2011年03月12日

感受性の欠如

大変な地震が起こって、まるで映画のような映像。
ちょうど、美容室にいて、シャンプーの最中で、くらくらゆれるシャンデリアを見ながら、子供を抱いていた。
おんぼろアパートに帰るまでに、パン屋を梯子し、果物屋でイチゴを買い、時折、公衆電話に並ぶ人の列のほかには、何も実感がなかった。

携帯が通じないことと、家の中のものが少しだけ落ちていたこと、ガスの安全弁を再起動しないといけなかったこと、それ以外は、まるで日常と同じだった。

ここで私に何かあっても「世田谷区で女性が一名、行方不明」という言葉で終わってしまうんだろう。
遺体が300名、とか、XX県で死者Y名、とか、まるで選挙速報のように。
たくさんの人の日常が断絶し、その一方で、今日もご飯を食べ、寒くてやっぱりエアコンをつけてしまい、散歩に行って、途中で野菜やお肉を買い、帰りにマメヒコでお茶する私がいて。
いったい、どうなってるんだろう。

原発というクリーンだけど大きなリスクを押し付けて、そして今もエアコンや明かりをつけている。
見えないのか、見ようとしないのか、たくさんの人たちとは、まるで違う世界にいて、
そして、いまだに、自分の問題として、実感できないでいる。

どうか、少しでもたくさんの希望や可能性を。
  
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2010年11月24日

よしなしごと

自分が何者でもなく、何者になりたいのか、わからないということの不安。
将来のことは何が起こるかわからない、ということから来る不安感は、わくわくの裏返しでもあるけれど、
自分自身で決めるべきことについて、決められない、わからない、という事態については、ただ只管の不安。

自分がこだ、と決めたことに向かって、何も考えずに進んでいく強さを失ってしまうような。

自分の感受性すらも、守れない、ばかものになってしまった。  
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2008年06月01日

アイサレルカラダ

「愛されるカラダになる」

大学に入って、最初の社会気亮業で、『女性自身』の妹版としてスタートした
とある雑誌(当時は今ほど、CanCam一色ではなかった)の特集を見せられて、衝撃を受けた。
よくあるダイエットやデート服の特集で、自分に縁遠くはあっても、
「愛されるカラダになる」という言葉に、それまで疑問を抱いたことがなかったから。


自分が社会化されているという、当たり前の事実に気づいて、
それに気づくことで、自分がこんなに自由になれるのか!
と感じて、これこそが、勉強するってことなんだと思った。
「Liberal Arts」なんだと思った。


そこに気づかずに乗っかってしまうんでなくて、自覚的に乗るということ。
最近、できずにいた。
社会の枠組みや価値基準なんて、絶対的なものでないと思いつつ、
やっぱり、生きる上で、自分はそれらに社会化されているわけで。
全否定は、否定しようとした小さな世界に飲み込まれている証拠に他ならないのではないかしら。


社会化された自分を受け入れて、仕方ないねって、無理しながら、
どこか遠くから、そんな自分を笑っていたい。
男に、女に、社会に、「愛される」ことを渇望する自分を認めつつ、
そんなのと違う目線で、私自信に「愛される」私でいたい。



夏も近いというのに、自分の姿は、まだまだ「アイサレルカラダ」とは程遠い。
しかし、一体、私は誰のための「アイサレルカラダ」になりたいんだろう。


  
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アイサレルカラダ

「愛されるカラダになる」

大学に入って、最初の社会気亮業で、『女性自身』の妹版としてスタートした
とある雑誌(当時は今ほど、CanCam一色ではなかった)の特集を見せられて、衝撃を受けた。
よくあるダイエットやデート服の特集で、自分に縁遠くはあっても、
「愛されるカラダになる」という言葉に、それまで疑問を抱いたことがなかったから。


自分が社会化されているという、当たり前の事実に気づいて、
それに気づくことで、自分がこんなに自由になれるのか!
と感じて、これこそが、勉強するってことなんだと思った。
「Liberal Arts」なんだと思った。


そこに気づかずに乗っかってしまうんでなくて、自覚的に乗るということ。
最近、できずにいた。
社会の枠組みや価値基準なんて、絶対的なものでないと思いつつ、
やっぱり、生きる上で、自分はそれらに社会化されているわけで。
全否定は、否定しようとした小さな世界に飲み込まれている証拠に他ならないのではないかしら。


社会化された自分を受け入れて、仕方ないねって、無理しながら、
どこか遠くから、そんな自分を笑っていたい。
男に、女に、社会に、「愛される」ことを渇望する自分を認めつつ、
そんなのと違う目線で、私自信に「愛される」私でいたい。



夏も近いというのに、自分の姿は、まだまだ「アイサレルカラダ」とは程遠い。
しかし、一体、私は誰のための「アイサレルカラダ」になりたいんだろう。


  
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2008年04月13日

年齢を重ねること

久しぶりにゆっくりと、遊びほうけてしまいました。


ルオーを、初めてちゃんと観ました。
マティス狙いで行ったのだけれど、ルオー、よかった。


これまで持ってたルオーのイメージ:
ダーク

というのは、小学校だかの国語の教材で、
キリスト聖骸布の話があり、そこで挿入されてた、
ルオーの作品の写真のイメージ。

だから、
「年とってから凄く美しい絵を描いたフランスのルオー爺さん」
なんていわれても、全くピンときていなかった。

本当に、年とったルオーの絵は、凄く美しい色彩になっていた。
光としての人間賛歌。

蒼く悲哀に寄り添う絵も好きだったけど、
辛酸なめて、年を重ねたときにもつ、突き抜けたやさしさ。

そういえば、ピカソとかも、「青の時代」を経ているわけで。


前日には、モディリアーニを観てたのだけど、
「彼ももっと生きてたら、また違う絵を描いてたと思うと残念ね」
という母に、同意。
色男っぷりをもっと露骨に表現してたのかしら。


だから私も決めました。できれば長生きすることに。

どんなことも、まるっとくるんで、年齢を重ねられるような
そんな気がして、元気が出ました。


まあ、そのためには、自分の感受性くらい、
自分で守らなきゃダメですね。

  
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2008年04月09日

No Title

久しぶりにこんなにBlog書いている、ということは・・・

病んでいる

あるいは

暇である

のどちらかに相違ない。


病んでる、なんて、所詮、自己愛を満たすために過ぎないのだけども



ひとまとまり、仕事に区切りがついたから、どっかいきたいなあ。


しかし、ここではない何処かへ、
といっている限り、幸せになれる何処かには
たどり着けない


のであります

  
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2008年04月08日

春だから

春になってしまいました。
4月です。桜も咲くってものですよね。
もう葉桜になりかけだし。


春だからなのか、ぼーっとして、なんか無気力。
こういうときに、言い訳を捜して、自分を守るつもりで貶める癖をなんとかしたいもの。

こうして、あっというまに一年がたつというのは早いもの。
冬来たらば春遠からじ。
って、季節だけ、先にやってきてしまった。


寺山修司のいう、走ることでしか「話しかける」手段を持たない円谷幸吉のむごさを、
決してうらやましいとは思わないけれど、
私は何のために、何を、誰に、どうやって「話しかける」のかしら。
「話しかける」苦しさを放棄しては幸福にはなれない。
自分にすら、真っ直ぐに「話しかける」ことができないで、
どうするんだ、私。


新しい生命が生まれる春。

生まれ変わるには死ななければならない、
ならば、
これまでの自分という存在の死も、光満ちたものなのかもしれない。


桜の木の下には屍体が埋まっているならば、
自分という存在の死をもって、新しい花を咲かせられるか、
春の夜の夢見てみようか。


  
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2008年03月16日

コミュニケーション不全

めっきり春めいてきて、気づけば、自分の生活のために仕事をして、
お金をいただく生活が始まり、一年近く。
そろそろ人事評価の季節であります。


仕事を通じての「成長」とか、「バリュー出す」とかなんとかいうコトバを聞くたびに、
そんなに自分を追い詰めてどうするの、と思う反面、
そうやって、表面的な反発をしないと自分を保てないほどに、
自分の成長を感じられないという事実に、
情けなくて涙が出てくる。

その焦りのやり場や、気持ちに能力を追いつかせる方法や、
いろんなことを、自分でどうしていいか、わからない。
気づくと、弱みを見せることができなくなってて、強がっていて、
そんな見せ掛けの部分を、虚栄を、周りはすっかりお見通しだというのに。

自分の強みがわからない。
自分とも、他人とも、コミュニケーションの取り方がわからない。
唯一の強みは、楽しいことしかできない我侭さのおかげで、
仕事も楽しいということだけかしら。
それすらも
楽しくたって、がんばったって、お金をもらってやってる以上、
成果がなくてはダメで、自己満足して生きてけるほど、
世の中は甘くはなかった、という当たり前のことを、いまさら実感する。


誰も、こんな小さな私に興味なんてないんだから、
自分から、できること、やりたいこと、叫ばないと
そのまま過ぎていくのに、できることがわからない。
やりたいことができる自信がもてない。


家族であれ、友達であれ、あるいは仕事関係の人であれ、
どんな接し方をして、自分をどう見せるか、
自分をどうプロデュースしていくか、
どういうことが中途半端にしか出来ていないから、袋小路。


でも、やるしかない。
私よりも見る目ある人、大きさと深さのある人に囲まれてるという
幸運を活かして、信じて、
自分で自分を走らせるほかないのです。
少なくとも今はまだ。


私の大好きな人たちは、

こんなに醜く、

無力な私を、

そのまま、

尊いといって、

受け入れてくれてる




・・・・
のかもしれない


私は、人を、

無条件に、

尊いといって、

まるごと受け入れて、

愛せているんだろうか



明日は別の、新しい日。
  
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2007年07月28日

こんなのでいいのか2007

働き始めて3ヶ月。
相変わらず、空元気だけがとりえです。
空元気ながらも、見るもの聞くもの面白くて、もっとお仕事できるようになりたい。


が、自分で思う以上に、きっと必死でいるようで。
私は私で、タフに行くのよ、と髪を切ったのもつかの間。
形から入る作戦は、失敗の模様。

そもそも髪が伸びるのがやたらと早いのですが。
エロイからではありえないから、何か自己コントロールに失敗してるのかしら。


人生は楽しいけれども、私はどこへ向かうのかな。
明日の目標、1年後の目標、10年後の目標、30年後の目標、
いつまでも目標どまりじゃ意味がないのに。
絵に描いた餅の方が実際の餅より価値がある、なんて、
実際のお餅を食べたマリーアントワネットの捨て台詞にだまされてはいけない。
まだ、絵に描きかけの餅しか知らないのだから。

夢があって、キラキラお目目の人が、たとえだまされてもたぶん好きで、
でも自分は寧ろ今、じとじとで、キラキラの対極かも。
こんな私ではいけないよ。夏。
孤独から救い出されるのを待っていてはいけない。
天命に甘んじる、けど、その前に尽くすべき人事。


言い訳を作るのはあまりに簡単だけど、伝えなきゃ意味がないし。
がんばっても免罪符にはならないのだと、自己救済の手段でしかないのだと、
強く思っているのだけれど。あくまでも「つもり」でしかない。
インランドエンパイアでも言っているように、行動には結果が伴うもので、
私はどこまで行っても、自業自得の罠。


しかし、もっとドロドロの中をもがいてもがいて、
まだまだいける。

思いもよらないところに、救う神あり。という白昼夢。


  
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2007年03月26日

いいことと悪いことは裏表

アメリカ、南米、オーストラリア、そしてグアム、と続いた旅行も
終わり、卒業式も終わり、学生生活は、あと一週間。


卒論が1月半ばに終わって、それからずっと、
誰かとずっと一緒だったので、一人寝が寂しくてなりません。
楽しかった毎日との反動、
一人はのんびりできるけど、
孤独にこんなに不慣れになっているとは、驚き。


なんとかおまけつきで、卒業できて、
個人的にはうれしかったけれども、
あまり、人生のサプライズプレゼントをもらうには、
いいタイミングではなかったのかもしれない。

そして、私の卒論の場合、
「人」を巻き込んでいるけれども、彼らの
期待を無視したものであり、いいのか悪いのか。
自分なりの、彼らの生活賛歌、人間性の賛歌のつもりでは、
あるのだけれど。


桜の美しさとバランスをとるには、
桜の木の下になにかを見出すことが必要であるように、
人生、うまくプラスマイナス、バランスとれてるものです。

思い返すに、むしろプラスばかりの毎日、
遣り残したことないくらい、よく遊び、いろんなことをし、
好きなことを勉強して、
大学時代に悔いなしといえる幸福。
それを支えてくれた、大好きな人々と過ごせた幸福。


新しく始まる社会人生活。
よいことばかりではないだろうけど、
一見マイナスなことの裏っかわにあるプラス面も
見通して、また楽しく幸せにすごせますように。


  
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2007年02月23日

ボリビア、カーニバル、とける

マイアミでの語学研修(一応)、ビーチバカンスを終え、
いよいよ、ボリビアに来ております。


バレンタインデイにLa Pazに着いてから、
高山病の苦しみも予想外に軽く、
カーニバルで水をぶっかけられながら、
あっという間の一週間。

想像以上に、素朴なボリビアの人々と、
多様な景観に、圧倒。


その割りに、ブログ更新なんてしてるのは、
カーニバルのせいで、交通機関が止まり、
Uyuniに足止め二日目だから。
まあ、こののんびりさが、いいんだろうけど。
どんなに小さな街でも、水風船やスプレー缶片手に、
みんなで酔っ払って、濡らしあって、
なんかいいなあ。

バスも、同じスペインに支配されていた、アジアの
とある国と違って、リクライニングで席もふかふかで
快適そのものだし。


マイアミですでにとけかけていた脳みそは、
いよいよどろどろになっています。


感受性までとけてるみたいで、映画のような、
広大な山々も、地平線も、民族衣装のおばちゃんたちも、
だんだんと新鮮さを失って、
いつのまにか、普通の風景。
すっかり日常化。

人間は慣れ狎れる生き物なんですね。

生きるためには重要な要素。
贅沢な悩み。


旅行仲間の学部のお友達と話しながら、
ふとした時に、ああ、これの休みが終わったら卒業なのね、
なんて思い返すと、これまでの日常が光りだす。

思い出しか輝かないなんて、寂しいな。


とけるな、私。


まだまだ旅は続くのです。
  
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2007年01月24日

脱日本。

卒論終わって、引越し、スキー、とあわただしくすごしております。
家にネットがつながらない、って不便なんですねえ。


今朝は10時に、日本で最初に美容形成を作った、
とある大学病院での診療。
私は、もちろん、「美容」のつかない形成外科に通ってますが。
昨夜、2時くらいまで飲み続け、
でも10時に間に合った私をほめてあげたい。

病院内、3階の診療室前。

大体がごっついお兄さんとか、おじい様おばあ様なのですが、
たまーに、ブランドバッグにヒールのお姉さまが。
美容がつく方もつかないほうも、待合室は一緒だから、
「ああ、あの人、保険がきかない方の形成外科なのね」
なんて、ふと思ってしまう。

いやあ、これって、相当、変な先入観に飲み込まれてる。
いやだなあ。こんな自分。

私も、
「あの子の顔やスタイル、美容形成の効果出てないわ〜」
なんて思われてるのかも・・・

美容形成への忌避感だって、埋め込まれたものだし。


それでも私はやりませんが。


自分に満足はしてないけど、あきらめはついてるし、
私の思う美しさの基準も、社会コードの影響受けまくってるから、
お化粧くらいは迎合するけど、身体改変というほどまでには
巻き込まれないぞ、という中途半端な気概であります。


社会にうまく適応しつつ、でも、そのおかしさみたいなものを
感じていられる、社会人になるぞ!


変わらないのは過去と他人、変えられるのは自分と未来、
とかいう流行りことば。

よく言ったものですね。


自分と違うことを非難するんじゃなくて、
その自分の価値観や規範でしか、ものごとを見られない
自分を反省すべし。
なかなか社会は変わらないけど、
無自覚でいるよりは、不自由さを感じてる方がいいなあ。
みんな、それぞれに重荷しょってるわけだし。


昨日、久々にお茶したフィリピン仲間がそれぞれの、
すっごく豊かな感性を見て、なんだか、
自分がいかに日本に染められてるか、感じてしまった。
それが全部だめとは思わないけど。


ということで、脈絡ないけど、脱日本。
週末から、ほぼ3月21日まで、
適当な日本の私、でしかいられない私を、肌で感じてきます。


  
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2007年01月15日

ひとり上手

なんだか、このごろは情緒不安定。


そもそも、こないだは新年初の整体で、コリ症の私に、
マッサージ師さんの一言がぐっさり。

「コリの原因は運動不足とか、睡眠不足とか、あとはストレスですけど、
ストレスは・・・なさそうですね」

!!!
まあ、確かに、嫌なことは記憶から抹殺するタイプですけどね。
卒論とか卒論とか。


そして、寒いんだか何だか知らないが、やたらに身体を寄せ合うカップル!
電車の中は暖房あるし、くっつかなくてもあったかいと思いますけど。
うちの隣のスーパーにも、深夜12時を回っているというのに、
あるいは、そんな時間だからこそ、
やたらと二人連れ男女の多さ。
あなたたちがお寿司食べても、餃子食べても、何でもいいから、
きゃあきゃあ言わず、静かに選んでくれ、とか思いつつ。

まあ、結局、これって、ひがみというか、
自分の寂しさがうまく処理できてないから、
こんなにイライラするんだろうなあ。


ストレスも、寂しさも、結局、外側から埋めてもらうことなんて
できやしないので、
自分で飼い馴らすしか、ない。

わかってても、できないのですけど。


今日は、ちょっと下らない演劇を観てきまして、少し心晴れました。
現実逃避とも言う。

つまり、美しい国、我が日本は、はるか平安の時代から、
不倫・レイプ・浮気・覗き見の国であった、と。
でも、そういったものでは満たされないものもある。
だからって、簡単に浮世を捨てられるなら、そんな苦しみは
そもそも存在しないのである。
それこそが、
源氏物語の苦悩なのかもしれませんが。


いろんな人の力を借りてることはもちろんなのだけど、
最終的に、ストレスも寂しさも、自分で
ちゃんと向き合うほか、救済の道はないのでしょう。


って、自分用アナログ日記に書かずに、
ブログに書いてる辺り、ひとり上手への道は、
まだ少し、ありそうです。
  
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2007年01月10日

こうもり

昨日午後10時30分。母への電話。
母から、ではない。
「お母さん、体調悪いし、やることあるし・・・以下略。」

結論。
東京には来られません。


ということで、心優しいお友達をかどわかし、
オペレッタ、こうもりを観に行ってきました。

この、自分に都合の悪いことをギリギリまで言わないとこ、
似た人がいるよなあ、と思ったら、私でした。
人のふりみて我がふり直さなきゃですが。


エンターテイナーってすごいですねえ。
プロ意識の高さ。
私もプロ意識高い大人になるぞ!!という影響のされやすさ。


そして、オペレッタやオペラではありがちすぎるけど、
ウィーン・・・何でもありですねえ。
18世紀のフランスでは、男女の恋愛は既婚の男女のもの、
と聞いたことがあるけど、ウィーンもそうだったのでしょうか。

こうもりの冒頭もフロイトから始まったけど、
彼の言葉:
人は性的魅力を感じるものを美しいと思う
フロイトの国は違うなあ。


しかし、現実に戻らないと行けませんね。
何もかも、シャンパンのせい、全て忘れてケセラセラ♪
私の酷い卒論も。
とは、流石に言い訳にはならないし。
シャンパン飲んでないのに、帰り道、迷うし。


都合の悪いことを後回しにする癖、
そろそろ忘れずに直したいものです。

  
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2007年01月03日

背負うもの。猪突猛進。

きました!2007年。
人生2回目の年女。

なんだか、もやもやもやーっとした毎日が
年末から続いていたものの、ようやく、イノシシらしさを取り戻す。


「しがらみ」に囚われて、それをいいわけにして、
いろんなことを先延ばしにして、逃げてて、
自分が大嫌いな時に、言われたことがあります。
まだ、就職しようって決めちゃう前で、うじうじ言ってた頃。

いろいろと守らなきゃいけない、と思うのは当然で、
それらから逃げ出してしまって、自分だけで突き進む人は、
だんだんと限界が来る。
糸の切れた凧のように、どこに行くかわからなくなる。
背負うものがあって、でも、それをあえて、振り切る痛みがあって。
たとえ何かを捨てても、捨てる痛みを、やっぱり背負う。
そういう、背負うものがある人は、
年をおうほどに、深みのある人生を送れる、と。


現金な私は、それで急に自分大好きっ子になって、でも
人間の深みは増すことのないまま、自由な道を来てしまったのでした。

とはいえども、やはり、意識しなくても、空気圧のように、
しがらみやなんか、背負うものはあって。
思いこみかもしれないけれど。


だからこそ、今年は意識的に我が儘度を加速させてやる。

学生、という、社会的な責任の少ない3ヶ月、
社会人1年目、という、失敗が許されそうな9ヶ月。

甘えるのではなく、自分の正しいと感じることを、
思いっきり我が儘に、追究していきたい。

どうせ、人に迷惑はかけるし、人を傷つけるのだから、
どうせ、いろいろなものを全て放り出すことは出来ないのだから、
あえて、突っ走ろう。


これまでも好きなことやってきて、でも自分は我慢してる、とか
思いこんでいた悲劇のヒロイン願望。

同じ事やるなら自覚的にやってしまえ。
そして、もっと気持ちよく我が儘な人生を。


  
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2006年12月18日

Sola Ma No Solitaria

独り上手だけど孤独じゃない

というメッセージ入りの鞄を持った人を井の頭線で発見。
そんな生き方、いいなあ。


今日はドン・ジョバンニを観に行き、
妙な眠さと、寝違えたっぽい肩こりと首の痛みと
戦ってきました。
序盤は平坦だったけど、演出とか、まあまあだったと
思うのですけど。

1800人制覇のどうしようもない男、ドン・ジョバンニ。
でも、彼がそこまで女を虜にできるというその能力と、
最期に死神に、女を弄んだことを悔い改めることを求められても、
それに応じずに、命を捨てることを選んだとこ、素適。


死ぬときに、我が人生に悔いなし!って
そうやって、命を懸けて自分の人生を肯定できる。
そんな一生を送りたいものです。
今は悔いだらけだからねえ。

自分の欲望に正直に。


人生二度目のゾロメの年をちょっと前に幸せに終え、
大学時代最後の冬、自分の将来に、
不安とひきかえのわくわく感。


  
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2006年11月11日

変わる時、変わらない時

働いたら働いてるなりに、自分の時間も持てる・・・
のかもしれないけれど、今は人に会ってたくて、
という名目で遊んでいるわけです。

なので、地元名古屋に帰ったり、祖父母に会いに
愛媛に行ったり、そんなことをしてすごしてました。


名古屋では5歳から18歳までピアノを習っていた先生とデート。
結婚なさってない方で、かわいがっていただいた。
よく一緒にコンサートとかに連れてってもらったものだ。

思い出話、4月から働くんです、という話、先生の人生談、
習ってた誰それが結婚するって話(一つしか違わないのに!!)
あっという間に時がたったものだなあ、と思いながら。

地下鉄に乗るときにも、近くの出口ではなくて、わざわざ道路を渡って
エレベーターに乗る先生に、うちの両親よりも年上だものな、
なんて、今さらながら感じる。
F4にはまっている、なんて話をするときはすっごく若いし、
まして、その後、私とペアルックのセーターを買ったほどの
若々しい先生なのだけど。
ペアルックなんて、人生初で、まさかピアノの先生と・・・とは
思いもしませんでした。

しかし、道を歩いていたとき、歩道のない道で、
「ともちゃん、危ないから内側を歩きなさい」
なんて言って、外側に回ってくれる。
いや、明らかに、私のほうが機敏に避けれるよ、先生・・・。

先生にとっては、小さな「ともちゃん」のままなのか。


愛媛の祖母もそうだった。

私が東京に帰るとき、駅に夜七時。
確かに暗いが、22のオトナな訳です。
しかも、駅まで歩いても10分のとこを、暗いからとタクシーだし、
駅だし、何も起こるとは思えないのだ。
それを何かあるといけないから、祖母が付いてくるという。
暗くてよく見えないから、と、懐中電灯を持参するほどの祖母を
一人で帰す私の方がよほど心配なのだが・・・。

駅でも、私と同じ行き先のおじさんを見つけ、
60くらいの彼に、
「この子も東京だからよろしくお願いします」というのだ。
おじさんも、半ば呆れつつ、はいはい、としか言えず。
うーん、このおじさんに頼るより、自分の体力に頼りたい、
と思いつつ、苦笑いしかない。
おばあちゃんにとって、私はいつまでも小さな孫で、
時は変わらないのだろう。

再びタクシーに乗る祖母を見送り、ひとまず安心。


何か可笑しいけど、二人を笑えない。

こういう愛情に守られて、今の自分があるんだなあ、
と、改めて感じて、泣き笑い。


人は自分が思うほど、私のことを気にしてない
けど、同時に
人は自分が思う以上に、私のことを見てくれている


イジメで死ぬ、って予告していた子が、
まだ死んでいないことを願いつつ。

今の自分の後ろにあるものを感じると、申し訳なくて死ねないな。
  
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2006年10月21日

新しいxxx

何に焦ってるのかわからない、けど焦る気持ちが
続いております。


少し気分転換に、母親孝行でもするかしら〜、と思い、先週末、
母とお芝居を観にいく。
どっちが孝行されているんだか、怪しいもんだけど。

二兎社の「書く女」
寺島しのぶ、上手だなあ。


樋口一葉って、地味なイメージがあって、
若くしてなくなったこともあり、どことなく悲劇の人というか、
文語調がいけないのか、たけくらべとかもピュアすぎというか
なんか「明治のかわいそうな女」のイメージでした。
まあ、そんなに一葉作品、読んだことないし。。


けど、お芝居の樋口一葉はかなーり飄々としていて、
実際もこんなんだったのかしら、と思わせる。
借金なんて何のその、「すね者」として、
自分の苦しい生活すらも突き放して見てたのかしら、というような。

「新しい女」、だったのかもなあ、と
今さらながら感じてしまう。
確かに、日本発の女性職業作家を目指したのだから、
それなりの根性ないと無理だろうなあ。
父の死後に、婚約も一方的に破棄されてるらしいし。
そこで新しい結婚に逃げない、というのは、悲劇のヒロインでなく、
意地っ張りなだけなのかも。

もちろん、お芝居だから何でもあり、なのかもだけれど。
しかし、勝手な先入観を固めてしまっていたんだなあ、と。


重要なのは、彼女が本当はどんな人だったのか、という事実ではない気がする。


常にこれまでのカテゴリーは壊され、「新しい」何かが、
生み出されていくのだろうけれども、
必ずしも、敵対する必要なんてないのだよね。

波風を立てすぎず、しかし、ある構造の内部から、
あたかもそこに取り込まれているかのごとく、しかし巧妙に、
Noを突きつける方がうまくいくのかも。
それって、すっごく恐いことではないのかな。
でもこんなことをいってるのは、
すでに新しい何かを生み出すパワーがない人間なのかしら。


若者はRadical、中年はLiberal、そしてもっと年を取ると人はConservative
になるとか。
それぞれの定義はわからないけど、
私は、もはや、Radicalではない気がするなあ。
しがらみがあって、自分のやりたいことだけをすることが、できなくなる、
それが悪いことだと思わない、これはどうなのかしら。
まあ、今だけ、といういいわけと共に、自分のやりたいこと、
しっかりやってるのだけど。
巧妙に生きるって、ずるいのでしょうか。


それにしても、一葉が「傑作」と呼ばれる作品を多数残してなくなったのは、
24才。
私、2ヵ月後には23。


焦りが足りない!?

  
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2006年10月09日

I love you because…

608019d2.JPGIt is not because of what you have but because of what you are that I love you.

という例文を、高校の時にやった気がする。


後輩や、大学院に進学した友人らが、もうすぐ就職活動の時期。
あるいは、我が大学からフィリピンに留学する子が、もうすぐ出発。
就職活動の話をしたり、留学の話をしたり、
という機会がちょっと多い。

伝えたいこともうまく言えず、向こうの聞きたいことも
うまく汲み取れなくて、すっごく申し訳ないのに、
「ありがとう」と言われて、なんか不思議。
むしろ、会って一緒に話をすることで、私がパワーをもらっているのに。


ちょっとだけ早く、就職活動とか留学とかを経験しているだけで、
別に私自身はえらくも何ともなく。
勘違っちゃいけないのである。

もちろん、経験はいろいろした方がいい、と思うけど、
結局、経験から学んで自分を深められなければ、
どれだけ経験を積んだって、変われなくて、勿体無い。
そういう意味で、後悔はたくさんあるのだけれど。

過去もひっくるめて今の自分で、そんな自分を大事に思うけど、
これまでに何もすごいことなんてしたことない。
人に自慢できるような経験なんて、何もない。


だけど、私の経験や肩書き(って単なる学生に過ぎないけど)とか、
そんなんじゃなく、人間として魅力的になりたい。
私が私であるということで、少しでもまわりに幸せを届けられる
そんな人になれますように。


そして、私も、肩書きとかじゃなく、過去もふくめて、
その人がその人だから、まるごと人を大切にしていけますように。


  
Posted by tmko1215 at 21:48Comments(3)TrackBack(0)

2006年10月03日

言葉の裏側

一日、逍遥してました。
家に帰りたくない反抗期の子みたく、そんな日々はいつまでも
続けるわけにいかない、と思うのだけれど。
言葉にできない、もやもやを、歩きながら落としてしまいたいのに。


朝日新聞が「言葉は時に無力で・・・でも私たちは言葉の力を信じてる」
みたいなコピーのCMを、ちょっと前にやっていた。

確かに言葉の力って重要。
口は災いの元、という諺は私のため、ってほど、
言葉の失敗を繰り返してきたなあ。

言わなきゃ伝わらないし、言い方一つで
見える世界が変わってしまう。
言霊なんてことも、実は信じてる。
起こってほしくないことは、口にしない方がいいんだ。


でも、時に、言葉を欲してないときもあって、
ハグ文化の国っていいなあ、って思う。

相手に何の言葉をかけても、その言葉が空虚なのが明らかな時、
抱きしめること以上に何ができるだろう。

誰かに弱みを見せたくなるとき、言葉や解決策がほしいわけじゃなく。
「解決」なんてわかんないから、
そういう弱くて醜い私を、まるっと受け入れてほしいだけで。
何も言わなくてもいいから。
全身で、まるっと、究極的に他人である私を受け入れてほしいけど、
そのためには自分も、大きい人じゃないとダメだな。


とか言いつつも、やっぱり多くの言葉に助けられてきた私。

でも、それは、言葉じゃなくて、その裏側にあるものだった気がする。


結局、言葉の有無じゃなくって、
その人の時間や思いやいろんなものを、私に少しだけ
費やしてくれること、それがうれしくって、
その人の思いが伝わる言葉は、一生の宝物だし、
ただそこにいてくれたということが、
それだけで、救われる。


一歩、外に引いてみれば、私に与えられたものの多いこと!
文字通り、私は多くの人々に生かされている。

受け入れられないと感じるのは、私自身が、自分を、他人を、
受け入れる土壌がないだけ。

目に見えるもの、耳に聞こえるものの裏側にあるものを
見過ごしているだけ。


わかりやすさに流れず、感じる力を私に。


あなたがあなたであるから、それだけで尊い、と
私は誰かに伝えられたこと、あったかな。



  
Posted by tmko1215 at 00:44Comments(0)TrackBack(0)