2005年06月19日
春窮期をなくす
「朝鮮財政余話」 財団法人友邦協会
元朝鮮総督府 財務局長 水田直昌口述p32〜33
宇垣総督は朝鮮の復興は窮状を救済するにあるとして骨を折られたのであります。朝鮮には舎音と申すものがはびこっていました。舎音というのは大地主の番頭であります。大地主は京城、釜山、あるいは東莱、儒城温泉等に生活していて、舎音が地主の代理となって地代を取り立てる。舎音は地代を私する。 農民は収穫の5割以上の年貢を取り立てられてしまうから、作った米も三月の始め頃には全部食べつくしてしまう。そこで馬鈴薯や麦の出来る6月までの三ヶ月間は春窮期と申して全く困る時期であります。これは全人口の8割を占める農民のまた8割であって全人口の6割−約半分に当たります。その人々は春窮期には松の薄っ皮とかよもぎ等所謂草根木皮の類や団栗等を採集して食糧とし、三ヶ月の間命をつなぐ。その間はなるべく体を動かさない。動かせば腹が減るので大体家の中に寝ている。家にあって藁で草鞋を作るということさえしない。せっかく苦労して作ったところで役人にとられてしまってはつまらない。それで自分の食うだけのものを採って間に合わせる。これが昭和6,7年までの実情でありました。 宇垣さんはこの春窮ということをなくすようにしなければならないという方針で、まず簡単な目標を定められました。食糧の充実、高利債の償還、収支相償う。この3つを目標として農村振興を実施されたのであります。 具体的にどういうことが行われたかと申しますと、農地令、小作令の確立。地主の搾取の緩和。税制整理をして農民の負担を軽減する−地主からは取るが農民の地租税は軽減する。大蔵省より低利資金を融通してもらって農家の高利債の借り換えをする。同じく低利資金で1反2反の自作農を創設する。低利資金によって内地の産業組合よりもう少し規模の小さい組合を設置し、零細な農村の生産合理化を図る。すなわち産業組合の小さいものを作って多角経営を奨励し、南綿北羊ということをやる。―南方は気候の関係で綿を生産し、北方はオーストラリアから緬羊を輸入して羊毛を生産する。―その間に牛の生産増加を図ったことは勿論であります。 それから38度線以南は割合人口稠密であって、以北は希薄であるから西から北西にかけて南方からの移民を奨励する。かくして土地と人口とのバランスを図る。次に工業の誘致も行われ、また勤労精神の発揚、貯蓄奨励、消費節約ということも大いに奨励されたのであります。
三ヶ月体を動かさずに食いつなぐとは凄い話だ。
妊娠中に春窮期に当たれば出産は無理だろう。
朝鮮の人口の増加は食料の流通が日帝時代に道路や鉄道のインフラ整備によって盛んになり食糧配分の地域的偏りが少なくなった、ことも理由のひとつではないだろうか。


