私は27歳の時に市議になると決め、議員秘書をやめて帰ってきました。
絶望的な政治を立て直すんだと思って帰ってきました。
帰ってきた僕を待っていたのは、熱狂して迎えてくれる地域の方々ではなく、冷めた目で私のことを見ている方々でした。それでも本当に一握の方々が、 僕に手を差し伸べてくれました。閉塞感を打ち破るには若い人材が必要だと私を助けてくださった皆様のおかげです。

浪人することになりましたが、4年間を地域で過ごして31歳の時に市議会議員に当選をさせていただきました。

4年間市議会議員として活動をしている中で気がついたことがあります。
宇陀には外に出ていける人と、出ていくことができない方がいるということ。

私は一生をここで暮らす覚悟を持って帰ってきたつもりでした。
しかし、地元で根を張ってずっと生きてきた方々には遠く及ばないということを知りました。

この地域で商売や生業を営んでいる方々はこの地域を継続させないと生きていくことができません。
地域活性化は生きるためにやり続けなければならないものです。
でも、そのことに気づいている政治家は少ないということに気が付きました。
もしくは気づいていても、同じ舞台で汗をかこうとしている政治家は少ないということに気が付きました。
私もその一人であったと思います。

4年間、地域の場作りに取り組んできました。
4年間、私は外に飛び出し続けて、宇陀市のために力を貸してくれる方々を探し続けました。
地域活性化の取り組みがあればどこへでも飛んでいきました。そのおかげで、勝井太郎がそこまで言うのならば力を貸してあげようと言ってくれる専門家や、他市の政治家や中央省庁の官僚たちのネットワークが出来ました。 

移住をしてきた方を中心にコミュニティを作り、いくつかの活性化のための施策もできるようになってきました。
市役所と連携をして地域の場作りや人材育成、所得向上の取り組みも立ち上げることが出来ました。


地域活性化には地元に土着の人と新しい知恵やノウハウ、気づきを与えてくれる外部の人が必要です。そして、その方々が動いていくためのコーディネートをする人が必要です。
私はこのコーディネート役を志して宇陀市に戻ってきました。一定の成果は上げたと思いますが、まだ道半ばです。私に足りていなかったのは地域で生きていく覚悟です。

政治はこの宇陀で生きていくんだと覚悟を決めた方々と向き合わなければなりません。
私にとっての政治は、インターネットの中にあるものでも、テレビや新聞の中にあるものでもなく、地域の中にあるものです。

宇陀で生きていくことを選んだ方、選ばざるを得なかった方を支援する取り組みがとても大切なのです。ここが守れないと底割れをしてしまうからです。決して壊してはなりません。宇陀市において政策の第一優先にしなければなりません。
その上で、新しい方を入れていく必要があるのです。この新しい方もできれば、今あるものを活かす方々である方がよりよいでしょう。

地域活性化には地域の方々を何が会っても守りぬくという信念と、ある程度の流動性を持ちながら地域に入ってくる移住者の方々をうまく融合させる施策が必要なのです。


宇陀を守り、これからも引き継いでいくために私は存在をしなければならないと思っています。
この地に根を張り、生きていきます。改めて、人生を宇陀にかけ、捧げることをお約束いたします。
改めて、挑戦を始めるにあたっての私の所信といたします。