Toshiko Ise's Blog from Shanghai

上海・日本・ドイツを行ったり来たり

良くも悪くも世界は繋がってしまってる

地球はすっかり繋がってる。

人件費の高い国に住んでる人は、
コツコツと熱心にモノづくりをしても、
もう勝ち目はなさそうだ。

付加価値のあるモノを独自のアイディアで
スピード感を持って開発し続けないと、
まったくお話にならないのだ。

その理由はネットと物流の発達によって
世界は繋がってしまったから、と私は思ってる。
先日、そのことを思い知った出来事があった。

若い頃は好きでレース編みをしてた。
最近、気が向いたのでまた始めてみた。

編み図をピンタレストで探しながら、
あちこち画面をquickしていると、
「この作品は4350円でパキスタンから送料無料で送る」
という表示が出てきて、ホンマかいな?とびっくり。

すぐ、なあ〜んだとちょっとガックリ。
自分で何時間もかけて、肩を凝らしまで編まなくても
手作りの一点モノが、それも予想をはるかに下回る安さで、
数日で日本まで送ってくるのだ。

いまや世界に散らばる個人と個人が情報だけでなく
モノのやり取りまでできてしまう。

大企業が海外でモノを大量に安く生産し、
100円ショップなどで売っているのは
日本人なら誰でも知っている。

デジタルで送受信できるものも、
例えば翻訳などはもうだいぶ前からそうなっている。

海外にアウトソーシングすれば、
日本に住んでいる人には無理なお願いでも、
人件費と時差によって、海外にいる人に
かなりの好条件でお願いできたりする。

それがいまや形ある商品も同じことが、
それも個人と個人が簡単にできる時代になった。

人件費の高い国に住んでいる人たちに向けて、
人件費の安い国から宣戦布告されているようなもの。

日本にいてノホホーンとしていたら、
仕事は次々に奪われてしまうかもよ。

じゃ、デザインやアイディアで勝負するのか?と思いきや、
デザインもAIにさせたほうが良いらしい…。

ということは、AIもヒタヒタと仕事を奪いに
私たちのすぐ後ろまで近づいて来ているのね。

じゃ、人が喜んだり、楽しんだり、安心できる
心地良い居場所を提供する以外に、
人間のできる仕事ってあるのかしらん?

と思うくらい、将来のことを考えると
頭の中がチンプンカンプンになってくる。

写真は私が編んだドイリーと弊社販売中のあこや真珠ピアス4BEB9102-2F75-49F3-8602-E05A3DB375D9





なんでも鵜呑みにしないこと

2002年に上海に移り住んで、ありのままの中国を目の当たりにし、
驚いたことを数えあげたら、もう、きりがないくらいたくさんある。

だが、その中でもいちばん当惑したことは、
私がいままで、日本で伝え聞いていたことを
本当だ、事実だと思って信じてきたことが、
実は嘘だらけだったのでは?と気付き始めたこと。

だって、目の前で現実に起こっている上海のことが、
日本のマスコミによって、日本ではまったく違うように
伝えられてるという経験を何度もしたから。

ひとりの日本人の目に映った出来事を、
実際とはほど遠いにも関わらず、日本のテレビなどでバンバン報道され、
それを疑うこともせず、すっかり信じてきた今までの自分にぞーっとした。

これは生活スタイルや習慣や考え方だけではなく、
もっと世界を大きく揺るがす政治やビジネスの世界も同じ。

ある日、日本では誰もが知っている新聞社の記者が
私に電話をかけてきた。詳しい事情など説明もせずに、
急いでいるのか、とにかく早口でいろいろ聞いてきて、
挙げ句の果てには、これについて詳しい中国人を紹介してほしいと。

心当たりがないわけでもないが、
こんな誠意のない記者に私の大切な中国人を
紹介する訳にもいかないと思い、断った経緯がある。

これが極め付けで、ますます日本に日本語で伝えられている
世界のニュースは信じられなくなった。

現地の事情もほとんど知らず、現地の言葉も話せない記者が
その辺の適当な日本人(この場合は私)にちょっとインタビューして
日本に向けて、まことしやかに発信するのだ。

日本にいる私たちはマスコミがテレビや新聞で伝えることは、
ほぼ疑いもしないで鵜呑みにしてしまっている。

上海での出来事以来、もう何も信じないぞー。
人から聞いた話なんて信じるもんか!
と、疑い深く、あまのじゃくで、
なんとも厄介な性格になってしまった私。。。

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ノーと言える社会は心地よい

私も日本だけにずっと住み続けていたのなら、
なるべく周りの人と波風立てず、
たとえ反対意見を言う時でも、
真綿で包んだように、相手を傷つけないように言おうと、
きっと努力していたに違いないと思う。

ところが、上海に15年間ほど住み、
同時に15年前からドイツでも年に1、2ヶ月生活してみると、
私の考え方はガラリと変わった。

日本人は、自分と違う意見をいう人がいると、
どうしてそう考えるのか?などとは聞かないで、
まるでその人の全人格を否定してしまうかのように、
黙ってしまう。もう、知らんわ〜という感じで。

みんな一緒という同調圧力に負けるということを
毎日のように、知らないうちにやってしまってる日本人。

ドイツ人は私も最初は怒ってるのではないかしらん?
と思ったくらい、断るときははっきり断るし、
意見が違うときは、ほぼためらわずまずはノーといい、
それから自分の意見を言い始める。

日本人は勧められたら、いらないけれど、
悪いからとりあえずもらっておくかというのから、
まずは改めたらいいのかな?と思ったりもする。

だけど、日本の社会の中にどっぷり浸かっていると
なかなか言えるようにならないのも、すごくわかる〜。

一度、まったく価値観の違う、習慣の違う場所で
しばらく、ひとりで暮らしてみるのもおススメ。

慣れると、あんがいお気楽よ!

ドイツのクラインガルテン(小さい庭)

もう15年以上もドイツと日本を行き来していて、
私が心そこ羨ましいなと思うのが、ドイツのクラインガルテン(小さい庭)。

これは街の郊外でよく見かける集合型の市民農園。
200年の歴史をもつ農地の賃貸制度なのである。

一度、契約すると20年以上借りることができると聞いたことがある。
それも年間たった数万円で。

野菜や果樹、草花が育てられているだけでなく、
芝生をしき、子ども用の遊具までおいてあるところもある。

一区画なんと100〜400平方メートルもあり羨ましいくらい広い。
私が最初見たときは、なんとドイツにも小さくてかわいい家に
住んでいる人がいると思いっきり勘違いしたくらい素敵なのだ。

それにしても借りている人は熱心に管理してる。
4月〜9月ごろまでお天気の良い日には、
たくさんの人が自分の農園で大いに太陽と自然を楽しんでいる。

この制度は19世紀、都市化に伴う劣悪な環境下に置かれた
労働者や子どもたちのために自然と触れ合う必要性を
お医者さんが提唱したことから広まった。

なんという素晴らしい提唱なんだろう、それも19世紀の初頭に。
日本もいちおう先進国なのに、労働者と子どもたちの住環境のことを
真剣に考えたことがあるのだろうか。

「自然と触れ合う」ということがいかに人間の心と体にとって大切かということを、
ここドイツにいると思い知らされる。

2016年に撮ったウッパタールのクラインガルテン

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ウィーン3兄弟ヘーデンボルグ

🎍明けましておめでとうございます🎍

今年は日本で静かなお正月。

さて、年末をドイツで過ごす機会が増えた我が家では、
最近、新たに恒例になった習慣と、
もう、やめっちまえ!と廃止した長年の習慣がある。

恒例になったのは、
新年にウィーンフィルハーモニー管弦楽団の
「ニューイヤーコンサート」を聴く(観る)こと。

ウィーンから世界90各国にライブで配信されるので、
離れているドイツの家族と同時に同じものを楽しめる喜びは大きい。

やめちまったことは、
意味のない日本の商業ベースのクリスマス。

幸いなことにというか、いま我が家には小さい人たちが
いないので、えいやっと実行できた。

ということで、年末にはお正月の準備だけに専念でき、
なんだかすっきり感が気持ちよい。

このニューイヤーコンサートを見ていて、
ここ数年、気になり出したのが、バイオリン奏者の中に
日本と欧州の血が混ざった人がいるのでは?ということ。

その人たちがどんな人なのか、今年の番組の中で、
やっとはっきりとわかったので、ちょっとうれしかった。

なんと今年、第1バイオリンの中にいた人は
「ウィーン3兄弟ヘーデンボルグ」の中の長男。

昨日、ウィーンからの生中継で解説をしていたのが、
次男のチェロ奏者。日本語もとっても上手だった。

彼らがウィーンに生まれ育ち、音楽家の道を歩みながら、
ちゃんと日本語も操れるようになったということは、
日本語を母語とするお母さんの功績は
非常に大きいと改めて感心してしまう。

ドイツで生まれ育つ我が家の孫たちを観察していると、
母親が日本語で話すのを諦めたとたん孫たちの日本語上達は
止まってしまうというのを、嫌というほど知っている私としては。

この3兄弟は昨年あたりから、日本での活動もはじまったらしい。

欧州でも日本ででもいいから、
ぜひ、聞いてみたいなぁという気持ちが
最近の私にしてはめずらしく、フツフツと湧き出てきた。

これはいいことだね。

もう、是が非でも行きたいとか、
是が非でもやってみたい、
という気持ちは湧き出てこないのかな?
と、最近、チラッと心をよぎったことがあったものですから。。。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。

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老人が働かなければならない日本

上海から日本へ戻るたびに、
あるいはドイツから日本へ戻るたびに、
日本は活気の失われた老人の国になっちゃった〜と、
ちょっとさみしい気持ちになる。

まず、日本の玄関である空港に着いたとたんに
それを実感させられる。清掃員やトランクなどの大きな荷物を
リムジンバスに乗せる人がもうかなりお年寄り。

なんだか気の毒で、若くもなく、さほど体力のない私でさえ、
自分でやろうかしらんと思ってしまうくらいだ。

これは海外から日本に来るひとたちも
みなが声を揃えて言っていること。

日本に初めて観光に行ってきたという中国人に、
日本はどうだった?と聞くと、

開口一番に、お年寄りが多く働いていて
びっくりした〜という答え。

それも重い荷物を運んでくれたり、
旅館の下足番などをしてせっせと働いたことに、
驚きと戸惑いを隠せない感じだった。

それもそうだね。中国ではお年寄りは働かないし、
その上、お年寄りを大事にする中国人から見れば、
アジアで唯一の先進国の、それもお金持の国だと思ってる日本で、
高齢になってまで、どうして働いているの?
と不思議で仕方がないのだ。

65歳を過ぎると体力も気力もガタンと落ちるし、
まともな仕事の求人など、どこを探してもない。

いくつまで生きるかわからないし、
少ない年金だけではとても暮らしていけないのだから、
どの高齢者も生きるために、仕方なく働いているのだ。

好きで働くのと、働かざるおえないのとは大違い。
職人さんなどの特殊な職業は別として、
誰も高齢になってまで、若い人の荷物なんか、
運びたくないと思う。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。


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人のことなんか知ったこっちゃないというドイツ人

Dusseldorf から南へ列車に4時間乗って
Baden-Badenへ行ったときのこと。

さて、その列車の中で感じたこと。

分厚いコートで着ぶくれした巨体ドイツ人たちが、
それぞれかなり大きな荷物やスーツケースなどを持って乗車してくる。

列車が駅に停車するたびに、車内はしばし身動きがまったくとれなくなる。
乗った列車はチューリッヒ行きだから、みんな荷物が多いのは当然かも。

人をおしのけて前に進むということは、決してしないのがドイツ人。
かといって人のことを考えて「さっさとする」ということもいっさいしない。

だから、発車してから20分以上たっても、まだ指定席に座れなくて、
みんな荷物もって通路でモタモタしている。

人のために自分が譲ろうなんて気はサラサラないけれど、
人のやっていることには口だししないで、じっと待つという感じか。

日本で例えるなら、
「私はあなたのことを考えて譲るから、あなたも譲ってくれない?」
という気持ちがどんどんエスカレートしていき、
「当然、譲るべきじゃないの?」となり、譲らない人には、
変な圧力をみんなでかける、ということになるのかも。

それにしても、ここまで自分のことだけを考えられるなんて、
そうではない日本人の私から見れば、
なんとも

「すがすがしく」

さえ、思えてくるんだわ〜。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。


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ママが留守のドイツでてんやわんや

前回のドイツ滞在から1ヶ月くらいしかたってないが、
また、先月末からドイツに来ている。

夏のドイツに比べれば、冬の気配がする暗いドイツは
ちょっとつまらないなあ。。。

まあ、いまはそんなことも言ってられない。
今回のドイツでの私の最大のミッションは
娘が出張でアメリカに1週間行くので、
助っ人としてベビーシッター兼家政婦。

日頃は遠くに離れていて、あまり助けてあげられないし、
今回は育休明けのはじめての出張だから、
娘のキャリア継続のためにも、私がひと役買うことに。

というわけで、6歳と1歳半の孫2人に
振り回されるここ1週間になりそう、いや、もうなってる。

まあ、孫といっても、それぞれの年齢に応じて、
しっかり知恵が、いや悪知恵が働くからね〜。

ドイツ語がわからない私は、ちょっとうっかりすると
コロッと騙されるので、毎日油断大敵なのだ。

パパの日本語も大したことないし、
孫娘の日本語を話す能力も、まだ、まだだし、
いやいや期がはじまったばかりの1歳半は、
我が物顔で造語をひとりで話している。

何をするにも誤解が付きまとい、私が理解できない
ドイツ語中心の生活が、わけのわからんままに過ぎている。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。

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ドイツのモンテッソーリ小学校混合クラス

ドイツの学校制度は日本とはだいぶ違う。
だから、理解するにもちょっとややこしい。

学年が進んでいくとだんだんわかってくると思う。
とにかく、小学校は4年生までしかないので、
あんがいさっさと終わってしまう。

授業は午前中のみ。これも日本とはえらい違い。
ということで、一年生からから四年生までが
日本の小学生にあたるのかな。

ほとんどの学校が公立で、近所の行きたい学校を自分で選ぶ。
親子面接などがあり、入学できる人数なども考慮して学校側が選ぶ。

孫娘の通っている学校はモンテッソーリ教育を実施している。
クラスは混合で、1学年7人で4年生までの合計28人が1クラス。

なんと1クラスはたった28人なんて、羨ましい限りだわ〜。
全校生徒はほぼ100人と小規模。

その割には校舎が大きい。いったいどんな施設があるのかなあ。
まあ、通っているとだんだんわかってくるだろう。

混合クラスだから、年上のお姉さんやお兄さんが
新入生の面倒を見てくれている。

孫娘も入学と同時に振る舞いや話し方がお姉さんぽくなってきた。
きっと同じクラスの自分よりもはるかになんでもできる
お姉さんたちを羨望の眼ざしで見てるんだね。
やはりまわりの子どもの影響は大きい。

モンテッソーリ教育の授業の中身も
次第にわかってくるから、それも楽しみ。

☆今日もブログに来てくれて、ありがとうございます。

入学式前日の準備の様子

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ドイツのモンテッソーリ小学校 △垢討な入学祝い

ドイツで小学校1年生になるときにもらうお祝いが
なんともユニークなのでここでちょっとご紹介。

なんと、これが1810年ごろからあるドイツの伝統的な習慣らしい。
いってみれば、小学校入学時にもらうプレゼントなんだけれど、
プレゼントを入れるケースがなんともユニークな形をしている。
見かけたときにはなんじゃこれ?と思ったくらいだったから。

参考写真
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最近ではドイツ語圏のほかの国、オーストリアやスイス
にも広まっているらしいから、微笑ましいよね。

もともとは、甘いおやつをたくさん詰めて、
人生の学業の始まりを楽しみにさせる試みのようだったらしい。

ということで、わが家でも新しい文房具、本、洋服、おやつなどを
両親や両祖父母がせっせと準備した。

ドイツの親戚からの50ユーロ札なども入っていて、
へーえ、現金もいれるんだとちょっと驚き。

この三角コーンのようなケースは
ドイツ語でSchultute(シュールテュータ)と呼ぶ。

手作りする親もいるらしいが、
今回は娘がネットで名前入りのモノを注文して作ってもらった。
標準的な大きさは60センチ。
これでも大きくて持てないくらいだった。

入学式当日はそれを自慢げに学校へ持っていく。
別にそれで何をするわけでもなかったんだけれどね。

でも、それを見た周りの人たちは、
あらっ!あの子は今日から1年生だわっ。
という感じでニコニコして声援してくれてる。

本人は得意満面の笑顔で誇らしげに歩いている、
とこんな感じだった。

私なんかは、ただ持っていっただけなのか・・・
と、思ってしまったけれど、
そんなことをしてみたいのが、子どもなのよねー。

入学式を終えて家に戻り、近所のお友だちも呼んで
お祝いのパーティをして、もらったプレゼントを
ぜーんぶ開けて大喜びしてた。

プレゼントの写真を撮り忘れたトンマな私😂

☆今日もブログに着てくれて、ありがとうございます。

孫娘の大好きなドイツのオマ(おばあちゃん)とオパ(おじいちゃん)

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