シチリア
July 07, 2010
Il rientro a Palermo con il treno
久しぶりのトラーパニと、ちょっと期待はずれだったマグロ祭=Bontonを過ごした翌朝、私は野暮用のためパレルモへ。
ナポリから来た友達とヴェネツィアから来たそのお友達は、もう1日トラーパニ近郊のサン・ヴィート・ロ・カーポの海岸で過ごすというのに・・・。
でも近いからいつでも来れるしね〜!
なんて思ってると、結局全然行かないもので、サン・ヴィートは何度か行ったものの、そこの海岸で過ごした経験はない私・・・。
ともかく車を借りたのはヴェネツィアから来た子なので、私は公共交通機関でパレルモに戻らなくてはならない!
パレルモ⇔トラーパニはほぼ1時間に1本のバスがあり、所要時間2時間弱。
私の家の前のバス停からだと1時間半ってところかしら〜?続きを読む
ナポリから来た友達とヴェネツィアから来たそのお友達は、もう1日トラーパニ近郊のサン・ヴィート・ロ・カーポの海岸で過ごすというのに・・・。
でも近いからいつでも来れるしね〜!
なんて思ってると、結局全然行かないもので、サン・ヴィートは何度か行ったものの、そこの海岸で過ごした経験はない私・・・。
ともかく車を借りたのはヴェネツィアから来た子なので、私は公共交通機関でパレルモに戻らなくてはならない!
パレルモ⇔トラーパニはほぼ1時間に1本のバスがあり、所要時間2時間弱。
私の家の前のバス停からだと1時間半ってところかしら〜?続きを読む
July 06, 2010
La Torre : La mia fornitore dei prodotti ittici
この旅の目的、Bontonでは全くマグロを堪能できなかったけど、その代わりにトラーパニの行きつけのお店で、マグロ製品を購入!
トラーパニの魚市場近くで店を展開しているのはLa Torreラ・トッレ、もう10年位の付き合いだ!
以前もこの店について、実は書いてたりする!
元々はシチリアに旅行で来た時、偶然足を止めただけ。
その時はボッタルガを買うという目的はあっのだけど、それ以外にも色々マグロ製品を味見させてくれて、すっかり大枚を叩いた私・・・。
その後パレルモに住むようになってからは、基本的にマグロ製品はほぼここで購入!
当然ながら家族経営で、最初に仲良くなったのは写真には写っていない上の息子。
彼は既に家庭もあるし、独立したとか。
手前左がお母さん、奥にいるのがお父さん、そして2番目の息子。続きを読む
トラーパニの魚市場近くで店を展開しているのはLa Torreラ・トッレ、もう10年位の付き合いだ!
以前もこの店について、実は書いてたりする!
元々はシチリアに旅行で来た時、偶然足を止めただけ。
その時はボッタルガを買うという目的はあっのだけど、それ以外にも色々マグロ製品を味見させてくれて、すっかり大枚を叩いた私・・・。
その後パレルモに住むようになってからは、基本的にマグロ製品はほぼここで購入!
当然ながら家族経営で、最初に仲良くなったのは写真には写っていない上の息子。
彼は既に家庭もあるし、独立したとか。
手前左がお母さん、奥にいるのがお父さん、そして2番目の息子。続きを読む
July 05, 2010
Utensili da cucina fatti d'olivo
昨日紹介したカステッランマーレを望む展望台には、トラーパニ県の特産品をボンネットに並べて売る店以外に、パニーノや水などを売る移動軽食屋、そしてこのオリーブの木でできた調理用具などを売る店があった。
コップや砂糖入れ、小皿、チーズおろし機など、様々な道具が並ぶ。
さすがにチーズおろしは、受け皿だけだけどね!続きを読む
コップや砂糖入れ、小皿、チーズおろし機など、様々な道具が並ぶ。
さすがにチーズおろしは、受け皿だけだけどね!続きを読む
July 04, 2010
Castellammare del Golfo
Castellammare del Golfoカステッランマーレ・デル・ゴルフォの街。
海に向かうなだらかな坂にへばりつくように街が広がっている。
カステッランマーレはCastllo a mare、つまり“海の城砦”がなまったというか、簡略化された言葉で、ゴルフォは湾のこと。
言うなれば“湾に面する海の城砦”というのが街の名前。
写真からもイメージできると思うけど、この付近の海は大きな湾を形成していて、その名もゴルフォ・ディ・カステッランマーレ!
街の名前を入れ替えただけ?!続きを読む
海に向かうなだらかな坂にへばりつくように街が広がっている。
カステッランマーレはCastllo a mare、つまり“海の城砦”がなまったというか、簡略化された言葉で、ゴルフォは湾のこと。
言うなれば“湾に面する海の城砦”というのが街の名前。
写真からもイメージできると思うけど、この付近の海は大きな湾を形成していて、その名もゴルフォ・ディ・カステッランマーレ!
街の名前を入れ替えただけ?!続きを読む
July 02, 2010
Bonton : Almeno la parte positiva...
Bontonは正直、全くの期待外れだったんだけど、何とか許せるところを探すとすれば・・・。
普段、パレルモでは見かけることのないお菓子を目にできたこと・・・、かな?
でも、私は全く甘いものには興味がないので、ただただ“目新しいモノ”でしかないのだけれど・・・。
これは巨大Torroneトッローネ。
クリスマス時期などによく見かける、ナッツ入りヌガー。
ロールケーキのように作ってあるけど、こんな巨大なの、一生かかっても食べ終わらないわ・・・。続きを読む
普段、パレルモでは見かけることのないお菓子を目にできたこと・・・、かな?
でも、私は全く甘いものには興味がないので、ただただ“目新しいモノ”でしかないのだけれど・・・。
これは巨大Torroneトッローネ。
クリスマス時期などによく見かける、ナッツ入りヌガー。
ロールケーキのように作ってあるけど、こんな巨大なの、一生かかっても食べ終わらないわ・・・。続きを読む
July 01, 2010
Bonton 2010
先週末、トラーパニに行ったのには目的があった。
トラーパニは待ち合わせ場所で、実はCastellammare del Golfoカステッランマーレ・デル・ゴルフォで開催されたBontonボントンという催しに興味があったから!
今回5回目を迎えるこの催し、去年まではエリチェを挟んでトラーパニの向かい側にあるTonnara di Bonagiaトンナーラ・ディ・ボナジアというホテルで開催されていた。
でも今年から場所を移して、カステッランマーレ。
そこで気が付けばよかったんだけど・・・、続きを読む
トラーパニは待ち合わせ場所で、実はCastellammare del Golfoカステッランマーレ・デル・ゴルフォで開催されたBontonボントンという催しに興味があったから!
今回5回目を迎えるこの催し、去年まではエリチェを挟んでトラーパニの向かい側にあるTonnara di Bonagiaトンナーラ・ディ・ボナジアというホテルで開催されていた。
でも今年から場所を移して、カステッランマーレ。
そこで気が付けばよかったんだけど・・・、続きを読む
June 27, 2010
Il Mondiale e' finito...
ワールドカップも決勝リーグが始まり、日本は相当盛り上がっていることでしょう。
一方、日本が決勝進出を決めた数時間前、イタリアは予選落ち決定・・・。
決勝リーグは勿論テレビ放送されているけれど、殆どのイタリア人にとって、既にワールドカップは過去のこと。
話題にすら上らない・・・。
家々のバルコニーからはためいていたイタリア国旗も御用済みということで、洗濯ものと一緒くた!
4年後のワールドカップまで、箪笥の片隅にしまわれる・・・。続きを読む
一方、日本が決勝進出を決めた数時間前、イタリアは予選落ち決定・・・。
決勝リーグは勿論テレビ放送されているけれど、殆どのイタリア人にとって、既にワールドカップは過去のこと。
話題にすら上らない・・・。
家々のバルコニーからはためいていたイタリア国旗も御用済みということで、洗濯ものと一緒くた!
4年後のワールドカップまで、箪笥の片隅にしまわれる・・・。続きを読む
June 23, 2010
Testa di TONNO
ちょっと前にもらったマグロのカマ!
日本もだけど、イタリアでは滅多に拝めない貴重品!?
パレルモも遅ればせながら、数年前から“Sushiブーム”!
私がパレルモに住み始めた2001年には1軒もSushi Barなんて無かったのに、今では5〜6軒に増殖している。
一過性のブームかと思いきや、つぶれるどころか増え続けていることを考えると、食に対しても保守的な人が多いパレルモでもSushiは根付き始めたのかしら?!
その1軒、Fusion Sushiフュージョン・スシで寿司を握っている、かわいいお友達から電話が!
−kinukoさん、前にマグロのカマとか欲しいって言ってたよね?
−ウン!
−お店じゃどうせ捨てるから、取りに来る?
なんて素晴らしい誘い!
その日は別の友達の家でお昼をご馳走になっていたんだけど、夕方オーナーが来る前までに来て欲しいということで、それからは友達との話もそぞろ、早速もらいに行ってきた!続きを読む
日本もだけど、イタリアでは滅多に拝めない貴重品!?
パレルモも遅ればせながら、数年前から“Sushiブーム”!
私がパレルモに住み始めた2001年には1軒もSushi Barなんて無かったのに、今では5〜6軒に増殖している。
一過性のブームかと思いきや、つぶれるどころか増え続けていることを考えると、食に対しても保守的な人が多いパレルモでもSushiは根付き始めたのかしら?!
その1軒、Fusion Sushiフュージョン・スシで寿司を握っている、かわいいお友達から電話が!
−kinukoさん、前にマグロのカマとか欲しいって言ってたよね?
−ウン!
−お店じゃどうせ捨てるから、取りに来る?
なんて素晴らしい誘い!
その日は別の友達の家でお昼をご馳走になっていたんだけど、夕方オーナーが来る前までに来て欲しいということで、それからは友達との話もそぞろ、早速もらいに行ってきた!続きを読む
April 06, 2010
Pasquetta
昨日はPasquettaパスクエッタ、イースター・マンデー!
イタリアでは祝日なので、復活祭の日曜日から連休になる!
学校などは、聖金曜日から火曜日まで、5日間もお休み。
まぁ日本も春休みだから、同じことかな?!
復活祭は宗教行事なので、家族が集まって食事をするのが普通。
でもパスクエッタは、この時期春めいてくることもあり、家族総出でピクニックや郊外の別荘などでバーベキューをするのが一般的!
ということで、私も広大な敷地を持つ、友人の親戚の所へお邪魔してきました!
どの位広大かと言うと、うーん、どう考えても後楽園球場より広いかな?
その殆どが柑橘系の樹木がただ植えられているだけ・・・。
農業を生業にしているわけではないということだけど、その割には手入れがされているような・・・?!続きを読む
イタリアでは祝日なので、復活祭の日曜日から連休になる!
学校などは、聖金曜日から火曜日まで、5日間もお休み。
まぁ日本も春休みだから、同じことかな?!
復活祭は宗教行事なので、家族が集まって食事をするのが普通。
でもパスクエッタは、この時期春めいてくることもあり、家族総出でピクニックや郊外の別荘などでバーベキューをするのが一般的!
ということで、私も広大な敷地を持つ、友人の親戚の所へお邪魔してきました!
どの位広大かと言うと、うーん、どう考えても後楽園球場より広いかな?
その殆どが柑橘系の樹木がただ植えられているだけ・・・。
農業を生業にしているわけではないということだけど、その割には手入れがされているような・・・?!続きを読む
January 26, 2010
Castello di Donnafugata
『山猫』ついでに、ラグーサ県にある1800年代の貴族の邸宅、Castello di Donnafugataドンナフガータ城を紹介。
『山猫』を撮影した場所としては、パレルモにあるヴィッラ・ボスコグランデとかパラッツォ・ガンジが有名だけど、ここドンナフガータ城もそう。
それにドンナフガータと言えば、実際に『山猫』の中でもでてくる地名。
まぁあくまで名前だけで、原作者のランペドゥーサのイメージにあったのは、自分の家の領土であるパルマ・ディ・モンテキアーロと言う話だけど!
でもドンナフガータというのは、彼の母親の実家の領土、シチリア南西部にあるサンタ・マルゲリータ・ディ・べりチェと繋がってもいるので、結構ややっこしい。続きを読む
『山猫』を撮影した場所としては、パレルモにあるヴィッラ・ボスコグランデとかパラッツォ・ガンジが有名だけど、ここドンナフガータ城もそう。
それにドンナフガータと言えば、実際に『山猫』の中でもでてくる地名。
まぁあくまで名前だけで、原作者のランペドゥーサのイメージにあったのは、自分の家の領土であるパルマ・ディ・モンテキアーロと言う話だけど!
でもドンナフガータというのは、彼の母親の実家の領土、シチリア南西部にあるサンタ・マルゲリータ・ディ・べりチェと繋がってもいるので、結構ややっこしい。続きを読む
December 09, 2009
Cinquecento di color vivace
先日家の近くを歩いていたら、こんなかわいい色のCinquecentoチンクエチェントに出くわした。
新型チンクエチェント、自分では欲しくないけど、やっぱりカワイイ!
小型車ならやっぱりこの位ヴィヴィットな色じゃないと!
と私は思うんだけど、実はあんまり見ないのよね。
それでも日本に比べると、色んな色の車が走っているとは思うけど・・・。続きを読む
新型チンクエチェント、自分では欲しくないけど、やっぱりカワイイ!
小型車ならやっぱりこの位ヴィヴィットな色じゃないと!
と私は思うんだけど、実はあんまり見ないのよね。
それでも日本に比べると、色んな色の車が走っているとは思うけど・・・。続きを読む
November 30, 2009
Villa Whitaker
さてモツィアからパレルモに戻るけど、まだウィタカー家の話は続く。
パレルモにはもう1軒ヴィッラ・ウィタカーがある。
マッシモ通りから海へ続くカヴール通りに面して、ローマ通りを抜け、海に近づいた場所。
現在はパレルモ県の建物として利用されている。続きを読む
パレルモにはもう1軒ヴィッラ・ウィタカーがある。
マッシモ通りから海へ続くカヴール通りに面して、ローマ通りを抜け、海に近づいた場所。
現在はパレルモ県の建物として利用されている。続きを読む
November 29, 2009
Mozia ...vino
モツィアの話を再開!
モツィアを含む干潟はWWFの自然保護区に指定されている。
当然ながら舗装されている道もないし、車もないのでとても静か。
先日も書いた通り、島はウィタカー財団の所有。
毎朝管理人が来るのかと思っていたら、人口8人とあった。
でもホントに人が住んでいるのかしら?
日本人を含め、さすがにここまでくる観光客は多くはない。
夏のヴァカンス・シーズンはたまにガヤガヤしていることもあるけれど、ちょっと季節を外すと、“喧騒”という言葉すら忘れそう!
でも、渡し舟が運行しているのか、そっちが心配になるけどね!続きを読む
モツィアを含む干潟はWWFの自然保護区に指定されている。
当然ながら舗装されている道もないし、車もないのでとても静か。
先日も書いた通り、島はウィタカー財団の所有。
毎朝管理人が来るのかと思っていたら、人口8人とあった。
でもホントに人が住んでいるのかしら?
日本人を含め、さすがにここまでくる観光客は多くはない。
夏のヴァカンス・シーズンはたまにガヤガヤしていることもあるけれど、ちょっと季節を外すと、“喧騒”という言葉すら忘れそう!
でも、渡し舟が運行しているのか、そっちが心配になるけどね!続きを読む
November 27, 2009
Museo Whitaker
さてさて、一般観光客にとってモツィアで一番重要なのは、なんと言ってもMuseo Whitakerウィタカー博物館だろう。
そして博物館のメインは、この『Giovane di Moziaモツィアの若者』と題された大理石の彫刻。
1979年にモツィアの北部の、一般に“K地区”と呼ばれている場所から発掘された。
この辺りは陶器製造の工業地域であったと言われている。
但しシラクーサに攻撃され、モツィアが破壊された後は、大々的な廃棄物(といっても陶器の破片など)置き場と化していたとか。
ギリシャのアルカイック期の彫刻との類似点が指摘されるこの『モツィアの若者』像は、フェニキアとギリシャの文化的交流の証と見做されている。
残念ながら腕と足首以下は見つかっていないけれど、細かい襞のチュニカをまとって立つ姿はとても美しく、印象的!続きを読む
そして博物館のメインは、この『Giovane di Moziaモツィアの若者』と題された大理石の彫刻。
1979年にモツィアの北部の、一般に“K地区”と呼ばれている場所から発掘された。
この辺りは陶器製造の工業地域であったと言われている。
但しシラクーサに攻撃され、モツィアが破壊された後は、大々的な廃棄物(といっても陶器の破片など)置き場と化していたとか。
ギリシャのアルカイック期の彫刻との類似点が指摘されるこの『モツィアの若者』像は、フェニキアとギリシャの文化的交流の証と見做されている。
残念ながら腕と足首以下は見つかっていないけれど、細かい襞のチュニカをまとって立つ姿はとても美しく、印象的!続きを読む
November 26, 2009
Mozia
ジュゼッペ・ウィタカーの話が出たら、やっぱりMoziaモツィアについて触れないわけにはいかない!
シチリア島の西海岸、トラーパニとマルサラの真ん中近く、シチリア本島とイーゾラ・グランデという名のちょっと大き目の島に挟まれた、干潟に浮かぶ小さな島で、現在の名前はサン・パンタレオ島という。
干潟と言っても、3000年以上前のフェニキア時代に比べると50cm以上海面が上昇したため、シロウト目には普通の海にしか見えない!
でも100年位前の写真では、引き潮の時だろうけど、ロバに引かれた荷馬車が島に向かっているのが写っているのもある。続きを読む
シチリア島の西海岸、トラーパニとマルサラの真ん中近く、シチリア本島とイーゾラ・グランデという名のちょっと大き目の島に挟まれた、干潟に浮かぶ小さな島で、現在の名前はサン・パンタレオ島という。
干潟と言っても、3000年以上前のフェニキア時代に比べると50cm以上海面が上昇したため、シロウト目には普通の海にしか見えない!
でも100年位前の写真では、引き潮の時だろうけど、ロバに引かれた荷馬車が島に向かっているのが写っているのもある。続きを読む
November 24, 2009
Pietra di cane
週末ローマの友人が来ていて忙しかったのと、それと重なって風邪を引いていたのに無理をしたのとで、結局3日もブログを書くことができなかった・・・。
まだ本調子ではないんだけど、熱はなかったし、インフルエンザではなかったかな?
やっぱり流行には乗れない体質のようで・・・(笑)。
とはいえまだあまり真面目な話は書く気になれないので、面白い写真を紹介しようかと・・・。
これは8月に何回かに分けて書いた、シチリアにあるTroinaトロイーナという小さな街で見つけたもの。
正確に言うと私が見つけたのではなく、街の人に教えてもらったんだけど、この石、犬の顔をしてるでしょ?続きを読む
まだ本調子ではないんだけど、熱はなかったし、インフルエンザではなかったかな?
やっぱり流行には乗れない体質のようで・・・(笑)。
とはいえまだあまり真面目な話は書く気になれないので、面白い写真を紹介しようかと・・・。
これは8月に何回かに分けて書いた、シチリアにあるTroinaトロイーナという小さな街で見つけたもの。
正確に言うと私が見つけたのではなく、街の人に教えてもらったんだけど、この石、犬の顔をしてるでしょ?続きを読む
October 06, 2009
Fermata dell'autobus
何度か書いている通り、パレルモは最近建物の修復がとみに進んでいる。
街が美しくなるのはとても良いことだし、それが犯罪の減少にも繋がるなら願ってもない。
まぁ戦後60年以上過ぎてから、と言うのがパレルモらしくて笑えるけど・・・。
先日、メッシーナ近郊で土砂崩れがあり、死者行方不明者合わせると50人以上の被害がでている。
ほぼ同じ場所で2年前にも同じことが起きていて、同じような危険性が指摘されていたにも関わらず、何も手が打たれていない。
住民曰く、「行政は何もしてくれなかった!」
国からの補助が届かなかったらしいけど、誰かの補助がない限り、行政も住民も何もしないのがここの方式。
先立つものがない、という現実もあるんだろうけど、待つことにも相当慣れていないと生きていけないかも・・・。続きを読む
街が美しくなるのはとても良いことだし、それが犯罪の減少にも繋がるなら願ってもない。
まぁ戦後60年以上過ぎてから、と言うのがパレルモらしくて笑えるけど・・・。
先日、メッシーナ近郊で土砂崩れがあり、死者行方不明者合わせると50人以上の被害がでている。
ほぼ同じ場所で2年前にも同じことが起きていて、同じような危険性が指摘されていたにも関わらず、何も手が打たれていない。
住民曰く、「行政は何もしてくれなかった!」
国からの補助が届かなかったらしいけど、誰かの補助がない限り、行政も住民も何もしないのがここの方式。
先立つものがない、という現実もあるんだろうけど、待つことにも相当慣れていないと生きていけないかも・・・。続きを読む
October 03, 2009
Concerto della Filarmonica della Scala
昨日は久しぶりにテアトロ・マッシモへ足を運んだ!
なぜならConcerto della Filarmonica della Scalaスカラ・フィルハーモニー・オーケストラのコンサートがあったから。
このコンサート、マッシモ劇場の公式ページにもなく、殆ど宣伝もされてなかった。
強いて言えば、マッシモ劇場の正面にポスターというか、看板があったくらい・・・。
それをどうして知ったかというと、友達の友達がオケの団員でパレルモ公演があることを教えてくれたから。
もっと正確に言うと、その団員の彼が招待券まで用意していてくれたからなんだけど・・・。続きを読む
なぜならConcerto della Filarmonica della Scalaスカラ・フィルハーモニー・オーケストラのコンサートがあったから。
このコンサート、マッシモ劇場の公式ページにもなく、殆ど宣伝もされてなかった。
強いて言えば、マッシモ劇場の正面にポスターというか、看板があったくらい・・・。
それをどうして知ったかというと、友達の友達がオケの団員でパレルモ公演があることを教えてくれたから。
もっと正確に言うと、その団員の彼が招待券まで用意していてくれたからなんだけど・・・。続きを読む
September 25, 2009
Olive e Carrubo delle Madonie Golf Club
最近の南イタリアは雨続き!
天気予報を見ていると中北部イタリアは晴天みたいだけど、シチリアでは洗濯物を干したまま出かけることも、傘を持たずに出かけることもできないくらい!
9月を迎えるとすぐに殆どこんな天気になってしまって、夏が過ぎ去ってしまったことを実感する。
夏好きの私としては寂しい限りではあるけれど、胃袋的には実り秋!
先日訪れたレ・マドニエ・ゴルフ・クラブでも、オリーブが収穫されるのを待つばかり・・・。続きを読む
天気予報を見ていると中北部イタリアは晴天みたいだけど、シチリアでは洗濯物を干したまま出かけることも、傘を持たずに出かけることもできないくらい!
9月を迎えるとすぐに殆どこんな天気になってしまって、夏が過ぎ去ってしまったことを実感する。
夏好きの私としては寂しい限りではあるけれど、胃袋的には実り秋!
先日訪れたレ・マドニエ・ゴルフ・クラブでも、オリーブが収穫されるのを待つばかり・・・。続きを読む
September 24, 2009
Le Madonie Golf Club
この写真でわかるかどうかわからないけれど、これはゴルフ場!
真ん中に写っている小さな白い球は、ゴルフ・ボールです!!!
シチリアにはローマ帝国が小麦を作らせるために森林を伐採したのと、その後スペインの無敵艦隊の時代にも造船のために伐採したのが禍して、森が殆どない。
内陸部に足を伸ばすと殆どが牧草地と小麦畑で、ゴルフ好きな人が皆
「いっぱいゴルフ場ができそうだ!」
と言う割りには、実はゴルフ場は少なく、恐らく2つだけ。
ここLe Madonie Golf Clubレ・マドニエ・ゴルフ・クラブとエトナ山の麓にあるイル・ピッチョーロ・ゴルフ・クラブ。続きを読む
真ん中に写っている小さな白い球は、ゴルフ・ボールです!!!
シチリアにはローマ帝国が小麦を作らせるために森林を伐採したのと、その後スペインの無敵艦隊の時代にも造船のために伐採したのが禍して、森が殆どない。
内陸部に足を伸ばすと殆どが牧草地と小麦畑で、ゴルフ好きな人が皆
「いっぱいゴルフ場ができそうだ!」
と言う割りには、実はゴルフ場は少なく、恐らく2つだけ。
ここLe Madonie Golf Clubレ・マドニエ・ゴルフ・クラブとエトナ山の麓にあるイル・ピッチョーロ・ゴルフ・クラブ。続きを読む
September 06, 2009
Noto Antica
アラブ人がヴァル・ディ・ノートの都に定めたノートは、現在の街から約6km離れたNoto Anticaノート・アンティーカ。
1693年の大地震の後、別のところに新しい街が建設されたため、荒廃するままになっていて、今では街があったことすら想像できない。
伝説では、シクリ人の王ドゥチェティウス(イタリア語ではドゥチェツィオ)によって紀元前428年頃、アルヴェリア山頂に建設されたと言われている。
山の上に街を建設したのは、当時このシチリア東部はシラクーサやアグリジェントを初めとするギリシャ植民地の力が強かったため、防衛の意味が強かったのだろう。
ともかくドゥチェティウス王はギリシャ勢力に対抗した、ほぼ唯一の王。
まぁギリシャに負けてコリントへ流刑されたりしたらしいけど、シチリアへ戻ってくると再度新たな街カレ・アクテ(現メッシーナ県のカロニア)を建設したりと、相当精力的な人だったようだ。続きを読む
1693年の大地震の後、別のところに新しい街が建設されたため、荒廃するままになっていて、今では街があったことすら想像できない。
伝説では、シクリ人の王ドゥチェティウス(イタリア語ではドゥチェツィオ)によって紀元前428年頃、アルヴェリア山頂に建設されたと言われている。
山の上に街を建設したのは、当時このシチリア東部はシラクーサやアグリジェントを初めとするギリシャ植民地の力が強かったため、防衛の意味が強かったのだろう。
ともかくドゥチェティウス王はギリシャ勢力に対抗した、ほぼ唯一の王。
まぁギリシャに負けてコリントへ流刑されたりしたらしいけど、シチリアへ戻ってくると再度新たな街カレ・アクテ(現メッシーナ県のカロニア)を建設したりと、相当精力的な人だったようだ。続きを読む
September 04, 2009
Noto
1693年の地震といえば、やっぱりNotoノート。
アラブの支配下には経済的にも文化的にも繁栄し、ヴァル・ディ・マザーラ、ヴァル・デモーネ、ヴァル・ディ・ノートと当時三分割されていたシチリアの1つの地方の首都にまでもなったくらい。
でも、そのノートは地震で壊滅的な被害を受け、同じ場所での再建が困難だったため、約6km離れた場所に、全く新しく街が作られることとなった。
それが今のノートの街。
但し、住民が全滅したわけではなく、同じ場所での再建が絶対的に不可能だったわけではなさそうで、経済的理由などからより海岸線に近い場所に再建させようという支配者の意向が働いていたようだ。
なので地震後10年位は再建計画は遅々として進まず、1702年まで最終決定は引き延ばされた。
ともかく決定が下されると、数々の工学技師、数学者、建築家などが再建に参加、当時流行のバロック様式の街が形成された。
この写真はノートの入口とも言うべきPorta Realeポルタ・レアーレ。続きを読む
アラブの支配下には経済的にも文化的にも繁栄し、ヴァル・ディ・マザーラ、ヴァル・デモーネ、ヴァル・ディ・ノートと当時三分割されていたシチリアの1つの地方の首都にまでもなったくらい。
でも、そのノートは地震で壊滅的な被害を受け、同じ場所での再建が困難だったため、約6km離れた場所に、全く新しく街が作られることとなった。
それが今のノートの街。
但し、住民が全滅したわけではなく、同じ場所での再建が絶対的に不可能だったわけではなさそうで、経済的理由などからより海岸線に近い場所に再建させようという支配者の意向が働いていたようだ。
なので地震後10年位は再建計画は遅々として進まず、1702年まで最終決定は引き延ばされた。
ともかく決定が下されると、数々の工学技師、数学者、建築家などが再建に参加、当時流行のバロック様式の街が形成された。
この写真はノートの入口とも言うべきPorta Realeポルタ・レアーレ。続きを読む
September 03, 2009
Modica
モンティ・イブレイ地方で放牧といえば、有名なのがモディカ牛。
残念ながらモディカ牛の放牧をしている写真が見当たらなかったので、代わりに? Modicaモディカの紹介。
と言ってもモディカの写真もこのChiesa di San Giorgioサン・ジョルジョ教会のものしかない。
デジカメで撮ってない写真ならあるんだけど・・・。
ともかくモディカの街の起源も古く、青銅器時代(紀元前16世紀)の集落の跡が見られるという。
記録に残るのは紀元前3世紀以降のMotykaモティカというシクリ人の街で、ローマ帝国に対して反乱を起こしたため、納税義務を有する駐屯都市という厳しい状況に置かれた。
発展を見たのはアラブ支配の時代で、その後も中世を通じて封土としての重要性を保ち続けたという。
シチリアの南東部一帯の話をしていて、絶対に避けて通れないのが1693年の大地震。
ここモディカの街も壊滅的被害を受けている。
このサン・ジョルジョ教会の創建は12世紀。
但し現在の姿は1693年の地震の後、その時代にこの地方で活躍していた建築家、ロザリオ・ガリアルディの設計による再建。
イメージ的にはラグーサ・イブラの、同じくサン・ジョルジョ教会とよく似ている。
でもこの教会、それ以前の1613年にもあった地震で倒壊し、再建したばかりだったというから、ちょっと悲惨よね。
まぁ1693年の地震では倒壊は逃れたらしいけど・・・。続きを読む
残念ながらモディカ牛の放牧をしている写真が見当たらなかったので、代わりに? Modicaモディカの紹介。
と言ってもモディカの写真もこのChiesa di San Giorgioサン・ジョルジョ教会のものしかない。
デジカメで撮ってない写真ならあるんだけど・・・。
ともかくモディカの街の起源も古く、青銅器時代(紀元前16世紀)の集落の跡が見られるという。
記録に残るのは紀元前3世紀以降のMotykaモティカというシクリ人の街で、ローマ帝国に対して反乱を起こしたため、納税義務を有する駐屯都市という厳しい状況に置かれた。
発展を見たのはアラブ支配の時代で、その後も中世を通じて封土としての重要性を保ち続けたという。
シチリアの南東部一帯の話をしていて、絶対に避けて通れないのが1693年の大地震。
ここモディカの街も壊滅的被害を受けている。
このサン・ジョルジョ教会の創建は12世紀。
但し現在の姿は1693年の地震の後、その時代にこの地方で活躍していた建築家、ロザリオ・ガリアルディの設計による再建。
イメージ的にはラグーサ・イブラの、同じくサン・ジョルジョ教会とよく似ている。
でもこの教会、それ以前の1613年にもあった地震で倒壊し、再建したばかりだったというから、ちょっと悲惨よね。
まぁ1693年の地震では倒壊は逃れたらしいけど・・・。続きを読む
September 02, 2009
Buccheri
パンタリカ近くのオリーブ畑は何度か訪れたことがあるけれど、そこで見かけた古〜いオリーブの木。
イタリア人は全体に大げさだから、数世紀を経たオリーブの木は実はあちこちにある。事実はわからないけれど、やはり古い木は味があるし、立ち姿がなんとも美しくて私は好き!
この木はブッケーリという街の近くのオリーブ畑にあったもの。続きを読む
イタリア人は全体に大げさだから、数世紀を経たオリーブの木は実はあちこちにある。事実はわからないけれど、やはり古い木は味があるし、立ち姿がなんとも美しくて私は好き!
この木はブッケーリという街の近くのオリーブ畑にあったもの。続きを読む
September 01, 2009
Pantalica
ガリアーノ・カステルフェッラートの背後にある岩山に開けられた穴を見て、何となくマテラを思い出した。
でもバシリカータ州まで足を伸ばさなくても、シチリアにだってもっと大規模なものがある。
それがこのPantalicaパンタリカのネクロポリス(死者の街)。
シラクーサ近くのMonti Ibleiモンティ・イブレイと呼ばれる丘陵地帯の中に位置する。
ここを訪れるためにはSortinoソルティーノかFerlaフェルラの街から続く道を進まなければならない。
ただパンタリカまで道路が通じているわけではないので、どちらから行くにしても、最後は徒歩。
結構広大で、ネクロポリスだけでもフィリポルト、カヴェッタ他、いくつもある。
きちんとした道があるわけでなし、ガイドブック片手に歩いても限界があるので、これがどのネクロポリスなのか正確なところは不明。続きを読む
でもバシリカータ州まで足を伸ばさなくても、シチリアにだってもっと大規模なものがある。
それがこのPantalicaパンタリカのネクロポリス(死者の街)。
シラクーサ近くのMonti Ibleiモンティ・イブレイと呼ばれる丘陵地帯の中に位置する。
ここを訪れるためにはSortinoソルティーノかFerlaフェルラの街から続く道を進まなければならない。
ただパンタリカまで道路が通じているわけではないので、どちらから行くにしても、最後は徒歩。
結構広大で、ネクロポリスだけでもフィリポルト、カヴェッタ他、いくつもある。
きちんとした道があるわけでなし、ガイドブック片手に歩いても限界があるので、これがどのネクロポリスなのか正確なところは不明。続きを読む
August 31, 2009
Paesi per via di Troina
パレルモからトロイーナに向かうには、パレルモ‐カターニャを結ぶ高速道路に乗り、エンナの2つ先の出口で降りるのが一番便利。
出口の名前になっているのは、そこから10km程度離れたAgiraアジーラ。
高速道路を下りてから全く何もないところをひたすら走る途中、小高い丘の上に突然現れる街。
丘というか山の上の街なので相当標高が高いかと思いきや、650m程度しかない。
まぁ高速道路を下りてすぐだし、標高1000mを越えるトロイーナまではまだ30km近くあるし、ね!
このアジーラ、やはり起源は相当に古くシクリ人の村落、Agyrionアジリオンが起源だとか。
ギリシャ人がシチリアに到達する前、シチリア西部はシカニ族、東部はシクリ人が支配していたと言われているけど、ちょうどその中間点に位置するアジーラは重要な戦略的拠点だったらしい。
伝説では紀元前12世紀から繁栄していたと言われ、当時まだ生きていたヘラクレスを信仰した最初期の街だったとか。
続きを読む
出口の名前になっているのは、そこから10km程度離れたAgiraアジーラ。
高速道路を下りてから全く何もないところをひたすら走る途中、小高い丘の上に突然現れる街。
丘というか山の上の街なので相当標高が高いかと思いきや、650m程度しかない。
まぁ高速道路を下りてすぐだし、標高1000mを越えるトロイーナまではまだ30km近くあるし、ね!
このアジーラ、やはり起源は相当に古くシクリ人の村落、Agyrionアジリオンが起源だとか。
ギリシャ人がシチリアに到達する前、シチリア西部はシカニ族、東部はシクリ人が支配していたと言われているけど、ちょうどその中間点に位置するアジーラは重要な戦略的拠点だったらしい。
伝説では紀元前12世紀から繁栄していたと言われ、当時まだ生きていたヘラクレスを信仰した最初期の街だったとか。
続きを読む
August 30, 2009
Dintorni di Troina
トロイーナは丘にへばりつくようにある街なので、坂の昇り降りが大変!
人口1万人ということで街は思いの他大きいので、大抵は車での移動だとか。
でもこういう小さい街は行政が行き届きやすいのだろう、カテドラルや市役所がある街の中心まではバスも走っていてびっくり!
これはカテドラルの前に広がるテラスになった広場から写した、家々の瓦。
急坂に家が建てられているのがよくわかる。
風が強いためか、瓦が飛ばないように石で重石をしているのが笑える。
結構よく見る光景だけど、ね!続きを読む
人口1万人ということで街は思いの他大きいので、大抵は車での移動だとか。
でもこういう小さい街は行政が行き届きやすいのだろう、カテドラルや市役所がある街の中心まではバスも走っていてびっくり!
これはカテドラルの前に広がるテラスになった広場から写した、家々の瓦。
急坂に家が建てられているのがよくわかる。
風が強いためか、瓦が飛ばないように石で重石をしているのが笑える。
結構よく見る光景だけど、ね!続きを読む
August 29, 2009
Troina
先週末のことだけど、シチリア北東部の内陸にあるTroinaトロイーナという街へ行ってきた。
これは途中の車の中から撮ったものだけど、山の上にへばりつくようにしてあるのがトロイーナの街。
その後ろに聳えるのがエトナ山。
エトナとの関係で想像はつくかと思うけど、標高1121mにある街。
連日35℃位で湿気もある(日本ほどではないにしても)パレルモから来ると、気温の差を肌で感じられる。
昼間はともかく日が落ちると、カーディガンを羽織っていても寒いくらい!続きを読む
これは途中の車の中から撮ったものだけど、山の上にへばりつくようにしてあるのがトロイーナの街。
その後ろに聳えるのがエトナ山。
エトナとの関係で想像はつくかと思うけど、標高1121mにある街。
連日35℃位で湿気もある(日本ほどではないにしても)パレルモから来ると、気温の差を肌で感じられる。
昼間はともかく日が落ちると、カーディガンを羽織っていても寒いくらい!続きを読む
August 27, 2009
Cave di marmo
先週来紹介しているトラーパニ県のクストナーチ近郊は、シチリアでは大理石の産地として知られている。
マンジャパーネの洞窟のすぐ隣にも、こうして採石場があるし!
大理石は石灰岩が変化してできたものらしいので、結晶質石灰岩と言われるとか。
マンジャパーネの洞窟があるコーファノ山も石灰岩の山だし、イタリアに大理石の産地が多いのも頷ける。続きを読む
マンジャパーネの洞窟のすぐ隣にも、こうして採石場があるし!
大理石は石灰岩が変化してできたものらしいので、結晶質石灰岩と言われるとか。
マンジャパーネの洞窟があるコーファノ山も石灰岩の山だし、イタリアに大理石の産地が多いのも頷ける。続きを読む
August 26, 2009
Asini e oche
マンジャパーネの洞窟の前にはオリーブの圧搾所が残っていた。
圧搾所建設当時からこの木のオリーブの実は、ここで圧搾され、オリーブオイルになっていただろうと思われる。
を提供していたと思われるくらい古いオリーブの木も残っている。
普通、オリーブ・オイルになるオリーブの木は、樹齢30年〜40年位が一番良いと言われている(と聞いた)けれど、それは実のなる効率の面から考えて、ということで、古い木の方が深みのある味がするとか・・・。
まぁ、そこまでの味は私には全然わからないけど、ね!続きを読む
圧搾所建設当時からこの木のオリーブの実は、ここで圧搾され、オリーブオイルになっていただろうと思われる。
を提供していたと思われるくらい古いオリーブの木も残っている。
普通、オリーブ・オイルになるオリーブの木は、樹齢30年〜40年位が一番良いと言われている(と聞いた)けれど、それは実のなる効率の面から考えて、ということで、古い木の方が深みのある味がするとか・・・。
まぁ、そこまでの味は私には全然わからないけど、ね!続きを読む
August 25, 2009
Grotta Mangiapane
ゴムボートに乗り込んだコルニーノの船着場の正面には、先日の写真にあるように、このコーファノ山が良く見える。
標高657mのコーファノ山は、まるで海から切り立ったかのよう。
石灰岩質のため山の麓には幾つか洞窟があって、その1つGrotta Mangiapaneマンジャパーネの洞窟にも連れて行ったもらった。続きを読む
標高657mのコーファノ山は、まるで海から切り立ったかのよう。
石灰岩質のため山の麓には幾つか洞窟があって、その1つGrotta Mangiapaneマンジャパーネの洞窟にも連れて行ったもらった。続きを読む
August 24, 2009
Melograno
イチジクもサボテンの実も、ゴムボートで海に出た日に撮ったもの。
パレルモからちょっと田舎にいくと、まだまだこういう自然もいっぱい残っていて、日本にいた頃は全く興味のなかった植物にも多少関心が・・・。
とはいえ、主に食べられる植物だけど・・・、ね!
ということで、同じ場所で見つけたMelogranoザクロの実。
まだちょっと早いかな?
と書いて、ザクロの旬っていつだろうと考えてしまう私・・・。続きを読む
パレルモからちょっと田舎にいくと、まだまだこういう自然もいっぱい残っていて、日本にいた頃は全く興味のなかった植物にも多少関心が・・・。
とはいえ、主に食べられる植物だけど・・・、ね!
ということで、同じ場所で見つけたMelogranoザクロの実。
まだちょっと早いかな?
と書いて、ザクロの旬っていつだろうと考えてしまう私・・・。続きを読む
August 23, 2009
Fichidindia
南イタリアの夏を代表する果物といえば、このFichidindiaフィーキディンディア、ウチワサボテンの実だ!
イタリア語の名前が、昨日のイチジクが“フィーコ”、ウチワサボテンの実が“フィーキディンディア”、直訳すると“インドのイチジク”なので、“フィーコ”繋がりで、今日の話題はこの“フィーキディンディア”!
8月半ばを過ぎると市場に並び始めるフィーキディンディア。
ローマやナポリでも見かけなくはないけれど、量的にはシチリアは別格!
ちょっと田舎に行くとあちこちに植わっているし、所々にフィーキディンディア畑もある!
続きを読む
イタリア語の名前が、昨日のイチジクが“フィーコ”、ウチワサボテンの実が“フィーキディンディア”、直訳すると“インドのイチジク”なので、“フィーコ”繋がりで、今日の話題はこの“フィーキディンディア”!
8月半ばを過ぎると市場に並び始めるフィーキディンディア。
ローマやナポリでも見かけなくはないけれど、量的にはシチリアは別格!
ちょっと田舎に行くとあちこちに植わっているし、所々にフィーキディンディア畑もある!
続きを読む
August 22, 2009
Fichi secchi in produzione
昨日紹介したコルニーノでゴムボートを降りると、そのすぐ近くの日当たりの良い場所でFichi secchi干しイチジクを作っていた。
今はちょうどイチジクの最盛期!
市場でもよく目にするし、庭付きの別荘などにもよく植えられているし、街中では熟れすぎたイチジクが道路に落ちてたりもする。
イチジクはちょっとぶつかっただけですぐダメになっちゃうし、とってもデリケートな果物。
長期間保存できるわけではないし、でも旬の時期には余るほどできちゃう、ということでイタリアでは干しイチジクもよく目にする。
でも実際に干しているところを見たのは初めてかな?続きを読む
今はちょうどイチジクの最盛期!
市場でもよく目にするし、庭付きの別荘などにもよく植えられているし、街中では熟れすぎたイチジクが道路に落ちてたりもする。
イチジクはちょっとぶつかっただけですぐダメになっちゃうし、とってもデリケートな果物。
長期間保存できるわけではないし、でも旬の時期には余るほどできちゃう、ということでイタリアでは干しイチジクもよく目にする。
でも実際に干しているところを見たのは初めてかな?続きを読む
August 21, 2009
Il Mare di Cornino
昨日のエアーズ・ロックの出発点はここ、Corninoコルニーノ。
ボートの発着も可能だけど、すぐ脇には小さな海岸もある。
ゴムボートはレンタルもあるみたいだし、貸しアパートもあって、滞在型のヴァカンスには便利かな?
後ろに見えている山はMonte Cofanoコーファノ山で、よくエリチェに登る車からもよく見えるけど、こんなに近くで見たのは初めてかな?続きを読む
ボートの発着も可能だけど、すぐ脇には小さな海岸もある。
ゴムボートはレンタルもあるみたいだし、貸しアパートもあって、滞在型のヴァカンスには便利かな?
後ろに見えている山はMonte Cofanoコーファノ山で、よくエリチェに登る車からもよく見えるけど、こんなに近くで見たのは初めてかな?続きを読む
August 20, 2009
Ayers Rock Sciliano
先日、所用でトラーパニ近くまで足を伸ばした。
その時、ラッキーなことに、Macariマカーリという海辺の村からゴムボートに乗せてもらった!
海から見た海岸線。
言われてみれば・・・、だけど、形が何となくオーストラリアのエアーズ・ロックに似ている。
まぁ規模としては全然小さいけどね!続きを読む
その時、ラッキーなことに、Macariマカーリという海辺の村からゴムボートに乗せてもらった!
海から見た海岸線。
言われてみれば・・・、だけど、形が何となくオーストラリアのエアーズ・ロックに似ている。
まぁ規模としては全然小さいけどね!続きを読む
August 17, 2009
Tavolino da locale
ちょっと前になるけれど、トラーパニに行った時に見かけたテーブル。
確かバールか何かだったと思うけど、ちょっとオシャレで気に入ったもの。
なんていったって、人が座っていない時、コンパクトに円形に納まるのがいい!
って、私ってどう片付くか、を先に考えちゃうのよね!
広いテラスか庭でもある家だったら、こんなテーブル・セットを置いたらいいだろうなぁ・・・、とは思うけど、そんなことは夢のまた夢!
でもこうしてお店に置いた場合、すわり心地も悪くなさそうなので、長居する人が増えて回転が悪くなると考えるか、それとも椅子4つで8人ぐらいまで座れそうだと考えるのか・・・、まぁオーナー次第だろうなぁ・・・。
確かバールか何かだったと思うけど、ちょっとオシャレで気に入ったもの。
なんていったって、人が座っていない時、コンパクトに円形に納まるのがいい!
って、私ってどう片付くか、を先に考えちゃうのよね!
広いテラスか庭でもある家だったら、こんなテーブル・セットを置いたらいいだろうなぁ・・・、とは思うけど、そんなことは夢のまた夢!
でもこうしてお店に置いた場合、すわり心地も悪くなさそうなので、長居する人が増えて回転が悪くなると考えるか、それとも椅子4つで8人ぐらいまで座れそうだと考えるのか・・・、まぁオーナー次第だろうなぁ・・・。
July 19, 2009
Vigneto sull'Etna
タオルミーナに行っていた理由の1つに、エトナ山麓にあるワイナリーを訪ねることがあった。
ワイナリーは街中にあって、設備的にもあまりフォトジェニックではなかったのだけど、ワイナリーから車で5分位のところにあるVignetoヴィニェート、ブドウ畑が素晴らしかった!!!
エトナ山麓で標高600m以上の場所にあるため、まだまだ実は青い。
ネレッロ・マスカレーゼという品種の赤ワイン用のブドウは、10月になってから収穫されるとか。
続きを読む
ワイナリーは街中にあって、設備的にもあまりフォトジェニックではなかったのだけど、ワイナリーから車で5分位のところにあるVignetoヴィニェート、ブドウ畑が素晴らしかった!!!
エトナ山麓で標高600m以上の場所にあるため、まだまだ実は青い。
ネレッロ・マスカレーゼという品種の赤ワイン用のブドウは、10月になってから収穫されるとか。
続きを読む
July 18, 2009
La veduta da Taormina
2ヶ月ぶりぐらいで、タオルミーナへ行ってきました!
5月初旬はエトナに雪も残っていたのに、7月半ばは猛暑!
海岸線は海水浴客で一杯だけど、逆に午後は殆ど街に人影もない・・・。
でもエトナ山もはっきりと姿を見せ、やはりタオルミーナからの眺めは素晴らしい!!!続きを読む
5月初旬はエトナに雪も残っていたのに、7月半ばは猛暑!
海岸線は海水浴客で一杯だけど、逆に午後は殆ど街に人影もない・・・。
でもエトナ山もはっきりと姿を見せ、やはりタオルミーナからの眺めは素晴らしい!!!続きを読む