2006年10月21日

前置き‐市民チャリティ委員会のこと

市民チャリティ委員会という会があります。専門家ではない良識ある市民を集めて、公益法人について議論をしてもらう、という目的で公益法人協会が発足させたものだということです。

この背景には、公益法人制度についての改革があります。改革の一環として、財団法人や社団法人が公益性を持っているかどうかを、政府が設置する民間人のグループが判断し、公益性がある団体には寄付にまつわる税制上の優遇措置を認めよう、ということになっています。(これは現在の「特定公益増進法人」の制度と似ていると思います。)

では、ここで、寄付にまつわる税制上の優遇措置を与えるかどうかを左右する公益性というのはどういうものかというと、とりあえず23の分野が指定されています。(リストはウィキペディアの「公益法人制度改革」のページで見ることができます。)これを元にどういう判断をしていくことになるのかはよくわかりませんが、「公益性について市民が判断したらどうなるだろうか?」ということを模索するために設置されたのが市民チャリティ委員会ということだと思います。

ちなみに、イギリスにはチャリティ委員会という政府の組織がありますので、名前はそれを意識してつけたものかなと思います。(黒田かをりチャリティ委員会 NPOWEB大学イギリスだより講座におおまかな解説があります。)

「救う会」の公益性

前置きが長くなりましたが、市民チャリティ委員会、議事録が公開されていて、覗いてみると結構興味深い議論でした。第2回議事録は、いろはちゃんを救う会(架空の会です)に公益性があるか、という議論でした。(この会の説明内容は議事録の付属資料にあります。)

他に、ホームレスの支援に公益性があるかを議論した回の議事録なども読みましたが、意見がいろいろ分かれていることや、素人にもわかりやすい意見が多く出ていることもあって、読んでいて考えさせられました。


病人の支援には公益性がない?

まず気になるのは、上に挙げた23事業分野に、難病患者の支援が挙げられていないことです。医療関連では、公衆衛生の向上がある程度です。これは少し不思議な感じがしました。

製薬会社や医療機器メーカーなどは、営利企業ですから、お金が儲かる分野を、人道的に見て重要な分野よりも優先したりすることがあると思います。そこで、難病に限らず、病気の患者の支援ということがあってもいいような感じもします。

委員会の議事録では、この点はとりあげられていませんでした。難病患者一般だとか、拡張性心筋症患者一般を支援する団体であれば当然公益性があるもの、という合意があるようですが、これは法律に照らして同じ結論が出るのかどうか、tmにはわかりませんでした。

病気の種類などにもよるのでしょうが、例えば、医療費がかかる、日常生活に長期的に支障をきたす、というような事情がある場合には、そうした人を支援することは公益の内に入るような気がします。憲法の条文を流用して「健康で文化的な最低限度の生活を送ることが困難な人に、そのような生活の実現を支援すること」を公益だとしても、あまり異論は出なさそうな気がします。

ちなみに、メイクアウィッシュジャパンは、がんを患った子供たちの夢を実現させようという団体ですが、これは、医療費や生活上の支障を取り除こうというような、最低限度の生活とは少し違う試みだと思います。これが公益にかなっていないかというとそうとも言えない気がしますが、賛否が分かれやすいような気がします。

それから、不摂生がたたってかかる病気であるとか、かなりの率で予防が可能な病気はどうでしょうか。遺伝病だけれども支援が得られるとわかってそれをあてこんで子どもを生んで支援を求める親がいたらそれをどう思うでしょうか。特に本人に非がないのにかかってしまう病気の患者を救う、というのは不特定多数の人を救うことと実質的に同じようなものだと思います。そうでない人をどうするか、自己責任を問わず支援するのか、支援対象に優先順位をつけたり、資格制限のようなものを設けたりするのか、ということも、考え出すと難しいです。(ホームレスについても、同じような議論がありました。)

特に名案などはないので、病人の最低限の生活を支援するぐらいは原則として公益なのでは、という曖昧な考えのまま、次に進みます。

不特定多数の受益者を対象にしないと公益性がない?

次に気になったのが、議論中もたびたび出てくる話ですが「受益者が特定個人に限られているのに公益とは言えない」という考え方一本でどこまで行けるのかという点です。

これは比較的わかりやすい判断基準だと思いますし、特定の個人や団体の利益を目的とした団体は、それが社会的弱者などであってもやはり「公益」にかなっているとは言えないのではないかという考え方には一理あると思います。また、そのような特定個人・特定団体の利益を目的とする団体を認めてしまうと、公益法人の制度もうまく行かないのではないかという感じがします。

議論中で出てくる別の考え方は、「不特定多数の人が望んでいることを実現するためにある組織なら、公益があるのではないか」というような考え方も出ています。不特定多数の人が望んでいること、というだけなら、ありとあらゆるものが入ってくると思うのでどうかと思います。ですが、善意を重視するという意見も出ています。

善意をどう定義するか、定義できたとしても、ある行為が善意に基づいているかどうかを実際どうやって判断したり証明したりできるのかも、また難しいと思います。そこで、法的な制度をつくろうとするといろいろ難しいのかも知れません。ただ、個人的に知っている人だとか、何かの縁がある人(親族、地縁、職場が同じ、卒業した学校が同じ、などなど)に対する支援の気持ちと、縁がない人も含めた不特定多数の人への支援の気持ちとを比べた時に、後者だけに公益性があるからと優遇措置を認めるというのはどうもしっくり来ない感じはします。同じ善意なり慈悲なりの気持ちが働いていると言えるケースはたくさんありそうに思うので。

また、特定個人が対象であっても、「健康で文化的な最低限度の生活」のためであれば、別に公益目的と言っていいのではないか、ということも考えてみました。

ただ、これは善意とそうでない気持ちの区別をしないアプローチですから、善意とは呼びがたいような気持ちに基づいたものになってしまうことはあるかも知れません。特定少数の対象者の利益を図ることも公益の一種だ、と認めたとしたら、例えばある企業の関係者に限って、とか、ある大学の卒業生に限って、そうした支援組織が生まれて、結果としてひどく不公平な世の中になってしまう、というようなことがあるかも知れません。

そういう活動はむしろ互助会とか同窓会みたいなものに任せる、これまでの法律で言えば中間法人として扱うもので、公益法人改革後も公益性があるとは認めない、というのが最近通った法案の趣旨のようです。

そういうことを考えると、例えば、海外での臓器移植を受ける人一般を支援する会というのは現在でもありますから、そういう不特定多数の人の利益を目的とする組織は公益性があるとして扱ってもよいけれども、個別の個人を救う会については公益性を認めない、ということでいいような気もします。

違いがどこに出るかというと、おそらく寄付金に税金がかかるかどうかの点で、救う会に直接寄付した人は寄付金の分を課税所得から控除できない、不特定多数の移植希望者を支援する公益性のある組織に寄付すれば控除できる、ということかなと思います。

「救う会」が任意団体だとしたら、「収益事業」にあたる特定の種類の事業を行わなければ法人税はかからないことになりそうですから、

提供者の意思に反して臓器移植が行われる可能性

それから、最後にもうひとつ気になった点ですが、そもそも日本では15歳以下の子供が臓器移植を受けられない理由には、15歳以下の子供は法的に有効な意思表示ができると日本の法律上は認められていないことがあるようです。そうすると、ある子供を救うために他の子供の臓器を移植することが、その臓器提供者である子供の意思に本当にかなっているのかどうか、ということも気になります。かなっていなかった場合は、1人の子供が延命され、もう1人の子供の臓器は意思に反して移植されたことになるわけですが、そういうことがたびたび起こるのであれば、これを公益の実現と言っていいのかどうか、考えてみるとtmにはよくわかりません。海外で移植を受ける場合、特に違法になることはないようですから、わざわざ日本の法律の考え方をあてはめるのもおかしいのでしょうか? 市民チャリティ委員会ではこうした点は議論になっていませんでした。

ここまで書いてみて、やっぱり疑問が多くて到底結論は出そうにない気配です。




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(09:47)

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