金沢には観光客にも有名な寺である妙立寺、人呼んで忍者寺がある。

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-パンフレットより抜粋
■加賀藩の秘策
複雑な建築構造をもつ正久山・妙立寺。
人呼んで”忍者寺”の建立当時は、幕府で三階建て以上の建築は禁止されていた。
しかし、当山は、外観は二階建てだが、内部は四階建て七層にもなっている。
しかも、その構造は、極めて頑強で、台風や雪害などに十分耐えられる配慮がなされている。

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中二階、中々二階など複雑な構造の中に、部屋数が二十三、階段数が二十九もあり、最上階の物見台ともとれる望楼は各方面を遠望でき、金沢城への逃げ道と言われる大井戸など、出城としての要素を数多く秘めている。
また、忍者寺といわれる仕掛けも散在する。
しかし、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこにちは迷路のようになっているのである。
類のない建物である。 

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妙立寺は、加賀三代藩主の前田利常公が、寛永二十年(1643年)金沢城近くから移築建立した。 
徳川幕府が名実ともに日本全国を統一するため、些細な事を理由に、多くの諸大名を取り潰した頃である。

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利常公は徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じ、謀反などとんでもないと幕府を安心させる。その一方で、多く武士が居易できる寺院群を、現在の寺町に新築した。その中心に監視所の役割を持つ妙隆寺を建立したのである。