日本観光ミシュラン

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四国遍路

歩き遍路記(その37)第八十四番から第八十六番

八十一番と八十二番を巡った日帰りの遍路行が面白かったので、翌週に今度は八十四番から第八十六番までを歩く旅に出た。
堺市の自宅を6時に出発、18切符で四国に渡り、1年前の区切り打ちポイント・瓦町駅前に立ったのは11時前だった。辺りは繁華街なので、遍路の白装束はザックの中にしまったまま国道11号を歩き出す。
ビジネス街を通り抜けて郊外に出ると、左前方に屋島がぐんぐん近づいてくる。
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平坦で広大な山頂部と辺縁部の断崖のコントラストは、まさに讃岐のテーブルマウンテンだ。地学的にはメサと呼ばれる地形の典型例で、国の天然記念物に指定されている。
遍路道は麓からいきなり急登となる。毎日登っているとおぼしき、元気なお年寄りと何度も行き違う。息を切らしつつ第八十四番・屋島寺の門前に到着した。
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境内は広く平坦で、山上にいることを忘れる。重文の本堂は、鎌倉時代の建立。簡素で均整の取れた、札所建築(?)の理想形だ。
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お参りを済ませて裏手から下山にかかると、閉鎖された観光旅館がある。30年前に屋島を訪ねた時に営業していたかどうか、残念ながら記憶にない。当時はケーブルカー(2004年廃止)が営業していたが、山頂付近はさびれていて観光客は少なく、うすら寒い思いを抱いた。
屋島といえば源平の古戦場・檀ノ浦。
屋島1
那須与一というヒーローを生んだ『平家物語』の名場面の舞台なのだが、今日び、観光資源としての魅力には乏しい。観光地にも栄枯盛衰がある。
上り以上に険しい林間の道を駆け下り、今度は五剣山(八栗山)に上りかえす。途中、洲崎寺という小さなお寺に立ち寄った。ここに真念の墓がある。
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遍路という修行を江戸中期に大衆化した、「遍路の父」と呼ばれる僧侶だ。一番から八十八番までの札所番号を定め、道標や遍路宿を整備し、ガイドブックを出版するなど、その功績は計り知れない。300年後の世に生きる一遍路として、感謝の思いから手を合わせた。
この辺りは道がややこしい。いささかやり過ぎな道しるべに導かれる。
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すでに時刻は13時過ぎ。お腹が空いたので山田家で昼食にした。15年ぶりの再訪だ。
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ぶっかけうどん(310円)を急いでかきこみ、ケーブルカーを横目に上り坂にかかる。バイクでも通れそうな整備された道で、屋島より大分楽だった。
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うどんから25分で八十五番・八栗寺に着いた。山頂近く、『五剣』と呼ばれる峰々を背に堂宇が並ぶ様は壮観だ。
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車道をひたすら降りていくと海岸線に出る。あとは潮の香りの中、旧街道をまっすぐ進めば志度寺だ。道すがら、江戸期の天才・平賀源内の生家があり、隣地に銅像が立っている。真念といい平賀源内といい、予備知識なしにゆかりの地に出くわした時の驚きは、歩き旅の醍醐味のひとつだ。
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第八十六番・志度寺は想像以上に大きな寺院だった。山門から本堂までは遠く、帰りの列車の発車時刻を気にしながら早足でお参りした。
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去り際に、本堂前のベンチに腰かけた女性親子にお接待を渡された。お二人はスピード参拝の一部始終を見ていたかもしれない。立ち止まると冷静になる。発見もあれば反省すべき点もある遍路行だった。
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(2018年3月14日)

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歩き遍路記(その36)第二十四番から第二十六番

室戸岬から亜熱帯を思わせる樹林帯を急登すると、第二十四番・最御崎寺の境内に出る。ひとつ前の札所からは75kmも離れているので、歩き遍路としては達成感に思いがたかぶる。いつもより念入りにお参りし、野根で頂いたおにぎりの包みを開いて昼ご飯にした。
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こんなに辺鄙な場所なのに参拝客は引きもきらず、外国人遍路の姿も多い。この辺りは見どころが多いのだが、5年前に観光目的で訪れているので、今回は札所を打つだけで先に進む。
関連記事:室戸岬
海岸台地の上から、ドライブウェイの急坂を一気に下った。これから進むべき海岸線が弧を描いて伸びている。ゴールはまだ遠い。
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ここは台風の通り道・室戸。街道沿いの家々には厳重に防風対策が施され、十分な高さのある塀と雨戸で玄関が守られている。3.11後にできた津波避難タワーも数多く、荒ぶる自然に対峙する苛烈な環境下に暮らしがあることがわかる。
次なる札所、第二十五番・津照寺は室戸の街にぽつんと突き出た丘の上にある。
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小さな本堂にはサッシが入っている。これも防風対策だろうか。
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室戸市街の旧道を歩いていると、年恰好が同じくらいの男性から「小夏」を頂いた。他県にあまり出回らない高知の名産で、3月はまだ走りの時期だ。男性から外皮が美味しいこと、そぎ切りにして食べること等レクチャーを受け、宿で試してみると、その通り甘酸っぱくておいしい。有難いお接待だった。
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15時過ぎ、本日最後の登りにかかる。出発から早や9時間、いい加減疲れてきた頃合いに、生まれて初めて野ウサギに遭遇してびっくりした。想定外の事態が起きるから、旅は面白い。
16時前に第二十六番・金剛頂寺に到着。最御崎寺と対を成す重要な札所だが、達成感と疲労でお参りもそこそこに、境内でしばらく座り込んでいた。本堂の写真を撮ることすら忘れていた。
あとは海岸に向かって下るだけ。
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バスの時間に間に合うよう急いで道を間違えたが、見事な地層の露頭に出くわし、写真に収める。
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際立って黒い層がいくつかあり、素人目には何か大災害があったように見えて恐ろしい。
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「新村不動」バス停にたどり着いたのは、バスの発車7分前だった。室戸市街まで戻り、第二十五番にほど近い安宿でその日は1泊した。

翌日は朝一番のバスで「新村不動」バス停に戻り、そこから6時間余り歩いて土佐くろしお鉄道の下山駅(安芸市)で打ち止めとした。
帰路はバスで一気に甲浦まで戻る。通り過ぎてきた小さな浦々の光景がすでに懐かしく目に映った。3日間、約18時間をかけて歩いた道のりを、バスはたった2時間で走破した。

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歩き遍路記(その35)野根から室戸岬

野根の宿を出るとき、見送ってくれたオバちゃんは「口に合うかどうか…でもあと15kmくらい店がないから」と言い添えて、お接待のおにぎりを渡してくれた。
実際、野根から佐喜浜までの区間は、お遍路にはいささか知られた難所だ。路傍の自販機が厳しさの一端を伝えている。
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海岸線を縫って走る国道沿いにもかかわらず、10kmもの間本当に1軒の人家もない。歩いてみれば分かるが、海岸段丘が急角度で海に落ち込んでいて、平らな場所がないのだ。当然昔は道すらなく、ここを通るには山に分け入るか、潮の満ち引きを見計らって波打ち際を歩くしかなかった。
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まるで変化のない光景がえんえんと続く。そんな中、見渡す限りの浜辺の石が引き波で一斉に裏返る音だけが荘厳だ。空海もこの風景を眺め、この音を聞いたに違いない。何やらお大師様が急に近しく感じられる。
猿も退屈しているのか、フェンス際まで人間世界を見物にきていた。
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2時間後、佐喜浜で人家を見たときはホッとした。
休憩後、墓地を掃除していたオッちゃんに呼び止められ、朝潮のお母さんのお墓の前で立ち話。佐喜浜は元大関・朝潮(今の高砂親方)の出身地で、すでに身体がデカかった子供の頃の朝潮を、オッちゃんは「大」と呼んでいたそうだ。後年の「大ちゃん」というあだ名のルーツはここにあったのだ。それにしても、こんな僻地(失礼)から大関が生まれるとは。相撲というのはジャパニーズドリームの世界だなと思う。
佐喜浜漁港の脇を行き過ぎる。3時間近く荒涼とした景色の中を歩いた身には、なんてことのない漁村が都市に見える。
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夫婦岩の近くで休憩。すでに出発から4時間、お腹が空いたので昨夜野根スーパーで買った特売のジャムパン(69円)を食べる。眼前に太平洋。傍らにはそそり立つ奇岩。空腹もあいあまって、ことのほか美味しかった。
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海岸沿いの一本道はなおも続く。椎名集落を過ぎた辺りからは海側の視界が遮られ、いよいよ単調な歩みを続けるばかりとなった。
いい加減飽きが来た頃、ホテルや観光施設がチラホラと現れ始め、室戸岬が近づいていることに勇気づけられる。
5年ぶりの室戸岬に達したのは12時半過ぎ、出発から6時間半、31km超を歩いた後だった。
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