっと着たっきり雀だったことも辛い思い出。

18歳のときに始まったドイツとのご縁は
もう、それっきりと長い間思っていたのだが、
あれ〜?と気が付いたときには、
娘がドイツ人と結婚して、
私が18歳のときに体験したあのドイツに
15年くらい前からもっともっと
深く、幅広く関わることになった。

18歳のときにいったドイツで心底驚いたのは、
ドイツの学校は小学校から高校まで
午前中で終わって、お昼ごはんは家に帰って食べるということ。

もちろん、中学時代に私があれだけ嫌だった部活もない。
私が参観した高校ではひとクラスに
たった15人しか生徒はいなかった。

それ以外にもたくさん驚いたことはあったが、
私自身も高校を卒業したばかりだったし、
ホストファミリーには高校生を含む
3人の子どもがいたので
学校制度に関することは私にとって
天と地がひっくり返るくらいに、
え〜っ!!と、のけぞって驚いたこと。

娘が結婚してからは、ドイツの社会のことを
さらにもっと詳しく知ることとなり、
なんて素晴らしい社会システムなんだろうという
ことも多く経験してきた。

今回のドイツ滞在ででも、
日本もぜひ!取り入れたらいいのにと思うことは、
日本人にももっと知ってもらいたいので、
どんどん書いていこうと思う。

といっても、ドイツでは住み込み家政婦なので、
日本ではいつもダラダラしてる私の体力が
保つかどうかが、ちょっと心配。。。


2BA5BE2D-4560-4DD4-A969-D606B0059173





えいやっ!と3年ぶりにドイツへ

ここのところ、なんと3年以上もの間、
コロナで海外との行き来が
とてもめんどくさい状態が続いてた。

最近、やっとそのハードルが
一つずつ取り払われてきたので、
意を決して、えいっ!とドイツ行きを決めた。

これからのドイツは、心地よい夏とは違い
寒くなるばっかりで、寒がりの私などは
あまりウキウキしないのだが、
そんなこともいってられなくなった。

いつまでも、うだうだと決めかねていると、
娘から「いつ来るの〜」と何度も聞かれる。

そこで、ドイツの家族の10月の予定を聞いてみると、
子どもたちの学校の秋休みが2週間ある。

あ〜ぁ、じゃこの間に
子どもたちの面倒を見てほしいということかな。

と、思いきやもっとすごいのが、まだあった。
それは、娘が会社からの派遣で
10月〜11月にかけてイギリスの大学に、
2週間勉強にいくらしい。

その間に、義息子の出張などもあり、
どうしても家で子どもたちの
面倒をみる人がいるのだ。

という訳で、10月にはドイツで
何かと私の出番もあるようなので、
人のお役に立てるうちが華ともいうから、
コロナですっかり出不精になった
重い腰をよっこらしょと上げることにした。

3年も日本にじっとしてたから、
もう、海外への生き方も忘れちゃったので、
ゆっくりと準備を始めることにする。

DE84E2C5-F87A-47D7-899F-FBE4B68DF276

日本は女性が生きにくい社会

このブログは2017年8月に書いたものです。
いま読み返してみても、いまもまったく同じように思っていて、
書くとしたら、同じことを書くと思うので、
今回、もう一度このブログをupします。

日本は女性がいかに活躍しにくい社会か、
いや、いや、なにも活躍しようなんて思わなくても
ただ、ふつうに生きようとしても、生きにくい社会なんだよね。

さらには、女性ですら、そのとこに気が付いてないというのが、
とても残念で仕方がない。もっと活躍できる素晴らしい女性がたくさんいるのに。

私も日本で生まれ育ったので、長い間ずっとこんなものだと思ってた。
英語で様々な記事を読んだり、海外での話はいろいろ聞いていて、
海外の事情も少しは理解していたつもりだった。

ただし、それは自分が日本を出て、海外に暮らし働くようになるまでの話。
実際に上海で働いてみて、先進国でもある日本が、
まさか、ここまで普通じゃないとは思ってもみなかった。

日本の外へ出て、そこでしばらく生活すれば、
女性ならだれでもすぐに気がつくと思うよ。
それだけ違うということ。

日本の外では、例えば欧州やNZやオーストラリアや上海でも
女性だからこうしなさいとか、ああしなさい、
ということは社会からは言われない。

日本はというと、女性だから女らしくしてね、
なんていうことを社会全体から強要される国なのだ。

女は黙ってろとか、ちょっと反対意見をいうと生意気だ、
みたいなことを、会社などでは、さすがに口では言われないが、
暗黙のうちに、だれとはなしに態度に現れている。

これはきっと日本の男性に話してもなかなか理解できないと思う。
だって、男性は一度たりとも、女性だけが感じるような
居心地の悪い目にはあったことがないからね。

1つ例をあげると、中国では男女関係なく、
その人のポジションで上司なのか部下なのかを判断する。
これはすごく当たり前のこと。でも日本ではそうではない。

日本で会社訪問に行くと、女性の名刺に社長と書いてあっても、
一緒に来た男性社員の顔ばかりを見て全員が熱心に話をするんだから。

これは私が中国と日本で何度も経験してきたこと。
もう、腹も立たなくなってしまったけれどね。

もちろん、女らしい人は素敵だし、私も好き。
でも、強要される女らしさはまっぴらごめん。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。

image





女性よ、もっと怒れ!

中国やドイツで、それも公共の場で、
身体を激しく震わせながら全身で怒りを表現する女性を
何度も、何度も見てきたので、
女性でも理不尽な扱いをされたり、
心底腹が立ったときは、はっきりと怒りをあらわにしないと、
誰にも理解されないと思い知った。

怒りというのは、ここぞというタイミングで
すぐ発しないと効果がないのだが、
突然やろうと思ってもできるものではない。
日頃からちゃんと練習をしとかないと。

いつも下向きかげんに、にこにこしてたら
馬鹿にされるだけではなく、いつまでたっても、
自分の思いは叶えられない。

中国での交渉ごとでもそうだった。
へらへらしてたら、相手はどこまでも、
ぐいぐいとつけ込んできて、いつもこちらは負け戦。

まるでおしくら饅頭ではないが、
気がつくと、いつも私が土俵の外へ押し出されている。

相手があまりにも不当な条件を示してきたら、
しっかり怒りを表情にも表して、
拒否するところからがスタートで、
本格的な交渉が始まるわけだから。

いつも能面みたいに無表情で
たまに意味なくニタニタする私の言うことなんか
誰も聞いてくれなかった。

怒りをちゃんと表現してる人のほうが、
その気持ちも相手によく伝わって、
願いまでもが叶うものなの。

何もしてくれない、もう、何やってもムダだ〜と
ふてくされる前に、あなたはここぞというときに
ちゃんと表情を伴って怒ってますか?
と聞きたいわ。

私も中国で、最初はそれが出来なかったから、
いつでも、いつでも後まわしにされて
損ばかりしてた…((´;Д;`)


27033A88-8D1B-40B5-AB66-382C93D6DD3A


根底からガラガラと崩れ落ちる体験

留学といえば、英語の習得を目指して海外へ行き、
現地の高校、大学、あるいは語学学校に入って言語を学ぶものと
誰もがまずはそう考えますよね。

私ももちろん留学の第一目的は語学。
私の場合は現地で生きていくための中国語の習得でした。

ところが実際に現地に住むと、
語学どころかそれ以上に学ぶもの、
それも、「今までの私の人生はいったいなんだったんだ!」
と思えるくらいに、何かが根底からガラガラと
崩れ落ちるような体験も否応なしにできるのです。

現地の人たちとの交流で、日本にいては決して出会えない
人々の生き方や考え方などと身近に接することができます。

中国に20年足らず住んで帰国し、
いま思えばあんなに必死に勉強した中国語だって、
もう、すでに少しずつですが、忘れかけているのです(泣)

しかし、現地で中国を通して見た世界観は、
帰国した今でも、世界の出来事を判断するときや、
私自身の生き方を考えるときにとても役立っています。

いや、きっと私の人生が終わるまで、
私にとってすごく大きな意味を
もたらせてくれると自信を持っていえます。

『人生は冒険』と考えれば、中国で過ごした時間は、
私の人生の中でも、想像もしてなかった
危険と背中合わせの大冒険でした。

でも、冒険とはわくわくどきどきするもので、
それだからこそ、ずっと記憶に残ります。

あるときは、退屈で淡々としていて
なんて長いんだ〜とさえ思える人生の中で、
冒険は忘れがたい思い出となって
ずっと光り輝き、私を励まし続けてくれるでしょう。

E9DD3F7F-55F5-45F0-B8F1-0EB9815758B4



上海で起業するなんて、アホちゃうの?

ほんとにそんなこと出来ると思ってんの?
アホちゃうの?と、自分で自分のことを思ったら、
ほんなら、やってみよか!となるのが、わ、た、し。

いま思うとというより、
冷静になって振り返ってみると、
あるいは、世間の常識から考えてみると、
どう考えても無茶で、金銭的にも労力的にも
まったく割りに合わないことをやってきたと、
自分でもちゃんと認めているのよね、私は。

でも、一旦乗りかかった船となると、がむしゃらにでも
手足をバタバタ動かしてでも、波を乗り越えて
漕いでいかないと沈んでしまう。

次から次と押し寄せてくる困難に
立ち向かわかないといけないから、
立ち止まっている余裕がないという状態になる。

ただ、どうしてあんなに馬鹿力が出て
突き進めたのかな?とじっくり考えてみると、
自分で決めてやり始めたことだから、
誰のせいにもできないということに尽きると思う。

すべての責任を自分で取りながら、
霧で視界の悪い中を、
三歩進んで、二歩押し戻されながら、
なんとか前に進んでいったということかな。

会社から命令されてとか、
誰かから勧められてというのなら、
と〜っくの昔にやめていたよ。

家族以外のほとんどの人から大反対されたから、
いっちょやったるか〜と思って
大海原に小舟を漕ぎ出したということなのよね
上海で起業したということは。

いま思うと、よくやったね!
と誰も言ってくれないけれど、
あの時の自分の勇気にだけは
自分で褒めてあげてる(笑)

2D537783-2972-483A-89DB-F6D8E89CF638







最新コメント
Profile

Liz

Archives