2011年10月31日
最後の自分
書類の整理をしていたら、昔、おそらく倒れる直前に書いていたと思われる論文の草稿を発見しました。
それを見て、自分がそんなことをやっていたのかということを約2年ぶりにようやく再認識しました。
今まで病院で寝ていた間は、その論文に関してはほぼ完全に記憶から抜け落ちていて、それが出版されていたのかということも認識していませんでした。
それを見てからあわててarXivとかを探すと確かに出版されているようです。
残念なことにそれを見ても、うーん、、、確かにこんな事やっていたな、、というレベルの記憶しか残っていません。明日ゆっくりそれを読み返して思い出そうと思います。
こういう事を少しずつやっていきながら、昔の自分と現在の自分と(そして次の自分と)をつないでいくことになるのでしょう。
こんな状態なので、残念なことに、その論文以降に自分が何をやっていたか、やろうとしていたか、ということが十分戻ってきません。
当時の雑記帳やノートなどを探し出してきて見返せば思い出せるのかもしれません。また研究室に戻って周囲の人たちに聞いてみれば思い出せることもあるでしょう。
でも、こうなったら取り敢えず当時のことを無理に思い出すのはあきらめて、今新しく抱えているアイデアを基に発展させて次の仕事につないでいくことを考えた方がいいのだろうな。
倒れてから新しく勉強したことも少しずつですがあるので、それも加えつつ。
それを見て、自分がそんなことをやっていたのかということを約2年ぶりにようやく再認識しました。
今まで病院で寝ていた間は、その論文に関してはほぼ完全に記憶から抜け落ちていて、それが出版されていたのかということも認識していませんでした。
それを見てからあわててarXivとかを探すと確かに出版されているようです。
残念なことにそれを見ても、うーん、、、確かにこんな事やっていたな、、というレベルの記憶しか残っていません。明日ゆっくりそれを読み返して思い出そうと思います。
こういう事を少しずつやっていきながら、昔の自分と現在の自分と(そして次の自分と)をつないでいくことになるのでしょう。
こんな状態なので、残念なことに、その論文以降に自分が何をやっていたか、やろうとしていたか、ということが十分戻ってきません。
当時の雑記帳やノートなどを探し出してきて見返せば思い出せるのかもしれません。また研究室に戻って周囲の人たちに聞いてみれば思い出せることもあるでしょう。
でも、こうなったら取り敢えず当時のことを無理に思い出すのはあきらめて、今新しく抱えているアイデアを基に発展させて次の仕事につないでいくことを考えた方がいいのだろうな。
倒れてから新しく勉強したことも少しずつですがあるので、それも加えつつ。
tk_harad at 22:02│Comments(0)│misc