数年の迷いながらの準備期間を終え、
40歳台も終わろうとしているときに、
夫の同意も得て上海留学を決行した。
いちばん最後に信頼してる
父の考えも聞いておきたいと思った。
父が反対すれば、同時にその理由に私が納得すれば
留学は辞めておこうとまで考えていた。
父は留学すること自体には、
反対なんてしないと思ってた。
だけど、大正生まれの父からしてみれば、
夫を日本に残して、妻であり主婦でもある
私が海外留学するとは、
なんと自分勝手な娘なんだと
思うのではないかと私は考えていた。
わざわざ父の所まで話にいった。
どきどきしながら話しおえると、
「いまから、まだ勉強するんか、えらいな」
とだけ言って、ぷいっと席を立っていき、
あとは一切なにも言わなかった。
ここで、私はよっしゃ!
と、心の中でガッツポーズ。
その後、私が上海へ旅立ってから、
父は後にも先にも一度だけ私に手紙を書いて
上海まで航空便で送ってくれたことがあった。
あとで知ったのだけれど、
父は一通の筆書の手紙を
日本に残ってる夫にも書いていた。
その中で父は、
「不便な生活を送っているでしょうが、
娘の我がままを、どうかゆるしてやってください」
というものだった。
もう、涙なくしては読めなかった…
いまもその手紙は私の宝物。
40歳台も終わろうとしているときに、
夫の同意も得て上海留学を決行した。
いちばん最後に信頼してる
父の考えも聞いておきたいと思った。
父が反対すれば、同時にその理由に私が納得すれば
留学は辞めておこうとまで考えていた。
父は留学すること自体には、
反対なんてしないと思ってた。
だけど、大正生まれの父からしてみれば、
夫を日本に残して、妻であり主婦でもある
私が海外留学するとは、
なんと自分勝手な娘なんだと
思うのではないかと私は考えていた。
わざわざ父の所まで話にいった。
どきどきしながら話しおえると、
「いまから、まだ勉強するんか、えらいな」
とだけ言って、ぷいっと席を立っていき、
あとは一切なにも言わなかった。
ここで、私はよっしゃ!
と、心の中でガッツポーズ。
その後、私が上海へ旅立ってから、
父は後にも先にも一度だけ私に手紙を書いて
上海まで航空便で送ってくれたことがあった。
あとで知ったのだけれど、
父は一通の筆書の手紙を
日本に残ってる夫にも書いていた。
その中で父は、
「不便な生活を送っているでしょうが、
娘の我がままを、どうかゆるしてやってください」
というものだった。
もう、涙なくしては読めなかった…
いまもその手紙は私の宝物。