2009年10月02日

得たことば

くらやみは光のしるし。

tkm410 at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年09月15日

no means

いや、そりゃもう、違う意味で再燃でさぁ。

ばかばかばかばか、と標準語でいいたくもなるなる。

だってなるんだもの。
悔しいし、あ・・・

でもその原因は自分だったりするのね。

ほんと、自分はだめだなぁ。


それをわかっておきながらなんとかしないのも
また、自分。



たまにはあわれにもなってみないと。


馬鹿につけるくすりはないし、
死んでも治らない、っていうし、
もう、ほっとけ、ということなんだろうね。


そんな気持ちもないならね。

ええ、ええ、わかってますとも。
明日になればこんな気分もちょっとは
やわらいでるんだろうとも思いますよ。


でもねぇ、いや、言わしてくださいよ。
ほんと、どうしようもないこのもやもやした
気分をどうにかして、そのまんまぶつけてやりたいのですよ。


あー、すっきりしね。


死ね?
いやいや、そんな言葉いっちゃあ、いけないね。
























tkm410 at 00:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年08月23日

今日がいつだかわからなくなる

失ったものが大きいのか?
うーん、そんなことわからない。

もしかしたらその時々の気分とか
天気とか、体調とか、交通事情とかにまで
左右されるのかもしれないな。

秘密のつぶやきは、秘密だからいいのだ。
知っている人には知られたくない。

だれにも知られたくない。

ゆがんだ、
あーゆがんだなぁ。



そして、たぶんなんだか失ったものが
大きいかどうかはどうでもよくなってほしいと
さえおもう。

思い出の中にきれいに、しっかり収まってくれるのが
いちばん都合がいいのだ。


















tkm410 at 00:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月11日

想い出す

想い出す。

確実に漏れている。

コンクリートのブロックの穴から
しみ出た水がすこしずつブロックを
浸食して、確実に漏れている。

そして想い出す。


惨めになることも顧みずに。

好きって、たしか、そんな感情だったよな。


そんなことを思い出す。


tkm410 at 00:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年01月23日

Quest

クエスト中

毎日をクエスト。

何を求めて今日も電車に乗り

お風呂に入り

もう逢えない恋人を思い出すのだろう

すべてはそこからより集めた断片で

世界を作るため

リクエストはない

tkm410 at 01:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年11月12日

ばかだな

我慢我慢我慢

おお、こわい漢字になったな。
そして怖い感じだ。

いろんな我慢をしなきゃいけないのかね、これからも。
やめちゃいなよ。
そういってあげてよ。

糸と糸があるなら、より分けることができるなら
とっくにお互いのを切ってさ。

張り詰めるなんてばかげてるだろう。

ったく・・・


tkm410 at 03:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月08日

timing

タイミングの悪さにかけては日本で1、2を争うくらい
の自信がある。

そして人生が変わり始めようとしている。
歯車の音の大きさにいまは耳を塞いでいる。

受け止めるにも、噛み砕くにもやけに時間がかかりそうだけど
これが人生だよと言われたら、あぁ、そうかといって
すんなり受け入れることもできそうな気がする。

ポジティブに生きていくことがかなわなくても
ネガティブに生きていくことを選ぶ必要はない。

中庸だってあるはずだ。

ぼくらはひとのなかで生きていく。

いくつもの先達の型を認めながら
自己流でやっていくしかない。

責任とか無責任とか、
昨日の雨とか。

10年という時間が毛布みたいに
僕たちを、少なくとも僕を、包んでくれた。

しばらくしたら、前を向けるよう
いい大人になろう。



tkm410 at 10:48|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年11月20日

光がなくなるとき

1日雨が降ると、どうやらそれはそれで
たいへんさみしい。

とくに夜中の雨はさみしい。

すすむものもあれば、
やめたくなるものもあって、

それはそれで雨のせいにしてしまいそうで。

お風呂はいって、アイス食べて、
また考えよう。

tkm410 at 02:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月24日

シンドローム

自律神経失調症。
最近の体調の悪さはこの症状に集約されてしまう。

みんなよくなるみたいで、
現代病みたく言われてますが、
とにかく口内炎5個。

これをどうにかしてほしい。
大豆のトマトスープを飲むのに
ものすごく汗をかいてしまった。

マルチビタミンを齧って日々を過ごしています。
なかなかサプリっておいしくていいと思います。

おいしい紅茶がのみたいなぁ

tkm410 at 16:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月16日

light

きょうわかったことが1つあった。
ぼくがいままでがんばってきたのは
たった1人のためだったということ。

もちろん自分ではない。

ずっとそのひとに気づいてもらいたくて、
わかってもらいたくて、
ひたすら走ってきた。

そしていつしか意味を忘れた。

5年もかかって、何かを成し遂げたとき
とつぜん、その意味を再び思い出した。

邂逅

ぼくの願いは叶えられ、
大きな脱力感だけがのこった。

音楽だってそんなに好きなわけじゃない。
お祭り騒ぎなんて、もう1つ得意じゃない。

一途な思いもここまでくるとばかばかしい。
あのころの自分がかわいくてしかたない。

一休みしたら、自分の今の状況とか
いろいろ考えることもできるでしょう。

お疲れさん。

もうちょっと疲れたな。


tkm410 at 02:29|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年06月22日

嘘にも恋にも友情にも。

「ある枠内で、約束事があっても
それを平気で破ってみる。
それからが本当の人間関係。」

「おとなの良い訳(いいわけ)本」からの抜粋です。

信じてる人を裏切ってしまう可能性がそこに
出てきてしまったとしても、
そこがいちばん人間関係が色鮮やかに出てきてしまう
ところなんだということですね。

ぼくの場合ことごとくうまくいかないので
そんな人間関係どまりなんだとおもいます。

だいたい、人間はコンピュータではないのだから、
「こうして」 って人に言われたところで
素直にしようとはしないものです。

ぼくはへそ曲がりなので、それに輪をかけるような
結果になってしまうのですね。

だからぼくにお願いごとはしないでください。
お願いします。


tkm410 at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月28日

5月分

もう5月もおわりますが。

去年もそうだったけど
5月病を煩う暇さえなかった。

いいことなのかどうなのか。
ただちょっとした暇だったり
空き時間はなんだか
空想やらこれからのことを考える
いいきっかけになった感じ。

まだいまはがんばって結果を
だそうとしてるけれど、
なんだか最近やっと就活生っぽく
なったきがする。

へんな肩の荷がおりた感じ。

ラストスパートですが
じっくり自分のことを考えて
歩いていこうと思います。

tkm410 at 11:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年04月13日

70%

部屋で本を読み始めて、気がつけば夕方になってる。
そんな経験はどんな人でも1つはもってると思いますが、
最近はそんな時間てみんなないんじゃないでしょうか。

かくいうぼくも、本を部屋で読み始めて気づけば夕方だった
という記憶は小学生高学年のころまでさかのぼることになります。

たしか、宗田理だったとおもう。

従姉妹が大量にもっていたのでシリーズを一から読みはじめてました。
小学生の春休みってほんとにひまだからずっと本を読んでて、
きづいたら窓の外が暗くなりかけていることがしばしばありました。

10年以上もそんな記憶がなくなっているのはやっぱりおかしい。

よく大人は「時間が流れるのは本当に早い」っていいますが(とくに
お酒の席、そしてそういう話しは概して面白くない)、
時間は永遠にみんなに平等に流れています。

時間をつかう当事者が変わったのに、時間のながれが
変わってしまったかのように言ってしまうひとをみると
人間のサガを感じずにはいれません。

つくづくにんげんはじぶんかってないきものだな、と想う。

きょうも夕暮れが来て、それを気づかずに過ごすのは
ちょっともったいない。夕暮れは一日を終わらす準備
をさせてくれるし、なによりきれいな夕暮れはこころが
ストレッチするのにこれ以上ない時間だとおもうんだけど。


そして、あなたにもぼくにもその時間は必要不可欠だと思う。


それでも、きょうも夕暮れを自分とは切り離して家路につく
サラリーマンをみることになるんだろうなぁ。

tkm410 at 03:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年03月27日

哲学的な牛乳。

うまくいかないことがたくさん。
これは本人にとっては事実。
たとえば、試験に落ちたり、
ガールフレンドに水をかけられたり。

だれがなんと言おうとこれは事実です。

それをどう捉えるか。

これはフィクションです。

完全なフィクション。答えなんて見つかりっこない。
こうだろうか、それならああだろうな。
事実に対してそんな考えでしかやりきることができない。

ただし、より事実に近いものの捉え方は
できるようになっていて、
勉強しなかったから勉強しようだとか、
あばずれだなんて言ってしまったから、
もっとソフトなもの言いを
しようだとかそんな反省はできるようにはなっている。

だからこれからのことに対しては結構
明るいものの見方はできるんです。

ただ、うまくいなかない現状のありのまま飲み込むことは
ほんとうに難しいと思う。

毎日これとせめぎあっている。

たとえば、いま冷蔵庫に牛乳がない。
これは事実。
だれかが買ってきてはくれないだろうか。
これはフィクション。
でも誰も買ってきてはくれないだろうな。
という事実に近いモノの捉え方。
天気良いし買いにいこうか、という将来的観測。

でも、いま、牛乳がないのは結構つらい。
受け入れがたい事実。

昨日買っとけばよかった。


tkm410 at 15:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年02月20日

みx

ブログはいま現在すごくポピュラーで、
手軽に利用できる。mixiなどのSNSもしかりで、
決してひとまとまりにはできないけど、
新しいコミュニケーションのカタチができようとしています。

ぼくはSNSは使わずにWeblogだけをこうして公開している。
SNSはどうしてもなじめないし、別にそういうひとは
参加しなくたっていいと思う(SNSは招待制で
友人などから招待のメールがこないと参加できない)。

SNSになじめない理由はいくつかあるけど、
まずそんなに不特定多数の人とつながる必要があるのか、
というもの。もちろん、そうすべきフィールドが
必要な人にとっては願ってもない場所になるし、
もともとそういう人が集まっていた場所なんだと思うけど。

それから個人的ですが,ネットワークの問題。
自宅はネットワークが確立しておらず、常に
mixiを利用できる場所じゃないんですね。
同世代でmixiがはやっているのも、もともとネットワークの
確立がすごぶる順調だからっていう感じ、しますけどね。

これが、いちばん心配の種になってるんですが、
それがネット社会という枠組みで作られているということ。
これからのネットワークはますます進化を遂げていくことは
まず間違いのないと思っています。ユビキタス化も
すすみ、ネットワーク内でもあらたなコミュニケーションが
でてくると、これは間違いないでしょうねぇ。
最初につながる相手とは深いコミュニケーションを
もっていたとしても、知り合いの知り合いの・・・をつづけていくと
全く知らない人とさも「知り合い」になっているような錯覚が
でてくるんじゃないかなぁとすこし不安です。はい。


それでも1度やってみようとは思っています。
何事も経験ですからね。


でも、SNSでつながっていないと不安だとか、
一時期のメール依存症みたいなのね、
ありそうで怖い。ぼくも一時期
メールがないと「やばい」っていう
ことありましたから。

よくも悪くもネットなんかのコミュニケーションは
急速に決まりごとが決まって、破綻するまでの周期が
異常にはやいので、確実なものをつくっていくことと
きちんと外の世界ともつながりをもつこと、
これが大事なんではないでしょうか。

これ、また考えていきますね。

tkm410 at 17:09|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年02月17日

はははかみ、といいましょうか。

ぼくがむかし住んでいた家は祖母がずっと
暮らしていたものだった。
築何年になるだろう。一時は3世帯10人程が
テーブルを囲む家で、そんなに豪華な作りでもなく、
どちらかというと質素という文字をそのまま
むりやり家にはめ込んだ佇まいだった。
そして床は歩くたびにひずみ、屋根はトタンづくりのもので、
文字通り「吹けば飛ぶ」ようなものだった。

実際、大昔の台風による強風で屋根がそっくりそのまま
飛んでいってしまったことがあったらしい。
台風がくるたびにぼくはその話しを思い出して、
また飛びやしないかと風でバタバタ鳴る屋根がこわかった。

母はここぞとばかりにぼくに家事の手伝いをさせる
(どこの母もそうなのかな)。
台風で家が壊れて水が出なくなると困るから風呂を掃除して
水を張っておくように(もちろん後でお風呂が沸かされた)
したりするのも母の「台風くるかも知れんしな」という
呪文ひとつである。しかし、小学校低学年で、
明日の天気予報の予報図もよくわからない
ぼくにこれらの説得はおおいに効き目があった。

よく考えればすぐにわかりそうなものなのに、
幼心に家の屋根がビリビリと音を立ててちぎれていく
イメージとその恐怖を植え付けられていたぼくは、
二つ返事で母の家事手伝いを引き受けていた。顔面蒼白で。

そしてそれから、雷や、地震など、
ありとあらゆる天災をいいわけに
いくつもの呪文がくりかえされることになる。

そして、ぼくはそれに従わないわけにはいかなかった。

ついむかしの家族の風景。

tkm410 at 12:22|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年02月14日

押すとメス。パソコンの変換機能の不器用さについて(嘘)

ぼくはモノを捨てるのが大の苦手です。
いままで、なんでこんなくだらないものをもっていたんだろうと
思ったことは数知れず。でも捨てられない。

いつか役に立つんじゃなかろうか。
いつか気になって調べたくなるんじゃないだろうか。
いつかぼくに話しかけはじめるかも知れない。

そんなことを理由にたくさんのものが埃をつけたまま
おきっぱなしにされている。

だいたいがそのままぼくの意識の奥底に
葬り去られ、最初のようなコトバでもって
半ダースほどの段ボール箱やゴミ箱に片付けられることになるんだけど。

ぼくに「物持ちがいいね」っていう人がたまにいてますが、
それはぼくがただモノが捨てれないだけです。
あしからず。

この性格は改めようとはおもっていなくて、まぁ
捨てれなけりゃ捨てれないでいいか、なんて
思ってしまいます。

そうやって後悔ということばを
身にしみて感じていってるんだけど。



tkm410 at 21:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年02月01日

4分休符

いそがしい。
正確には結構忙しくて
今日を挟んでまた忙しくなる、ということです。

なにやら縁あって最近はいろんな人、本、音楽と出会って
すばらしい日々を送っています。
どうでしょう。今日は雨です。これからスーツをクリーニング
にだして、夕飯の買い出しをしにいく以外には外にはでる
用事はない。これって結構幸せな状態じゃないでしょうか。
まぁ、日々の小さな幸せは完全な自己満足に終わるんですけどね。


それで、ですよ。いろいろな人から教えてもらうんですが、
これ読んでみてよ、な本があれば是非教えてください。
ぼくは流行ということばが好きではなくて、それが
冠に修飾されてしまうとたちどころに買う気をなくしてしまいます。

つい最近「バカの壁」を読んだところなんです...

口コミが流行という状況になる前に読んでしまいたいと
思うんですね。新しいものでなくてもよいので。
つぎに読む本とかは結構決まってたりするんですけどね。

三谷幸喜さんのエッセイ、面白そうですよ。
バカの壁のあとは「死の壁」なんかも考えています。
「かもめ食堂」、おもしろそうな映画ですね。
やっとアーティスト安藤裕子が盛り上がってきました。

どうでしょう、いい音楽いい映画、それぞれもってますよね。

tkm410 at 16:28|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2006年01月20日

懐古でもなし。いいものはいいのだ。

とあることからクラシック音楽のことを勉強することに。
クラシックは偉そうで、かつ、かっこいい。
自分が勉強している分野もクラシック文学。
これはまさに「選ばれた」という意味での
Classifyであり、クラシックみたいです。


どうやら音楽のクラシックもその趣きが
あるようだけど、17〜18世紀ころの
ヨーロッパの音楽家たちが作った音楽を
総称するようです。これもあくまでぼくが
人から聞いた話しであり、かつ狭義の意味での
引用になるのでしょうけど。


1つの楽曲をいろんな楽団や指揮者が演奏していて
これもクラシックならでは、と思わせる。
ショパンとシューベルトからビゼーにシューマン。
小沢征爾、カラヤンとかもすばらしいですね。
でも、やっぱり知らない作曲家が多い。
これはしかたないですが。


聴いた中ではワルツ・スケルツォが気になります。
フィギュアスケートでもよく使用されていますが
ワルツの速いリズムが耳に気持ちよい。
フィギュアだとあとくるみ割り人形。
ナッツクラッカーって書いてあったから最初わかんなかったけど、
そういう意味だったのか、とはじめて知った。

フィギュアスケートの注目で否が応でも
クラシックの敷居がすこしは下がり、
ひとりでも多くの人が興味を持ってくれると
なんとなく、ぼくはうれしい気持ちになります。



昔からのこる「よいもの」への興味は
いつだって「正しい」気がする。
音楽だけじゃなくても、そういった
「残されるべくして残った」ものの
1つを研究するものとしては、
いや、ぼくがけっしてそんな肩書きをもっていなくても、
「よいもの」がひとつでも多く生まれて、
それに触れる機会が触れることで
人生がひとさじ豊かになるとおもう。

でも生きている間は「よいもの」や
「そうでないもの」が混ざっているので
見分けるのが大変ではあるともおもうけど。

「よいもの」はそうはいいつつも
よのなかに結構いっぱいあるとおもう。
そういうものをいくつも体験していきたい
ものだし、できることなら自分も残したい
とひそかに考えています。

考えるだけならタダだしね。


tkm410 at 17:24|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年01月17日

サーフ イン サーフ アウト

最近災害を特集する番組が多いですね。
かくいうぼくもテレビにかじりついて
見てしまう人間のひとりです。

アメリカだと、こういう番組のCMには
必ずといっていいほど関連のものが流れるそう
なんですが、日本はショッピングセンターで
アイロンだとか、カニだとかを売っています。
ザッツエンターテイメント。
テレビはうそは言ってないけど、
視聴者には本気具合が伝わりにくくはなってるかも
しれません。

かといってアメリカみたいに懐中電灯やら
非難用具のCMを売りつけるのもどうだろう。
CMってそういう観点からも難しい。

こういう考えの
もとネタといえば「ボウリング・フォー・コロンバイン」ですね。
ものすごく怖い映像の後のCMで物を売る。
まぁアメリカで住んでいた所謂バイリンギャルではないので
細かいところまではわかりませんが、これって恐ろしいです。
なんの話だったかな。

閑話休題

最近の傾向だと地震の予知だとか
火災旋風がすごいだとか、みたいな話ですね。
火災旋風。あれを見てて
昔の人が絵で書いているのに誰もそれに言及せず
火災旋風の存在がわかってから「あぁ、そうか」
みたいな考え方が見え隠れしていることが
少し不思議だった。

100年も200年も前の文化のことって
今に伝わりきれてないんですね。
デジタル化のいま、隕石か何かが落ちてきたら
地上に残る現代人の足跡は残りません。
石器時代に石に刻んでいた文字とかが
手がかりになるんでしょうね。と
誰かが言っていました。便利になるって
意外と不便な感じがする。

湯たんぽの存在が見直されているといういつかの
新聞の記事からもすこし思ったりしました。

地震は昔からは幾らか未来とされている今でも
恐怖の種であり続けています。少なくともノストラダムスよりは。
悲しいことかもしれないけど地震では多くの人が死にます。
11年前の地震で知り合いがなくなった人も少なくない。
地震がいつくるかわかればすごくハッピーなんだと
思う。それは間違いなくすばらしいことなんだと思う。
ただ、地震までくることがわかってしまったら
次にどれほどおおきな不安をぼくたちは抱え込まなくては
いけなくなるんだろう。
そんな不安がふと浮かんではすぐ消える。
テレビ見ただけなのに。




tkm410 at 15:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
カテゴリ別アーカイブ