2019523日(木)1830分から、福島市アクティブシニアセンター「AOZ(アオウゼ)」大活動室1で、第152回ふくしま復興支援フォーラムを開催しました。

堀川直子氏(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員研究員)から、「葛尾村復興のエスノグラフィー(民族誌) - 戦後開拓民の精神にみる再生への糸口 」をテーマに、報告いただきました。
 関心ある市民16名の方々に参加していただき、熱心な質疑応答がなされましたが、以下は当日の会場で文書提出されたご意見・ご感想及びレジュメです。参考にしていただけると幸いです。

 

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【ご感想&ご意見】

 

 ★ 開拓民として入植され、苦労して築かれてきた生活圏を、原発事故により、全村避難という形で喪失されてきた村民の方々の貴重な「語り」をまとめられておられますことに感動いたしました。(K.F

 

 ★ 大変ていねいなお話でした。開拓民としての苦労、原発事故による避難と続き、各個人の方の一生はどんなものか、ご苦労の多い人生だったと思いました。(M.S

 

 ★ 初めて参加しました。インタヴューを丹念にされたお話しで、とても良かったです。(M.N

 

 ★ (1)#152ふくしま復興支援フォーラムを開催して頂き有り難うございます。(2)3.11のみならず、開拓・敗戦・帰国入村、3.11被災等、いく度もの大困難を前向きにとらえ、報告され、さらにエスノグラフィー化されている姿に、胸を打たれました。(3)日本全国ふるさとが消えていっている状況が、小人数でも現状は機能している例として貴重な報告でした。今後も陰ながら応援させて下さい。(T.S

 

 ★ 被災地の人々のIdentity、その根源に触れることの意味を考えさせられた。(H.S

 

 ★ 浪江(津島)~飯舘~筆甫(宮城・丸森町)でも聞かれます。個々の村民の経験、思いをていねいに記録する取り組みに敬意を表します。国の時間と村、当事者の時間にずれがあるというご指摘もその通りと感じました。(A.T

 

 ★ 発表を聞いた、やっぱり日本の人口減少という問題が深刻化している。そのため、様々な影響があって新たな問題も出てきた。(R.H

 

 ★ 開拓民の歴史についての説明は詳しい、様々な視点の下で、開拓民の生活を少しだけわかりました。本当に素晴らしいと思います。また、葛尾村の復興計画について関心を持ちはじめた。(S.S

 

 ★ 新幹線が50分遅れて大変残念だった。(H.I

 

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 【レジュメ】

 

「 葛尾村復興のエスノグラフィー(民族誌)

      ー戦後開拓民の精神にみる再生への糸口」

                        堀川 直子

 

原発被災地葛尾村は、全村避難を余儀なくされた村である。20166月に避難指示は解除されたが、村の北東部に位置する野行地区には年間20ミリシーベルトを上回るスポットがあり、20175月に特定復興再生拠点区域に指定された。2022年春の避難指示解除、帰還・居住を目指して、生活・社会インフラ整備、コミュニティの再生、再生可能エネルギー活用や農業再生に向けた取り組みをしている。2027年にある程度の居住人口をめざしているという。2019年5月時点での帰村者は320人、避難指示解除後の転入者の90人を合わせて410人が居住している。これは被災前の人口の約4分の1強である。現在の人口は1412人で、避難者は県内に934人、県外に68人が住んでいる。

葛尾村は「開拓の歴史を持つ村」である。人口の推移を見てみると、村としての行政が開始した1923年の人口は1691人である。その後、微増の傾向から戦中は減少し、戦後は徐々にまた増え始めた。1955年にはピークを迎えて、3062人となる。特徴的なことは、1965年の農家戸数423の約51%が開拓農家であることだ。その後減少を続け、1985年に一時増加したものの、2010年は1531人である。

 

・エスノグラフィーについて

 

エスノグラフィーは民族誌と訳されている。エスノ=人びと、グラフィー=記録するという意味である。それは実際の場所へ行く。そこで何が起きているのか、人々はどんな暮らしをしているのか出来事の詳細な叙述、シンボルを探す、そしてその意味を洞察する。不明なものの発見の方法である。比較研究をする。例えば、公式なもの非公式なものなど。具体的な方法には、インタビュー、ドキュメント、直接的な観察、参与観察、秘密裏の調査や公にして調査する。調査者自身の時間をその場に置く、工場ならそこで働く、ゲイトキーパーを見つける。研究対象者と信頼関係を築く。会話をする。五感で得たものすべて記録する。フィールドワークを主とする調査方法である。肩越しからのまなざしを持つことが重要、ボトムアップでもなくトップダウンでもない。共感する。その集団を構成する個々人に焦点を当て、彼らの物語を編む。個人の経験の物語は、歴史的な背景や公的なものに影響されている。その構造を発見すること。

 

・『葛尾村戦後開拓民のあゆみー10人の証言集』上梓の経緯

 

 福島県は移民送出県であった。満州への開拓民送出数では、長野県(37,859)、山形県(17,177)、熊本県(12,673)、に次いで4番目に多く、12,670人であった。戦後は、広島、熊本、沖縄に次いで、ハワイ、南米などへの移民送出も多い。そして、満州、樺太からの戦後引揚者たちを再入植地として受け入れてきた。戦後の食糧増産を国是とした政府の方針を忠実に守った県とも言えよう。また、国有林が多かったこともあって、農民たちへの再定住を開拓農協組織を通して促進したことも影響している。戦後の開拓民行政によって、白河周辺、那須連峰のふもと、阿武隈山地、会津に開拓地が設定された。葛尾村はその一つであった。

戦後開拓民・当事者からの要請で一つのプロジェクトは立ち上がった。大笹地区区長の鎌田さんは満州で生まれで3歳のときに引揚げ、葛尾村に入植している。「このままでは戦後開拓の状況を知る生存者が減少し、戦後の足跡や開拓の苦労を先輩後世に語り継ぐことができなくなる」記録として自分たちの存在を残して置きたいという気持ちを副村長と教育長に伝えた。その思いを繋いで形にしたのが本書である。植民地を追われ、引揚げ、開拓、そして原発避難を経験した人びとを記録する必要があると感じたことがきっかけである。開拓民9人、戦後を知る地元民1人に聞き取りをした。一人当たり3時間をビデオとテープレコーダーに収録した。そのテープ起こしたテキストを編集し、証言集としてまとめたものである。会話形式の語り口、ライフストーリ―をそのまま解釈を交えずに編集した。追加聞取り後、当事者校正の段階で、語り口ではない文章にしてほしい旨の要望に対しては、その意図を尊重した。

開拓農家の生業は文字通り、開墾から始まって笹小屋に住んで炭焼き、畑、葉タバコ、酪農、養豚、牛肥育管理などで暮らしてきた。震災前までは持続可能な暮らしを営んでいたのだ。当初は「赤貧洗うが如し」の暮らしで、どん底から上へ這い上がって行ったと語る。開拓農家はある程度まとまって入植したこともあって、協力して開墾したことが伺われる。桃山開拓団、松島開拓団などの満州国に住んでいた時のそれぞれの開拓団名を名乗っていた。開拓民9人の証言者たちの属性は、年齢が76歳から97歳まで、男性が7人、女性が2人である。出身は北海道、秋田、宮城、埼玉、長崎、長野、福島県などである。

 

・開拓民と村の復興・再生

 

 紹介する開拓民たちの語りは、戦中戦後を生き抜いてきた人々の経験の記憶に基づいている。原発避難者としての暮らした人々の経験の物語でもある。国策の失政によって大きくその暮らしを変えざるを得なかった開拓民だからこそ、彼らの語りの中に人間としての「生」を取り戻すヒントが隠されているのではないだろうか。開拓精神を解き明かすことも、大惨事後に生きる村人とコミュニティの再生の糸口になるのかもしれない。

 

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