2007年04月30日
ブログの変更
このたび、ブログを新しく作り直すことにしました。つきましては、ブックマークの変更をよろしくお願いします。新しいブログはもっと読みやすくなっています。
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ひと味違う乱読・ブックレビュー
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2007年03月19日
チームバチスタの栄光
「チーム・バチスタの栄光」 海堂 尊
バチスタ手術という、心臓外科手術をめぐる謎を中心とした、エンターテインメントミステリー。第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。
まず、この物語の中心人物である外科医が、自分は人を何人も殺したという意味のことをさらりと言ってのけることに不安を感じる。その人物自身は強い正義感や使命感を持っているのだが、それでもその発言には危険なものを感じざるを得ない。医者はそのへんのサラリーマンとは違う。心臓外科医の失敗は即、患者の死を意味する。もっと自分の仕事に対して危機感を持つべきであろう。死に日々接している医者がそれに無感覚になるのはある程度仕方ないが、やはり命の重さを常に頭の片隅に置いていてほしいものだ。
ストーリーは、前半はバチスタ手術をめぐる謎を中心として読者を引っぱっていく。現役の医者が書いただけあって、専門用語が適度にちりばめられており、物語の臨場感を高めている。それだけでも面白いのだが、厚労省の役人、白鳥が出てくるところから、物語はがぜん面白味を増していく。
白鳥のキャラクターが秀逸。超がつくほどずうずうしく、しかしとんでもなく頭が切れるトラブルメーカー。こんな奴、現実的にはありえない。しかし、彼のおかげで、この小説は一流のエンターテインメントになっている。極端に言うと、手術をめぐる謎を除けば、この小説は白鳥1人で持っているようなものだ。彼と田口のやりとりを読んでいるだけで十分面白い。新たなタイプの名探偵登場!! ―そう評しても差し支えないと思う。ただし、医療に関する事件に限られるが。ホームズやポアロにはほど遠いが、三毛猫ホームズを越えるぐらいのインパクトはある。
ロジカルモンスター・白鳥の活躍により謎は解決するのだが、その真相が明らかになった時、暗たんたる気持ちにならざるを得ない。冒頭の続きになるが、医者が命に鈍感になった時、それはその人物が辞表を出すべき時なのだ…そう考えずにはいられなかった。
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バチスタ手術という、心臓外科手術をめぐる謎を中心とした、エンターテインメントミステリー。第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。
まず、この物語の中心人物である外科医が、自分は人を何人も殺したという意味のことをさらりと言ってのけることに不安を感じる。その人物自身は強い正義感や使命感を持っているのだが、それでもその発言には危険なものを感じざるを得ない。医者はそのへんのサラリーマンとは違う。心臓外科医の失敗は即、患者の死を意味する。もっと自分の仕事に対して危機感を持つべきであろう。死に日々接している医者がそれに無感覚になるのはある程度仕方ないが、やはり命の重さを常に頭の片隅に置いていてほしいものだ。
ストーリーは、前半はバチスタ手術をめぐる謎を中心として読者を引っぱっていく。現役の医者が書いただけあって、専門用語が適度にちりばめられており、物語の臨場感を高めている。それだけでも面白いのだが、厚労省の役人、白鳥が出てくるところから、物語はがぜん面白味を増していく。
白鳥のキャラクターが秀逸。超がつくほどずうずうしく、しかしとんでもなく頭が切れるトラブルメーカー。こんな奴、現実的にはありえない。しかし、彼のおかげで、この小説は一流のエンターテインメントになっている。極端に言うと、手術をめぐる謎を除けば、この小説は白鳥1人で持っているようなものだ。彼と田口のやりとりを読んでいるだけで十分面白い。新たなタイプの名探偵登場!! ―そう評しても差し支えないと思う。ただし、医療に関する事件に限られるが。ホームズやポアロにはほど遠いが、三毛猫ホームズを越えるぐらいのインパクトはある。
ロジカルモンスター・白鳥の活躍により謎は解決するのだが、その真相が明らかになった時、暗たんたる気持ちにならざるを得ない。冒頭の続きになるが、医者が命に鈍感になった時、それはその人物が辞表を出すべき時なのだ…そう考えずにはいられなかった。
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2007年02月28日
使命と魂のリミット
「使命と魂のリミット」 東野 圭吾
テーマとしては、重すぎもせず、軽すぎもせずという感じか。しかし、読後感は実にさわやかである。内容に触れることになるので詳しくは書けないが、困難な状況の中でも手術を行い、患者を全身全霊を尽くして救おうとする医師たち、裏切られた傷を抱えながらも患者を救うために電話をかける看護婦…その自らの使命を懸命に果たそうとする姿勢には、なんともいえないすがすがしさを感じる。読後には、すっきりとした爽快感が広がる。
「使命」…これが、この小説のキーワードになる。果たして,どれだけの人間が、それを意識して仕事をしているだろうか。しかし、どんな職業にもそれは存在する。プロ棋士にはいい勝負をしてファンを楽しませるという使命が、お笑いタレントには人を笑わせ、楽しい気分にさせるという使命がある。そのような職業の人間には迷う時期があるらしい。将棋を指して何の意味があるのかと思い、ボランティア活動に参加した棋士もいたそうだ。だが、その時期を過ぎると、これが自分の天職だと思えるときがくるという。このとき、その人は本当の意味でその道のプロになり、使命を自覚できるようになったといえるのだろう。この小説の中心となる事件は、ある人物の使命感の欠如から起きる。そういう意味では、多くの社会人に意識してほしい2文字である。
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テーマとしては、重すぎもせず、軽すぎもせずという感じか。しかし、読後感は実にさわやかである。内容に触れることになるので詳しくは書けないが、困難な状況の中でも手術を行い、患者を全身全霊を尽くして救おうとする医師たち、裏切られた傷を抱えながらも患者を救うために電話をかける看護婦…その自らの使命を懸命に果たそうとする姿勢には、なんともいえないすがすがしさを感じる。読後には、すっきりとした爽快感が広がる。
「使命」…これが、この小説のキーワードになる。果たして,どれだけの人間が、それを意識して仕事をしているだろうか。しかし、どんな職業にもそれは存在する。プロ棋士にはいい勝負をしてファンを楽しませるという使命が、お笑いタレントには人を笑わせ、楽しい気分にさせるという使命がある。そのような職業の人間には迷う時期があるらしい。将棋を指して何の意味があるのかと思い、ボランティア活動に参加した棋士もいたそうだ。だが、その時期を過ぎると、これが自分の天職だと思えるときがくるという。このとき、その人は本当の意味でその道のプロになり、使命を自覚できるようになったといえるのだろう。この小説の中心となる事件は、ある人物の使命感の欠如から起きる。そういう意味では、多くの社会人に意識してほしい2文字である。
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2007年01月01日
オール1の落ちこぼれ、教師になる
「オール1の落ちこぼれ、教師になる」 宮本 延春
中卒で「超」がつくほど落ちこぼれだった著者が、難関大学に合格し、高校の数学教師になるまでの半生をつづったノンフィクション。
この著者のように、勉強というものは、やれば誰でもある程度はできるようになる。しかし、当たり前のことだが、誰でも東大や名大に入れるわけではない。この先生の場合は、小学校の時に勉強嫌いになり、いじめも重なってまったく勉強をしなかったために落ちこぼれになってしまったのだと考えられる。もともとは頭のいい、やればできる人だったのだろう。
偏差値でいえば、60レベルの中堅大学なら誰でも正しい勉強をすれば入れるはずだと私は信じている。だが、70を越える難関大学となると、そうはいかない。ある程度、生まれつきの頭の良さも必要になってくる。
そういう意味で、この本から受け取るべきメッセージは、「勉強は、正しい方法で一定の期間やれば誰でもある程度できるようになる」というものである。間違っても、どんな落ちこぼれでも名大に入れるなどと錯覚すべきではない。
もうひとつ、付け加えておきたいのは、この著者は物理学を愛していたということである。物理学を本格的に学びたいという強い情熱を持ち続けていたからこそ、仕事以外の空き時間をすべて勉強にあてるということができたのだろうし、定時制高校から現役で名大に受かるなどという離れわざをやってのけたのだろう。まさに、「好きこそ物の上手なれ」という言葉がぴったりである。
この本を読んでつくづく思うのは、現在の日本の教育のいびつさである。人間は好きなことなら放っておいても熱中してやる。小学生や中学生のうちに勉強を好きにならせるような教育が学校でできればベストだが、現在の知識偏重の制度では、それは望むべくもない。日本は資源が乏しいため、唯一の資源といえるのは人材だけである。そういう日本の特質を考えても、もっと本質的な意味での教育(特に受験)システムの改革を願わずにはいられない。
好きなことを見つけること、情熱を持ち続けることの重要性がよくわかる本である。
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中卒で「超」がつくほど落ちこぼれだった著者が、難関大学に合格し、高校の数学教師になるまでの半生をつづったノンフィクション。
この著者のように、勉強というものは、やれば誰でもある程度はできるようになる。しかし、当たり前のことだが、誰でも東大や名大に入れるわけではない。この先生の場合は、小学校の時に勉強嫌いになり、いじめも重なってまったく勉強をしなかったために落ちこぼれになってしまったのだと考えられる。もともとは頭のいい、やればできる人だったのだろう。
偏差値でいえば、60レベルの中堅大学なら誰でも正しい勉強をすれば入れるはずだと私は信じている。だが、70を越える難関大学となると、そうはいかない。ある程度、生まれつきの頭の良さも必要になってくる。
そういう意味で、この本から受け取るべきメッセージは、「勉強は、正しい方法で一定の期間やれば誰でもある程度できるようになる」というものである。間違っても、どんな落ちこぼれでも名大に入れるなどと錯覚すべきではない。
もうひとつ、付け加えておきたいのは、この著者は物理学を愛していたということである。物理学を本格的に学びたいという強い情熱を持ち続けていたからこそ、仕事以外の空き時間をすべて勉強にあてるということができたのだろうし、定時制高校から現役で名大に受かるなどという離れわざをやってのけたのだろう。まさに、「好きこそ物の上手なれ」という言葉がぴったりである。
この本を読んでつくづく思うのは、現在の日本の教育のいびつさである。人間は好きなことなら放っておいても熱中してやる。小学生や中学生のうちに勉強を好きにならせるような教育が学校でできればベストだが、現在の知識偏重の制度では、それは望むべくもない。日本は資源が乏しいため、唯一の資源といえるのは人材だけである。そういう日本の特質を考えても、もっと本質的な意味での教育(特に受験)システムの改革を願わずにはいられない。
好きなことを見つけること、情熱を持ち続けることの重要性がよくわかる本である。
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2006年10月26日
マオ 誰も知らなかった毛沢東
「マオ 誰も知らなかった毛沢東」 ユン・チアン
現在の中国の共産主義体制を確立した毛沢東の真の姿に迫るノンフィクション。われわれ日本人が知っている毛沢東とはまったく異なった人物像が浮かび上がってくる。彼は確固としたイデオロギーを持たず、カリスマ性もなく、自己中心的で、その上残酷である。
この本を読めば、どれだけ多くの人間の犠牲のうえに現在の共産主義中国が成り立っているかがよく分かる。彼は決して英雄ではない。毛はただの野心家であり、うまくチャンスをとらえ、その後は武力による弾圧(血の粛清)とライバルを蹴落とすことによって、最高指導者の地位を得たのである。
これまでは、毛沢東は中国の共産主義体制を作った英雄というイメージを持っていた。しかし、この本を読んで、そんなイメージは粉々に打ち砕かれた。
毛沢東の若いころ、旧ソ連でも中国でも大量虐殺が行われていたようである。そこには、自分たちの信念にそわない者を武力で鎮圧するという構図があり、それは現在のイラク戦争などと変わらない。まさに、歴史は繰り返すという言葉がぴったりと当てはまる。
毛沢東の国の支配形態は、紛れもなくファシズムである。彼は恐怖政治によって権力を維持していたのである。毛はその野望のために、何千万という人間を犠牲にしている。その点では、ヒトラー以上の独裁者と言える。
「共産党による統治はつねに殺人を続けていないと不可能だった」という記述から分かるように、共産主義はもともと人間社会の性質に合わない無理な政治形態だったのだろう。その後のソ連の崩壊、世界情勢の変化などを見ても、そのことがよく分かる。
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現在の中国の共産主義体制を確立した毛沢東の真の姿に迫るノンフィクション。われわれ日本人が知っている毛沢東とはまったく異なった人物像が浮かび上がってくる。彼は確固としたイデオロギーを持たず、カリスマ性もなく、自己中心的で、その上残酷である。
この本を読めば、どれだけ多くの人間の犠牲のうえに現在の共産主義中国が成り立っているかがよく分かる。彼は決して英雄ではない。毛はただの野心家であり、うまくチャンスをとらえ、その後は武力による弾圧(血の粛清)とライバルを蹴落とすことによって、最高指導者の地位を得たのである。
これまでは、毛沢東は中国の共産主義体制を作った英雄というイメージを持っていた。しかし、この本を読んで、そんなイメージは粉々に打ち砕かれた。
毛沢東の若いころ、旧ソ連でも中国でも大量虐殺が行われていたようである。そこには、自分たちの信念にそわない者を武力で鎮圧するという構図があり、それは現在のイラク戦争などと変わらない。まさに、歴史は繰り返すという言葉がぴったりと当てはまる。
毛沢東の国の支配形態は、紛れもなくファシズムである。彼は恐怖政治によって権力を維持していたのである。毛はその野望のために、何千万という人間を犠牲にしている。その点では、ヒトラー以上の独裁者と言える。
「共産党による統治はつねに殺人を続けていないと不可能だった」という記述から分かるように、共産主義はもともと人間社会の性質に合わない無理な政治形態だったのだろう。その後のソ連の崩壊、世界情勢の変化などを見ても、そのことがよく分かる。
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2006年09月18日
プロセス・アイ
「プロセス・アイ」 茂木 健一郎
著者は新進気鋭の脳科学者。本書はその著者の初の小説であるが、処女作にしてはよくできている。ぐいぐいと引き込むように読ませる力がある。
高田軍司という人物を中心にストーリーは展開する。彼は元哲学者。「スペラティヴ」という新しい金融理論をもとに、莫大な利益を手にする。そして、その金を使って、「私とはなにか」という大きな問題を解こうとする。「スペラティヴ」とはどんな理論か、また「私とはなにか」という難問は解決されるのか。興味は尽きない。
全体としては面白く仕上がっているのだが、「スペラティヴ」や心脳問題についての説明がもっとほしかった。それがあれば、もっと面白く読めただろう。残念ながら、この本からは満足する回答は得られない。そのため、読後には不満が残る。
著者には、ぜひ心脳問題をもっと研究してもらい、仮説でもいいから明確な意見を示してほしいものである。
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著者は新進気鋭の脳科学者。本書はその著者の初の小説であるが、処女作にしてはよくできている。ぐいぐいと引き込むように読ませる力がある。
高田軍司という人物を中心にストーリーは展開する。彼は元哲学者。「スペラティヴ」という新しい金融理論をもとに、莫大な利益を手にする。そして、その金を使って、「私とはなにか」という大きな問題を解こうとする。「スペラティヴ」とはどんな理論か、また「私とはなにか」という難問は解決されるのか。興味は尽きない。
全体としては面白く仕上がっているのだが、「スペラティヴ」や心脳問題についての説明がもっとほしかった。それがあれば、もっと面白く読めただろう。残念ながら、この本からは満足する回答は得られない。そのため、読後には不満が残る。
著者には、ぜひ心脳問題をもっと研究してもらい、仮説でもいいから明確な意見を示してほしいものである。
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2006年09月12日
日本沈没
「日本沈没」 小松 左京
出だしは、面白そうだという期待を持たせてくれる。が、最初の100ページほどは、はっきり言って退屈である。しかし、前半の途中から、物語は急展開を見せはじめる。中規模の地震がひんぱんに起こり、休火山が次々に噴火する。そして、災害はその規模を増していき、ついに「その時」が来る…
東海地震、東南海地震、南海地震が同時に起こるかもしれないと懸念されている今、この小説の描写は決して絵空事ではない。
ひとつの国が消滅するということがいかに大変なことか、この本は明確に示してくれている。国土を失うということは、単に生活が不便になるなどというなまやさしいものではない。国という存在によって私たちのアイデンティティーは成り立つ。それを失うということは、自分を作っている基盤が崩壊するということである。自分を取り戻すためには、自己の根底にあるものを再構築しなければならないのだ。それがどれだけ難しいかは、考えてみれば分かるだろう。
この作品の中に、「世界雄飛」という言葉が出てくる。戦後、日本の社会はマイホーム化し、厳しさが失われてしまったというのである。日本人は、過保護でぬるま湯のようになった日本社会から脱し、世界という荒々しい外部の社会に出て行くべきなのだと。それが「世界雄飛」の意味である。
私は、著者がこの一言を伝えたいがために、この小説を書き始めたという気がしてならない。読めば読むほど、その思いは強まっていく。日本沈没というショッキングな現象、そこから生じるさまざまな問題も、世界雄飛という思想に裏打ちされていると考えることができる。そうとらえれば、日本に対する警告としてのSF小説というよりも、日本人の将来への希望を込めた啓蒙小説としても読める。
いろいろなメッセージが込められた力作である。一読されることを薦める。
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出だしは、面白そうだという期待を持たせてくれる。が、最初の100ページほどは、はっきり言って退屈である。しかし、前半の途中から、物語は急展開を見せはじめる。中規模の地震がひんぱんに起こり、休火山が次々に噴火する。そして、災害はその規模を増していき、ついに「その時」が来る…
東海地震、東南海地震、南海地震が同時に起こるかもしれないと懸念されている今、この小説の描写は決して絵空事ではない。
ひとつの国が消滅するということがいかに大変なことか、この本は明確に示してくれている。国土を失うということは、単に生活が不便になるなどというなまやさしいものではない。国という存在によって私たちのアイデンティティーは成り立つ。それを失うということは、自分を作っている基盤が崩壊するということである。自分を取り戻すためには、自己の根底にあるものを再構築しなければならないのだ。それがどれだけ難しいかは、考えてみれば分かるだろう。
この作品の中に、「世界雄飛」という言葉が出てくる。戦後、日本の社会はマイホーム化し、厳しさが失われてしまったというのである。日本人は、過保護でぬるま湯のようになった日本社会から脱し、世界という荒々しい外部の社会に出て行くべきなのだと。それが「世界雄飛」の意味である。
私は、著者がこの一言を伝えたいがために、この小説を書き始めたという気がしてならない。読めば読むほど、その思いは強まっていく。日本沈没というショッキングな現象、そこから生じるさまざまな問題も、世界雄飛という思想に裏打ちされていると考えることができる。そうとらえれば、日本に対する警告としてのSF小説というよりも、日本人の将来への希望を込めた啓蒙小説としても読める。
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2006年09月03日
ひとたびはポプラに臥す
「ひとたびはポプラに臥す」 宮本 輝
著者が、仏教経典の翻訳者であった鳩摩羅什という人物がかつて旅した足跡をそのまま辿った旅行記。
著者は関西人らしく、会話のはしばしにユーモアがちりばめられていて、面白く読める。また、旅の途上で宮本輝が何を考え、何を見たかがストレートに伝わってきて、興味深い。
ただ、1ヶ所、気になる部分があった。著者は、自分が作り出す物語に自分の解釈や説明や理由付けを行ってはならないと書いている。しかし、自分の解釈がない小説など、毒にも薬にもならない。そんな小説に心が動かされるはずはない。小説とは、人生や社会、事件などへの意見、批判、または問題提起となるべきだと私は考える。もちろん、基本的には面白ければOKである。しかし、何らかのメッセージがこめられていれば、その、存在価値が増すと思う。宮本輝がなぜそんなことを言ったのかは分からないが、私の小説観とは意見が異なるようである。
波乱に満ちた旅の最後に、著者はずっと持ち続けていた感情を自覚する。「虚しさ」である。この言葉がすべてを物語っているように思われる。古代の王、ソロモンは言った。「空の空、すべては空」。何を成し遂げようとも、どんなに富があろうとも、結局はすべてが虚しいとこの王は言ったのである。著者が期せずして同じ結論にたどりついたのも、ソロモンの言葉の正しさを表しているのではないだろうか。
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著者が、仏教経典の翻訳者であった鳩摩羅什という人物がかつて旅した足跡をそのまま辿った旅行記。
著者は関西人らしく、会話のはしばしにユーモアがちりばめられていて、面白く読める。また、旅の途上で宮本輝が何を考え、何を見たかがストレートに伝わってきて、興味深い。
ただ、1ヶ所、気になる部分があった。著者は、自分が作り出す物語に自分の解釈や説明や理由付けを行ってはならないと書いている。しかし、自分の解釈がない小説など、毒にも薬にもならない。そんな小説に心が動かされるはずはない。小説とは、人生や社会、事件などへの意見、批判、または問題提起となるべきだと私は考える。もちろん、基本的には面白ければOKである。しかし、何らかのメッセージがこめられていれば、その、存在価値が増すと思う。宮本輝がなぜそんなことを言ったのかは分からないが、私の小説観とは意見が異なるようである。
波乱に満ちた旅の最後に、著者はずっと持ち続けていた感情を自覚する。「虚しさ」である。この言葉がすべてを物語っているように思われる。古代の王、ソロモンは言った。「空の空、すべては空」。何を成し遂げようとも、どんなに富があろうとも、結局はすべてが虚しいとこの王は言ったのである。著者が期せずして同じ結論にたどりついたのも、ソロモンの言葉の正しさを表しているのではないだろうか。
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2006年08月02日
オシムの言葉
「オシムの言葉」 木村 元彦
新たにサッカーの日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの言葉を中心に、その人間像に迫ったノンフィクション。
学生時代に大学の数学教授にならないかとの誘いが来たように、非常に頭のいい監督である。旧ユーゴという、政治的に複雑な国で生まれ育ち、代表監督をしていたことが、彼に慎重な言動を取らせるのだろう。彼は言葉の持つ威力とその怖さを十分に知っている。その一方で、サッカーにおいては大胆な采配もする。慎重かつ大胆、それがオシムという男である。選手を選ぶ目も確かだ。さらに、分裂の危機にあった旧ユーゴの監督を経験したことが、彼を精神的にタフにしたという側面もある。
オシムのサッカーは、とにかく選手を走らせると言われるが、ただ走らせるわけではない。走りを中心とした練習には、一つ一つ意味がある。たとえば、オシムがハーフコートを使って1対1で練習をさせたことがあった。片方の選手が押されて、苦しんでいる。と、オシムが見ている選手に注意を促す。1対1で勝てないなら他の選手が助けに行くべきだというのである。1対1という監督が決めた約束事を破ってもかまわないのだと。このように、オシムは常に明確な目的を持って練習をさせる。その考えを理解していれば、何をしてもOKなのである。ただ単に選手の自主性に任せると言っていたジーコとはずいぶん違う。日本の選手はまだ、いきなり自由にやれと言われて伸び伸びと創造性にあふれるプレーができるほど成熟してはいない。日本はブラジルとは違う。オシムは、厳しい監督ではあるが、選手自身の考えも尊重するという点で、トルシエとジーコの中間あたりに位置する存在だと思う。
それから、最も印象に残った場面がある。オシムが旧ユーゴスラビアのクラブチームの監督をしていたころのことである。オシム率いるチームは、優勝争いをしていた。だが、チームの優勝と同時に、オシムは辞任を発表する。そのころ、彼の生まれ故郷のサラエボで戦争が起きており、妻がそこに残されていた。サッカーどころではなかったのだ。しかし、彼を慕うチームの選手は、こう言ってオシムを引きとめようとする。「シュワーボ(オシムの愛称)・オスタニ!!」(ドイツ野郎、残れ!)彼がいかにそのチームで信頼され、求められていたかの現れである。村上龍がみんなが感動するだろうと書いていたが、私も感動した。
この本を読んで、オシムなら日本のサッカーをさらにレベルアップさせてくれるのは間違いないと確信した。
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新たにサッカーの日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの言葉を中心に、その人間像に迫ったノンフィクション。
学生時代に大学の数学教授にならないかとの誘いが来たように、非常に頭のいい監督である。旧ユーゴという、政治的に複雑な国で生まれ育ち、代表監督をしていたことが、彼に慎重な言動を取らせるのだろう。彼は言葉の持つ威力とその怖さを十分に知っている。その一方で、サッカーにおいては大胆な采配もする。慎重かつ大胆、それがオシムという男である。選手を選ぶ目も確かだ。さらに、分裂の危機にあった旧ユーゴの監督を経験したことが、彼を精神的にタフにしたという側面もある。
オシムのサッカーは、とにかく選手を走らせると言われるが、ただ走らせるわけではない。走りを中心とした練習には、一つ一つ意味がある。たとえば、オシムがハーフコートを使って1対1で練習をさせたことがあった。片方の選手が押されて、苦しんでいる。と、オシムが見ている選手に注意を促す。1対1で勝てないなら他の選手が助けに行くべきだというのである。1対1という監督が決めた約束事を破ってもかまわないのだと。このように、オシムは常に明確な目的を持って練習をさせる。その考えを理解していれば、何をしてもOKなのである。ただ単に選手の自主性に任せると言っていたジーコとはずいぶん違う。日本の選手はまだ、いきなり自由にやれと言われて伸び伸びと創造性にあふれるプレーができるほど成熟してはいない。日本はブラジルとは違う。オシムは、厳しい監督ではあるが、選手自身の考えも尊重するという点で、トルシエとジーコの中間あたりに位置する存在だと思う。
それから、最も印象に残った場面がある。オシムが旧ユーゴスラビアのクラブチームの監督をしていたころのことである。オシム率いるチームは、優勝争いをしていた。だが、チームの優勝と同時に、オシムは辞任を発表する。そのころ、彼の生まれ故郷のサラエボで戦争が起きており、妻がそこに残されていた。サッカーどころではなかったのだ。しかし、彼を慕うチームの選手は、こう言ってオシムを引きとめようとする。「シュワーボ(オシムの愛称)・オスタニ!!」(ドイツ野郎、残れ!)彼がいかにそのチームで信頼され、求められていたかの現れである。村上龍がみんなが感動するだろうと書いていたが、私も感動した。
この本を読んで、オシムなら日本のサッカーをさらにレベルアップさせてくれるのは間違いないと確信した。
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2006年07月09日
プロ脳
「プロ脳」 児玉 光雄
一流のスポーツ選手や科学者の言葉から、成功する秘訣を探り出そうとする名言集。見開きの2ページで成功者の言葉とその解説をしており、読みやすい。と同時に、深みに欠ける。
多少、楽観的すぎるきらいがある。「チャレンジし続ける限り、あなたの人生に敗北はない」という言葉などは、その典型である。こんな言葉は、日本の社会には当てはまらない。たとえば、日本の企業はまだ何回も転職をする人間を受け入れてはくれない。この本が言っていることは当たり前(どの名言集にも出ていそう)のことばかりで、しかも青臭い。この本を読んで勇気づけられるのは学生か、せいぜい30代前半までの若者だけだろう。
それでも、いくつか印象に残る言葉はある。「自分に喜びをもたらすのは感謝の気持ちのみ」というアインシュタインの言葉や、ハンマー投げの室伏広治の「集中とは余裕を持って取り組むこと」、単純作業を黙々と続けることはつらいが、才能を獲得する唯一の方法といった言葉には含蓄がある。やはり、世界の一流の人間が言うことは違う。
しかし、この本に欠けているのは、誰にでもその言葉が当てはまるわけではないという視点である。人はそれぞれ才能や環境が異なっており、すべての人に当てはまる成功の秘訣などあるわけがない。自分に合ったやりかただけを選んだり、自分なりにアレンジしてその言葉をとらえることが最も重要なことである。それができれば、こういった本からも十分な教訓を引き出すことができるだろう。
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一流のスポーツ選手や科学者の言葉から、成功する秘訣を探り出そうとする名言集。見開きの2ページで成功者の言葉とその解説をしており、読みやすい。と同時に、深みに欠ける。
多少、楽観的すぎるきらいがある。「チャレンジし続ける限り、あなたの人生に敗北はない」という言葉などは、その典型である。こんな言葉は、日本の社会には当てはまらない。たとえば、日本の企業はまだ何回も転職をする人間を受け入れてはくれない。この本が言っていることは当たり前(どの名言集にも出ていそう)のことばかりで、しかも青臭い。この本を読んで勇気づけられるのは学生か、せいぜい30代前半までの若者だけだろう。
それでも、いくつか印象に残る言葉はある。「自分に喜びをもたらすのは感謝の気持ちのみ」というアインシュタインの言葉や、ハンマー投げの室伏広治の「集中とは余裕を持って取り組むこと」、単純作業を黙々と続けることはつらいが、才能を獲得する唯一の方法といった言葉には含蓄がある。やはり、世界の一流の人間が言うことは違う。
しかし、この本に欠けているのは、誰にでもその言葉が当てはまるわけではないという視点である。人はそれぞれ才能や環境が異なっており、すべての人に当てはまる成功の秘訣などあるわけがない。自分に合ったやりかただけを選んだり、自分なりにアレンジしてその言葉をとらえることが最も重要なことである。それができれば、こういった本からも十分な教訓を引き出すことができるだろう。
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