T0015745q

作品紹介;映画com  http://eiga.com/movie/77528/


上のポスターの主人公の瞳。

もう、これで心がグイっと持って行かれた。

ロック歌手の母と画商の父を持つメイジー。

両親が常に言い争いをしている中、ベビーシッターのマーゴと日常生活をおくる。

そんな騒然とした中でも、メイジーは「いつもの事よ。」と冷静な表情なのだが、

けして、それは平気な訳ではなく、ここで自分が泣いたり、暴れたりすれば両親を余計に混乱させ苦しませてしまうから、そのように装っているだけの様でした。

その辺の違いを鑑賞者に伝えられるこの子は、ただ者ではないと思いましたね。

結局、両親は離婚し、メイジーが両方の家を10日づつ行ったり来たりすることに。

もう、こういった家裁の判決自体、子供の事を考えてるのかしらね。

母はイケメンのバーテンダーのリンカーンと、父はマーゴと再婚する訳だけれど、

この両親のメイジーに対する自己中心的な愛情は再婚相手にも向けられるのです。

昼間、メイジーを見てもらいたいとバーテンダーと結婚した母。

出張中、子供を置いて行けるようにとマーゴと結婚した父。

でも、リンカーンとマーゴはそんな相手に傷つきながらも、

メイジーへの愛情は純粋で、人の優しさ、良さが伝わって来るのです。

父のメイジーに対する対応は母に対する復讐で、母のそれは本能なのかもしれない。

特に、母は子を愛するという欲望を満足させたいといったところが強く、

メイジーが母を気遣っているの対し、どれだけ子供の事を考えているのかなと疑いたくなる。

自分の傍に置きたい、自分より他の人間を愛してほしくない、そういった言動が目立つ母なのです。

一度だけ、メイジーが涙を流すシーンがあります。

それは、優しいリンカーン、マーゴのところでも、両親のところでもない見ず知らずの女性の家で目を覚ました時。

その時にメイジーが呼んだ人の名は・・・・

子供なりに自分がどこで生きていければ幸せなのか、分かっているのですね。

チラシに書かれている「愛が何か見えているのは、きみの瞳だけ」は、内容そのままでした。

メイジーの両親は、ちょっと前のタイプなのかも。

一生懸命仕事し、家庭も自分の理想の形にしたい。

だから余裕が無く、周りの人や子供への配慮に欠けるのかもしれない。

それに対し、リンカーンとマーゴは、仕事もほどほど、日常生活もほどほどにといったタイプで、

気持ちに余裕があるようですね。

自分の子育てを振り返っても、メイジーの母みたいなところはあったかもと、

ちょっと、ため息です。



にほんブログ村 映画備忘録
(ランキングに参加中。クリックして頂けると嬉しいです。)