2010年12月25日

「かみつみち」を行く

今日は気分をかえて奈良公園とは反対の方角の上街道を歩いてみようといつものようにカメラを持って南にむかって歩き出した。1300年前奈良に都が遷された時、新都と旧都は4本の幹線道路でつながれていた。
「山辺の道」「上津道」「中津道」「下津道」の4つであり、そのうちの「上津道」を歩こうというわけである。猿沢池の南西角より南にスタートしてまもなく信号のない自動車道を横切り池から5分ぐらいで「菊岡漢方薬店」に突き当たる。

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左折してすぐ右折して進むとまもなく左手に元興寺塔跡石標がある。

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 この中へ入っていくと17ヶの五重塔の礎石が迎えてくれた。この塔は興福寺の五重塔より高かったということだ。すぐ南隣には御霊神社。聖武天皇の娘の井上内親王、その息子他戸親王その他無実の罪で殺された方々をおまつりしている神社である。

IMG_0011 ここから少し行ったところに高林寺というお寺がある。ここは藤原不比等の子供の藤原豊成及びその娘中将姫に関わりのあるお寺であると同時に、このあたりに元興寺の南大門があったのではないかといわれる場所です。
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 ここまでは元興寺町だったのがここからは井上町、先に書いた井上内親王の名前をつけた町名である。この町のきれるところに自動車道があり、信号のある交差点がある。ここをわたりまっすぐ行く。途中で右へまがっていくとJR桜井線の京終駅に着く。この駅名何と読みますか、わかりますか。

IMG_0026写真の通り「キョウバテ」と読みます。平城京の終りという意味でしょう。
またもとへ戻って南へ進みますと街道だったのかなという証拠みたいなものがありました。それが次の写真です。
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うちを出てからほぼ30分経ったので引き返します。このあたりの町名はつぎの写真の通りでした。
IMG_0030なんと読みますか、「カイノツカナンポウチョウ」と読みます。奈良時代の僧玄坊の遺体が奈良に飛んで帰ってきて腕がこのあたりに落ちたことからつけられたということです。ちなみに頭が落ちたのは高畑町にある「頭塔」眉が落ちたのは「大豆山町」ですって。太陽の地図帖 白洲正子 十一面観音の旅[奈良・大和路篇] (別冊太陽 太陽の地図帖 1)太陽の地図帖 白洲正子 十一面観音の旅[奈良・大和路篇] (別冊太陽 太陽の地図帖 1)
著者:青柳 恵介
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tn33x1 at 14:52│Comments(0)TrackBack(0)

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