日本は戦後、GDP(経済成長率)を目標に進んできた。
その過程では、公害で亡くなったり、病気になったりした人達もでた。

その成長もバブル崩壊と共にリストラが行なわれ、更なる効率化の追求から労働生産性のUPが求められて来た。
その為、従業員は本来の改善による向上だけではなく賃金切り下げまでして労働生産性のUPを強いられた。
従業員の労働時間は過重となり、何時も期限に迫られ、その中で不幸にも亡くなった人達もいる。

近頃は従業員だけでなく国民の多くが時間に追われた競争社会に曝され人間関係が希薄となり相手を信じられなくなっている。
果たして、こんな社会でいいのだろうか?

確かに、経済成長率は世界から経済大国として認められる様になったが、輸出への依存が多く、物価は高く庶民の生活は楽ではない。

又、世界的な経済競争は莫大なCO2を撒き散らし地球温暖化の脅威が迫って来た。
その原因を造って来たのは他ならぬアメリカを筆頭とする経済大国である。
日本はその後を追っかけ、モラルまで失い不祥事や事件が多発している。

政治資金の不正、裏金造り、子供虐待死、いじめ、やらせ、賞味期限切食品、偽装建築、粉飾決算、給食費不払等々あらゆる分野で不祥事が起きている。

これは激しい競争社会で大人も子供も、一歩外に出ると自分以外は全て競争相手となり、追い詰められたイライラ感から余裕を持って相手を見る事が出来ず自己中心的になるからであろう。
損得や利益中心にしかもの事を見ることが出来ず、その欲望が事件に発展する。

ギャラップ社が2006年末に世界53ヶ国地域で実施した世論調査で「2006年より2007年が良くなる」と答えた国の中で日本は尻から2番目の19%だったと言う。
日本も希望の持てる国にしたいものである。

企業だけでなく年金や福祉の充実に税金をシフトし国民に将来の安心感を与えないと国内消費も上がらないだろうし、社会の不祥事をなくすことも期待できない。

国の目標には経済成長率だけでなく、国民の満足度ぐらいを目標の柱にしないと、国民の心は疲弊するばかりで、美しい国など見えてこない。

もう少し心に余裕を持たせ、今までの生活を各人がじっくり見なおし、どんな生活がいいのか考えられるような時間を作るべきだある。

それから21世紀の国のビジョンを造るぐらいにしないと、このままでは合理化が進んで一握りの経営者と中間層のいないオペレーターだけの二極社会となり、益々社会は荒んで行くであろう。