【ふくしまの声】No.6

   原発事故5年を経た現状と課題 ~原発事故被災地は今~

                        福島県弁護士会会員 渡辺 淑彦 Watanabe Toshihiko


はじめに

原発事故による被害を、賠償という観点から見ると、避難指示区域(帰還困難区域・居住制限区域、避難指示解除準備区域)の住民や事業者に対しては、東京電力株式会社(以下「東電」)は、「それなりの賠償」を任意に支払ってきたのに対し、それら以外の住民(旧緊急時避難準備区域の住民や自主的避難等対象区域の住民、その他の福島県を中心とする住民)に対しては極めて低額かゼロのままの状態が続いている。また、事業者に対しては、避難区域内の事業者に対しては廃業補償とも解される1年分の逸失利益の2倍相当額の一括払いを行い、また、区域外の事業者に対しては、「相当因果関係がない」などの抽象的な理由だけで、次々と営業損害に対する賠償の打ち切り政策が進められている状況にある。そもそも政府の避難指示区域区分と、損害賠償の発生の範囲とが一致するはずもないが、東電は、避難指示区域区分ごとに賠償金額に差を設け、その例外をほぼ認めようとしない。わずかな距離の違いで、賠償金の支払額に大きな格差が生じ、避難者同士、さらには避難者とその受け入れ住民間に、見えない心の分断や軋轢が生じさせ、「二次被害」とも言える状況まで生じさせている。
この現状について、法律家がどのように対応すべきかについて考えたい。

第1 原発事故と司法アクセス

1.
司法過疎地域での原発事故
原発の立地地域は、ほぼ間違いなく司法過疎地域でもある。1964年に原子力委員会が定めた「原子炉立地審査指針」には、原発の立地条件として周辺が「低人口地帯」であることが規定されている。そうすると、原発立地地域が、司法アクセスとしても不十分な過疎地でもあることは、いわば必然的結果である。その司法過疎地でひとたび原発事故が発生すれば、周辺住民のすべてが被害者となるが弁護士等の法律家が足りないという事態となる。被害の現れ方も、各家族・各事業者によって様々であり、画一的に処理することなどできない。限られた数の弁護士等の法律家で、すべての法的需要に応えるのは無理がある。

2.
法的需要の増大
事故後、5年を迎えた現在、先のとおり営業損害など継続的に支払われてきた賠償は、順次止められている。風評被害の根強い継続性等を考えると、被害が継続しているのは明らかであるが、東電が福島復興加速化指針改訂の閣議決定を受けて、「終期」を設ける等して賠償の支払いを止める方針を打ち出している。今後、このような東電の対応に不満のある被害者は、その是正を求めて法的手段に出ることを望み、原発被害地での一層の司法ニーズの高まりが予想される。しかし、前述のとおり、限られた弁護士等の法律家では、すべてのニーズに対応することはできない。もともと司法アクセスが不十分な地域であるという認識のもと、何らかの積極的対応をしなければ、単に、被害者を「泣き寝入り」させ「諦め」させるだけのことである。司法への信頼を維持するためにも、司法アクセスをどのように改善するかが今後より重要な課題となるだろう。

3.
弁護士への橋渡し(中間項)の必要性
 司法過疎地において、住民は、困れば行政機関などに気軽に相談に行くが、法律事務所へ予約の電話を入れるのは、一定の覚悟と勇気が必要なようである。原発被害地域で「法律事務所への相談が少ないから法的ニーズがない。」などということは絶対にない。弁護士事務所への「橋渡し」が必要なのである。原子力損害賠償・廃炉等支援機構の法律相談業務が一定の成果を上げているのは、橋渡しをしてくれる職員の方々が、仮設住宅回りなどを積極的に行い、避難者との信頼を形成し、法律相談に誘導している地道な努力があるからである。行政機関の相談がいつも予約で一杯なのは、無料であることもさることながら、行政機関の窓口は住民にとって気軽な場所であり、行政機関が「中間項」となってくれているからである。橋渡しをし、中間項となってくれる人や機関が重要である。今後、各機関と、我々弁護士との横のつながりを密にしていくことも、原発事故の対応のためには一層重要性を増してくるだろう。

4.
大量被害の紛争処理方法
 集団によるADR申立(原子力損害賠償紛争解決センターへの集団申立)が各地で行われており、私自身も多くの集団申立事件に関わっているが、数の力に意味があるとはいえ、これが闘い方として理想的であるとは思っていない。集団申立の場合、どうしても被害者に共通する損害(精神的損害など)のみを抽出して申立てを行う必要があるからである。
しかし、原発事故の被害の現れ方は、各家庭、各事業者によって実にさまざまである。特に、放射性物質への恐怖心や嫌悪感は、各自の主観を通して現れることから、悪臭被害や騒音被害にように距離などで類型化することも難しい。本来ならば、各家庭や各事業者に担当弁護士が就き、被害の実情をしっかりと聞き取り、分厚い陳述書を作り、個別にADRなどの申立てをするのが理想であろうが、司法過疎地ではそれは無理なことである。
我が国には、クラスアクションのような法制度は存在しない。原発被害のような大量被害処理をどのように迅速・公正・的確に処理するかは、立法措置を含めて今後の大きな課題であろう。福島原発事故を契機に、大量の被害をどのように処理するかについて、アメリカのスリーマイル原発事故処理やメキシコ湾原油漏れ事故処理などを参考に、比較法的に研究され、新たな法制度が構築されることを期待したい。

5.
「原発城下町」で闘うことの難しさ
 「冬は出稼ぎに行くしかなかった町だった。こんな事故を起こしたけれど、東電さんに感謝している部分もある。」と、過酷の避難生活の中でも被害者から聞いたことが何度かある。親戚・知人には東電の関係者がおり、関連企業で働く者も数多い。絶対安全との安全神話に裏切られたとの思いはあっても、訴訟という形で争っている住民は、一定程度の賠償を受けたことも相まって、今のところ少数である。
しかし、住民が今の賠償で満足しており、不満を持っていないわけではない。特に、「賠償の谷間」の損害をどのように補てんするかが重要である。例えば、独居の高齢者などは、賠償が止められれば、わずかな年金収入だけである。以前のコミュニティならば、家族や親せき、近所付き合いなど、相互扶助関係が強く働いていたために、コメや野菜などを物々交換し、出費を抑えながら十分豊かな暮らしを送ることができていた。それが突然、都市部への避難を余儀なくされると、何でも金銭で購入しなければならない。今後、精神的慰謝料が止められた場合、特に高齢者が、都市部で貧困的生活に陥らないかについて法的サポート体制が重要となってくるだろう。

第2 避難指示区域

1.
強制避難という基本的人権の侵害
強制避難は人権侵害の巣窟である。金銭などでは補てんできない被害が生じている。
(
) 生命損害
人は平和のうちに生活し、最期を迎える権利があるというのに、強制避難中、避難弱者(高齢者など)は次々に命を落とした。残された家族はその悲しみをずっと背負っている。201512月末時点で、強制避難が原因で死亡した関連死や関連自殺は2007人に上る。地震や津波が原因で命を落とした直接死の1604人を大きく上回っている。被災3県の中で、福島県だけが関連死数が突出しているのは、強制避難と避難生活の長期化に原因がある。原発事故の場合、「震災関連死」などと呼ぶべきではなく、直截に「原発事故原因死」とでも呼ぶべきであろう。この「原発事故原因死」について、関連死による弔慰金はもらっていても、東電への賠償請求という司法的救済が十分になされているとは言い難い。
(
) 身体損害
避難者の日常生活は阻害され続けている。ストレス、怒り、諦め、絶望などの心労が重なり、心身の健康を害している人も数多く存在する。二間しかない仮設住宅に5年間も生活すれば、たいていの人は心身の健康を害してしまう。元の生活を送ることができず、生活の不活性化は様々な病気を誘発する。低線量被ばくなどよりも、ずっと大きな問題である。
県民健康調査でも、高血圧やうつ状態などの疾患の増加が報告されている。これらの背景に、長期避難によるストレスや疲労、生活の不活性化があることは明らかであろう。特に高齢者の被害が深刻であって、高齢者の孤立化を防ぎ、心身の健康を保つことは、極めて重要な課題となるだろう。
この点、避難期間中に倒れ、後遺障害を有するに至った人や、ストレスによる精神疾患にり患した人の司法的救済はほとんどなされていないと思われる。
(
) 生きがい・展望の喪失
避難者は、それぞれ、避難先における住環境、就労先、通学・通園先等の確保、移動に伴う負担等、さまざまな心理的・肉体的・経済的負担を余儀なくされている。強制避難者には、一定程度の金銭賠償がなされてきたと言っても、それが元の生活を取り戻したことを意味するのでは決してない。避難区域内の住民は、突然、仕事(生業)を失い、地域コミュニティとの関係も寸断され、人生設計を根本から崩され、今後、生きる意味を失いかけている人もいる。金銭賠償は、加害者である東電や国にとって、ある意味、楽で安易な賠償方法である。すべてを交換価値に置き換え、「金は払ったから、あとは各自、それぞれの判断で自由に生活再建してください。」と言われても、避難先で自立できるような人ばかりではない。法律家だけではなく、専門家の横断的な連携により、被害者の自立に寄り添うサポート体制を構築する必要がある。
(
) 営業損害
現在、避難区域内の営業損害については、年間逸失利益の2倍を支払うことにより、将来分の営業損害も含め、一括払いで終了させようとしている。このような取り扱いは、特に小売業のような中小零細企業にとっては、実質的に廃業補償を意味する。小売業のような場合、避難先の他のマーケットに入っていき、新たに商圏を獲得するのは容易ではない。それだけの投資をしても、本当に回収できるのか、さらには、そのような不安な事業を継ぐだけの後継者がいるのかについての見通しがつかない。そうすると、この年間逸失利益の2倍相当額をもらうことで、諦めてしまう事業者が続出することが予想される。我々法律家は、不法行為事案による廃業補償として妥当な金額はどの程度なのか、継続的賠償の終期をどの程度にするかについて、何らかの基準を提示しなければならない時期に来ている。

第3 避難指示解除後の地域再生の困難さ

1.
避難指示区域の解除
今までの避難指示の解除の経過をみると、まず、第一段階として、20119月末、福島第一原発から20キロから30キロ圏内のいわゆる「緊急時避難準備区域」の避難指示が解除された。第二段階としては、201112月の政府の「事故収束」宣言を受け、翌年から線量をベースに避難指示区域の見直しを進め、 20138月までに「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の三つの地域に再編された。そして、その後、第三段階として、20144月以降、田村市都路、川内村東部の二〇キロ圏や楢葉町などで避難指示の解除が続いている状況にある。

2.
解除後も帰れない理由
周知の通り、避難指示解除後も、一旦避難区域となった地域の住民の帰還はほとんど進んでいない。これはなぜか。
(
) 前提となる除染
まず、復興の前提となる除染が、ごく限られた生活圏にしか及んでいないという不安がある。さらに、医療や買い物、学校、就労先などのインフラが十分ではないことや、自宅の汚損・劣化や、中間貯蔵施設計画が進まず自宅近くの仮置き場などに汚染物質が置かれていることなども、帰還への決断ができない原因と言えるだろう。
(
) リスク認知
また、放射性物質の将来的影響について、科学的にも十分に解明できていないことや、不安定な福島第一原発の危険性も否定できないこともあって、小さな子供を持つ家庭などは、帰還について決断ができない場合が多い。放射性物質という、目に見えず、感じもしない、未知で恐怖を伴う化学物質に対して、人がリスクを感じるのは当然のことである。
(
) 環境汚染という不可逆的被害
自然と一体とした生活が、一旦多少なりとも放射能で汚染されることは、直ちに元の生活を送ることができないことを意味する。山の除染は未了であり、今後の見通しも立たない状態である。山林内の線量などはそれなりに高く、基準値を超えるキノコや山菜も見つかっており、内部被ばくにも不安を感じる者も少なからずいる。
(
) 社会的インフラ
住民の生活圏は一つの自治体で完結するのではない。典型的には福島県川内村であるが、川内村は、隣町である富岡町の社会的インフラ(病院、学校、買い物場所、就労先など)に依存してきた。人の生活は、一つの自治体内でのみで完結するものではない。富岡町の社会インフラが回復しなければ、当然、川内村の生活も元には戻らない。
インフラの整備は、人が安心して暮らすためには極めて重要である。これが整わなければ、安心した生活を送ることができない。
例えば、高齢者などは、避難の疲れから体調を崩し、専門病院に通うなどの医療ニーズが生じ、大病院のある都市部から離れることができない。また、子どもたちも、既に5年という年月が経過し避難先に慣れており、今さら帰還させることに大きなメリットを感じるものがないという保護者も多い。

3.
金銭賠償の早期打ち切り
除染も不十分で社会的インフラも回復しておらず、到底、帰還できる環境ではなかったにも関わらず、川内村のように旧緊急時避難準備区域への精神的慰謝料の賠償は、20128月末で早々に打ち切られた。もともと、僅かな年金以外に収入がなく、物々交換的経済で生計を営んできた高齢者などは、避難先で、なんでも金銭で買うという貨幣的経済に巻き込まれ、金銭的に窮している人もいる。そんな「国内難民」ともいえる状態におかれながら、旧緊急時避難準備区域の住民は、金銭賠償による生活再建もできないまま放置されているのである。金銭賠償の一定期間の継続と一人一人へのサポートが重要である。
今後も政府の帰還政策のもと、避難区域が次々に解除されるだろう。避難区域の方も「自主避難化」していく。今後、帰還すべきか否か、川内村のように旧緊急時避難準備区域の人々に突き付けられた究極の選択が、避難区域が解除された住民にも広がっていくことが予想される。

第4 自主的避難指示対象区域

1.
滞在者としての被害
原発事故後、福島県内に生活する多数の福島県民は、目に見えぬ低線量放射線被ばくの不安と、謂われなき差別への心理的負担、放射線防護のための心理的・肉体的・経済的負担等を余儀なくされている。福島県民を初めとする福島原発事故被害者は、程度の差こそあれ、事故以前と比べれば、生活の質の低下を余儀なくされ、何らかの行動の制限を余儀なくされながら生活を送らざるを得ない。すなわち「生活内避難」ともいうべき状態に置かれ、その被害は今も回復されたとは言い難い。

2.
自主避難実行者の被害
他方、自主避難者は、強制避難者と違って、「なぜ避難を継続する必要があるのか?」と自治体や国、福島県内の滞在者などから問われ続けられ、追い込まれる存在である。その意味ではより苦しい立場に置かれているとも言える。自主避難者の多くが、小さな子供を抱えている母子避難であることが多く、時にその行動を家族からも非難され、その結果、家族が引き裂かれるという不幸な結果も生じている場合もある。さらに、追い打ちをかけるように、無償提供されてきたみなし仮設住宅への補助が打ち切られる方針となり、どうしようもなく、追い込まれ、生活に困窮してしまう自主避難者も出てくるだろう。フォローが必要である。

3.
営業損害の「終期」設定
賠償金の支払いが6兆円を超えようとしている中、東電は、賠償金の打ち切りに躍起になっているというのが現状である。法律上は、放射性物質の作用と損害との間に、社会的にみて相当な因果関係があれば、すべて賠償の対象となる。しかし、賠償金の額は、当初政府が想定した予算を遥かに超えつつあるので、国も東電とともに、営業損害などの賠償の終期を一方的に設定しようとしている。
現在、東電は、区域外の事業者に対し、特に詳細な調査結果や分析結果を提示することなく、「相当因果関係が認められない。」などの抽象的な理由で、一方的に営業損害の打ち切りしている。争う術を知らない事業者が「泣き寝入り」するのを待っているとしか思えない対応である。今後、損害賠償紛争解決センター(ADR)の申立や訴訟提起をする必要のある事案が増加するだろう。しかし、営業損害の場合、賠償金を月々の経費の引き当てとしている企業もあり、時間がかかる手続では企業の救済にはならない。①農林水産業や観光産業、②それらと密接関連する産業、③外国向けの輸出に関係する産業、④避難指示区域を重要な商圏としていた産業などについては、根強い風評被害や間接被害の継続があることを素直に認め、早期一部仮払いをするなどの政治的働きかけが必要がある。
我々法律家としては、因果関係をしっかりと立証し、法に基づかない一方的な「終期」設定にどこまで対抗できるかについて、個々のADRや訴訟において実践していくのが今後の課題となる。

第5 紛争の火種

原発事故は、社会のあらゆる面に「紛争の火種」をもたらした。被害は、原発事故からの直接の被害ばかりではなく、事故処理のための賠償や政策により、地域社会に広く「紛争の火種」がもたらされていると感じざるを得ない。また、原発事故は、金銭では決して補てんできない大切なものを破壊し、基本的人権を侵害している。そうであるからこそ、原発事故を絶対起こさないような「予防原則」が重要なのである。
さらに、金銭賠償は、二次的被害も生じさせている。今まで地道に働いてきた人間の感覚を狂わせることもある。一旦狂った金銭感覚を元に戻すことは非常に難しい。金銭賠償により就労意欲を無くしてしまっている人も一定数いる。これも賠償による弊害の一つである。賠償をめぐる親族間紛争や成年後見事件、避難に伴う家族間紛争、不動産をめぐる紛争、除染業務をめぐる紛争など、原発事故がきっかけととなり、様々な紛争を誘発している。法律家だけでは解決できないが、法律家の力が是非とも必要とされていることも確かである。
福島原発事故後、5年が経過しようとしているが、賠償問題や被害者の生活再建などの面から見ると、原発事故の被害は全く収束しておらず、形を変えて拡大していると言える。この先、原発事故の影響はどこまで続くか想像もできない。「事故後5年」といっても、実は、現在の被害発生が、ほんの初期段階に過ぎないのではないかと思わざるを得ない。

さいごに

 福島県知事がいう2つの風に対応する必要があるという。一つは「風評被害」であり、もう一つは「風化」である。私は、どちらもこれは「無関心」から生ずるものであると思う。「風評被害」は、情報がアップデイトされておらず、「福島=危険」と過去の情報で単純に考えてしまう「無関心」であり、「風化」は、自分の地域で起こったことではないので関係ないという「無関心」である。この世界的・歴史的大惨事を風化させないためにも、多くの法律家にこの問題について関心を持って頂きたい。


 (日弁連の雑誌「自由と正義」3月号。渡辺さんのご了解を得て転載させていただきました。)