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『ジャッキー・チェンの映画に登場したあの人達は今…』
というまとめを作ったときに痛感したのですが、中国人名の日本語表記というのは非常にややこしいです。何がややこしいのかというと、向こうの人名には読み方の候補が数種類あって、日本でそれをどう読むかというルールが統一されていないので、表記ゆれが頻繁に起こるのです。

名前の読み方が統一されない原因は中国サイド・日本サイドの両方にあり、その内容はおおまかに言うと次のとおりです。

(※下の説明はつまらないので、つまらないのが嫌いな方はジャッキーの写真の辺りまでスクロールして下さい)

中国サイドの事情
  • 中国人は世界中にいる
  • 同じ字でも北京語と広東語では読みが違う
  • 英語名を持つ人がいる
     
    →読み方が統一されない 
     
日本サイドの事情
  • 全てを音読みするわけにはいかない
  • 中国語をカタカナに置き換えるのは難しい
  • 日本人が間違えたり勝手に変えたりしちゃう

    →読み方が統一されない 
順を追って説明していきましょう。

●世界には色んな中国人がいる
ここでは語弊のないように「中華圏の人」と言っておきますが、世界には中華圏の人がたくさんいます。本場である中国大陸以外にも、香港・台湾のような、中国であったりなかったりする地域、華僑の多い東南アジア諸国、人気の移住先であるアメリカ・カナダなど、彼らのなかにはこうした国や地域の間を行き来したり、移り住んだりする人が多くいます。活動の場を広げようとする有名人などは特にそうですが、その場合、日本で名前を表記するにあたって、どこの言語の読み方で表記するべきかという問題が発生します。

●同じ字でも北京語と広東語では読みが違う
ご存知の方も多いでしょうが、「中国語」というと、一般には北京語のことを指します。北京語は中国の標準語で、世界中で13億7000万人が話しているのがこの言語です、一方、香港や中国の広東省で使われている方言が広東語で、こちらの話者は8000万人と少ないですが、香港映画で話されているのはほぼ全て広東語ですので、香港映画好きの方には北京語よりも広東語の方が親しみがあるかもしれません。

北京語も広東語も同じ中国内の言語ですが、用いられる単語や発音が違うので同じ漢字でも読み方が二通りとなり(例えば「日本」という字は北京語では「リーペン」ですが、広東語では「ヤップン」と読みます)ときにどちらの読み方で表記するのかという問題が発生してしまいます。これは香港人に顕著で、広東語圏の香港人なら広東語読みになるかと思いきやなぜか北京語読みで呼ばれる人もいて、一方で、北京語圏で生まれ育っているけども香港でデビューしたから名前は広東語読み、といったケースもあり、どちらの読み方をするかはきちんと定まってはいません。

●英語名を持つ中国人
日本で英語名を持つ人はほとんどいませんが、中国では、イギリスの植民地であった香港を中心に、本名に加えて英語名を持つ人がたくさんいます。ジャッキー・チェンやブルース・リーなど、挙げればきりがないのですが、英語名があることで、北京語と広東語の二通りの読み方があったところに、読み方の候補がもうひとつ増えることになり、さらに、英語名の後ろにつける苗字を北京語と広東語のどちらで読むかという問題も発生してしまい、これが非常にややこしいのです。その一方で、英語名を持っているけど中国名のほうが知られているという人もいて、それはそれでややこしさに拍車をかけています。ちなみにこの英語名、どのタイミングでどんな名前を付けるかは人それぞれで、命名が自由なためニックネーム的に付けられることもあり、厳格なものではないようです。

●音読みすればいいというわけではない
習近平(しゅうきんぺい)毛沢東(もうたくとう)のように、日本では、中国の政治家や歴史上の人物は基本的に漢字を音読みして呼ばれます。このように、人名を音読みすれば言語や発音などによる表記ゆれの問題は完全に解決されるのですが、そうするとジャッキー・チェン(成龍)「せいりゅう」ブルース・リー(李小龍)「りしょうりゅう」となり、はっきり言ってかっこ悪いです。また、ビビアン・スー(徐若瑄)のことを「じょじゃくせん」チャン・ツィイー(章子怡)のことを「しょうしい」と言っても意味不明なように、人名の音読みは耳で聞くと何を指しているか分かりにくいのです。そのため、かっこよさやキャッチーさが求められる芸能人などの名前表記は、やはり現地読みが適切ということになるわけです。

●中国語をカタカナにするのは難しい
では中国名をどう表記するかという問題になりますが、そもそも外国語の発音を正確に日本語で表すことは無理です。なので、できるだけ現地の発音に似たカタカナに置き換えて表すことになるわけですが、英語なら「この単語はこう表記する」というのがだいたい決まっている一方で、中国語はそういったところが統一されていないため、同じ言語の同じ漢字なのにニュアンスの違いで表記ゆれが生まれてしまうことがあります。

●さらに、日本人が間違えたり勝手に変えたりしちゃう
また、読み方の不統一というよりは、日本人が発音記号や英語表記を間違えて読んでしまったり、さらには意図的に読みを変えてしまうことがあり、その結果、本国の発音と全然違う読みが定着してしまうケースがあります。


以上のような理由に加えて、他にも様々な事情で中国人名の日本語表記はややこしくなっているわけですが、これら中国サイド・日本サイド両方の理由を見事に満たして名前がややこしくなってしまっているのが、あのジャッキー・チェンです。
Jackie chan

●実は、ジャッキー・チェンの名前はかなりややこしい
日本では単に「ジャッキー・チェン」として知られるこの方、実はなんと六つも名前を持っています。

まず、生まれたときに付けられた本名①陳港生(チャン・コンサン)、芸能学院で付けられた芸名②元樓(ユンラウ)、学院卒業後に自分でつけた芸名③陳元龍(チャン・ユンロン)、その後に改名した現在の芸名④成龍(センロン)、一時期映画界を引退してオーストラリアで暮らしていた頃につけた英語名⑤Jackie Chan(ジャッキー・チェン)さらには、40を過ぎた頃に父から明かされた⑥房仕龍(フォン・シールン)という本当の本名、の計六つです。(以上、中国名は全て広東語読み)ジャッキーの本名が二つあるのは、父親が国民党のスパイで複雑な生い立ちを持っていたからですが、昔の芸名を除いたとしても、現在四つもの名前を持っていることになりますから、表記以前にもう既にややこしいです。

さて、出生時のジャッキーの本名は陳港生(チャン・コンサン)なので、後の芸名である陳元龍(チャン・ユンロン)や英語名 Jackie Chan は、本名の苗字を拾って「陳(チャン)」姓が使われており、英語圏でも Jackie Chan は「ジャッキー・チャン」と発音されています。ところが、なぜか日本では、この方は「ジャッキー・チェン」と呼ばれています。

は中国で五番目に多い苗字で、北京語では「チェン」広東語では「チャン」と読みます。香港で生まれ育ち、香港を活動拠点にしていたジャッキーなら、広東語読みのチャンにするのが普通です。日本でも有名な香港出身の歌手アグネス・チャン(陳美齢)はジャッキーと同じ「陳」姓ですが苗字はチャンと読み、また、『冷静と情熱のあいだ』で知られる歌手で女優のケリー・チャン(陳慧琳)や、写真流出騒動で話題になった香港の俳優エディソン・チャン(陳冠希)など、香港の芸能人は基本的に広東語読みでチャンです。
Chans
アグネス・チャン/ケリー・チャン/エディソン・チャン

ほか、ジャッキー関連人物では、『ファースト・ミッション』や『ツイン・ドラゴン』などに出演したアンソニー・チェン(陳友)という例外を除けば、『アクシデンタル・スパイ』の監督テディ・チャン(陳德森)、『デッドヒート』や『メダリオン』の監督ゴードン・チャン(陳嘉上)、『Who AM I?』で共同監督を務めたベニー・チャン(陳木勝)、『プロジェクトA2』に出演したチャーリー・チャン(陳惠敏)など、陳姓の人物は日本ではほぼチャンです。なのにどうしてジャッキーだけが北京語のチェンなのかというと、こちらのサイトによれば、ジャッキーが日本に紹介された頃、当時の(配給会社かどこかの)大人達がジャッキー・チャンでは女らしくてイメージに合わないというので、成龍の北京語読みが「チェンロン」なこともあってか、北京語読みのチェンとして売り出したらしいのです。かくして、Jackie Chan は日本ではジャッキー・チェンと呼ばれるようになったわけです。

●ジャッキーの息子の名前もややこしい
Jaycee Chan
日本ではチェンという読みが当てられたジャッキーですが、ややこしいことに、ジャッキーの息子で、2014年の薬物事件でも話題になった俳優のジェイシー・チャン(房祖名は、なぜかチャンという、父親と違う本来の広東語の読みになっています。さらにややこしいことに、ジェイシーはジャッキーのもうひとつの本名であるフォン・シールン(房仕龍「房(フォン)」姓を使っているため、本来はジェイシー・フォンと呼ぶべきなのでしょうが、公での名前はジェイシー・チャンで、ついでに言うと英語表記も Jaycee Chan です。これは家族の事情もあるので仕方のないことなのですが、ここまで複雑な名前を持つ一家も珍しいのではないでしょうか。(ちなみに、冗談のような話ですが、ジェイシーの名前は Jackie Chan のイニシャル「JC」から命名されました)

●サモ・ハン・キンポーの名前はもっとややこしい
Sammo Hung
さて、ジャッキー・チェンについて書いたので、往年の香港スターつながりでサモ・ハン・キンポーについても書きましょう。実はこの方はジャッキー以上にややこしい名前事情を持っています。

お気付きの方も多いでしょうが、なぜかこの方は名前のパーツがひとつ多いです。普通、中国人の名前は日本人と同じで「苗字+名前」の順で表されます。例えば、アクション俳優のリー・リンチェイ(李連杰)は、リー(李)が苗字で、リンチェイ(連杰)が下の名前です。そして、英語名を使う場合はジェット・リー(Jet Li)のように「英語名+中国苗字」となり、このときには中国名の下は省くのが通例です。このように、英語名をつけるつけない、いずれの場合も、名前のパーツは二つです。ところがなぜかサモ・ハン・キンポーだけは「サモ+ハン+キンポー」と、名前のパーツが三つになっています。これはどういうことかというと、この方だけ、なぜか「英語名+中国苗字+中国名前」という「全部乗せ」をしてしまっているのです。

●間違いだらけのサモ・ハン・キンポー
サモ・ハン・キンポーの「サモ」は、漫画『三毛流浪記』の主人公の三毛(サモ)にちなんでつけられたニックネームで、後ろの「ハン・キンポー(洪金寶)」部分が、この方の本名です。従って、この方の名前を日本語で表記するなら、ニックネームのサモと中国苗字を合わせた「サモ・ハン」にするか(実際、英語圏では Sammo Hung と表記されています)、もしくは中国名で「ハン・キンポー」とするのが普通です。ところが、日本では両方を足してサモ・ハン・キンポーと表記してしまっています。これは先程のリー・リンチェイで言うなら「ジェット・リー・リンチェイ」と書いているようなもので、冗長かつ不自然です。どこからこのような表記が生まれたのでしょうか。

実は英語圏では、ごくまれにジャッキー・チェン(陳港生)を Jackie Chan Kong-sang といったように、英語名と中国名を繋げて両方の名前が分かるように書くことがあるのです。実際、サモ・ハンも現在では Sammo Hung という英語表記が一般的なのですが、検索してみると Sammo Hung Kam-bo という、日本と同じ「全部乗せ」表記をしているところが結構あるのです。Wikipediaによれば、Sammo Hung に改名する1998年以前は Sammo Hung Kam-bo という英語名が使われていたようなのですが、どうしてこんな表記が使われていたのでしょうか。その理由として考えられるのが、英語圏のニックネーム付き表記が定着したという仮説です。

英語圏では、人名を表記するときにニックネームを併記することがあります。例えば、第42代アメリカ大統領のビル・クリントンの本名はウィリアム・ジェファーソン・クリントンで、日本で知られているビルという名前は、実はウィリアムを短縮したあだ名なのですが、向こうではそうした名前を表記するときに William Jefferson "Bill" Clinton といったように、苗字の前に二つ名を併記するのです。他にも、映画監督の北野武は、芸人ビートたけしとしても知られていますが、英語圏ではときどきこれを繋げて Beat Takeshi Kitano と、苗字の前に芸名を併記することがあります。

こうした英語圏での作法を鑑みるに、Sammo Hung Kam-bo という表記も、このニックネーム併記によるものである可能性が高く、実際に、日本での出世作となった『燃えよデブゴン』のオープニングでは、洪金寶という字幕に SAMO HUNG KAM PO と(スペルは異なるものの)ニックネームと中国名を繋げた名前が併記されているのです。サモ・ハンが日本で知られるきっかけとなったのがこの作品ですから、このクレジットを見た関係者や観客が「洪金寶」を「サモ・ハン・キンポー」だと認識したことはほぼ間違いないと言っていいでしょう。こうして、サモ・ハン・キンポーというかくも例外的な表記が日本に定着したのです。
samo hung kam po
話はまだ終わりではありません。さて、サモ・ハンの本名は、洪金寶です。に旧字体のという非常に縁起の良い名前ですが、この名前、実は北京語読みで「ホン・ジンパオ」広東語読みで「ホン・ガンボウ」となり、日本で知られているハン・キンポーという読みはどちらの発音とも異なります。よく見るとこの読みは「金宝(きんぽう)」という漢字をそのまま音読みしており、さらに、北京語・広東語ともに「ホン」と読む苗字の「洪」をなぜか「ハン」と読んでしまっています。つまり、サモ・ハン・キンポーという名称は、英語名と中国名を全部くっつけて、さらに読み方まで変えてしまったという、ジャッキー以上にむちゃくちゃな状態になっているのです。ここで混乱してしまった方のために整理すると、サモ・ハン・キンポーの正しい呼び方は、英語読みでサモ・ホン、北京語読みでホン・ジンパオ、広東語読みでホン・ガンボウなのです。と言っても、私達日本人はもうサモ・ハン・キンポーに慣れきっているので、今更変えるわけにもいかないのですが……

●「ユン・ピョウ」は芸名
Yuen Biao
ジャッキー、サモハンと来たので、ユン・ピョウにも触れておきましょう。この方の本名はハー・リンザン(夏令震)といい、皆が知っているユン・ピョウ(元彪)という名前は芸名で、これを北京語読みすると「ユエン・ビャオ」、広東語読みにすると「ユン・ビウ」となり、どちらも日本でのユン・ピョウと言う読みとは少し違っています。ちなみに、英語表記は北京語の発音に基づく Yuen Biao です。

(※以下、少しだけマニアックな話になるので、マニアックなのが嫌いな方は「もう一度、陳について考える」という項までスクロールしてください)

●「元○」という芸名
ジャッキー、サモハン、ユン・ピョウが出会ったのは、かつて香港にあった「中國戲劇研究學院」という全寮制の芸能学校で、年齢こそ違いましたが三人は共に京劇・武術・芝居の厳しい訓練を受けていました。
China drama academy
この学院はユー・ジムユンというカンフー映画の大家が創立したもので、当時の学院の生徒には、創立者で師範のユー・ジムユン(于占元)「元」という字を取った「元○」という芸名がつけられていました。ユン・ピョウ(元彪)はその一人で、ジャッキーにはユン・ラウ(元樓)、サモハンにはユン・ロン(元龍)という芸名がそれぞれつけられています。ちなみに、『サイクロンZ』のラスボス役や『カンフーハッスル』の大家役を演じたユン・ワー(元華)や、映画監督・アクション指導家の元奎(ユン・ケイ)もこの学院の出身なのですが、同じく「元」のつく芸名がつけられています。
Yuens
ユン・ワー(元華)/ユン・ケイ(元奎)

●ユン・ピョウのユンは苗字なのか
ユン・ピョウは、実はビル(Bill)ジミー(Jimmy)という英語名を持っていて、この英語表記が Bill Yuen や Jimmy Yuen であることから、Yuen つまり元(ユン)が苗字であることが分かるのですが、実は先程紹介した「元」のつく芸名を持つ人達の間でも、を苗字にするかどうかは統一されていません。

例えば、ジャッキー・チェンの前の芸名チャン・ユンロン(陳元龍は、学院卒業後、映画の脇役やスタントマンの仕事をしていた頃にクレジットに乗せる名前を尋ねられて自分で付けたもので、これは自身の苗字のに学院時代のサモハンの芸名、元龍をつけて陳元龍としたものですが、このように、ジャッキーの場合はを苗字ではなく、下の名前の一部としています。(なぜサモハンの芸名を拝借したかというと、学院時代仲が悪かったので、もう会うこともないと半ば適当につけたらしいです)

一方、ユン・ピョウと同じくユン(元)を苗字にしているのがユン・ワー(元華)で、ついでに言うと、ユン・ピョウもユン・ワーも、当時の芸名を今に至るまで変えずに使い続けています。

ややこしいのがユン・ケイ(元奎)で、この方は芸名ではユン(元)が苗字なのですが、実は本名がヤン・ユンクワイ(殷元奎)といい、ご覧のとおり、本名ではユン(元)は下の名前の一部です。本名に元が入っていたから、それをそのまま芸名にしたのか、それとも芸名が先で、後から本名を改めたのかは分かりませんが、同じ人物でも、芸名か本名かで元という字が苗字になったり、名前の一部になったりしています。これは、一文字姓が少ない日本ではあまり起こらない現象です。

ちなみに、日本ではユン・ケイという読みが定着しているこの方ですが、ケイの音読みで、正しくは北京語読みでユン・クイ、広東語読みでユン・クワイとなります。なお、英語名はコリー・ユエン(もしくはコーリー・ユエン)で、英語表記は Corey Yuen です。

●『I AM JACKIE CHAN』の変な表記
I am Jackie Chan
ジャッキーの学院時代の話は自伝『I AM JACKIE CHAN』に詳しいのですが、この本では学院の創設者、ユー・ジムユン(于占元)のことをなぜか「ユー・イエムユン」と表記しています。北京語読みでそうなるなら分かるのですが、于占元は北京語で「ユー・ザンユエン」と読むので、真ん中の「イエム」はどう考えてもおかしいです。この本はアメリカで出版されたものの訳書なので、原著の表記がおかしいのかと思い Amazon.com で内容紹介の文を確認しましたが、きちんと Yu Jim-yuen と表記されています。これは普通に読めば「ユー・ジムユン」、百歩譲っても「ユー・ジムユエン」となり、イエムに間違えるほうが不思議なのですが、なぜこんな表記が生まれたのかというと、英語では発音記号の jy の音で発音する(例えば Yellow の発音記号は jelou になる)ので、何かの勘違いで jy の混同が起こってしまい Jim を イエム と読んでしまったのではないかと推測されます。ただ、翻訳したのは日本人ですし、普通に考えて Jim はジムだと思うのですが……

●もう一度、陳について考える
さて、ジャッキー・チェンの項で、日本では陳姓の香港人はだいたい苗字をチャンと読む、という話をしました。ところが、英語表記のほうではなぜか ChanChen が混在しています。

例えば、先に触れた人ではアグネス・チャン(陳美齢)の英語表記は Agnes Chanチャン表記ですが、ケリー・チャン(陳慧琳)エディソン・チャン(陳冠希) は、それぞれ Kelly Chen や Edison Chen と、北京語のチェン表記になっています。彼らが Chen を使っている理由は、おそらく父親の英語表記を継いだからで、参考のために付記しておくと、ケリーの父親はデービッド・チェン(陳崇偉 David Chen)、エディソンの父親はエドワード・チェン(陳澤民 Edward Chen)で、ともに香港人ですが Chen です。(余談ですが両者とも大金持ちです)ちなみに、ケリーが日本のテレビ番組に出演した際には、自分ではっきりと「ケリー・チェンです」と発音しています。
Chens
ケリー・チャンとその父親/エディソン・チャンとその父親

ジャッキー・チェンは英語表記が Chan なのに日本の都合でチェンと呼ばれている一方、ケリー・チャンやエディソン・チャンは、英語表記が Chen なのに、日本では広東語の発音に忠実にチャンと読んでいるのです。ちなみに、香港人なのに珍しくチェンと呼ばれているアンソニー・チェン(陳友)の英語表記は Anthony Chan です。ややこしいですね。

●チャン・ツィイーの名前はどう発音するのか
Zhang Ziyi
『初恋のきた道』でデビューし、現在はハリウッド女優としても知られるチャン・ツィイー(章子怡)の名前は、北京語の発音記号では「Zhang Zi Yi」と表されます。これを頑張ってカタカナにすると「チャン ツー イー」となるのですが、この発音が難しく、特に「ツー」の部分は、普通のツーではなく、口を少し横に広げてツーと発声するのです。カタカナの「チャン・ツィイー」という表記に対して、多くの人が読みにくくて変だと思っていることでしょうが、おそらくこれは「Zi」の難しい発音(記号)を表現しようとした苦肉の策によるものと思われます。(個人的にはツーイーでいいと思うのですが)

しかし実際のところ、チャン・ツィイーは日本では「チャン・ツィー」と呼ばれています。「ツィイー」というのがそもそも見慣れない表記ですし、いちいち「ツィ・イー」と分けて言うのが面倒臭いので、一気に「ツィー」と呼ばれているのです。せっかく発音記号のニュアンスを頑張って表記したのに、読む側が「ツィー」では台無しです。ところが、現地のニュース動画を見てみると、早口で「チャン ツー イー」と言っているのが「チャン ツィー」に聞こえなくもないのです。これは、実際の発音と異なる表記を間違って読んだものが偶然現地の発音に近かったという、極めて珍しいケースです。

▼本来の発音は「チャン ツー イー」だが、早口だと「チャン ツィー」に聞こえる
 

ちなみに、チャン・ツィイーは英語名を持っていないので英語表記は発音記号そのままの Zhang Ziyi なのですが、英語圏ではこれを「ジャン・ズィ・イー」または、姓名を逆にして「ズィ・イー・ジャン」という風に発音しているようです。これに比べたら、日本の読み方のほうがまだましな気がします。

なお、先程は割愛しましたが、中国語の発音には、口の開け方、舌の置き方、語尾を上げるか下げるかなどといった色んな要素がありますので、日本人がカタカナをそのまま読んでも中国の方には通じません。ですので、いくら現地のニュースの発音が「チャン・ツィー」に聞こえるからといって、私達が呼んでいるようなカタカナ発音で「チャン・ツィー」と言っても、おそらく日本人以外には分かってもらえないので注意しましょう。

●チャウ・シンチー、またの名をスティーブン・チャウ
Stephen Chow
『少林サッカー』や『カンフーハッスル』などのコメディ作品で有名なチャウ・シンチー(周星馳)は、日本では「チャウ・シンチー」という広東語読みの中国名で呼ばれていますが、実は Stephen という英語名を持っており、欧米では Stephen Chow という名前で知られています。この英語名は、日本では「ステファン・チョウ」と表記されることが多いのですが、向こうでは「スティーブン・チャウ」と発音されており、インタビュー動画を見ると、チャウ・シンチー自身も「スティーブン・チャウ」と発音しています。なお、『不夜城』などで知られる日本の小説家馳星周(はせ せいしゅう)のペンネームは、本人がファンであるチャウ・シンチーの名を逆さにしたものであることは有名な話です。

●チョウ・ユンファ、もといジャウ・ユンファ
Chow yun fat
チャウ・シンチーと同じ「周」姓で、同じく広東語読みの中国名で知られているのが、俳優のチョウ・ユンファ(周潤發)です。英語名を持っているチャウ・シンチーと違って、こちらは海外でも Chow Yun-fat と中国名で呼ばれています。ちなみに、英語版のWikipediaには Donald Chow という別名も記載されているのですが、報道やクレジットでは Chow Yun-fat が使われているので、果たしてこの Donald がプライベートで使われている名前なのか、それとも一応持っているけど全然使っていない名前なのか、はたまた英語名ですらない昔のニックネームか何かなのかは分かりません。

さて、既にお気付きの方もいるでしょうが、チャウ・シンチーとチョウ・ユンファは同じ「周」姓の香港人なのに「チャウ」「チョウ」と苗字のカタカナ表記が異なります。これはどちらが正しいのかというと、厳密に言えばどちらも間違いで、「周」は広東語では「ジャウ」と発音されます。ただ、これはチャウに聞こえなくもないので、しいて言うならチャウ・シンチーの勝ち(?)でしょうか。チョウ・ユンファの「周」が日本で「チョウ」になってしまった理由は、おそらく英語表記の Chow を読み間違えたものだと思われますが、先述のとおり、Chow は英語圏ではチャウと発音されています。

他にも「周」姓の香港人といえば、エミール・チョウとしても知られる歌手・俳優のワーキン・チョウ(周華健)がいますが、こちらも正しくは広東語読みでジャウ・ワーキン、英語読みでワーキン・チャウとなります。ついでに言えば、この方は一般的な Chow ではなく Chau という英語表記を使っています。
Chau Wakin

●フェイ・ウォンか、ウォン・フェイか、ワン・フェイか

Faye Wong
『恋する惑星』の主演・主題歌を務めたことで有名な歌手のフェイ・ウォン(王菲)の名前は広東語読みでウォン・フェイ北京語読みでワン・フェイとなり、日本では両方の読みで知られているのですが、なぜかこの方の表記は広東語読みの姓名をひっくり返したフェイ・ウォンが一般的です。これはどうしてかというと、この方は自身の下の名前、フェイを Faye という英語名にして苗字のウォンをつけた Faye Wong を英語表記の名前にしており、日本の表記はこれをカタカナにしたものなのです。

フェイ・ウォンといういかにも純粋な中国名らしい名前なので気付きにくいのですが、これは実は英語名式表記だったのです。ちなみに、この方は北京で生まれ育ったのですが、移住先の香港でデビューしたということもあってか、ローマ字表記の苗字は広東語読みに基づく Wong です。

●トニー・レオン(Tony Leung)の話

皆さん、トニー・レオンはお好きでしょうか?日本ではやや知名度が低いですが、 『楽園の瑕』の渋い人とか、『エレクション』の血気盛んなチンピラとか、『孫文の義士団』の志高いインテリとか、『愛人 ラマン』の切ない青年とか、色んな役柄を演じ分けられる上手い俳優さんですよね。

……と言うと、いやいやトニー・レオンは『楽園の瑕』には出てたけど『エレクション』とか『孫文の義士団』とか『愛人 ラマン』には出てないよ!あんたが言ってるのはトニー・レオン(梁朝偉)じゃなくて、レオン・カーフェイ(梁家輝)でしょ!というツッコミが聞こえてきそうです。しかし、『恋する惑星』『インファナル・アフェア』『HERO』『ラスト、コーション』などで知られるあのトニー・レオン(梁朝偉)だけでなく、レオン・カーフェイ(梁家輝)も、実はトニー・レオンなのです。
tony leungs
トニー・レオン(梁朝偉)/レオン・カーフェイ(梁家輝)
 
これだけでは意味不明なので、ひとつずつ説明していきましょう。まず、皆さんが知っているトニー・レオン(梁朝偉 Tony Leung)は、トニー(Tony)が英語名で、レオン(Leung)が中国苗字です。一方のレオン・カーフェイ(梁家輝 Leung Ka-fai)は、レオン(Leung)が中国苗字で、カーフェイ(Ka-fai)が中国名前、つまり全部中国名です。レオンというと一見、英語名の Leon を連想させるので分かりづらいのですが、トニー・レオンとレオン・カーフェイのレオンはどちらも梁(Leung)という中国の苗字です。で、ややこしいことに、レオン・カーフェイは、実はトニーという英語名も持っています。そのため、レオン・カーフェイの名前を英語表記すると、あのトニー・レオンと全く同じ Tony Leung となってしまうのです。

   トニー・レオン   朝偉 Tony Leung Chiu-wai
レオン・カーフェイ 家輝 Tony Leung Ka-fai

日本では幸いにしてレオン・カーフェイの英語名トニーは知られていないので、トニー・レオンといえばあのトニー・レオンを指すことになるのですが、なんと英語圏ではレオン・カーフェイもトニーという英語名を使っているので、同じ香港の、それも同じ年代の俳優に Tony Leung が二人いることになってしまいます。そのため、英語圏では混同を避けるため、二人の名前はそれぞれ Tony Leung Chiu-wai や Tony Leung Ka-fai のような、あのサモ・ハン・キンポー式「全部乗せ」表記になっています。実際にトニー・レオンの英語版の Wikipedia を見ると、項目名が Tony Leung Chiu-wai となっており、トップには「Tony Leung Ka-fai ではありません」と注意書きがされています。ちなみに、映画『楽園の瑕』はトニー・レオンとレオン・カーフェイが共演しているのですが、クレジットでは、他の出演者は Leslie Cheung(レスリー・チャン)Maggie Cheung(マギー・チャン)のように「英語名+中国苗字」で名前が表示されているのに、トニー・レオンとレオン・カーフェイだけが、それぞれ Tony Leung Chiu Wai や Tony Leung Ka Fai という、「英語名+中国苗字+中国名前」の表記になっています。
casts
ちなみに、先程の Wikipedia によれば、レオン・カーフェイはトニー・レオンより4歳年上なので、向こうではそれぞれ「ビッグ・トニー」「リトル・トニー」とも呼ばれているようなのですが、要出典タグが付いており、それが向こうで本当に定着している呼称なのかは不明です。

梁(Leung)の話
さて、あまりにも話がややこしくなってしまうので先程はあえて触れませんでしたが、トニー・レオンとレオン・カーフェイに共通するという苗字。この字は実は「レオン」とは読みません。

という字は、北京語では「リャン」広東語では「リョン」と読みます。広東語の「リョン」は発音が難しく「レョン」とも聞こえますが、どう頑張っても「レオン」にはなりません。ではなぜこれが日本でレオンになったかというと、おそらく、例によって当時の大人達がリョン(Leung)をそれっぽく、かつかっこよく表記しようとして変えたものと思われます。トニー・レオンとレオン・カーフェイのどちらが先にレオンという読み方を当てられたのかは分かりませんが、いずれにせよ、どちらかが日本に紹介された後、梁(Leung)姓レオンと読もう、というのが不文律で決まったのでしょう。ただ、香港の女性歌手ジジ・リョン(梁詠琪 Gigi Leung)の苗字は、ご覧の通りレオンではなくリョンと表記されています。これは、女性なのでレオンだと男っぽく、さらにリョンのほうが語感がかわいいと考えられてそうなったのだと思われます。同じ香港人でも、やはり日本での読みは統一されていません。
Gigi Leung
ところで、金髪の坊主頭で『ラッシュアワー』に出演していたケン・レオン(Ken Leung)も、レオン(Leung)姓を持っています。この方は中国系アメリカ人で中国名を持っていないので苗字のレオンがどういう漢字なのかは分かりませんが、向こうでは「ケン・レオン」または「ケン・レォン」といったように発音されています。ということは、北京語や広東語では Leung はレオンとは読まないものの、英語圏では Leung をレオンと呼ぶことが少なくとも一例はあるのです。このことから、トニー・レオンやレオン・カーフェイのレオンは Leung を英語読みしたレオンに由来している、と言えそうですが、北京語や広東語を飛ばしてわざわざ英語読みを採用することは考えにくいので、レオンという表記は、広東語読みの「リョン」をかっこよくアレンジしたという説が有力なように思えます。
Ken Leung
なお、これを書くにあたり、同じ「梁」姓を持つ香港の行政長官、梁振英(りょう しんえい)に関する英語のニュースも参照しましたが、「レォン」に近いものもあれば、なぜか「ラン」に近いものもあり、どうも英語圏では Leung の読み方は統一されていないようです。従って、日本の「梁=レオン表記」の起源を英語読みに求めるのは難しく、やはり広東語読みをアレンジしたと考えるのが自然でしょう。
leong chun ying
●姓名を逆転させてイニシャルにする英語表記
ところで、英語圏のニュースを調べていて気付いたのですが、向こうでは中国人名を英語表記するとき、西洋式に姓名をひっくり返して、さらに下の名前を一文字ずつイニシャルにすることがあるようです。

例えば、先程にも触れた香港の行政長官、梁振英(りょう しんえい)の名前は広東語読みでリョン・ザン・イン、英語表記はそれを拾った Leung Chun-ying ですが、英語圏の報道などではこれを CY Leung と表すことがあるのです。これは文字で見るならまだ見当がつきますが、音声で聞くといきなり「スィー・ワイ・ラン」と言われたりするので、注意していないと誰のことか分かりません。

●中国系アメリカ人は姓名をひっくり返す
苗字をひっくり返すといえば、中国系アメリカ人は現地方式に合わせて、普通の中国名でも苗字と名前を逆転させることが多いようです。例えば『ラッシュアワー』に出演したツィ・マー(馬志 Tzi Ma)は、香港で生まれ5歳のときにニューヨークに移住した中国系アメリカ人ですが、本当の中国名はマー・ツィなところを、西洋式に苗字を後にしてツィ・マーとしています。
Mas
ツィ・マー/ヨーヨー・マ

また、世界的チェリストのヨーヨー・マ(馬友友 Yo-Yo Ma)は、フランス生まれで8歳のときにニューヨークに移住した中国系アメリカ人ですが、こちらも姓名を逆転させています。ちなみに、どちらも同じ「馬」姓なのにツィ・マーマーと伸ばす一方で、ヨーヨー・マと止めるような表記になっていますが、ここまで読んでいる方には、こんな些細な違いはもう許容範囲でしょう。

ところで、Tzi Ma がアメリカでどう呼ばれているのか念のため動画検索をして調べたのですが、なんと向こうではツィ・マーではなく、ツァイマもしくはタイマと発音されているようです。インタビュー動画のほか、本人が話している動画も確認しましたが、自分で「Hi. This is タイマ」と言っています。Tzi というと、いかにもツィと呼びそうな感じがしますが、英語読みというのはつくづく私達が思いつくものとは違っているようようです。

●フィギュアスケート選手も姓名をひっくり返す
国際大会では選手名を西洋式に表記・アナウンスするためか、フィギュアスケートの選手は、ジジュン・リー(李子君 Zijun Li)ボーヤン・ジン(金博洋 Boyang Jin)などのように、たとえ純中国人の中国名でも「名前・苗字」の順で表記することがあるようです。
jlee bjin
ジジュン・リー(李子君)/ボーヤン・ジン(金博洋)

ちなみに、中国が姓名をひっくり返している一方で、韓国の選手は国際大会でも姓名をそのままにしており、あの有名なキム・ヨナ(金姸兒 Kim Yuna)は、ご覧のとおりキム・ヨナと、苗字が先にきています。

●ややこしすぎるフィギュアスケート選手の名前表記
さて、意外に思われるかもしれませんが、李子君「ジジュン・リー」という読みは、実は中国語ではなく、正確に言えば英語圏の読み方です。これはどういうことかというと、「李子君」という字を北京語で発音すると「リー・ツージュン」となり、その発音記号は「Li ZiJun」となるのですが、この姓名を逆さにした英語表記「Zijun Li」を英語読みしたものをカタカナにしたのがあの「ジジュン・リー」なのです。

先ほど、チャン・ツィイーは英語圏で「ズィ・イー・ジャン」と呼ばれている、という話をしましたが、これと全く同じ現象が「ジジュン・リー」でも起こっているのです。

●えんかん=閻涵=Yan Han=イェン・ハン=Han Yan=ハン・ヤン
フィギュア選手の名前はただでさえややこしいのに、閻涵(えんかん)は、その絶対に読めない漢字に加えて、中国語と英語の読みが違ううえに、英語読みがローマ字読みと一致しているため余計にややこしくなっています。
hyan
「閻涵」は北京語では「イェン・ハン」と読み、これを発音記号にすると「Yan Han」となります。この文字列はついヤン・ハンと読みたくなりますが、あくまでも中国では「イェン・ハン」です。しかしながら、英語圏ではこれを「ヤン・ハン」と読むため、国際大会などでは姓名を逆にして「ハン・ヤン」と呼んでおり、英語読みを踏襲した日本の読み方も同様に「ハン・ヤン」となっています。

一昔前のフィギュアスケート選手は、基本的に漢字名を音読みして呼ばれていたようですが、近年はこのように様々な読み方が混在しているうえ、放送局によっても表記ルールが異なるため、人名の表記は例によってややこしくなっています。

●張はどう読むのか
張は中国で三番目に人口の多い苗字で、この苗字を持つ芸能人は多くいるのですが、その読みには例によってぶれがあります。この漢字は北京語で「チャン」広東語で「チョン」と読むので、大陸の人はチャン、香港の人はチョン、と読めばよさそうですが、なかなかそうはいきません。
cheungs
レスリー・チャン/マギー・チャン/セシリア・チャン

日本でもファンの多い歌手・俳優であるレスリー・チャン(張國榮)、ジャッキー映画ほか数々の有名作品でおなじみのマギー・チャン(張曼玉)、女優で、『少林サッカー』にも出演していたセシリア・チャン(張柏芝)はいずれも香港生まれで芸能活動も香港が拠点ですが、苗字の読みはなぜか北京語読みのチャンが一般的で、レスリー・チョン、マギー・チョン、セシリア・チョンという表記はまれです。彼らの名前に広東語読みのチョンが使われていない理由は、チョンというのがやや気の抜けた語感でスターの名前にそぐわないと考えられたからだと推測されますが、加えてマギー・チャンやセシリア・チャンの場合は、チャンのほうが女の子らしいという(ジャッキー・チェンと正反対の)理由があったのかもしれません。
Jacky Cheung
一方で、香港の歌手・俳優のジャッキー・チュン(張學友)は、チャンでもチョンでもない、チュンというよくわからない読みになっています。どうしてこんな読み方になったのかは不明ですが、この方は一時期ジャッキー・チェンのそっくりさんとして取り上げられたことがあったので、苗字をもじってよりチェンに近いチュンとしたか、もしくは Cheung という英語表記を頑張って読んでチュンとしたかでしょうか。少なくとも漫画『ドラゴンボール』に出てくる同名のキャラクターとは関係ないものと思われます。ついでに言うと、ジャッキー・チェンの英語名は Jackie ですが、チュンの英語名は Jacky です。

ところで、1990年に公開された『欲望の翼』にはマギー・チャン、レスリー・チャン、ジャッキー・チュン、の三人の「張」が出演しているのですが、この作品の日本版VHSのパッケージでは、マギー・チョン、レスリー・チョン、ジャッキー・チョンと、いずれも広東語に準拠したチョンという表記になっています。しかし別の作品のパッケージでは表記が違っているので、この頃は広東語に忠実だったり、そうでなかったり、まだ表記法がバラバラだったのでしょう。となると、やはり誰かが意図をもってチョン表記をチャンやチュンに変えたということになります。

なお、チョンという読みを持つ香港人は勿論いて、『インファナル・アフェア2』で寡黙な潜入捜査官役を演じたロイ・チョン(張耀揚)、『アクシデンタル・スパイ』で、ジャッキーの勤める健康器具販売店の上司役を演じたチョン・ダッミン(張達明)、『ツイン・ドラゴン』でマフィア役を演じたアルフレッド・チョン(張堅庭)などがそうです。

●奇跡的に読みが統一されている李(リー)
この記事では、同じ漢字なのに読み方が違うという例をたくさん紹介していますが、中国で二番目に人口の多い苗字であるにも関わらず、奇跡的に日本での読み方が統一されているのが「李(リー)」です。

ブルース・リー(李小龍)ジェット・リー(李連杰)など、日本でも馴染みの深い「リー」ですが、この「李」という漢字、北京語では「リー」ですが、実は広東語では「レイ」と発音されます。そのため「李」姓の香港人は本当ならリーではなくレイと表記するのが正しいはずなのですが、なぜか香港人でも、日本ではみんな示し合わせたかのようにリーと表記されています。

多くのカンフー映画で活躍した香港人俳優リー・ホイサン(李海生 Lee Hoi-sang)は、名前のホイサンは広東語読みなのになぜか苗字のリーは北京語読みで、同じく広東語読みの名前を持つ香港の歌手ハッケン・リー(李克勤 Hacken Lee)も、やはり苗字のリーは北京語です。また、俳優のサム・リー(李璨琛 Sam Lee)は『メイド・イン・ホンコン』という、タイトルからして香港な作品でデビューした香港人ですが、ご覧のとおり苗字はリーです。
Hongkong Lees
リー・ホイサン/ハッケン・リー/サム・リー

「李」姓のリー読みは役名などでも徹底されていて、例えば2002年公開の香港映画『インファナル・アフェア』は、香港が舞台で、劇中でも広東語が話されており、主要な登場人物であるラウ健明)、ヤン(陳永)、サム(韓)、ウォン志誠)、キョン(徐偉)などの役名は全て広東語読みなのですが、ケリー・チャン演じる精神科医の心兒だけが、リーという北京語読みの名前になっています。念の為に言っておくと、リーは劇中では全編広東語で話しており、また大陸出身(つまり香港人でない)という描写は一切ありません。

なぜ日本では「李」を全て「リー」と読むのでしょうか。以下は壮大な推測ですが、その原因は、香港人が使うの英語表記 Lee が日本人にとっては「リー」としか読めないからで、その理由として、ブルース・リーの英語表記が Bruce Lee であったことと、Lee という苗字が英語圏にも存在し、それらがみなリーと発音されていることが挙げられ、これらのおかげで「Lee は絶対にリーと読む」という不文律が日本に定着してしまったものと考えられます。

●Leeは中国人だけではない
はその起源を中国に持ち、中国だけでなく台湾・韓国・北朝鮮・シンガポール・ベトナムなど、アジアに広く分布している苗字です。そのためリーというとアジア系の名前だと思われがちですが、実は英語圏にもリー(Lee)という苗字があり、ジーンズブランド LEE の創業者ヘンリー・デヴィット・リー(Henry David Lee)や、WWWを考案したコンピューター技術者ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)は、この英語の Lee 姓を持つ人物として知られています。 同じリーでも、中国の李は果実のスモモに由来する一方、英語の Lee は古英語の Leah(牧草地)に由来しており、両者の起源は全く異なります。

Lee 姓の広まったアメリカでは、やがてファーストネームにも Lee が用いられるようになり、この名前を持つ有名人では、ケネディ大統領暗殺事件の実行犯リー・ハーヴェイ・オズワルト(Lee Harvey Oswald)が挙げられますが、このように英語圏では Lee をリーと読むのが当たり前となっており、また、その文化的影響下にある日本でも、ジーンズの Lee はもちろんのこと、ファッション雑誌の LEE やカレールーの LEE など、Lee は必ず「リー」と発音されるようになっているのです。加えて、時系列は前後しますが、世界を席巻した大スター、ブルース・リーの英語表記が Bruce Lee であったことも Lee=リーという認識の普及に貢献したことは間違いなく、こうして本来「レイ」である Lee 姓の香港人が日本で「リー」と呼ばれるようになったものと考えられます。
Lees

●なぜ香港人はレイを Lee と表記するのか
実は中国では、李の英語表記は LeeLi が混在しており、俳優のジェット・リー(Jet Li)、古代の詩人李白(Li Bai)、中国の首相李克強(Li Keqiang)など、大陸出身(または歴史上)の李姓の人物には、おおむね Li が使われています。中華圏に範囲を広げて見てみると、中華民国の元総統李登輝(Lee Teng-hui)、シンガポールの初代首相リー・クアンユー(李光耀 Lee Kuan Yew)など、こちらでは Lee が目立ちます。いずれにせよ、実際の発音がリーなら Li でも Lee でも原語の発音と合致していますので、北京語圏の李さんは問題無しです。

ややこしいのが香港で、こちらは広東語で「レイ」と発音されているのに、なぜかどう見ても「リー」としか読めない Lee を英語表記に使っているケースが非常に多いのです。サム・リー(Sam Lee)ハッケン・リー(Lee Hacken)といった先述の人物以外にも一例を挙げると、香港の調味料メーカー李錦記(りきんき)は、広東語では「レイガムケイ」と発音するのですが、英語表記は「Lee Kum Kee」で、これを英語圏では「リーカムキー」と発音しています。これだと本来「レイ」と読むべき「Lee」「リー」になるだけでなく、最後の「ケイ」の部分も「キー」と伸ばす音になっています。どうせなら広東語の発音に忠実になるよう「Lee」ではなく「Lei」「Lay」とでも書けばいいと思うのですが、どうして香港人は李を Lee と表記するのでしょうか。
lee kum kee
ジャッキーも飛び込んだ李錦記

●李姓の Lee 表記は韓国にもあった

なぜ香港人はレイと発音する李をLeeと表記するのか。調べていくうちに、李姓の Lee 表記は韓国でも行われていることが判明しました。元大統領のイ・ミョンバク(李明博 Lee Myung-bak)、俳優のイ・ビョンホン(李炳憲 Lee Byung-hun)、日本の球団にも所属していた野球選手のイ・スンヨプ(李承燁 Lee Seung-yuop)など、これらの名前は実際は「イ」という発音なのに、英語表記は Lee です。これには「頭音法則」という、文頭に来る「リ」の子音が脱落するという韓国の文法的な要素が関係しているらしいのですが、いずれにせよ「イ」を「Lee」と表記していることには変わりがありませんし、仮に子音が脱落しなくても韓国語では李は「リ」であって「Lee」と伸ばす音で表記するのは正確ではありません。こうした香港や韓国の状況を鑑みるに、李姓のLee表記に関してある仮説が導き出されます。それは、李姓はLee と表記するのが通例なのではないかということです。
Korean Lees
イ・ミョンバク/イ・ビョンホン/イ・スンヨプ
●とにかく李は Lee になる
李姓にLeeが用いられるようになった経緯や理由は不明ですが、実際の発音に準拠せず、李姓はとにかく Lee と表記する。これが(例外こそあれ)少なくとも Lee/李姓を持つ数か国に共通する通例なのであれば、香港の「レイ」さんの Lee 表記は納得です。そして、その英語表記を見た日本人が、本来「レイ」と発音する李を「リー」と読んでしまうのも無理はありません。

かくして、
  • 李姓がアジア圏に広く分布している
  • 李姓と同音のLee姓が英語圏にも存在している
という偶然に
  • 理由は不明だが、李姓はLeeと表記する
  • Leeはリーと読む
という通例が重なった結果、李さんは奇跡的に日本での読み方が一致することとなったのです。

●発音記号を読み間違えちゃったケース
本国の発音と日本の発音が違うというのは皆さんもう慣れっこかとは思いますが、ジャッキー・チェンの「チェン」やトニー・レオンの「レオン」など、わざと語感の良いように変えられたというケースの他に、発音記号や英語表記を当時の日本人が素で読み間違えてしまったものが定着したというケースもあります。この代表的な例が、黒社会とのコネクションでも知られる、香港のアクション俳優・監督のジミー・ウォング(王羽)です。
Wang Yu
広東語の「王」の英語表記は Wong です。最後に g がついていますが、Hong Kong をホングコングと言わないように、Wong はウォングとは読まず、ウォンと読みます。中国で最も人口の多い苗字なだけあって、王姓を持つ香港の有名人はたくさんいるのですがが、思いつくものを挙げていくと、『恋する惑星』や『2046』などで知られる映画監督のウォン・カーウァイ(王家衛)、コメディ映画監督のバリー・ウォン(王晶)、歌手のフェイ・ウォン(王菲)、『シティハンター』や『デッドヒート』に出演した俳優のマイケル・ウォン(王敏德)、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主演で知られる女優のジョイ・ウォン(王祖賢)など、「王」姓は広東語ではみんなウォンで、どれだけ探しても、ウォングと読むのは、ジミー・ウォングだけです。この方が日本に紹介されたのは1970年代ですが、この頃は広東語名をどう発音・表記するかが定まっておらず、当時の関係者が Wong という表記をそのまま「ウォング」と読んでしまい、それが広告・パンフレット・クレジットなどで定着していったのだと思われます。ちなみに、ジミー・ウォングの英語表記は、上海生まれという出自もあってか、北京語読みに基づいた Jimmy Wang-yu となっています。
Wongs
ウォン・カーウァイ/バリー・ウォン/フェイ・ウォン/マイケル・ウォン/ジョイ・ウォン

ところで、ウォンついでに触れておきますが、ウォン・カーウァイ(王家衛)のカタカナ表記は、どうしてカーワイではなく、カーウァイなのでしょうか。英語表記では Wong Kar-wai なので普通にカーワイで良いと思うのですが、一体誰がカーウァイにしたんでしょうか。わざわざ変える理由が思いつかないので、謎です。

●読み間違いとは言い切れないケース
さて、ジミー・ウォングのような、明らかに間違いだと断言できるケースがある一方で、いまいち間違いとも言い切れないのが、アーロン・クォックフィオナ・シットディック・ウェイなどの、「ッ」という「詰まる音」を持つ香港人のケースです。
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アーロン・クォック/フィオナ・シット/ディック・ウェイ

「日本」という字を広東語で読むと「ヤップン」となるのですが、広東語には入声(にっしょう)といって、日本語で読んだ場合の「にぽん」のように「ッ」と詰まる促音のような発音があります。この詰まる発音をどうカタカナで表記するかが難しいのです。例えば、アーロン・クォック(郭富城 Aaron Kwok)は、苗字のクォック(郭)が詰まる発音を持ち、ご覧のとおり英語表記も「Kwok」となっており、ついでに言えば日本語の音読みも「かく」という詰まる音なのですが、実際の広東語での発音は「クォック」というよりも「クォッ」に近いのです。フィオナ・シット(薛凱琪 Fiona Sit)も同様で、広東語での発音は「シット」よりも「スィッ」に近くなります。

かたやディック・ウェイ(狄威 Dick Wei)はどうかというと、彼の名前が呼ばれている動画を確認すると、「ディッ(ク)・ワイ」と、詰まる音の後の「ク」が微かに発音されていました。言語学的な詳しいところは分かりませんが、おそらく後ろにつく音や、発音する人など、場合によって、詰まる音の処理が変わってくるのでしょう。もちろん、日本サイドでそういったややこしい発音を正確に再現することは無理なので、一連の名前は発音記号や英語表記の「Kwok」「Sit」「Dick」といった表記を踏襲して、それぞれ「クォック」「シット」「ディック」となっています。だいたい、発音に忠実にして「アーロン・クォッ」とか「フィオナ・スィッ」と書かれても、変な感じがしますから、今の表記が妥協案としては一番正解な気がします。ちなみに、チョウ・ユンファ(周潤發)「發」も実は「ファッ」という詰まる音なのですが、こちらのカタカナ表記は「ユンファ」です。

●広東語の詰まる音の表記は難しい
チョウ・ユンファ(周潤發)「發」「ファ」で止まる一方、香港のアクション俳優チュン・ファト(鍾發)ワン・ファト(尹發)は、英語表記の fat からか「ファト」となっています。もっとも、この人達は日本ではマイナーということもあって表記が統一されておらず、なかには「チュン・ファット」とか「ワン・ファット」としているケースもあるのですが、さすがに「ファット」は元の発音からは乖離があります。
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チュン・ファト/ワン・ファト

スタントマンでアクション俳優の錢嘉樂(Chin Ka-lok)も、最後の「樂」「ロッ」という詰まる音になるのですが、この方の日本での表記はチン・ガーロッチン・カーロックのような、詰まる音を入れたもの、「嘉」「ガ」が濁らないものの他、チン・ガーロと最後を切ったもの、さらにはチン・ガーロウと、なぜか最後を伸ばしてしまったものなど、色んな表記が混在しています。
Chin Ka-lok
●そもそも日本での呼び方が統一されていないケース
Ken lo
表記が定まらないといえば、『酔拳2』のラスボス役の他、多くのジャッキー映画に出演している盧惠光は、広東語読みのロー・ワイコン、北京語読みのロー・ホイクォン、英語名のケネス・ロー(Kenneth Lo)、英語名を短縮したケン・ロー(Ken Lo)、の四つの読みが混在しており、日本での呼び方が全く定まっていないという珍しいケースです。普通、人名というのは合っているにしろ間違っているにしろ、クレジットなどでどれかひとつに表記が統一されていくものなのですが、この方も脇役での出演が多く比較的マイナーということもあってか、今でもなお呼び方は人それぞれです。


●おわりに ― 人名表記の統一は無理だし、しなくていい
さて、この記事では様々な中華圏の方々の名前について紹介してきました。ここまでお読みになった方には、これらを日本語で表記するのがいかにややこしく、難しいかがお分かり頂けたかと思います。

中華圏の人名表記には、中国内の方言の違い、国や言語圏をまたぐ人の移動、発音の表現、英語名の表記、各国の通例の違いなどといった要素が縦横に絡んでおり、それに伴う表現ゆれはどうしても起きてしまうのです。これらは、明らかな読み間違いというケースを除けばどれが正しくてどれが間違っているという問題ではなく、また日本だけでなく英語圏でも同じような表記ゆれは起こっています。インターネットではときどき、中華圏の人名表記の統一の是非を問う議論が起こりますが、よほど頑張らないと表記の統一など無理ですし、わざわざする必要もないでしょう。色々とややこしいですが、そこが異文化に触れる楽しさでもありますし、人名くらい清濁併せ呑めばいいんじゃないでしょうか。


劇 終
The End 


●おまけ 発音の参考になるサイト
北京語の音節表記ガイドライン
平凡社が専門家監修のもとに発表した北京語表記のガイドラインです。

書虫ピンイン(pinyin)サービス
北京語用:上のボックスに漢字を入力して Enter かpiyin変換をクリックすると、発音記号が表示されます。

粤語發音詩典
広東語用:左上のボックスに漢字を入力して Enter か査詢 をクリックすると、発音記号が表示され、自動で読み上げ音声が流れます。

※発音記号は読み方が独特で、日本のローマ字読みとは異なります。そのため普通にローマ字読みしても本来の発音とは違っていることが多いので、必要にあたって教科書や関連書籍を参照してください。

●記事の人気にあやかった宣伝

『【決定版】ジャッキー・チェンの映画にありがちなこと』
メチャンコ楽しいジャッキーあるある満載!読めば読むほど面白くなる!17年はジャッキーあるあるだ!も~うやるっきゃない!もう見るっきゃない!沸きたつ興奮が日本列島を熱くする!

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本当におしまい