Toshiko Ise's Blog from Shanghai

上海・日本・ドイツを行ったり来たり

亡き父は私の留学の心の支え

数年の迷いながらの準備期間を終え、
40歳台も終わろうとしているときに、
夫の同意も得て上海留学を決行した。

いちばん最後に信頼してる
父の考えも聞いておきたいと思った。

父が反対すれば、同時にその理由に私が納得すれば
留学は辞めておこうとまで考えていた。

父は留学すること自体には、
反対なんてしないと思ってた。

だけど、大正生まれの父からしてみれば、
夫を日本に残して、妻であり主婦でもある
私が海外留学するとは、
なんと自分勝手な娘なんだと
思うのではないかと私は考えていた。

わざわざ父の所まで話にいった。
どきどきしながら話しおえると、
「いまから、まだ勉強するんか、えらいな」
とだけ言って、ぷいっと席を立っていき、
あとは一切なにも言わなかった。

ここで、私はよっしゃ!
と、心の中でガッツポーズ。

その後、私が上海へ旅立ってから、
父は後にも先にも一度だけ私に手紙を書いて
上海まで航空便で送ってくれたことがあった。

あとで知ったのだけれど、
父は一通の筆書の手紙を
日本に残ってる夫にも書いていた。

その中で父は、
「不便な生活を送っているでしょうが、
娘の我がままを、どうかゆるしてやってください」

というものだった。
もう、涙なくしては読めなかった…
いまもその手紙は私の宝物。

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孤独を制するものは人生を制する

見知らぬ海外でひとりぼっちで
生活したことある?

私は実際に海外に行くまでは、
言葉が通じないから困るな〜
くらいしか思ってなかった。

ところが、行ってすぐに強烈な孤独で、
押しつぶされそうになってしまった。

皆んなで夕食を囲む時間帯になると、
急にさみしさが、どこからか込み上げてきて、
いくら我慢しても涙がポロポロとこぼれてきた。

上海の街のど真ん中にいるんだから、
まわりには、人がうじゃうじゃいるのに、
私だけは一人ぼっちというさみしさに
耐えられなかった。

ええかげんよい大人になってからのひとり暮らし。
それも最初のひとり暮らしが、いきなり海外だったから、
けっこう、ここから抜け出すのが大変だった。

毎晩、寝ようと電気を消してベッドに入ると、
そのまま真っ暗な、ならずの底に
落ちていくような恐怖感で眠れなかった。

暗い部屋の中で眼をつぶると、
目の前に浮かんでくるのは、なぜか
マヨネーズを付けて食べるきゅうり。

自分でもアホちゃうのと思うんだけれど、
あの当時の上海にはマヨネーズというものが
なかったし、生の野菜を食べる
習慣もなかったから、なぜかむしょうに
日本と生野菜とマヨネーズとのコンビが
思い出されたのかもしれない。

2002年に初めて味わった強烈な孤独感。
やはりこれには早めに慣れておくべきだったと
今ごろつくづく思ってる。

人生の後半からは、当たり前だが
出会いより、別れのほうが多くなり、
孤独を感じることもどんどん増えてくる。

最後は一人ぼっちかもしれないから、
孤独とはお友だちになっておこう。

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日本の常識はまず捨ててみる

大小を問わず中国企業といくつも契約書を交わし、
数々のビジネスをしていると、
いくらの呑気な私でも、次第に気が付き始めた。

これは日本の常識で物事を考えたり、
判断していると大変なことになるぞと。

思いっきり根本からひっくり返して考えないと、
いつまでたってもこちらが不利になることばかり。

ある会社と取引するときに、
交わした契約書の中に書かれている、
法定代表人の名前が、私の目の前にいる
女性と違うので、驚いて指摘すると、
返ってきた答えには、もうおったまげた。

この契約書の代表者名は実は自分の父親で、
ある日予期せぬ事態が起きたときには、
この会社を閉めて、
とんずらするためなのよと、
平気な顔で言われてしまった。

会社は閉めたら終わりだから、
自分の名前で、またすぐに
別の会社を作って、始めればいいだけのこと、
みんなそうしてるよ、と言いたげだった。

だから、会社の代表人は身内で、
なるべく年寄りが良いらしい。
同じ名前では会社は立ち上げられないからね、
だとさ。

もう、ひゃーという声しか出なかったが、
まあ、当時はそんなことが、まかり通っていた
上海のビジネス事情だった。

だった、というか、いまもみなさん
ばんばんこんなことはやっていると
私は思っているけれどね。

日本人は隣国のことを、
もっとよく知る努力をすることね。

知った上で、うまく付き合っていく方法を
自分で真剣に考えること。

世界は広い。
日本とは違う常識や商習慣を持つ
地域はあちこちにたくさんある。

いまの日本人は食わず嫌いというか、
広い世界のことはなーにも良く知らないのに、
知ったような気になって、相手が悪いと言いながら、
怖がってばかりいるという感じがするなぁ。

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ネットを使い倒してモノを売る中国人

上海のショッピングモールに出店し、
バカ高いテナント料に苦しんでいた
2009年前後のことだった。

ネット販売だけですごい売上を
上げてる中国人のことを聞いた。

なんと、まだネット販売が
始まったばかりの中国で、
店舗も持たずネットだけで、
月に2千万円もの売上を上げていた。

どうしても話が聞きたくなって、
わざわざ会いにいった。

中国の田舎から奥さんや
母親や友人たちを引き連れて上海へ。

上海の浦東空港の近くの郊外に
農家の一軒家(スケルトン三階建)
を借りて、会社と住まいと倉庫とを
兼ね備えたこの場所から、
あのびっくりする売上を
叩き出していたのである。

日夜、数人のスタッフがチャットしながら
商品を売りまくって発送してる。

商品は田舎の工場から仕入れたTシャツを
お客の好みに少し加工してるだけのもの。

経営者含めて、みんな30歳前後で若い。
赤ちゃんは床にごろんと寝かせてある。

とにかく、みんなボサボサの頭で、
必死でPCに向かってチャットしてる。

ここで10人くらいが寝泊まりして、
働き詰めで働いてる。

ネット販売なら、どこででもできるのに、
なぜ、上海まで出て来たのかと聞くと、
物流の問題だと言っていた。

上海を拠点にすると、1日、2日あれば、
ほぼ中国の都市部には配達できる。

だが、彼の住んでる田舎では、
まだ集配にも来てくれないから、
このスピードでの発送は無理らしい。

お金の流れをよく聞いてみると、
やはり、ネット広告に支払っている
お金もかなり高額らしいが、
これを止めると、売上もストップするので、
やめられないとも言っていた。

その頃の上海ですら住む所さえあれば、
数千円で食べていける時代だったから、
この売上がいかに凄いかがわかる。

後日談も少し。
その後、やはりすぐに真似されて
激しい競争にさらされ、
数年後には上海を離れて、
また、田舎に戻っていた。

新興国の流行り廃りはボラティリティが激しい。
スピードも超速いから、どこの国の人であろうと
一瞬は上手くいっても、すぐに振り落とされる
というのがよくわかる事例だと思う。

こんな国だから、コロナ後の世界でも
逞しく生きていくことだけは確かだ。

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海外への好奇心だけで生きてきたのに…。

コロナ禍が最初に思ってた以上に
長引くということらしい。

そこで、収束を見据えて、
そわそわと浮き足立っていた腰を
いま一度、落ちつけて考えてみなきゃ。

子どもの頃から私を突き動かしてきたのは
すべて海外への好奇心からではなかったのかと、
今さらながらだがストンとふに落ちた。

小学生低学年から英語を学び始め、
20歳のときにドイツでホームステイ。

結婚後も英語の勉強だけは続け、
子どもたちが小さいうちは、
ホストファミリーとして、
留学生を何人も受け入れた。

2人の子どもが小学校低学年のとき、
カナダのサマーキャンプへ1ヶ月間
子どもだけでぶち込むという
離れ技もこなした。

その後、NZからの高校生を
1年間わが家に受け入れて、
いまも家族同様に仲良くしてる。

上の娘は中学1年生からNZの中高一貫校で
寮に入り2年間単身留学した。

高校時代には交換留学生として
デンマークに1年間留学。

下の息子も高校生のときに、
NZへ1年間留学。

私は高校生の海外留学生ボランティアとして、
10年間ほどホストファミリー探しに翻弄する。

子育てが終わると同時に
自分の念願の留学を叶えて、
ついでに起業までしてしまう。

娘はドイツ人と結婚し、ここ20年くらいは、
上海と日本とドイツを行き来してきた。

さて、いまから世界のあちこちにいる
友だちを訪ねて行きたいなと
考えていた矢先のコロナ禍。

人生は最後までどう転ぶかわからない。
世界が2、3年で落ち着くのか、
それすらもいまはわからない。

ここはしばらくじっとして、
私のどこかに潜んでる別の原動力を
無理やりほじくり出すしかないね。

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引きこもりで、日常が激変

いままでからも自ら進んで
ゆるい引きこもりだったが、
コロナ騒ぎで2月からは
強力な引きこもりになった。

ということで、私の生活が
どう変わったかを考えてみた。

減ったモノ
・買物は計画的にまとめ買い(1週間に一度)
・美容院にいかない(白髪が…)
・外食しない
・友だちと会わない
・おしゃれ着不要
・ハンドバッグやヒール不要
・時計や指輪、アクセサリー不要

増えたモノ
・家でお茶する(夫は珈琲焙煎)
・ケーキなどオヤツの手作り
・豆などの煮物
・庭に野菜や花を植える。
・室内に観葉植物や花を増やす
・季節に合ったしつらえ
・手芸(手作りマスク)
・サブスクリプション(音楽やメルマガなど)
・電子書籍の購入

と、さっと思いついたのはこんな感じ。

引きこもり最初の1ヶ月くらいは
暇つぶしにネットサーフィンをしては、
普段着とか雑貨などを買っていた。

ところが、2ヶ月目くらいから、
もう先が読めなくなり、
今すぐ要らないモノは買わなくなった。

さて、コロナが終息したら、
上記の何が元に戻り、何が戻らないのか、
数ヶ月後を予想するのも、また興味深い。

それまで、生き延びるために、
とにかく、できる限り籠るのだ〜。

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国境を越えての移動が制限

上海に住んでる多くの日本人は、
私も含めて、日本と上海を頻繁に往復して
仕事をしていた。たった2時間で行けるから。

上海から香港や東南アジアなどへも
移動しながら仕事をしている人も多かった。

在上海の日本人の友だちは、
このコロナショックの最中でも、
上海から日本や香港に移動を余儀なくされ、
そのたびに、2週間の隔離などにあい、
大変な労力と時間を費やしてる。

さて、コロナショックの後も、
このようなスタイルの仕事が
多く存在するのかと言えば
私はノーだと思う。

我先へと目指していた経済のグローバル化に、
いま急ブレーキが踏まれ、
大きな方向転換を迫られてる。

例えば、ユニクロのように、
発展途上国で安く製造して、
それを先進国などで販売して利益を出す。

あるいは、コンサルのように、
先進国でのノウハウを
発展途上国に持っていって、
それで利益を上げるというような
やり方も大きく見直されるだろう。

世界の国々が内へ内へと向かい始め、
ヒトやモノの移動が制限され縮小していく。

そう考えると、私なんかが
2000年頃から、上海と日本を行き来して
仕事ができたなんて、
なんて運がよかったんだろうと、
今さらながらだが思えてくる。

コロナショックがそう簡単には
おさまらないように、今後はそれ以外でも
いろいろなショックが起こり、
国境はいままでのようには
自由に行き来できなくなるかも。

それは移動の制限だけではなく経費的にもだ。
移動するヒトが少なくなると、航空機の便数も減るし、
LCCのような会社は潰れるかも。

ということで、春のドイツ行きは夏に延期。
さて、秋に延期かもというシナリオも
頭に入れながら。。。

えっ?シナリオを頭にいれてって、いったい何するの?
といわれても、特別にすることはないんです〜(クスン)


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たかがマスク、されどマスク

たかがマスク、されどマスク。

世界中に巻き起こったマスク騒動。
私がここで再度、自分に言い聞かせてることは、
「人の言うことなんて、当てにならない」
自分で考える、ということ。

マスクが世界中でこんなにも、
もてはやされる時代がくるなんて、
誰が想像できたでしょう。

私が子どものころ、風邪などのとき、
ガーゼを何枚も重ねたマスクをしてた。

これは使い捨てではなく
何度も洗って、ガーゼがよれて幅が狭くなり、
手で幅を整えてからしか、
口と鼻を覆えなかったのを覚えてる。

それから何十年かして、いまは
世界中でマスク争奪戦が起きている。

1月中頃に武漢のことをSNSで知り、
上海でSARSを経験してるから、
すわ!マスクがなくなると思った。

そこで、すぐドラッグストアーにいって、
3箱ほど買った。自分で使うというよりは、
中国の友だちに送ってあげてもいいし、
まあ、念のためね、という感じで。

ところが、あれよ、あれよという間に
日本中でマスクが買えない状態になり、
泣きついてきた妹に2箱送ってあげた。

あれから3ヶ月くらいもたつというのに、
いまだに、私は新しいマスクが買えない。

まるでいままで、生きてきた世界とは違う、
謎の世界にいるような気さえする。

最初の気づきは早かったが、
その後、しばらくでまた買えるようになると
たかをくくった私の判断が甘かった。

ドイツにはマスクは売ってないので、
先日、ドイツにいる孫にかわいい柄の
ガーゼのハンカチでマスクを作った。

やっとマスクを作り終えたとたん、
数日前に手に入れたガーゼも
いまや完売となっていたのにはびっくり。

さあ、これからの世界はどんなふうになるのか、
想像するのは難しい事態になってきた。

これからは自分のカンだけを頼りに、
生き抜くしかない!サバイバル作戦の開始。

人のいうことなんか当てにならないから。

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家で過ごす長い時間をどう工夫するかな

いつもなら季節に応じて
玄関に花を飾ったり、
絵を飾ったりして楽しむんだけれど、
いまはそれをする意欲もあまり湧かない。

馴染みのある宅急便のおにいさんですら、
中には入ってもらえない。

残念だけれど、声だけかけて、
外に荷物を置いてもらってる。

なので、いまは居間に多めに
花やら観葉植物などを置いて、
居間を少しでも居心地良くする。

あとは、夫との過ごし方。
これもずっと2人っきりだと
どうでもよいことで問題がおこる。

庭に野菜を植えて、世話するために
いつもよりおおくの時間を
庭で過ごすように工夫した。

そして、最近は良質のイヤホンで
それぞれに好きな音楽を聴くことで、
やっと少し落ち着いてきた。

相手の耳になんか付いていると、
手で合図してから話を始める。

そうでないと、集中力が異常に高い夫は
何を話してもうわの空ということになる。
ただでさえ、人の話なんて聞いてないからね。

あと、食事も3食家で食べるとなると、
外食するときのように、
それぞれが好きなモノを注文して
食べるという機会が無くなる。

そこで、食事に関しても、
ストレスが溜まってくるので、
お互いの好きなモノを
上手く混ぜる工夫も必要になってくる。

ということで、夫に疾患があるわが家は、
ひとりが感染すると死ぬかもと思うので、
2月からほぼ引きこもり生活が続いてる。

日本ではいまから本番ではと
思われる時期なのに、
わが家はほとほと嫌になってきてる。

だけど、いまはコロナの後の世界の様子や
自分たちの生活スタイルがどう変化するのか
などを予想しながら、静かに過ごすしかない。

今日も2人で言い争うことがあるだろうが、
一つずつ折り合いを見つけて、解決していくしかない。

はやく、コロナ騒ぎが治って欲しいな〜。

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困ってる人をすぐに助けたい

世界的に広がってる
コロナ騒ぎの真っ最中だからこそ、
それぞれの国の様子が
刻一刻と伝わってくる。

それぞれの国の人たちの
熱い思いや、思いやりの心なども
Twitterなどで知ることができる。

韓国の保健所から自宅隔離中の家に
生活必需品BOXが届けられたというツイート。


ドイツのデュッセルドルフ では、
ライン河沿いの道に、生活に困っている人たちの
手元にすぐ届くようにと
りんごとか毛布などが置いてある
というツイート。


地域の人たちの心の優しさがつたわってくる。

こういうことが、すぐにできないのがいまの日本。
細かい規制でがんじがらめに縛られているし、
指示待ち、行政からのお達し待ちの人ばかり。

助けようとしている人たちから
差し出されたモノや好意を
素直に受け取れない日本人の心の部分など。

いまできる人が、すぐ実行に移せる、
そんな社会とはほど遠い……日本。

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