F−1

20年

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 あの悪夢のような日から明日で20年。

 F−1関連雑誌ではセナのことは大きく取り上げられています。しかし、F−1関係者の間では4月30日に命を落としたローランド・ラッツェンバーガーの死を忘れてはいけないという声が上がっているらしい。

 事実20年前もセナの死は特番を組むほど取り上げられ、皆が涙した。かくいう私もそうであった。しかしあの日もし、セナが無事にレースを終えていたらどうだっただろう?

 バリチェロの事故。そしてラッツェンバーガーの死を悼んでいたはず。

 葬儀においても有名ドライバーの多くは、セナの葬儀に参列していた。しかし当時FIA会長だったマックス・モズレーはラッツェンバーガーの葬儀に参列していたという。彼の家族をサポートしなければいけないと思ったとも・・・。

 雑誌でもセナを取り上げる雑誌はあるが、ラッツェンバーガーは忘れられているかのよう。当時親友だったジョニー・ハーバートは「彼の死をけっして風化させてはならない」と言ってる。

 この20年間でF−1をはじめとするレース車両は、デパイスを含め随分と安全性が向上した。

 命を落とすことも随分と減った。

 もう二度とあんな悲惨な事故は見たくない。改めてそう思わされる20年目のGWである。

RUSH

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 今日久しぶりに映画をスクリーンで観てきた。

 以前書いたことのある「RUSH」

 巨匠ロン・ハワード監督による拘りが随所に見られた。
主役のふたりはもちろん、レガさんも似ていたし、ラウダ夫人も雰囲気が出てました。

 何よりレーシングスーツやヘルメットも忠実に再現。ピットも当時の雰囲気がよく出ていた。

 私にF−1という存在を知らしめてくれたシーズン。今でも大好きだマシン、フェラーリ312T2。個性的なマシンが多かった70年代。

 ドライバー対ドライバーの戦いがあった70年代。

 単純に楽しめた1本でした。

RUSH

 来年2月映画「RUSH」が日本で公開される。

 この映画の舞台は1976年シーズンのF−1チャンピオンシップ。

 この年前年度チャンピオンのニキ・ラウダは10戦中5勝を挙げ、11戦目のドイツGPニュルブルクリンクオールドコースでクラッシュ炎上。

 瀕死の重傷を負い、生死の境を彷徨うも6週間後にレースに復帰。

 ライバルのジェームズ・ハントとチャンピオンシップを争った。

 そして最終戦、富士スピードウェイで開催されたF−1GP in Japanで決着がついた。

 決勝はコースに川ができるほどのアメ、あめ、雨。後にラウダは自叙伝「マイ・イヤーズ・ウィズ・フェラーリ」でこのレースの項の書き出しに「Rain・Rain・Rein」と表現するほどひどい雨だった。

 ラウダは危険と判断し、僅か2周でリタイヤ。3位フィニッシュしたハントが、1ポイント差でワールドチャンピオンに輝いた。

 この映画ではレースだけでなく、人間臭いシーンも描かれているらしい(F−1ドライバーの○の生活なんかも・・・)。

 因みにこのレースは私が初めて見たF−1。この日地元の祭りで親と一緒に来ていた従兄がテレビで見ていて、私もたまたま横で見ていた。

 世の中にこんなスポーツがあったのかと衝撃を受けた。

 もし従兄が来てなかったら、もし私がたまたま横でテレビを観てなかったら、もしこの年F−1が日本に来てなかったら未だに私はF−1というものを知らなかったかもしれない。

 それほど車に興味を持たなかったかもしれない。Tommykairaにも出会わなかったかもしれない。

 私にとって1976年は生涯忘れることがないでしょうね。

 

22年ぶり

 今日は鈴鹿での日本GP。

 昨日の予選で小林可夢偉は4番手タイム。3番手タイムを出したバトンのポジション降格により決勝は3番手スタート。

 スタートで2番手にポジションアップ。その後3位に下がるも順位をキープしたまま周回を重ねる。

 終盤バトンの追い上げにハラハラするも、母国鈴鹿で初のポディウム。

 日本人3人目のF−1GPでの3位入賞。鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来の3位表彰台。

 1990年は優勝候補、上位二人のクラッシュがあった。今年もスタート直後の1コーナーでクラッシュはあったものの、スタート順位と同じ価値ある3位。

 おめでとう可夢偉。今シーズン残りの活躍にも期待したい。

レプリカ?

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 皆さん一度くらい見たことがあるデザインのレーシングスーツだと思います。

 某有名F−1チームのレーシングスーツ。

 これめっちゃ軽い。ってか、めっちゃ薄い。

 それこそ「これTシャツ?」って思うくらい薄い。

 ところがこれ、某有名レーサーが実際に着用した本物だという。

 何故この店にあるかは謎ですが(^^)。

 因みにこれレース後の記者会見用らしい。

 レーシングスーツの上から着用する為特別薄く、少し大きめのサイズになっているという。

 欲しいなぁ、これ。

ドライビングポジション

 近代のF−1のノーズは年々高くなってきた。

 その為ドライバーはかなり特異なドライビングポジションを強いられている。
1 フォトbyF1速報





 ご覧のとおりヒップポジションは昔ながらのローポジション。

 しかしABペダルはノーズ内にあるので、当然足の位置はヒップより高く、つま先は顎を超え鼻の位置まで来ている。

 ステアリングもドライバーに近い為、肘の角度は90度くらい。

 狭いコックピットで肘を守る為、サポーターを着けているドライバーも多いが、このスケルトンを見るとよく理解できる。

 それにしても現代のF−1ドライバー、こんな姿勢で300km・2時間を走り続けるのは流石プロフェッショナルです。
 

ファン感謝デー

 来る3月3日・4日、鈴鹿サーキットで「モータースポーツ・ファン・感謝デー」が開催される

 職場の同僚に誘われているが、行けるか行けないか微妙な状態。

 ターボ時代のHONDAエンジン搭載のF−1のデモランもあるらしい。しかもドライバーは中嶋悟、星野一義

 行きたいなぁ。

POLE POSITION

 POLE POSITION。それはモータースポーツの予選において一番速かったドライバーが、決勝レースにおいてスタートする最前列の一番優位な位置。

 またレースにおいてPOLE POSITIONにつくこと自体が栄誉とされる。

 1970年代同名の映画が公開された。11
 内容は目を背けたくなるようなクラッシュシーン。

 クラッシュから生還したドライバーもいるが、映像の中で息絶えたドライバーも少なくない。







 このDVD夏に鈴鹿に行った時見つけたもの。

 懐かしくて買ったはいいが、見終わった後何か虚しい。

312T&T2

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 ’70年代中盤のF−1、私が初めて覚えたF−1レーサーが、アンドレアス・ニコラウス・ラウダ。通称ニキ・ラウダ。

 ニキ・ラウダは’95年フェラーリ312Tでワールドチャンピオンに輝き、翌’96年のドイツGP。ニュルブルクリンク、オールドコースで大クラッシュ。

 大火傷を負い、生死を彷徨うも2戦欠場したのみでレースに復帰するも、惜しくもランキング2位。

 あの事故さえなければチャンピオンになっていたことでしょう。

 この頃のF−1は個性がありました。ウイングノーズがあったり、スポーツカーノーズがあったり。極めつけはティレルの6輪車かなぁ。

 フェラーリ312T2。当時私が大好きなF−1でした。ヴィタローニのミラーもかっこよかったしね

F−1界も

 2011年F−1シーズンは政情不安のバーレーンがキャンセルされ、オーストラリアGPが開幕戦となった。

 結果は皆さんご存知のとおり2010年王者ベッテルが優勝。8位に入った可夢偉はレース後の車検で失格。残念な結果となった。

 しかしF−1界もこの度の日本・ニュージーランドを襲った地震の被災者に向けドライバー個人・チームを挙げて復興の手助けをすると言ってくれていた。

 マシンにも「がんばれ!日本」等のステッカーが貼られ、世界中に印象付けていた。

 また一方で義援金も過去最高の金額が集まっていると言う報道があったが、その分配をどうするか決まっていないという。

 一番の原因は死亡・行方不明者、被災者が余りにも多すぎ、把握し切れていない面もあるとか。

 今の日本政府では致し方ないのかも・・・。
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